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第298話 初デート・クラゲと鍵と4月の自分

■その298 初デート・クラゲと鍵と4月の自分■


 広く暗い空間で、あちらこちらで輝くのは円筒型の水槽です。

それぞれの水槽では上に下にと、クラゲがふんわりふんわり…


青白く輝くミズクラゲ

傘に放射状に赤の縞模様が入っているアカクラゲ

傘に水玉模様のあるタコクラゲ

お椀を逆さまにしたような、白く透明で細く長い触手のオワンクラゲ

丸みがかった形で、カラーバリエーションが豊富な、カラージュェリーフィッシュ…


 10種類以上のクラゲがふんわりふんわり…


「ふぁぁぁぁ…」


 主が感嘆の溜息をつきます。クラゲが映る瞳はウットリとしていて、小さなお口はちょっと開いています。そんな主の横で、三鷹みたかさんはちょっと複雑な気分でした。


桜雨おうめ…」


 主の名前を口にしましたけれど、その次に続ける言葉が見当たらず、喜んでいるのは嬉しいけれど、自分の存在を忘れられているようで… 三鷹さんはそんなモヤモヤした気持ちでいっぱいになって、手を繋ぎなおしました。指を絡めずに握っていたのを、しっかりと5本の指を絡めてギュッと握りました。三鷹さん、クラゲに焼きもちですね。


「クラゲ、飼いたいなぁ…」


「飼うか?」


 三鷹さん、甘いです。


「ずっと見てて、家の事何もしなくなっちゃいそう」


「俺の部屋で飼う。桜雨は見に来ればいい」


「本当?」


 ビックリした主は、三鷹さんを見ました。


「本当」


 ようやく見てくれた主に、三鷹さんはオデコにチュッと唇を落としました。


「帰り、商店街のペットショップに寄ろう」


「本当に、本当?」


 チュッとされたオデコを恥ずかしそうに触りながら、主は三鷹さんをじーっと見ながらまだ聞きます。


「本当に、本当」


 少し口元を緩ませて、三鷹さんがゆっくりと歩き出しました。

主も歩き出すと、手のつなぎ方が変わっている事に気が付きました。


「好きな時に見に来ていいし…」


 ゆっくり歩きながら、水槽の灯りに照らされた主のお顔を見ながら、三鷹さんは続けます。


「なんなら、クラゲと一緒に俺の部屋に来るか?」


 三鷹さん、それって・・・


「じゃぁ、4月から飼い始める? 新年度はお仕事が忙しいから、私もお世話するね」


 確かに、三鷹さんの『お部屋に入るのは高校を卒業してから』って約束ですけれど… 違います、違いますよ主。ほら、三鷹さんも少しガッカリしています。主、今の言葉は、プロポー…


「その時は、お部屋の鍵、使ってもいいでしょう?」


 そうでした。主も主なりに我慢して、楽しみにしているんですよね。1回だけフライングで、鍵を使っちゃいましたけれど。


「もちろんだ」


 主が心配そうに聞くと、三鷹さんは優しく答えてくれました。


「少し、欲張った」


 そして、主に聞こえない程小さな声で呟きます。まぁ、主からあんな可愛い『お返し』をされたら、気持ちがどんどん走っちゃいますよね。今までずーっと、我慢していたんですもんね。いつもなら邪魔をしてくる梅吉さん達も居ないから、気持ちも行動も暴走しちゃいますよね。


 クラゲのスペースが終わると、最初の大きな水槽がある広い空間に出ました。


「少し前は春が来るのが、不安と楽しみで気持ちが落ち着かなかったの。だけど、今はすごく楽しみ。不安が全然ないわけじゃないけれど、ワクワクしてるの」


 そう言いながら、主は三鷹さんに笑いかけます。


「桃ちゃんとは学校が別々になっちゃうけれど、今まで以上に三鷹さんとは一緒に居られるし、絵も描けるし… 三鷹さん、ありがとう。芳賀先生に、私があの美術室で絵を描き続けられるよう、相談してくれて」


 美術部の顧問の芳賀先生が、主に教えてくれたんです。


『桜雨がこのまま、この学校で絵を描く方法が何かないですか? あの子のスキルをこの学校で生かすことはできませんか?』


と、三鷹さんは芳賀先生に相談してくれていたそうです。去年の夏前から。


「私、頑張るね」


「頑張り過ぎないようにな。俺も梅吉も、笠原もいる」


 うん!  と大きく頷いた主は、ニコニコしながら三鷹さんと繋いでいる手の腕を、キュッと抱きしめて、最後に大きな水槽を暫く眺めていました。



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