■ その321 メイク練習?お裁縫?女子会です■
皆さんこんにちは、僕はキーホルダーのカエルです。
僕の主は高校を卒業したばかりの
このお店はオネエの坂本さんが店長で、今日は定休日でドアに『close』の看板が下がっていますが、坂本さんの好意でバックヤードを使わせてもらっています。
コンクリートの床のバックヤード、大きめのダイニングテーブルに主と
少し放れた椅子に座って、高橋さんがお店の
「サク(高橋)さん、お裁縫できるんですね」
その手元を見て、桃華ちゃんは意外そうな声。
「私より、上手」
主の指先は、針で傷だらけですもんね。
「あ? こんなの、学校の家庭科でならったモンんで十分縫えるよ。なんて、ミシン使うのが苦手なだけなんだけどな。親が忙しかったから、自分で破いたズボンや洋服の繕い物は自分でやってたんだよ。慣れだな、慣れ」
言って笑う高橋さんの手元で、糸がブチっと切れました。
「力加減を間違えると、こうなる」
さらに笑う高橋さん。強く引っ張り過ぎたみたいですね。
「ちょっと高橋、糸を切るのは構わないけれど、布は傷めないでよ。はい、お待たせー」
お店の2階から、メイク道具を抱えた坂本さんが姿を見せました。テーブルの空いているスペースにメイク道具を置いて、坂本さんは松橋さんの隣に座りました。そして、一呼吸置く隙も無く、松橋さんの顔を両手に取って確りと観察し始めます。
「やっぱり、10代のお肌は綺麗だわ~。特別なお手入れしないで、ここまで綺麗なんですもの、嫉妬しちゃう」
言いながら、坂本さんは松橋さんの眼鏡を取って、長めの前髪をピンで止めてお顔をオープンにします。
「良い事? せっかく素材が良いんだから、余計な手は加えなくていいのよ。加えたいのなら、スキンケアに力を入れるの」
坂本さんは大きな鏡を松橋さんの前に出して、さらにその下に小さなボトルを数種類並べます。
「まずは、お化粧の基本からね」
こうして、坂本さんのメイク特別講習会が始まりました。
松橋さん、来月から就職が決まっているんですけれど、お化粧をしたことが余りなく… お化粧に関して不安になって、坂本さんに相談をした結果、今日の特別講習会となりました。
松橋さんは坂本さんにお化粧の仕方を教わりながらも、たまに主や桃華ちゃんにお裁縫を教えたりします。
「で、勇一さんと美世さんはどこに行ったの?」
坂本さんが松橋さんの手つきを見守りながら、聞きます。
「静岡県の『さくらの里』」
「2泊3日、ゆっくりするみたいです」
桃華ちゃんの両親は、昨日から遅くなった新婚旅行に行っています。
「修二さんと美和さんも、行けばいいのに、新婚旅行。
あ、下地はここまで伸ばして… そう、ムラにならないようにね」
坂本さん、お話をしていても、指摘は確りと入れます。
「お父さん、最近、元気がないんです。何だか、悩みでもあるみたいで」
「悩み? あの修二さんに? イって!!」
主は最近の修二さんの様子を思い出して、軽く溜息をつきます。その言葉に、高橋さんが声を上げて驚きました。はずみで、針で指を差したみたいです。
「たぶん… 私に言いたいことがあるみたいなんだけれど、私の顔を見て、ぐって言葉を飲み込んでいる感じで…」
そんな修二さんの姿を、主は見たことがありません。
「… ねぇ、
「三鷹さんとですか? 水族館ですよ。今度は、スーツを買いに隣町まで。三鷹さんのお仕事が忙しくて、まだ行けてなくて」
坂本さんの質問に、主はニコニコと答えます。が… 主、お出かけの事じゃないと、僕は思いますよ?
「違うわよ~。男と女の関係」
ん、もう! って、坂本さんは唇を尖らせて、手入れの行き届いた指先で、主を突っつきました。
「お… おと… 男と…」
主、オットセイですか? お顔も真っ赤ですよ。
「女子しかいないんだから、言っちゃいなさいよ~」
そう言う坂本さんは…
「… キス」
主は小さな小さな声で答えます。
「それは、この前聞いたわよ。あれから少し経ったんだから、進展あるでしょう? お誕生日の夜とか~」
聞く坂本さんはドキドキワクワクしているみたいですけれど、桃華ちゃんはスッゴク複雑なお顔してますよ。松橋さんと高橋さんも、ドキドキして手が止っちゃってます。
「三鷹さんに膝枕してあげて… チュってして… 終わりです」
主、イチゴ味のキスを思い出して、お口がモゾモゾしてます。
「何それ? 膝枕はいいわ、キスもいいわ。そこまでして、その先は無いの?!」
期待外れでしたね、坂本さん。
「あの男、枯れてるんじゃないでしょうね?」
「店長~、この子達の前で、そのセリフはNGじゃないっすか?」
呆れた坂本さんの一言に、高橋さんが苦笑いして言いました。
「でも、卒業したんだから、もう少し進展があってもいいでしょう?」
「桜雨ちゃんのペースに、合わせてんじゃないっスか? あの人、めちゃくちゃ桜雨ちゃんを大事にしてるから。狼が飼い犬の毛皮を被ってんですよ、きっと」
不満だわ~ と言いたげな坂本さんに、高橋さんが言います。
「…まぁ、そんな所なんでしょうね」
坂本さんは、お顔を真っ赤にしたまま俯いちゃっている主を見て、大きなため息をつきます。
「修二さん、その事をちゃんとわかっているのね。まぁ、美和さんが手綱を握ってるんでしょうけれど。お父さん、娘に嫌われたくないのね」
「つまり修二叔父さんは、本当はキスだけと言えども
坂本さんの言葉を受けて、桃華ちゃんが解説します。うんうんと頷く坂本さん。
「まぁ、どこの馬の骨とも知れない奴にやるよりはマシだろうし、何より桜雨ちゃんを一番大切にしてくれる事、ちゃんとわかっているけど… 俺の愛娘なんだよ! 触んなバーカ! って、ジレンマなんだろうな」
高橋さん、後半が雑すぎやしませんか?
「まぁ、そんな所ね。大丈夫よ、桜雨ちゃん。娘を持つ男親なんて、皆そんなものよ。桃華ちゃんちは、梅吉がそうよね」
「… そう言えば、最近の兄さんと修二叔父さん、雰囲気一緒だわ。なるほど、そう言う事だったのね」
桃華ちゃん、最近の梅吉さんの様子を思い出して、納得したように頷きます。
「修二さんは構わなくていいから、早く進みなさいよ。それで、進んだら、逐一報告して頂戴!」
坂本さんは松橋さんのお顔にメイクをし始めながら、主にウィンクしました。
「桜雨、進まなくていいからね!」
「あら、桃華ちゃんも何かあったら報告してよ? きっと、そっちの方が進行早いだろうから」
複雑なお顔の桃華ちゃんにも、坂本さんはウィンクします。一呼吸置いて、桃華ちゃんのお顔が赤くなりました。それは坂本さんのウィンクのせいじゃなくて、笠原先生の体温や声を思い出して… という事を、坂本さんはお見通しでした。満足そうに微笑む坂本さんを見て、高橋さんは苦笑いをしていました。