■ おまけの話 勇一と美世2・新しい生活1■
どこから始まってどこで終わるのか、見当もつかない程その壁は続いていた。
いい加減、見飽き始めた頃に、壁に切れ間が見えた。塀と塀の間の木戸は、実家の玄関程の幅だった。タクシーからその木戸の前に降り立つと、東条さんは静かに押し開けて進んで行く。小さくなるその後ろ姿をボーっと見ていた私を、東条さんは振り返って手招きした。
「ここで待っていなさい」
そう言われたのは、細いドアの前だった。東条さんは、そのドアから中に入るのではなく、壁伝いにどこかに行ってしまった。
大きなお屋敷なのに、玄関はとても小さいな。
言われた通り、ドアの前で待つ。さっきの木戸の半分ほどの幅しかないそのドアを見つめながら、そんなことを思っていたら、ドアが中から開いた。
「あら、ずいぶん図々しい物乞いね。お屋敷の敷地内まで入って来るんじゃないわよ」
白いブラウスにふんわりとした黒の長いスカート、その上から白いエプロンをかけた姿の、若い女性だった。私と目が合うと、私の頭のてっぺんからつま先まで細い目で舐めるようにジロジロ見て、野良犬を追い払うように手でシッシ! と、追い払う仕草をした。
「あの、私…」
「だから、物乞いは結構よ。まったく、こんな小さな子どもに物乞いさせる親なんて、どんな神経してるのかしら」
私が口を開くと、女性は細い目を更に細めて眉間に皺を寄せ、神経質そうな細い眉をピクピクと動かしながら、さらにシッシ! と、手で私を追い払う。
「ここはね、貴女みたいな子が来るところじゃないのよ。それに、貴女にいつまでも立っていられたら、仕事が出来なくて困るのよ。分かったら、早く帰りなさい。まったく、私だって暇じゃないんだから… いったい、どこにいるのかしら?」
女性はキツイ口調で言いながら、辺りを見渡した。誰かを探しているようだ。
「あの、私… 」
「いい加減に… 」
名乗ろうとする私に、女性がさらに大きな声を被せようとしたので、私はさらに大きな声を出した。
「こちらでお世話になる、ミヨです!!」
女性の細い目が、少し大きくなった。硬直した時間は、1分も無かったと思う。
「最初からそう言いなさいよ。私も忙しいのよ! 時間の無駄でしょう!! それにしても、なんて汚らしい恰好… まるで山猿ね」
時間の無駄じゃないんだろうか?
と、ペラペラ動く女性の口を見ながら、幼心に思った。
「だから、奥様の前に出す前に、身支度を頼まれたのですよ。
こんにちは… ミヨちゃん、でいいのかな?」
肌も髪も汚い等々、まだ私の容姿をけなしている女性を押しのけて、別の女性が私の前まで出て来てくれた。白いブラウスも、黒いスカートやエプロンも先の女性とまったく一緒のいでたち。けれど、印象は正反対だった。
柔らかそうな栗色の髪をお下げにして、目尻の下がった可愛らしい
「あ… はい。東条ミヨと申します。よろしくお願いします」
お下げの女性は、わざわざ私の目の高さまで腰を下げてくれた。
「私は、東条チヨです。遠い親戚と聞いているわ。今日からよろしくね」
そう言って私の両手を握ってくれたチヨさんは、母より若くて姉より年上で、甘い良い香りがした。
「これから、このお屋敷の奥様にご挨拶するんだけれど、このままの格好ではご挨拶出来ないから、お風呂に入りましょうね」
そう言って、チヨさんはまだ眉をひそめたままブツブツ言っている女性の前を、私の手を引いて家に入れてくれた。
「やだ、汚い!」
私が目の前を通る時、女性は小さな悲鳴を上げて、外の方に飛びのいた。
私が玄関のドアだと思っていたのは勝手口だったようで、手を引かれて入った目の前には、土間伝いに広いキッチンが広がっていた。
「お仕事の仕方とか、ここでの規則とか、色々説明しなきゃいけないのだけれど、まずは奥様にご挨拶ね。さ、私達が使えるお風呂はこっちよ」
チヨさんはニッコリ笑って、ブラウスの袖を右! 左! と力強くまくって見せた。