■ おまけの話 勇一と美世2・新しい生活2■
チヨさんは、私の髪や肌を容赦なく洗った。ゴシゴシゴシゴシ… 手拭いのようなもので擦られたけれど、そんなに痛くはなかったし、汚れていた自分の体にモコモコモコモコと白い泡が立つのが面白かった。伸ばしっぱなしの髪の毛も、チヨさんが丁寧に洗ってくれた。
用意された白いブラウスと黒いスカートは少し大きかったけれど、今まで着た服の中で一番清潔で一番上等な布だった。髪はチヨさんとお揃いのお下げにしてもらい、編み方も教わった。ふくらはぎにヒラヒラ纏わりつくスカートも気になったけれど、それよりも気になったのは、足を覆う靴下。それと、ペタペタ鳴るスリッパ。
「初めまして、東条
通された和室に、その人は居た。紺色の着物がとても素敵で、スッと伸びた背筋が余りにも美しい正座で、私は慣れないスカートを広げながらも座りなおした。
美智様は、目鼻立ちのハッキリとした美しい
「東条ミヨです。あ、あの…」
私は美智様の雰囲気にすっかり飲み込まれて、そもそもどう言った挨拶をすればいいのか分からなかったのもあって、頭を下げたまま固まってしまった。
「勇一さんから、道中のお話は伺いました。貴女がこのお屋敷で働けば、ご実家にお金が入ります。そのお金は、貴女のお父様が働いて得る賃金とたいして変わりは無いでしょう。つまり、貴女は怪我をした父に代わって、家族を支えることが出来るのです。
それと、貴女には教育を受ける義務があります。教育費や必要な物は、雇い主の当家がだしますので心配しない様に」
「学校… 行けるんですか?」
『学校』の言葉が出て、正直驚いた。諦めていたから。思わず顔を上げて、美智様を見た。
「お兄様とお姉さまは、通っていないのですか?」
「畑が忙しい時は、お休みしていました。学校までは時間もかかるから、お天気の悪い日もお休みしていました。
私は、弟や妹の面倒を見るのが仕事だし、うちにはお金も無いし、どうせ物覚えも悪いから、学校は行かなくてもいいと思っていました」
学校は、お金がある家の頭のいい子が行く所だと思っていた。兄も姉も、学校に行く日は朝早くに家を出て、夕方に帰って来た。帰って来て、「疲れた」というけれど、兄も姉も夕飯時には楽しそうに学校の話をしてくれたから、行ってみたいとは思っていた。けれど、私まで学校に行ったら家の事は止まってしまうし、何よりお金がかかってしまうから、半分以上は諦めていた。
「貧困から抜け出したければ、学びなさい」
美智様はそう言うと、静かに立ち上がって部屋のドアの所で私を呼んで、台所まで連れて行ってくれた。
「少し、よろしいですか?」
キッチンでは私と同じ格好の女性が6人お仕事をしていて、美智様が声をかけると、一斉に手を止めて集まって来た。先頭に、チヨさんの顔があって、凄くホッとした。
「今日からここで働くミヨです。学校に通いながらの仕事となります。皆さん、よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
美智様の言葉に続けて私が頭を下げると、美智様は戻って行ってしまった。
「学校に通うんですって? あのボロ雑巾みたいな洋服を着て行くの? ああ、嫌だ! 東条家の恥さらしもいいところだわ」
美智様の姿がなくなると、勝手口で私を怒鳴りつけた女性が、銀食器を磨きながら私を睨みつけた。
「お屋敷のお情けで行く学校は、さぞかし楽しいでしょうね~」
「あら、お友達が出来れば楽しいでしょうけれど、貧乏で汚い子よ? 周りが嫌がって近寄らないわよ」
同じく、銀食器を磨いている2人も馬鹿にしてきた。
「友達が出来ても出来なくても、東条家の恥さらしには変わりはないわ」
なんで、学校に行けるだけでそんなことを言われなければならないのか、その時の私には分からなかった。さっきの美智様の言葉も、難しくて全部は分かっていなかった。ただ、ここで働けば家にお金が入る事、学校に行ける事、だけは理解できた。
「ミヨちゃん、こっちにいらっしゃい」
どうすればいいのか分からなくて、悲しくなって、
「チヨさん、私、本当は学校に行っちゃいけないんですか?」
チヨさんが連れて来てくれたのは、チヨさん達のお部屋だった。さっきの美智様のお部屋より狭くて、何もない。
「違うわ。義務教育と言って、学校に行かなきゃいけないの。でも、そうね… 」
チヨさんは行李を開けて、何枚かブラウスを出しては、私にあてがった。
「さっきの3人が言ったことは、嘘ではないのよ。言い方は悪いけれどね。
貴女はこのお屋敷の本当の子どもではないけれど、周りはそんな事知らないのよ。貴女の格好が汚かったり、貴女が人に迷惑をかける事をしたら「ミヨが」と言われるのではなくて、「東条の家の人が」って言われるの。… つまりね、貴女は『東条の家の人』という看板を背負って歩くものなのよ。これはね、私達も同じ。まぁ、少しずつ教えてあげるし、何度でも言ってあげるわ」
チヨさんは言いながら、畳に広げた数枚のブラウスを指さした。
「子どもらしくは無いけれど、これをワンピースにリメイクしてあげるわね。私のお下がりで悪いけれど」
赤いチェック、ピンクの小さな花が散らばったもの、青い水玉… 姉さんや母さんでも持っていない柄のブラウス。それを着れると思うと、また嬉しくなってきた。その反面、私ばかりこんなに贅沢をしていいのかと、家族に申し訳なく思っていた。