■おまけの話 勇一と美世2・新しい生活3■
私の朝は早い。実家でも、5歳の頃から姉とお日様が昇るのと同じ時間に起きて、朝食の準備を始めていた。それは東条の本家のお屋敷で奉公するようになっても、変わらない事だった。ただ、ここでは寝ぼけた顔ではなくて、きちんと身支度を整えてからキッチンに立たなければいけなかった。
顔を洗い、髪をまとめ、白いブラウスと黒いスカートに白い前掛けを身に着ける。そして、お勝手仕事をするのが、私を含めて4人と多かった。キッチンも広くて綺麗で、食材も調味料も沢山あって、もちろんその殆どが初めて見るモノが殆どだった。
何もかもが実家と違い過ぎる! と、初めて見た時はショックを受けたけれど、唯一の共通点を見つけてホッとしたのを覚えている。お屋敷は都会に建っているのに、ご飯を炊くのだけは
「まったくさ… いつも思うけれど、ガスが使えるのにご飯だけ竈で炊くなんて、
「おはよう、ミヨちゃん。チヨさんの事、聞いた?」
「おはようございます、サヨさん。チヨさんの事? 私、まだ聞いてないです。どうかしたんですか?」
お屋敷で奉公をするようになって、半年がたった頃だった。
この頃の私は、少しはお屋敷のお仕事にも慣れていたけれど、寂しくてお布団の中で泣いている夜も少なくなくて、そんな夜は必ずチヨさんが薄いお布団の上からギュって抱きしめてくれた。皆で寝ているから声を出さない様に泣いていたのに、チヨさんは必ず気が付いてくれた。ご飯も、「育ち盛りなのだから食べなさい」と言って自分の分を少し分けてくれし、お裁縫も丁寧に教えてくれたので、この頃にはお下がりで頂いた洋服を、自分でリメイク出来るようになっていた。もちろん、私の至らないところを注意して、きちんと指導もしてくれた。チヨさんは、もう一人の母だった。
「チヨさん、お嫁に行くらしいわ」
チヨさんは、今年で22になると聞いていた。
「旦那様に、お話しがきたんですって。チヨさん、このお屋敷にご奉公に上がって… 6年だったかな? 本当は、4年でお家に帰るはずだったんだけれど、3年目の時にご実家が火事で焼けちゃって、家族もその時に全員亡くなったらしいのよね。チヨさん、良く働くし人もいいでしょう? だから旦那様が年季明けしても、チヨさんが良ければこのままお屋敷に居てもいいってことで、今まで働いていたのよ」
サヨさんは、お喋りだ。初めて会った時、自分から
「私、お喋りが大好きなの。きっと、お母さんの口から生まれたのね」
と、自己紹介してくれた程にお喋りだ。
他の女中の人達から、「口ではなく手を動かしなさい」と、よく怒られているのを見る。今も、竈の火を起こす手が止っている。でも、そのお喋りのおかげで、私はお屋敷の事をすぐに知ることが出来た。サヨさんは16歳で、2年前からこのお屋敷で働いているらしい。
「… でね、今まで修二坊ちゃんを」
「サヨ! あんたはまた口ばっかり動かして!! さっさと火を起こしなさい!」
私が一生懸命、薪や
タカさんとサヨさんは同い年だと聞いた。けれど、タカさんの実家は町の着物問屋で、タカさんは礼儀作法のためにお屋敷で奉公している。そういう女中さんを、一昔前は『上女中』と呼んでいたらしい。それに対して、私やチヨさん達みたいに炊事洗濯、水回りの仕事をする女中さんを『下女中』と呼んでいたとか。
この頃でも、旅館や料亭で働く女性以外は『女中』と呼ぶことも珍しくなって、『お手伝いさん』と呼ばれるのが一般的。と、教えてくれたのも、サヨさんだった。
タカさんの様に商家の娘さんや豪農の娘さんは、仕事の他にお茶やお花等の作法を奥様に教えてもらっていたらしい。もちろん、これもサヨさんから。作法を教わっている事を私が知らなかったのは、その時間は、私は学校に行っているから見たことも無かったからだった。
いつもの事だから、怒られたサヨさんは反省した様子も無くて、とりあえず目の前の竈に火を入れ始めた。
「だから、時代錯誤だってば」
ね~。 と、私に同意を求めるように言って、サヨさんも火吹竹を拭き出した。
「竈でご飯を炊くのはガスで炊くより一気に量が炊けるし、奥様が竈焚きの味が好きだから」
と、仕事の初日に教えてくれたのもサヨさんだった。けれど、きっと彼女はそんな理由も忘れているだろう。
「ああ、そうだミヨ。奥様が呼んでいたから、朝食の片付けが終わったら、奥様のお部屋に行きなさい。その時は、手と足を綺麗に洗ってから行くのよ。奥様のお部屋が汚れるから」
タカさんはそう私に言うと、返事も待たずに自分の持ち場へと戻って行った。
上女中に当たる人達は3人。私達下女中は4人で、私以外は皆年が近かった。けれど、身分の差がハッキリしているからか、上女中の3人は、私達を見下していた。幼い私には、そこまでの事は分からなかったけれど、「意地悪な人達」との思いはあった。
特に、タカさんは酷かった。それなりに傷つきもしたけれど、気にしてクヨクヨしている時間がもったいなかったので、すぐに忘れるようにしていた。なにせ、働きが良かったら、お駄賃が貰えるから。
お駄賃をある程度溜めて実家に送れば、家族の食事が少しはマシになるんじゃないか?
毎食ご飯を食べながら、幼い私は思っていた。それほど、実家の食事は粗末で、下女中の食べる食事でもお屋敷の食事は豪華だと思えたから。それと、この頃の私は面倒だからと反発することなく、言われた事を「はいはい」と聞いていたので、自然と礼儀作法を身に付けられた。幼い私は気が付かなかったし分からなかったけれど、上女中達の言い方こそ意地悪だったけれど、間違ってはいなかった。
そんな私の一番の楽しみは、お屋敷の裏庭で弓道の練習に励む勇一さんを見る事だった。