■おまけの話 勇一と美世2・新しい生活5■
16歳の
4歳の
「修二様、今まで郊外の別宅に住んでいたのよ。
一日の仕事も無事に終わって、サヨさん達とお風呂でリラックスタイム。大きなお風呂に下女中皆で入って、その日あった事の報告会も兼ねていた。ただ、修二さんがお屋敷に来たその日から、私達の仕事量は倍ほど増えて、このお風呂の報告会も久しぶりだった。
秋の夜は、もう寒い。たっぷりの温かなお湯で、体を充分温められるのはとても嬉しかった。お湯の中で体を伸ばせるのも、嬉しい。
「勇一様も通った小学校らしいわ」
チヨさんは、よく湯船の中で体を揉み解す。今も話しながら肩を念入りに揉んでいる。
「勇一様、中学校を卒業してお屋敷に戻って来たから… 9年間も寮生活をしていたの? じゃぁ、一美様もこれから9年間? 私なら、逃げ出すわ~」
私はフンフンと話を聞いていたが、全寮制の生活というものの想像が出来なかった。今思えば、お屋敷で働いていたこの頃は、寮生活とあまり変わらないのでは? と思うが。
「別宅での修二様の暮らしは分からないけれど、一美様が居なくなったし、別宅を会社で使うようになったとかで、修二様もこちらで生活するようになったみたいよ」
ショートカットに切ったばかりの癖毛を、濡れた両手で後ろに撫でつけながら、サヨさんは続ける。
「今まで、盆暮れ正月には来ていたんだけれど、その数日でもグッタリだったのに… 正直、いい迷惑よね」
「今年のお正月にいらした時より、お元気よね」
疲れ切った笑みを浮かべるナツさんは17歳。先輩女中6人の中で一番痩せていて、枯れ木の様に細い人だった。
よく、タカさん達に意地悪をされているのを見た。慣れ始めた私が口を出したり手を出して庇ったりしていたら、タカさん達には「可愛げのない子どもだ」と、私が言われるようになった。
今まで大人しかったのは、慣れない場所に独りで投げ出されたからだ。大人だらけの世界で、右も左も分からなかったのだから、出来るだけ大人しくして周囲を見て学習していただけ。
「ミヨちゃんの前掛けの泥汚れ、落ちなかったんでしょう?」
サヨさんの言う通りだった。修二さんと初めて会ったあの日、廊下の汚れは想像通り頑固で、掃除に手を焼いた。それ以上に手を焼いたのは、前掛けの泥汚れ。元通りには戻らなくて、大切に使っていたからとっても落ち込んだ。
修二さんの洋服に至っては、洗う事もしないでタカさんが捨てていた。逃げた後、どこで何をしていたのか… 帰って来た修二さんの洋服は、何か所も大きく切れていたから。
「あの前掛けは、修二様と遊ぶ時用にしました」
その後も、修二さんは何かにつけて私にちょっかいを出してきた。朝でも夜でも時間は関係なく、仕事中の私に虫やネズミを見せに来たり、落とし穴に落としてくれたり、掃除したばかりの部屋を汚してくれたり…
落とし穴は、何回か落ちた。4歳が掘る穴だから、深さはたいしたことがないけれど、ご丁寧に泥を入れてくれた時もあって、数枚ブラウスをダメにしてしまった。その時は遠慮なく奥様に報告をして、新しいブラウスを頂いた。泥染みだらけのブラウスでお屋敷の外に出たら、それこそ東条の家が笑われてしまうから。だから、タカさん達もこのことについては、何も言わなかった。その代わり、掃除したての部屋を汚された時は、タカさん達の嫌味はいつもの倍だった。まぁ、聞きなれた私は右耳から左耳へと流しながら、修二さんにも掃除を手伝わさせた時もあった。
「東条の者として、自分のやった事の責任ぐらい取れなくてどうするんですか?!」
と、雑巾掛けぐらいはさせていた。もちろん、タカさん達に見つかったら「立場をわきまえなさい!!」と、思いっきり怒られもした。けれど、私も懲りずに、修二さんを捕まえられた時は必ず一緒に掃除をさせた。きっと、奥様から注意を受ければ止めたのだけれど、そんなことは1回も無かった。タカさん達が、奥様に言いつけてないはずはないのだけれど。
そして、修二さんにとって一番の誤算は、私が虫やネズミを見ても何とも思わなかったこと。きっと怖がったり、泣きだすと思っていたのだろうけれど、残念なことに私の実家は掘っ建て小屋のようなモノだったから、虫やネズミが出て来るなんて日常茶飯事だった。いちいち怖がったり泣いていたら、生活が出来ない。
「修二様、寂しいんだと思うわ?」
「寂しい?」
チヨさんの言葉に、サヨさんが顔をしかめた。
「あの
「そうそう。ずっと一緒だった一美様とも放れてしまったし、一緒に住めるようになった旦那様と奥様も、お仕事でお忙しくてなかなか修二様のお相手を出来ないでしょう? 修二様、まだ4つですもの。構ってもらいたいのよ」
聞いた時は、そんなものなのか… としか思っていなかった。実家にいた時、兄妹は力を合わせて家の仕事を手伝っていたし、何より皆一緒だった。独りでお屋敷に来たけれど、日中は仕事や学校に忙しかったし、家族が恋しくて夜布団の中で泣いていた時は、チヨさんが何も言わずに抱きしめてくれていた。だから、暴力や悪戯で他の人の気を引こうとする気持ちは分からなかった。
「別宅の方の幼稚園でも、あんな感じだったらしくて… 奥様、こっちで幼稚園に通わせようか、悩んでいるみたい」
奥様が家の事を相談するのは、上女中のタカさん達ではなくチヨさんだった。
いつも私達を馬鹿にしているのに、頼りにされているのは私達じゃないか。
と、この頃は内心タカさん達を馬鹿にしていたところもあった。ただ単に、タカさん達は行儀作法の為に奉公に来ているお嬢様達で、チヨさんはこのお屋敷で一番古くて何でも知っているからなのだけれど、この頃の私には分からない事だった。
「同じ兄弟でも正反対の性格よね、勇一様と修二様」
サヨさんが、両手を上げて大きく伸びをする。
「本家の跡取り息子ですものね、勇一様は。大きな会社の社長になるという事は、そこで働く社員やその家族の生活も守らなきゃいけないから」
ナツさんは、自分の事のように溜息をついて言う。
「そんなに、大きな会社なんです?」
「大きいわよ。大小の関連会社を入れると、国内は… 30位? 国外でも10か国合計100社はあったんじゃないかしら? その下請けっていったら、もっとよね」
私の質問に、サヨさんが指を折りながら答えてくれた。
「本家が、分家を奉公人として面倒を見てくれる1つの理由としてね、政略結婚があるのよ。面倒を見ている奉公人と、会社の中で有力な社員と結婚させて一族に引っ張り込んで、会社を強くするの。お相手の家柄がいい時は、タカさん達のような上女中から。一般の方は、私達下女中から。嫁いだ先で夫となった人を支える事が、東条グループの繁栄にもつながるのよ」
「今時、戦国時代みたいよね」
チヨさんの説明に、サヨさんが笑う。
「そうね。でも、何万何千人の生活を護っているのは、確かよ」
チヨさんも笑いながら言った。
「じゃぁ、勇一さんはどこからお嫁さんをもらうんです?」
それは、ぼんやりとし始めた頭に、ふと思いついた質問だった。
「それなりの家柄ね。奥様も、大きな会社のご令嬢なのよ。二条グループって、知ってる? ホテル関連の仕事が主で、西に関連会社が多いの。奥様は、二条グループ会長のお孫さんなのよ」
教えてくれたチヨさんの横顔が、ほんの少し寂しげに見えた。
夫を支えるのが妻の役目なら、勇一様のお嫁さんはチヨさんでいいんじゃないかな? 東条家の事も良く知っているし、奥様や旦那様とも仲がよさそうだし、何より二人並んでお話ししている雰囲気はとても穏やかで、勇一様もリラックスしているように見える。
視界がグルグル回りだした頭で、私はそんな事を思っていた。
「勇一様のお嫁さんは、チヨさんが良いと思いますぅ…」
頭で思った言葉は鼻血とともに外に出して、私はそのままブクブクと湯船に沈んだらしい。チヨさんが慌てて引き上げた私の体は、茹でた
私は、久しぶりに皆で入るお風呂が気持ち良くて、出ることをすっかり忘れて、のぼせたのだった。