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勇一と美世3・小さな女中さんのささやかな楽しみ1

■おまけの話 勇一と美世3・小さな女中さんのささやかな楽しみ1■


 東条の本家に奉公に上がって、あっと言う間に1年が過ぎていた。毎日が忙しくて、クルクルクルクル曜日が変わって、季節が流れた。


 お屋敷でむかえた2回目の秋。この頃、私は毎日のお仕事で誇れることが出来ていた。

 それは、かまどでご飯を炊くこと。お屋敷の立派なキッチンは、ちゃんとガスが使える。けれど、竈でご飯を炊くのはガスで炊くより一気に量が炊けるし、奥様が竈焚きの味が好きなので、手がかかっても、薪や火吹竹ひふきたけで火を調節しながらご飯を炊いていた。実家にいる時から竈でご飯を炊いていたから、私としては何の苦にもならなかった。それどころか、皆が


「ミヨの炊くご飯が一番美味しい」


と喜んでくれるのが嬉しくて、やりがいがあった。もちろん、奥様も褒めてくれていた。

 5歳になった修二しゅうじ君も、たくさんお代わりをしていた。私が米炊きをしていた頃は、エンゲル係数が高かったと思う。


「お米が美味しいから、おかずも進んじゃう~」


と、よくサヨさんは言いながら、おかずも沢山食べていたから。


 お屋敷の買い物は、普段は私が学校に行っている間に済んでいる。けれど、学校から帰った私が、女中の服に着替える暇も無く、買い物に出ることもしばしばあった。幼稚園を抜け出して、帰って来ない修二君を探す時だ。そんな時は決まってサヨさんが買い物篭と一緒に、内緒で小銭をくれた。

ささやかなお駄賃だ。そのお駄賃を握りしめて、幼稚園を抜け出してまだ帰らない修二君を探しだして、一緒に買い物をするのが流れになっていた。


「修二様、また喧嘩ですか?」


 修二君はだいたい三方を家に囲まれた空き地で、近所の子ども達4人を相手に喧嘩をしていた。喧嘩相手は、はぼ決まった顔ぶれ。何年生かは分からないけれど、相手4人は小学校に上がっているのは確かで、体の大きさは修二君の2倍はある。そんな4人を相手にして、無傷とはいかないけれど修二君のフットワークは軽い。そして、どう見ても相手4人の方が、ダメージが大きいようだ。皆、雑草の上に膝をついてうずくまっていた。


「あ、ミヨ! 買い物か? 買い物だよな?! オレも行く!!」


 私が声をかけると、目つきの悪い顔をニコニコさせて駆け寄って来た。後ろの4人は修二君の気が自分達からそれてホッとしたのか、崩れ落ちてしまった。


「修二様、今日はなんで幼稚園を抜け出しちゃったんですか?」


 修二君の前にしゃがみ込んで、埃だらけになった服をパンパン叩きながら聞く。聞いたところで、帰ってくる答えは毎回変わり映えしないのだけれど。


「つまんなかったから。ハゲの車もつまんないし」


 修二君は私に全身を叩かれながら、本当につまらなさそうに答えた。


「ハゲ… じゃなくて、峡田はけたさんですってば。車が嫌なら、峡田さんと歩けばいいんじゃないですか? 幼稚園、面白くないって言いますけど、喧嘩は面白いんですか?」


 最後に、修二君の顔に付いた汚れを素手でギューギューふき取る。


「ミヨ、痛い!」


「蹴った足も、殴った足も、これ以上に痛いでしょう」


 顔をそむけた修二君の顔を両手で挟んで、さらにギューギュー。


「チヨはもっと優しく拭いてくれるぞ!!」


 修二君が口にした名前に、私の腕がピタッと止まった。


「チヨはちゃんとハンカチを使ってくれる」


「… 残念でした。ミヨはチヨさんじゃないですからね。数少ないミヨのハンカチ、全部泥だらけにしたのは誰ですか?! あそこまで泥染みがついちゃったら、外では使えません。また、タカさんに怒られちゃいます」


 そう言いながら、私はポケットからハンカチを出した。元の白が殆ど無くなった、灰色でまだらに染められたハンカチ。


「持ってんじゃんか」


「チヨさんから貰ったハンカチ、捨てませんよ。さ、お買い物に行きましょう」


 修二君の顔を仕上げにハンカチでひと拭きして、横に置いた買い物かごを取って立ち上がる。手早くハンカチを畳んでポケットにしまうと、修二君に手を差し出した。


「ご飯、何だ?」


 手を繋いで、歩き出す。転がっている4人は、そのうち帰るから大丈夫。心配して手を出すと修二君がさらに攻撃をするから、構わないのが彼らの為だったりする。

 修二君の興味は、既に夕飯のメニューに移っていた。


「修二様の大っ嫌いなさば


 あ、面白い顔。


 修二君は、この頃には既に魚が嫌いだった。おかずが『魚』と聞いただけで、目元は怒ってるのか泣いてるのか分からないし、鼻の頭に皺を寄せて、口元は犬が怒って歯を向く直前のようにワナワナさせる。この顔が、私は面白くて気に入っていた。


「そんな顔、しないでください。チヨさん直伝のレシピですから、美味しいですよ、きっと」


「チヨの魚料理はおいしかったけど… 本当に、チヨみたいに作れるのか?」


 チヨさんは、お嫁に行ってしまった。お庭の桜が満開でお天気もいいのに、静かに静かに… 糸の様に細い雨が降っていた。その雨は桜を散らすことも無く、太陽の光を反射させて、チヨさんの白無垢姿をキラキラ輝かせていた。桜の下、白無垢姿のチヨさんはとても綺麗だった。

 チヨさんは、お屋敷からお嫁に行った。用意は、全て旦那様と奥様が揃えてくださったそう。それを知ったのはだいぶ後になってからからで、その日はただただチヨさんの花嫁姿に目を奪われていた。いつもは暴れる修二君も、この日は大人しかったのを覚えている。


… 私も修二君も、本当は寂しかった。


 けれど、チヨさんが余りにも綺麗で、優しく微笑んでいるから、困らせるような事はやらなかったし、言わなかった。その代わり、その夜は修二君と二人で桜の樹に登って、チヨさんが行ってしまった方をずっと見ていた。


「ミヨの料理の腕前、知っているでしょう?!」


 あの日以来、修二君は今まで以上に私の周りをウロチョロしたり、手を煩わせることが多くなった。私は、出来る限り一緒にいるようにした。


学生さんや、お買い物の人達、個人商店の元気な呼び込みを聞きながら、賑わう商店街を修二君と手を繋いで歩く。


めし炊くのは、美味いよな!」


「おかずだって、上手に作れます!」


「本当か~? 不味かったら、残すからな」


「あ~、残念。頑張って全部食べれたら、ご褒美上げようと思っていたのにな」


 ご褒美の言葉に、修二君の目が少し大きくなった。


「サヨさんが内緒のお小遣いくれたから、何か美味しいモノを…」


「食う! 頑張って魚食うから、あれ買おう、あれ!」


 私の話を最後まで聞かない。興奮した口調で、歩くスピードを上げて、私の手を強く引っ張て向かう先は決まって駄菓子屋さんだった。


「はいはいはい。ちゃんと、お魚食べてくださいよ」


「食べる食べる」


 呆れたふうに言うけれど、本当は私も楽しみだった。


 新しい駄菓子は、こんな味だった… あのお菓子の甘さは、あのお菓子に似てるよね…


 そんな学校のお友達たちの話を聞いて、いつも羨ましかった。駄菓子を買うお金も実家用に貯めていたから、毎日買うことは出来ないし、サヨさんがくれる内緒のお駄賃で買えるお菓子は限られていた。けれど、修二君と分けっこして食べる駄菓子は、とても美味しかった。量も少なくなって、一口で終わってしまったけれど。


「あ、オレ、良いモノ持ってたんだ」


 急に修二君が立ち止まって、ポケットから個包装の飴を2つ出した。


「兄ちゃんから貰って来た」


 1つを私にくれる。


「また、勇一様のお部屋に勝手に入ったんですね」


「大丈夫、タカ達には見つかってない」


 個包装の封をピッと切って、小さな飴玉を口の中にほおり込んだ。私は知っていた。「兄ちゃんから貰った」は「兄ちゃんの部屋から、勝手に貰った」という事だと。分かっていて、躊躇ちゅうちょなく口の中に入れるのだから、私も同罪・共犯者だ。その事も、ちゃんと分かっていた。分かっていて、甘い誘惑に負けていたのだ。


「美味しい~」


「上手いな」


 修二君と、顔を見合わせて笑いあう。そんな時間が、楽しかった。


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