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勇一と美世3・小さな女中さんのささやかな楽しみ2

■おまけの話 勇一と美世3・小さな女中さんのささやかな楽しみ2■


 学校から帰って、夕飯のお米を炊く前の少しの時間。白いブラウスと黒いスカート、白い前掛けをした女中の姿で裏庭の樹に登って、お屋敷の外を眺めるのが好きだった。


 塀より高い枝まで昇って、太い枝に腰をかける。田舎の実家とは全く違って、大小の山も大きな木々や鮮やかな花は見えないけれど、色々な形と色の屋根が夕日色に染まっていくのは気に入っていた。夕日に染まる街並みを見渡していると、その日あった嫌なことが心の中で溶けていった。

 タカさん達上女中からの嫌味やお小言、学校の人達から浴びせられた悪口や嫌がらせ。夕日の色が濃くなるのと同時に「ま、いっか」と、溶けて無くなる。


「なー、今日は肉?」


 私の少し上の枝では、修二君が私と同じように座っている。喧嘩をしないで帰って来た日は、修二君も木に上っていた。私より先に。

 この時間は、彼の体力も尽きる時間みたいで、とても大人しい。口数は少ないし、かけてくる声も、ゆっくりしたものだった。


「猪のお肉ですよ」


「ふ~ん…」


 こんなちょっとの時間も、私には楽しみだった。



 学校に通う子ども達の楽しみと言ったら、遠足に運動会。


 1年生の時の遠足は、小学校に入学して間もない4月中旬。学校生活に戸惑っていた私に、チヨさん達が朝ごはんと一緒にお弁当を作ってくれた。歩いて歩いて、たくさん歩いて、お友達たちと食べるお弁当は格別な味だった。


「お弁当、ありがとうございました。とっても美味しかったです!」


 帰宅して、真っ先にチヨさん達にお礼を言った。


「これ、お土産です」


 そして、皆に渡したのは四つ葉のクローバー。

 この時行ったのは大きな川原で、遊びもしたけれど、植物や昆虫の観察もした。観察しながら四つ葉のクローバーを探して、お屋敷の人達の人数分、摘んできた。もちろん、タカさん達上女中にも。鼻で笑って捨てられるだろうと思っていたけれど、彼女達もちゃんと受け取ってくれた。


「貴女にしては、気の利いたお土産ね」


 なんて、嫌味は忘れなかったみたいだけれど。この時は、受け取ってもらったことが嬉しかった。けれど、今なら彼女達も捨てなかった意味が何となくわかる。


 四葉のクローバーの花言葉は『幸福』


 上女中の彼女達も願っていたのだろう、『幸福』を。


「あら、それは?」


 四葉のクローバーは、ハンカチに包んで持って帰って来た。緑色の四つ葉の中で、一つだけちょっと違うのを見つけてサヨさんが聞いてきた。


「ステキな色だから、勇一様にと思って」


「うん、素敵な色でいいわね。勇一様、まだ弓のお稽古中だったから、様子見て来るといいわよ。ミヨちゃんも、ご飯炊き始めるにはまだ時間早いでしょ」


 サヨさんに教えてもらって、私は小走りに裏庭に向かおうとして、途中で足ふみをして迷った。

 4月とは言っても遠足で半日動いていたから汗はかいた。服も肌も髪も汗の匂いがするし、埃っぽいし、何より、観察で砂利や土や草の上に座ったり膝をついたりしていたから、とても汚れていた。


 勇一様の前に出るのに、こんな格好では出たくない。でも、着替えて髪に櫛を入れていたら、お話しする時間が少なくなっちゃう。裏庭に行こうか… 女中部屋に行こうか…


 揃えた両手の平にクローバーを挟んだハンカチを乗せて、それを落とさない様に中腰になって、足はクルクルクルクル方向を変えて…


「お帰り、ミヨ。それは、盆踊りの練習か?」


 そんな間の抜けた格好の私に、弓道の練習を終えた勇一さんが声をかけてくれた。


「ただいま帰りました。えっと、これは… すみません、汚い恰好で」


 声をかけてもらったのは嬉しかったけれど、情けない恰好を見られて、恥ずかしかった。


「学校の帰りなのだろう? それなら仕方がない。俺も汗だくだ。気にすることはない」


 それなら、勇一様の練習姿を見たかった! 迷ってないで、裏庭に行けばよかった!!


 とても残念に思いながら、勇一さんの前まで足を進めた。


「きょ、今日、学校の遠足で川原まで行ってきました。皆で草花や、昆虫の観察をしたんです。それで、これ…」


 そっと、勇一さんの前でハンカチを開いた。


「お屋敷の皆さんに、お土産をと思って、摘んできたんです。勇一様も、よろしかったら… あ、それじゃなくて」


 勇一さんは、私の話が終わる前に、ハンカチの上に置かれたクローバーの1つに触れようとした。一番端の、落ちそうになっているモノを。


「勇一様のは、中心が紫になっているクローバーです。ステキなお色だから、勇一様にと思って。これ、1つしか見つけることが出来なかったんですよ」


 勇一さん用のクローバーは、真ん中に置いておいた。大きな手が、そっと小さなクローバーを摘まんだ。そのまま目の高さまで持ち上げて、優しくクルクルと回わす。


「ありがとう」


 短い一言だけを残して、勇一さんはお部屋の方へと歩き出した。クルクル回したクローバーを見ながら。私は、受け取ってもらえたのが嬉しくて、クルクル回りながら女中部屋に向かった。


 後から分かったのだけれど、この時勇一さんに渡したクローバーは、『ハナカタバミ』というクローバーに似たオキザリスの仲間だった。四つの葉の総ての中心が紫色になっているもので、通称『ラッキークローバー』と呼ばれていて、花言葉は


『あなたと過ごしたい』『決してあなたを捨てない』。


この時の私は、四葉のクローバーだとばかり思っていたから、「良い事がありますように」と、皆に渡していたのだけれど、勇一さんはそうとは受け取っていなかったらしい。


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