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勇一と美世4・クリスマスと珈琲2

■おまけの話15 勇一と美世4・クリスマスと珈琲2■


『立場をわきまえなさい』


 真後ろで、タカさんに言われている気がして、座っているお尻がムズムズした。


 お買い物を終えると、勇一さんは私を連れて、商店街と住宅地の間にある喫茶店に連れて来てくれた。勇一さんが飲んでいる珈琲は、ここで買っているそうだ。

 頼んだ珈琲豆を挽いてもらっている間、珈琲を飲んで待っていた。いつもなら女中の服に着替えて、玄関周りの掃除を始めている頃合いだ。それなのに、この日は勇一さんと向かい合って座って、飲みなれない珈琲を飲んでいた。


 オレンジ色の間接照明が優しく包む木目調の店内はそれほど広くなく、カウンター席が3つと二人掛けのテーブル席が2つ。お客さんは、カウンター席に男の人が2人だけ。店内には窓はなく、壁にはこれと言った飾りも無い。

流れる音楽はどこの言葉かもわからなかったけれど、耳障りはとても良かった。それがクラシックだと知ったのは、だいぶ後になってから。そして店内を漂う、苦みを含んだ香ばしい香り。


 着古したブラウスをリメイクしたワンピースと、真っ赤なランドセル。脱いだ上着だって、内側は当て布だらけ。この小さな喫茶店で、目の前の勇一さんは喫茶店の一部の様に溶け込んでいたけれど、私の存在は完全に浮いている。と、幼心にも自覚していた。自覚しているから、タカさんの声が聞こえるのかもしれない。『立場をわきまえなさい』と。


 店内を流れる音楽に聞き入っている勇一さんに、私は見入っていた。

 無駄な肉のついていない顔のラインが、間接照明が生み出す影で少し神経質に見える。後ろになでつけられた艶やかな黒髪、キリッとした眉と、今は閉じられている切れ長の黒い瞳。少し薄めの唇は、時々薄い陶器のカップに触れて珈琲を吸い込む。

 珈琲を飲んでリラックスしているのだろうか? 店の雰囲気も手伝ってか、勇一さんの纏う雰囲気がいつもより柔らかい感じがした。弓道の練習中や、読書中とは少し違った勇一さんに、私は見とれていた。


「苦いか?」


 両手を勇一さんとお揃いのカップで温めていた私に、勇一さんは目を開けることなく聞いてきた。


「あ、熱かったから…」



 見惚れていたことを咎められたわけではなかったけれど、バツが悪そうにうつむいた。

 私の両手が包んでいるカップには、濁りのない黒い液体がタップリ入っている。それは少し前までとても熱かったけれど、12月の外気でキンキンに冷えた手で包み込むにはちょうど良かった。声をかけられた時には、飲み頃だった。


「これを」


 勇一さんはテーブルの端に備え付けてあった白い陶器の、小さな小さな丸いポットを私の手元に置いてくれた。天井の小さな突起を摘まんで、そっと開けて見る。白くて四角い物が、幾つも入っていた。


「砂糖だ。珈琲に入れると苦みが抑えられて飲みやすくなる。それとも、こっちの方がいいか?」


 そう言いながら勇一さんは詰襟のポケットから、小さくて赤い袋を2つ取り出してポットの隣に置いた。袋の表面には、チョコレートの文字とカカオのイラスト。


「好きな方を」


 甘い選択肢だ。私は迷うことなくチョコレートを選んで、その包装を開けて匂いを嗅いだ。


 滅多に食べられないはずなのに… こないだ頂いたばかりなのに… 私ばかり、こんなに美味しい物を食べて良いのかな? 皆は働いているのに。


 先日は2つ。今日も2つ。たった4つの小さなチョコレートで、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「食べないのなら、俺が食べよう」


「頂きます!」


 動きを止めた私から、勇一さんはチョコレートを取ろうと手を伸ばしてきた。そう言われて「はい、どうぞ」と返せるほど、私は大人ではなかった。甘いものが好きな、子どもだ。


 微かに香る甘い香りを吸い込んでから、焦げ茶色の長方形のそれを、そっと袋から摘まみだして少しだけかじる。端っこの、ほんの少し。先日、勇一さんのお部屋で頂いたモノより、まろやかで甘かった。


 口の中に甘味を充満させてから、カップの中身を少しだけ口に含む。途端に、苦味が口の中を侵略し始めた。あっと言う間に占領してしまうかと思いきや、苦味の中に甘味が生きている事に気が付いた。また少し、チョコレートを齧ってみる。甘味が勢いを回復する。けれど、口の中は甘味だけではなく、苦味も共存し始めた。口の中が美味しく、面白かった。


「ミヨは幸せそうだな」


 私は百面相をしていたのだろう。目の前でゆっくり珈琲の味を楽しんでいた勇一さんが、頬を緩ませながら言った。


「幸せです。こんなに美味しい物を私一人でなんて… きっと、罰が当たります」


 また、『立場をわきまえなさい』と、後ろでタカさんに言われている気がした。


「大丈夫。今日は、皆の分も用意している」


 そう言われると、申し訳ない気持ちは半分ぐらいになったから、遠慮なくチョコレートと珈琲を楽しんだ。


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