■おまけの話17 勇一と美世4・クリスマスと珈琲4■
勇一さんは正面玄関から。女中の私は勝手口から。一緒に帰っても、お屋敷に入る入り口は別々だった。… いつもは。
この日は、私達女中に差し入れを買ってくれたので、勇一さんも勝手口からお屋敷に入った。
「お帰りなさいませ、勇一様。こちらからの出入りは控えてくださらないと…」
出迎えてくれたのは、ナツさんだった。お辞儀の後、困ったように言いながらキッチンの出入り口をチラチラ気にしていた。タカさんや奥様が来てしまうんじゃないかと、気が気じゃないのだろうと、その時は思った。
「これを」
そんなナツさんの様子を気にも留めず、勇一さんは抱えていた茶器の箱をナツさんに渡した。
「あ、すみません、ありがとうございます。これで何とか、明日のお客様分は間に合いそうです」
受け取ったナツさんは、それが茶器だと分かるとキッチンテーブルに広げ始めた。
「明日のお客様分? 割れたのは3つだけでしたよね?」
勇一さんと一緒に土間からキッチンに上がって、食器棚を眺めたら… 口がぽっかりと空いてしまった。
お客様用の食器棚の上段、揃いの茶器がズラリと並んでいるはずのそこは、半分程空っぽになっていた。
「もしかして、修二様ですか?」
思わず修二君の名前を出してしまったのは、しょうがないと思う。客間の窓ガラスを全部割ったと聞いていたから。
「修二様は、蔵で強制反省中です。… マリさんなんです。茶器の事で奥様に咎められていたんですけれど、反省するどころか言い返して、終いには食器棚のガラス開けたなって思った瞬間、腕を差し込んで一気に落としたんですよ」
言いながらナツさんは大きなため息をついて、土間の隅に山積みに置かれた7つの大きな段ボールを指さした。量からして、修二君の割った窓ガラスも入っているのだろう。
「奥様、頭の血管が切れてしまうんじゃないかと心配になる位、激怒なさって…」
ナツさんの疲労した横顔を見て、勇一さんと珈琲を飲んだり、イルミネーションを楽しんできたことを申し訳なくなった。
「ミヨちゃん、今帰って来て正解。あんなの、見るものじゃないから」
私の気持ちが分かったのか、ナツさんが力なく微笑みかけてくれた。
「さ、お夕飯の支度しましょう。勇一様、お忙しいのにお使いをお願いしてしまって、すみませんでした。ありがとうございます」
「父は今日も不在だろう? 夕飯は、簡単なものでいい。母にも言っておく」
ナツさんがお辞儀をすると、勇一さんはそう言ってキッチンを後にした。テーブルの上に、喫茶店の店主から受け取った紙袋を置いて。
この日のお夕飯は勇一さんの言葉通り、簡単なものになった。奥様もマリさんへの怒りが疲れに変わり、食欲もなかったようだ。
お屋敷のお掃除の大半は私達下女中の仕事だったが、修二君とマリさんが暴れた後始末をするには手が足らず、タカさん達上女中も手伝ってくれたようだ。
「肝心な時に居なくて、すみません」
と、お夕飯を作る前にタカさん達に頭を下げると、意外な言葉が返って来た。
「気にすることないわ。お買い物に行ってくださるという勇一様に、貴女の事を頼んだのは奥様ですから。それに、私達も幼い貴女に、あの様な光景を見せるのは忍びなかったので…。お礼等は、勇一様におっしゃい」
とても、やつれているように見えた。朝のタカさんと比べたら、明らかに頬の肉が落ちている。いつもはキッチリまとめられている髪も、ボサボサとほつれていた。
「ほら、ジロジロ人の顔を見ている暇があったら、早くご飯を炊いてちょうだい。美味しいものでも食べないと、やっていられないわ。奥様も、ミヨのご飯をお待ちかねよ」
「は、はい!」
お尻をピシ! と叩かれた様にピンと背中を伸ばして、私は
こんな時に、私のご飯を食べたいと言ってもらえるのが嬉しかった。お屋敷の人達は大変な思いをして疲れ切っていたけれど、そんな皆に必要とされていたのが嬉しかった。
タカさん達上女中は、明日から絶え間なくお見えになるお客様の接客で大忙しになる。いつも以上に、礼儀作法や
私はと言うと、竈の灰を冷ましている間に上着に袖を通して、ポケットにアルミホイルに包まれた物2つを入れて蔵に向かった。
蔵は離れ家の横にあって、土壁に漆喰を塗ったその姿は、夜の闇の中でも月明かりにぼんやりと浮かんでいた。瓦屋根の下に付いている窓が開いていた。
蔵の隣の大きなモチノキは、冬でも葉が落ちない。葉と葉の間にチラチラ見える小さな赤い実。上の枝に、小さな影が見えた。
「修二様、そんな薄着だと、風邪をひきますよ」
修二君の隣まで登ると、ズリズリと動いて場所を開けてくれた。座る前に、上着のポケットから丸いアルミホイルを出して、修二君に差し出した。
修二君は、悪い事をするとこの蔵に入れられていた。頻繁に入れられていたから、蔵の中の物を重ねて重ねて上の窓まで登って、隣のモチノキへと飛び移ることも、得意になっていた。
「今夜は、皆さんお疲れで、軽食で済ませたんです」
「あの馬鹿が暴れたからな」
修二さんはアルミホイルを1つ受け取ると、さっさと開いた。私の拳より大きいその中身は、カリカリ梅を散らしたお握り。
「修二様だって、客間の窓ガラスを割ったって聞きましたよ」
勢い良く食べだしたのを見て、私は修二君の隣に座った。
「母ちゃんが煩いんだもん。一気に言うし、何度も言うし、皆遊んでくれないし、ミヨは居ないし…」
この頃の修二君は、苛立ちや寂しさと言った感情をどうすればいいのか分からなくて、よく暴力で発散していた。
「でも、窓ガラスはまずかったんじゃないですか? 怪我、しませんでした? ガラスないと、寒いですよ」
大きいお握りは、あっと言う間に修二君のお腹の中に納まった。2個目は、焼き鮭と白ごまのお握り。大きな口で齧りついた。
「バット使ったから、怪我してない。このお握り、ミヨが?」
「作ろうと思ったんですけど、サヨさんが作ってくれました。皆、私が修二様にお握り持って来るの、知ってますから」
いつもなら、お握りを作っている私の背中越しに、タカさんが「反省中なのですよ」とチクリと言ってくるけれど、今日はサヨさんがお握りを作ってくれて、タカさんも分かっているはずなのに何も言われなかった。
「うまいな」
修二君はニコニコ笑って食べながら、白い月を見上げた。
「美味しいご飯食べたかったら、明日から大人しくしていてくださいよ。明日から、お客様がたくさんお見えになって、とっても忙しいんですから」
私も、月を見た。満月にはまだ丸さが足りない月は、星の真ん中で静かに浮かんでいる。月の色が白く見えるのは、外気の寒さのせいかな? と思った。
「気が向いたらな」
「向かせてくださいね。あ、これ、勇一様から皆に頂いたんです。これは修二様の分」
お握りを食べきった修二君に、ポケットからチョコレートを差し出した。個包装された、2個のチョコレート。修二君は嬉しそうに受け取ると、勢いよく封を開けて丸々1個を口の中にほおり込んだ。
修二君はチョコレートの甘さにニコニコしながら、私と一緒に鼻の頭と頬を赤くさせて、しばらく木の上で夜空を眺めていた。