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勇一と美世5・『東条』の名前2

■おまけの話19 勇一と美世5・『東条』の名前2■


 最後に見えた勇一さんの表情は、とっても焦っていた。それは瞬きするぐらいの瞬間で、すぐに何かのドアで遮られ、それもすぐに闇に覆われた。

 全身に感じる激しい揺れは、エンジンの振動。悲鳴を上げる隙も無く口に粘着質のものを貼られて、目はタオルか何かの布で覆われて、両手も後ろで縛られて転がされた。


「いいか、静かにしてろよ」


 聞き覚えのない声が、エンジン音に混ざって聞こえた。


「分かったのか? 分かったら、うなずくぐらいしろ!」


 神経質でイライラした声に怒鳴られて、私は慌てて頷いた。頷いて、さらわれたんだと気が付いた。それぐらい、手際が良かった。


「お嬢ちゃん、御免ね。大人しくしていれば怖くないし、痛いこともしないから」


 また、別の男の人の声がした。人の良さそうな、申し訳なさそうな声。少しホッとして頷く。


「いい子だね。鼻で呼吸できてる? 苦しくはないかな?」


 また、頷く。


「おい、あんまりガキにかまうな」


 また、別の声。今まで聞こえた中で、一番太い声だった。


「でも、『東条』の子どもだって言うだけで攫われちゃうなんて、可哀そうで」


「金持ちの家に産まれたのが悪いんだよ」


 野太い声の人の言葉で、私は一美かずみお嬢様と間違われて攫われたことに気が付いた。


 よく見れば、そんなに上等な服は着てないのに気が付くと思うのに… そうか、今日は赤いコールテンのコートを着てるんだった。でも、コートの中はいつもの女中服だし、クツだってそんなに上等な物じゃないのに… もし、私が一美お嬢様じゃないって分かったら、私はどうなっちゃうのかな?


 後頭部や背中に車の振動を感じながら、そんな事を思っていた。どんどん考えないと、怖くて泣きだしちゃいそうだったから。


 それより、勇一様や修二様じゃなくて良かったかも。お2人に何かあったら、それこそ大変だよね? 私は女中だから… 女中だから…


 勇一様の焦った顔を思い出した。初めて見た表情。視界は塞がれて真っ暗だけれど、手を伸ばせば届くように目の前に浮かんだ。拘束されているから、手も動かせないけれど。


 どうしよう… どうしよう… 私、どうすればいいんだろう?

 帰りたい。帰りたいけれど、帰れるのかな? お屋敷に、皆が居るお屋敷に帰りたい…


 勇一さんの顔を思い出した瞬間、今までで一番大きな恐怖が私を襲った。怖くて不安で泣きたくなって、でも泣いたら負けな様な気がして、歯を食いしばって泣くのを我慢した。


「身代金を渋るようなら、体の一部を少しづつ送ってやるんだ。手始めに、手の小指でどうだ?」


 私がグルグル考えている間も、頭の上の方では男の人達の会話が続いていたみたいで、不意に恐ろしい言葉を耳が拾ってしまった。野太い声だった。


「それは可哀そうだよ。こんな綺麗な手をして…」


 優しい声の人だろう。言いながら、私の手を取って言葉を失った。そうだろう、この頃の私の手は荒れて赤切れていたから。それでも、サヨさんが寝る時に、自分のハンドクリームを私に塗ってくれていたから、実家にいる時よりはだいぶマシな状態だったのだけれども。


「どうした?」


 優しい声の人の様子がおかしかったのか、神経質な声が聞いていた。


「…いや、何でもないよ。この車、暖房が入らないから、寒くないかなと思って」


 庇ってくれた。こんなに酷い手荒れをしたお嬢様なんて、居るはずがないのに。


「風邪を引こうが、拗らせて肺炎になろうが知ったことか。家にさえ帰れば、立派な病院に行けるんだ。俺達貧乏人とは違ってな」


 知ってる。病院はお金がかかるし、お薬も高いよね。だから、健康には十分気を付けていたし、具合が悪くなったら拗らせない様に無理はしなかったよ。私の家には、病院にかかるお金はないんだもの。じゃぁ、父さんが怪我をして入院した時のお金は? 勇一様は、お仕事中の怪我だから、雇い主さんが出してくれたと言っていた。でも、全額じゃないとも… 旦那様に出して頂いたのかな? 私が働いているお給金で、病院に行けるようになったかな?


「でも、手術代金、いくらかかるの? その後だって、お金はかかるだろう? 上手く行くか分からない身代金をあてにするより、ちゃんと働いた方が…」


 実家の事を思い出していたら、優しい男の人の言葉に驚いた。


 手術のお金が欲しいの?


「クビ、クビ、クビ、クビ、クビ… 俺の何が悪いってんだ! 雇い主の奴らは、いつだって直ぐに俺をクビにしやがる!! 貧乏人だからって、喧嘩をしても盗みがあっても事故が起きても、全部俺のせいにしやがる。俺が貧乏人で、あいつらにとって掃いて捨てていいただの駒だからだ!」


「ごめん。うん、そうだね、そうだ」


 揉み合いにでもなったのだろうか? 野太い声は今まで以上に声を荒げて、優しい声は落ち着かせようとしていた感じだった。


「ともかく、こいつらは何不自由なく暮らせてるんだ。うちのガキの手術代ぐらい、貰ったって罰は当たんねぇよ!」


 攫われた理由が分かって、なんだか安心した。


「うん、そうだね。でも、この子も子どもだから、なるべく穏便に…」


 優しい声の人が、私を安心させようとしてくれたのか、肩を優しくポンポンとし始めてくれた時だった。車がガクンと大きく揺れて、スピードが上がった。その運転はとても荒くなって、誰かが私の上に覆い被さって庇ってくれた。きっと、優しい声の人だと思った。


「どうしたの?!」


「アイツ、おかしいぞ!」


 スピードが上がっているのが分かった。小刻みにブレーキがかかる度にキュッキュッと音が鳴って、左右に揺さぶられる。庇ってくれている大きな体のおかげで、体は固定されていた。


「アイツって?」


「そのガキと一緒にいた、大きい方の男だ。アイツ、バイクのケツに乗って、矢を撃ってきやがった!! サイドミラー、やられたぞ!」


 勇一ゆういちさんだ! 勇一さんが追いかけて来てくれてるんだ!!


 すぐに話の男の人が勇一さんだと分かった。バイクの後ろに乗って矢を放つ… 勇一さんしか考えられなかった。この時の私は、勇一さんが追いかけて来てくれていると分かって安心したし、とても嬉しかった。けれど、今ならこう突っ込むと思う。


ハリウッド版流鏑馬やぶさめですか? と。

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