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第33話 紅月





「…………よし、はじめっ!!」


 1度目ではすることができなかった、開始の合図。2人が位置に着いたのを確認すれば、桜李はその声を道場内に響き渡らせる。杏樹が最終戦に持ち込むか、蛇川が勢いのままに2本目を連取して勝利するか。戦いの火蓋は、桜李によって今切り落とされた。

 互いに様子を見ていた1戦目とは違い、戦いが始まるとすぐさま杏樹が蛇川へと距離を詰める。負けることが怖くない、怖いもの知らずと言うよりかは……、本当に自分が負ける想定を1ミリもしていないのだろう。常に勝つことを想定して動き続けられる、それも杏樹の強みの1つだ。


「楽しみだなァ、蛇川さンが秘密を暴露シてくれるノ」


「……残念ですが、することになるのは貴女ですよ」


 1戦目の工程で、間合いだけでなく竹刀の独特な重さにも慣れた杏樹。初めて振る武器だったせいで、先程は攻撃の後に隙が生まれてしまい、その隙をやられてしまった。

 後隙がほとんど無くなった杏樹は、蛇川の攻撃を警戒しつつも、攻撃する暇すら与えないくらいの連撃をする。初めてだろうと、戦闘の天才にとっては関係なく。桜李の凄まじい連撃と、同レベル……否、それ以上の速度が出ていた。

 その連撃を、なんともないという顔で受け流していく蛇川。時には竹刀で防いだり、時には流れるように回避したり。彼の中にある攻撃から逃れる方法は、多彩なようである。


「……はは、ドン引き」


 その光景に、夏怜はドン引きしてしまっている。目の前で1本が無いかを目で追う桜李も、同様に。鍛錬を重ねてきた者だから、分かってしまうのだ。彼女達は、努力で追いつけるレベルの人間ではない……ということを。

 特別講師として呼ばれた蛇川なんて、最初は剣道のルールを少しだけ知っているただの大人として夏怜から桜李に紹介された。しかし、持ち前の凄まじい運動神経で、初級者がいきなり中級者の上位レベルにまで上達した。ずっと努力を続けてきた桜李の領域に、足を踏み込んできたのである。

 たしかにそれは悔しいが────、その目の前の対決は、嫉妬をしながら見るものではない。彼女達の動きに、なにか学べるものがあるのではないか。桜李は、常にポジティブに考えていた。


「……ふ〜。…………レナちゃンを思い出すネ」


 一度蛇川から離れれば、杏樹は一息つきながら呟く。回避をしてから攻撃を狙ってくるスタイルは、たしかにレナと似る部分がある。その上で、彼はレナと違って戦闘の能力が極まっており抜群に高い。つまり、蛇川はレナよりもプレッシャーがあるのだ。

 しかし、そんな手強い相手でも微かに隙はあるようだ。1戦目で1本をもらった時から感じていた、微かな隙。それを探るために、杏樹は様々なバリュエーションの攻撃をしていた。独特な回避方法には隙が生まれると予測する者がほとんどだが、杏樹はそこに目をつけなかった。凄まじい身体能力で、その隙が起こらぬように上手く回避している。問題は────、彼自身。


「さァて、攻めてこないなら再度攻めちゃうヨ。蛇狩りの時間だ」


「はは、口だけは達者なようで」


 呼吸を整えていても、全く攻めてこない蛇川。舐めている、というよりかは……一度生まれる隙を突く方が勝率が高いという思考。待つのも戦略。ただ怖がって攻めてこないのではない。蛇川は、高い知能を持っていた。レナの次はいつかの怪盗と姿を重ねながら、杏樹は再び足を進める。


「……なンてネ。やッぱ面倒だから、棄権棄権」


 間合いに入ったところで、杏樹は少しだけ肩に込めていた力を抜く。そして、審判の桜李と目を合わせたかと思えば、杏樹は両手に持っていた竹刀をその場に落として、棄権を宣告してしまった。

 その姿を見た蛇川は、口を無気力に開いて、寂しそうな顔を浮かべる。ここまで自分と対等に戦おうとしてくれたのは、極寒の地で初めて出会ったあの警察官、ただ1人だけ。楽しみが終わってしまうのに勘づいた蛇川は、肩から力を抜いてしまう。


「ごめン。それも嘘」


 杏樹の思惑通りに、戦う気が失せていく蛇川。自身と同じように力が抜けたのを確認すれば、杏樹は一瞬で体に力を入れて、自分が落とした竹刀を再度空中で手に取った。そして、瞬時に蛇川の左目を竹刀の先端で突くように攻撃をする。


「……ッ!」


 騙し討ちをくらったとしても、蛇川は流石だった。抜けた力を杏樹と同じように入れ直し、突きをなんとか回避する蛇川。運動神経で強引に行った回避は、先程までの「杏樹に隙が生まれたら攻撃できる」という体勢の維持も兼ねた回避ではなく、ただ目前に迫る攻撃を避けるためだけの回避と化していた。

 杏樹は、蛇川の隙になり得るものを見抜いていた。攻撃を回避する時は、必ず左側へと避けるということ。どんな攻撃が来ようとも、それは絶対に変わることがなかった。その使えそうな局面を、どう活かすか。ただ振り回すだけじゃ、ただ無限に避けられて自分が疲れておしまいだ。杏樹が考えた模範解答は────、これだった。


「回避までお見通しッてワケ」


 どれだけ攻撃を当てようとしても回避されてしまうのならば、回避した体をそのまま封じてしまえばいい。蛇川が左側へと回避すると同時に、杏樹はその蛇川が回避する方向へと体を動かす。体同士がぶつかるなんて、考えてもいなかった蛇川。当然だ。剣道は、剣同士が重なることはあっても、体同士が重なることは無い。杏樹は、その心理を突いたのだ。

 杏樹の体によって動きが制限された蛇川は、急いで彼女から離れようと体を動かせそうな後ろへ動かそうとする。しかし、それはできなかった。行く手を阻むように、杏樹の竹刀が胴の直前で止められていたからだ。


「……あれ、コレは1本にならない感じ?」


 先程蛇川が1本をとった時は、すぐに審判の桜李の声が響き渡った。しかし、5秒程度待ってみても、桜李の声は上がらない。明らかに抵抗が間に合う訳ではなさそうだし、1本のはずだよね? なんて疑問を浮かべた表情で、杏樹は桜李へと目を合わせる。


「……反則はほとんど無しって言ったが、騙し討ちの上に竹刀が手から離れたっつーのは流石に……」


 騙し討ちなんてもちろん本当の試合でやったら反則だし、故意的に竹刀を手から離すことも反則。1戦目とは違って非紳士的にとられた1本を認めてしまうのは、この勝負を見ている子供達の教育上良くないのではないか。桜李は、葛藤していた。


「別に良いですよ、1本を認めてください」


 そんな葛藤をしている桜李にそう語りかけたのは、他の誰でもない。蛇川だった。


「騙し討ち、上等じゃないですか。勝負とはそういうものです、油断していた私が悪い。……騙し討ちまでして勝とうとするその精神、やはりあの女に似ている」


「……蛇川さんが認めるなら、とらない訳にはいかないな……。よし、杏樹の1本!」


 ブツブツと独り言を呟き始めた蛇川を横目に、桜李は杏樹の1本を宣言する。その宣言に、またもや沸き立つ門下生達。

 テレビで見たような光景が、今目の前に広がっている。正攻法で勝とうとする正義の味方と、汚い手を使ってでも勝とうとしてくる悪の組織。蛇川と杏樹が、その2つの姿に重なるのだ。道場のボルテージは、最大まで上がっていた。蛇川が勝つだの、杏樹が勝つだの、お祭り騒ぎ。

 そんな中、杏樹は「やり返してやったぜ」なんて薄ら笑いを浮かべて蛇川から竹刀と体を離していく。……体が完全に離れる前に、杏樹は言い残したことがあったのか、耳元に顔を近づけて口を開く。


「右目、狙ッてごめンネ? これも勝つためだからサ」


「……! 杏樹、いつの間に気づいてたんだ」


 狙った左目ではなく、何故か右目を狙ってすまないと杏樹は話した。確かな声は聞こえずとも、杏樹の動きを一部始終見ていた夏怜は、読唇術で杏樹が話していたことを察する。

 そう。杏樹の予想通り、蛇川は右目が見えていない。動きからして完全に見えていない訳ではないのだろうが、それでも極限まで視力が低下していそうだ。

 ヒントは、ずっと隠されていた。絶対に左側へと避けるのは、見えない右目をカバーするため。左足を前にした構えは、見える左目を有効に活用するため。左目を突こうとした時に反応が遅れたのは、右目が見えていないから。杏樹は、最初に1本をとられた時からずっとそれを疑っていたのだ。


「……流石に、貴女のような手練てだれが相手だとバレますか。丁度いいハンデです。……騙し討ちはもう通用しませんよ」


「ハハ、分かッてる。真剣勝負ならぬ竹刀勝負、楽しもうヨ」


 もし彼に右目の視力が残されていたのなら────、どれほどまでに強い人間だったのだろうか? それを妄想するだけで、思わず楽しくなってしまうが……。

 今だけは、その気持ちを心の奥底に閉まっておく。無駄なことを考えていれば、すぐ彼に仕留められてしまうだろうから。蛇川から再び離れ、定位置に戻っていく杏樹。右目のことに気づかれた瞬間、彼の雰囲気が変わった。きっと、これまでは本気を出してなんかいなかったのだろう。背中でその雰囲気をヒシヒシと感じてから、杏樹は3度目の定位置へと着く。


「……次の1本をとった方の勝ち。準備は出来てるな?」


「は〜イ」


「いつでもどうぞ」


 いよいよ、始まる。雌雄が、決する。あんなに騒々しかった道場が、2人が向かい合った途端に静まり返った。杏樹と蛇川が作り出す雰囲気に、皆が呑まれてしまったのだ。


「……盛り上がってるところ悪いんだけど……。杏樹、電話来てるよ」


 勝負が始まってしまう前に、椅子に座っていた夏怜が静寂の中口を開いた。構えを解くと、杏樹は白線の中から離れて夏怜が持っている携帯を受け取りに行った。

 一度集中が途切れてしまえば、同じくらいの集中力をもう一度発揮することは難しい。それを理解している蛇川は、竹刀を構え続けたまま目を瞑り、ゆっくりと息を吸って深く吐いて。それを繰り返していた。


「……ッたく、こんな良い場面に限ッて〜……」


 せっかくの強者との対戦。それを邪魔する者は誰なんだ、と携帯に映し出されている名前を見る。あんなに暇していた時には連絡を寄越してこなかった、「岬ちゃん♡」からの電話だった。


「……はァい、もしもし」






「遅いなぁ」


「まだかよ〜」


 杏樹が電話に出て、3分程度の時が経った頃。ギャラリーだった門下生達の集中力が、蛇川の集中力よりも早く途切れ始めた。館長として、桜李は文句を呟く子供に何か言ってやろうと思ったが……。言ってやる言葉が特に思い浮かばず、結局桜李は何も言わずにその場所で杏樹の帰りを待ち望んでいた。


「まぁまぁ、気軽に待つべよ……、待とうよ。無料で見れでるだけで良いと思わない?」


 そんな中、不満を漏らす子供の後ろに座っていた鈴佳が、まだ抜けきっていない方言を混じらせつつそう呟いた。それに気づいた桜李は、何だか嬉しくなって、思わず笑みを浮かべてしまう。

 鈴佳の呟きを聞いた子供も、新入りのくせになんて文句を言わず、「それもそうだな」なんて言って注意を受け入れた。桜李は、父がよく言っていた、道場の本当の意味という言葉を思い出す。道場があるのは、剣の道を育たせるためではなく、人としての道を育たせるため。その言葉の意味が、なんとなく今、理解出来たように感じられた。


「……悪いネ」


 電話を済ませた杏樹は、その手に持っていた携帯をポケットに入れて姿を現す。やっと来たか、なんて顔を浮かべながら、蛇川は閉じていた目を開いた。その光景は、衝撃的な光景だった。

 なんと、今から勝負を再開するであろう杏樹が、審判の桜李に近づいてそのまま竹刀を渡してしまったのだ。竹刀を受け取った桜李はもちろん、杏樹の様子を見ていた誰もが困惑した。


「どォしても外せない用事ができた。引き分けで手を打とう、なンて言わなイ。蛇川さンがあたしを敗北者と見なすンなら、それでいい」


 電話の相手に、いったい何を告げられたのか。桜李に竹刀をしっかりと握らせれば、杏樹はそのまま蛇川へ背中を向けて、出入口の方へと歩みを進ませていってしまった。

 あっという間の、勝手な敗北宣言。これが格闘技の大会なんかだったなら、杏樹は罵倒に加えて大ブーイングを浴びせられているだろう。しかし、簡単に背中を見せて帰っていく杏樹に罵声を浴びせる者は、誰1人として居なかった。のらりくらりと笑みを浮かべている杏樹自身が、勝負を放棄して帰るということにとても悔しそうな表情を浮かべていたから。


「……いえ、引き分けで結構です。大人にはそれぞれ事情がありますから」


「大人の対応、助かるヨ」


 杏樹が起こした勝手な行動を、蛇川は咎めたりはしなかった。純粋な強者と今日決着をつけてしまえば、楽しみが無くなってしまう。これからの人生を考えれば────、楽しみは残しておいた方が得だ。いつか来る、決着をつける時。その時を、心待ちにしている。そんな表情で、蛇川は杏樹の背中を見送る。

 決して後ろには振り返らず。片手はポケットに、もう片方の手はフリフリと振りながら、杏樹は去っていく。出入口に立った時……、そこでようやく杏樹は振り向いて、蛇川と目を合わせながら、口を開いた。


「またシようネ」










「……、ァ。居た居た」


 不機嫌な顔でバイクを走らせて、到着した場所。そこは、東京拘置所。玄関の前で立っている岬の姿を確認すれば、杏樹は駐車場まで行かず、岬の目の前にバイクを停めて口を開く。


「来たケド、要件は?」


「さっき話したばかりだろ。……まぁそう怒るな、これもお前の仕事なんだ。今度酒でも奢ってやるから」


 明らかに不機嫌な杏樹をなだめながら、岬は拘置所の玄関へと入っていく。そんなに不機嫌に見えたかな……なんて自身の顔を片手で触りつつ、杏樹は岬の背中について行った。

 杏樹が聞いていなかった、ここでの要件。それは、ある人物の拷問である。岬が言うには、かなりの危険人物とのことらしい。

 刑務所と拘置所の違いを知ってる者は、この世界にどれくらい居るのだろうか? 刑務所は、皆も知るとおり、実刑判決を受けた受刑者を収容する施設。一方、今杏樹が来た拘置所はどんな人物が入るのかというと……。刑事裁判が確定していない未決拘禁者みけつこうきんしゃ、または死刑囚────。


「今からお前には、2年前に起きた弁護士一家殺人事件の犯人。目々澤史郎めめざわしろう、という男を拷問してもらう」


 部屋に行くまでの道で、岬は口を開く。ろくに話を聞いていなかったであろう杏樹に、今回の概要を理解してもらうためだ。

 岬が放った、弁護士一家殺人事件。それは、ある事件を取り扱っていた弁護士の一家合計4名が何者かによって殺害されたという事件だ。その何者かが、今回杏樹が拷問する人物。目々澤なのである。


「ン〜と、何を吐かせればいいンだッけ」


「杏樹は知ってるか分からないが……。目々澤は、昔存在していた『紅月あかつき』というテロ組織の幹部なんだ。指名手配にも載ってる」


 約20年前、国会議事堂を爆破しようという計画を企てたテロ組織、紅月。計画が実行されなかったため、ニュースや新聞で大きく取り扱われるということはなかった。しかし、道行くところで見かけるポスターには、実は紅月の幹部が載っていたりする。その1人が、どうやら目々澤なのだとか。


「まだ見つかってない、奴の仲間の居場所。それから……、当時の事件の概要なんかも聞くが。私も同じ部屋に入るから、それはまあいいだろう」


「ふ〜ン」


 概要を話していれば……、広い拘置所の中で用意された部屋の前へとあっという間に到着する2人。手と足は縫い付けられるように拘束され、椅子の上に目々澤は座らされているらしい。

 拷問部屋へと化す、防音室。その扉を、岬は開くのであった────。













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