「……キミが目々澤くンか。案外老けてるネ」
部屋に入って、開口一番に杏樹はそう呟く。椅子に縛り付けられた目々澤は、杏樹が想像しているよりもかなり老けていた。長く伸びた髭に、白髪が混ざった短めの髪、
約20年前のテロ組織で幹部をしていたのだから、現代じゃ随分と歳をとっているのも当たり前のこと。椅子に腕も足も括り付けられている目々澤は、不服そうな顔をしながら杏樹を見つめて口を開く。
「…………この国じゃ……否、この世界じゃ。拷問は禁止されているはずではなかったかね?」
自分の置かれている状況に気づいている目々澤は、決して焦ったりはせず、至って冷静に杏樹と岬にそう伝える。
たしかに、目々澤の言う通り、拷問は刑法的にも国際的にも禁じられていることだ。だが、この正義執行人の前でそんなことは関係ない。彼女に法律は、適用されないのだから。たとえ杏樹がどんな重い罪を犯したとしても、それを裁くことは誰にもできない。この国で唯一拷問をすることが可能な人間、それは杏樹なのだ。
「目々澤くンが素直に口を割ッてくれればァ、拷問なンてせずに済むンだケド」
部屋の扉がパタリと閉じられると同時に、杏樹は目々澤へと近づきながらそう言った。これは、あくまでジョーク。皮肉だ。素直に口を開いてくれる人間が、拷問の対象として選ばれることはない。特別口が堅いから選ばれるのだ。
どうせ話すつもりはないだろうし、手早く拷問を済ませてしまおう。杏樹は、目々澤が座る椅子の目の前に足を運ぶ。強さなんて目々澤からは微塵も感じられないが、妙な余裕感が彼にはあった。
「……何を吐かせたい? 弁護士の事件なら、証拠も充分に出揃って、もう死刑と判決されているだろう」
杏樹を目の前にした目々澤は、何も話すことなんてないと言わんばかりにそう発する。
「ン〜、そっちではないンだ。アンタの昔の仲間……、紅月の幹部の居場所。それを警察はご所望らしい」
「……はっ、知るわけがない。どこで何をしているのか……、指名手配に顔があるくらいだから隠居生活だろうがね」
「しらを切るな。……お前が殺した弁護士は、今に至るまで紅月が関連している事件ばかり担当してきた。……なにか、隠しているだろ」
杏樹と目々澤の会話を後ろから聞いていた岬は、壁に寄りかかりながら目々澤にそんな言葉を浴びせる。目々澤が殺した弁護士は、岬の言った通り、紅月が何かしらの形で関与した昔の事件ばかり取り扱ってきた。
逮捕された時の供述では、「金が欲しくてやった、狙ってした訳ではない」と言っていたが……。紅月を追っていた弁護士が、かつての紅月の幹部によって殺害される。そんな偶然、有り得るだろうか? 否、有り得ない。この事件は、必然的に起こった事件なのだ。
「……まァ、今聞けなくてもいいヨ。いずれその堅ァ〜い口を割ッてくれる時が来るから」
黙りこくる目々澤の顔に、杏樹は手を伸ばす。こりゃあ、長丁場となりそうだ。いつものように拷問を始めようとした────、その時。
目々澤が、不敵な笑みを浮かべて、口を開いた。
「全ては楽園のために」
そう呟けば、目々澤は自身の舌を躊躇なしに噛みちぎった。お前らに話すことは何一つ無いという、彼なりの宣戦布告なのだろう。
噛みちぎるという、とても強い衝撃が与えられた舌。即座に筋肉が痙攣を起こして、噛みちぎられた舌が喉に詰まり始める。同時に、多量に出てきた血が空気の通り道を無くし始め……。目々澤は窒息し始めた。
「……岬ちゃン、救急車」
「ああ」
自身の血で溺れ始めた目々澤の口に指を突っ込んでから、岬へ救急車を手配するように杏樹は伝える。彼が窒息しきってしまう前に、早く、早く────。舌を退かして、空気の通り道を作らなければ。ここで死なれたら、また面倒なことになってしまう。
珍しく献身的に人助けをしようとする杏樹の指。それをさせんとばかりに、目々澤は杏樹を睨みながらソレへと何度も何度も力強く噛み付いた。普通ならば、舌を噛み切った衝撃で気絶してもおかしくないはずなのに。いったい、何が彼をここまで引き動かしているのだろうか?
「……大人しく、しときナ」
もはや半狂乱で、杏樹の指すら噛みちぎろうとする目々澤。そんな彼をうざったく思い、杏樹は空いてる方の手で目々澤の首に容赦なく衝撃を加える。強固な意志を持っている目々澤でも、その衝撃には耐えられなかったようで……。血をガハッと吐き出しながら、目々澤は気絶してしまった。
抵抗が無ければ、空気が通る道を開くことは用意で。乗ってる椅子ごと傾けたりしつつ、杏樹は目々澤の命を救うことに成功した。
「……男からの噛み跡は興味ないンだけどナ……」
人差し指と中指の根元につけられた目々澤の歯型を不服そうに見つめつつ、杏樹は処置を完了させる。
めるに家を追い出され、蛇川と本気の勝負をして、拷問をしようとした男が目の前で自殺を図って。激動とも言える杏樹の1日は、こうして終わりを迎えたのだった。
目々澤が救急車で運ばれて、病院に移送されてから数日経った、ある日のこと。杏樹はその日、珍しく都内をバイクで走り回っていた。
蛇川と道場でした、本気の勝負。あの勝負をしてから、どうも心が落ち着かない。心が強者を求め、更に戦いたくなってしまう。戦闘狂の運命ではあるのだろうが……、思考は常に冷静な杏樹には考えられなかったことだ。
「……ォ、? なンだなんだ、事件のかほり」
適当にバイクを走らせていると、住宅街のとある道が見慣れた黄色のテープで閉鎖されているのが遠目に見える。事件の匂いを嗅ぎつけた杏樹は、閉鎖された道の手前までバイクを走らせて、実際にその道へと入っていくことにした。
実際に道に入った杏樹は、その光景を見て驚くことになる。かなり大きな家が全壊している、その光景。火事でもなければ、外側から人為的に壊したわけでもなさそうなその壊れ具合。家の残骸を調査している警察官達。暇つぶしになりそうだなんて思いながら、杏樹は見かけたとある警察官へ声をかけに行く。
「やッほ〜遊馬さン、元気してル?」
「……なんで居るんだお前、びっくりしたわ」
「呼ばれてないケド、見かけたから来ちゃッた」
捜査中、急に警察ではない人物から話しかけられて、遊馬は驚いてしまう。例の研究所で謝られて以来話していなかった遊馬。そんな彼が、どんな態度をとってくるのか。それも、杏樹は知りたかった。
「……そういやお前、数日前だかに目々澤のことを……」
「そぉそォ。大変だったヨ、舌を噛みちぎッた奴なンて初めて見たからサ」
「丁度いい。じゃあ、紅月の事も知ってるってこったな?」
「エ、……まぁボチボチ程度には?」
いったい何が丁度いいのか。そんなことを思いながら返答をする杏樹の横で、遊馬は煙草に火をつけながら話し始める。
「……昔にもよ、こんな事件があったんだ。国会議員の家が、紅月の構成員によって爆破されるって事件が」
「……へェ、爆破ねェ」
「偶然かもしれねぇけどよ、使われた爆弾の火薬とか、爆破された時間帯とか……。昔に紅月が起こした手口と、まるっきり同じなんだよ」
爆破の状況は良いとして……、爆弾の火薬の成分すら昔の紅月と同じというのは、少し怪しさが増してしまう。目々澤の事件……そして、この事件。紅月が再び、動き出そうとしている?
馬鹿馬鹿しいとはいえ、その可能性は十二分にある。指名手配中の幹部が集まって、もう一度国家転覆を企てている可能性が。現代じゃ考えられないようなことだが、最近の事件の動向からはどうも嫌な想像をさせられてしまう。
「……この事件の犯人が捕まッて、そいつが紅月の構成員だとして……。拷問をしても絶対に話さない、それこそ全員が全員目々澤みたいナ感じだッたら、嫌ンなっちゃう」
目々澤は拷問をする前に舌を噛み切って、何をされても情報を話さないようにしていたが……。きっと、彼は拷問をされていたとしても話すことはなかっただろう。そんな強固な口を拷問する全員が持っていたらなんて、考えるだけでも恐ろしい。
舌を噛みちぎる前、目々澤は「全ては楽園のために」と言っていた。その楽園とは、いったいどんな場所のことを指すのか。紅月が作る、理想的な国? それとも、もっと別のどこか? 考えるだけ、謎は深まっていくばかりだ。
「……うわ、なンか踏んだ」
適当にそこら辺を歩いてると、杏樹は何かを踏み潰してしまったような感覚に気づく。グシャッとした、嫌な感覚だ。一度通り過ぎた場所へ振り向いて、杏樹はその踏んだものを確認してみる。
そこにあったのは、ある1枚の写真だった。靴底の跡が少しだけついてしまったその写真を拾って、杏樹は汚れを手で拭いながら写真を確認する。
「……、誰と誰やね〜ン」
その写真には、中年男性2人が肩を組んでいる光景が映っていた。両者スーツを着ていて、どちらかがこの家の家主の国会議員であろうと杏樹は予測する。左側に居る男は満面の笑みを、右側に居る男はそんなに喜ばしくなさそうな表情を浮かべていた。
この、右側に立つ男性。羽織のような紅色のマントを肩にかけた、黒色の髪にツーブロックをかけている細身の男性……。杏樹は、その男性をどこかで見たことがある気がしてきて、1人記憶の旅を始めていた。絶対にどこかで見たことはあるのだが、明確に関わったことはなさそうな……。
「……おう、どうした」
杏樹が記憶の旅をしている時。遊馬は、部下から来た1本の電話を受け取る。
「遊馬さん、無線届きました!?」
「届いてねぇけど……どうしたよ」
「それが、──────。」
「…………は?」
明らかに焦っている、部下の声。重大な事件か重大な事故か、いったいなんなのか。遊馬は、その部下が話した言葉の内容を聞いて、絶句した。誤報だろと部下に問いただしてみるが、部下は言った言葉を訂正しようとしない。むしろ、警視庁からその光景が見えるのだから間違いない、と。
急いで現場に来てくれと部下に頼まれた遊馬は、電話を切ると同時に立ち尽くしている杏樹の方へと走り出す。
「……おい、朽内ッ……!!」
「……ン、? そんなに慌ててどうしたノ」
声をかけられた杏樹は、視線を写真から遊馬へと移す。彼がこんなに慌てている姿を見るのなんて、過去のあの事件以来だ。いつもは岬と同様に感情を表に出したりしない遊馬がこんなになるなんて、いったい何事だろうか?
「……国会議事堂が、爆破されたらしい」
「……ェ、マジ?」
先程の遊馬と、同じようなリアクションをとってしまった杏樹。当然だ。国の政治が動く場所と言っても過言ではない場所が、爆破されたと言うのだから。遊馬の様子を見る限り、これは冗談なんかじゃない。ガチのガチってやつだろう。
「とにかく緊急だ、すぐに議事堂前まで行け。俺もここの奴らに引き継ぎをしてから行く」
「……どうせ暇だッたからいいヨ、了解」
過去の因縁は忘れて、すっかりビジネスパートナーとして杏樹に指示をする遊馬。手に持っていた写真はポケットに入れて、杏樹はその指示通りに家の残骸から離れて停めたバイクの方へと向かう。
目々澤が紅月を追っていた弁護士を殺害した事件、国会議員の家が爆破された事件、そして、国会議事堂の爆破事件。間違いない。この事件には、あの巨悪が関与している。そう、紅月が。
「……うわァ。ここ、ホントに日本?」
国会議事堂前に到着した杏樹は、到底平和の国日本とは思えないような目の前の光景に思わず引いてしまう。爆破されたであろう国会議事堂にある両サイドの建造物からは黒煙が立ち上り、この状況に乗じて更なる暴動を起こそうと立ち上がる一般市民の無数の姿も見える。車を倒してそれに乗っかる市民、炎上する車、中継をするヘリコプターの音、救急車の音……。こんな事件を対応するのは、これが初めてのことだった。
「……杏樹! 来てたのか」
門の前で立ち尽くす杏樹に、話しかける者。それは岬だった。警視庁から国会議事堂は車で5分程度だが、暴動の様子を見るに車は機能しないと思って、急いで走ってきたのだろう。
「たまたま会ッた遊馬さンに頼まれてネ」
「そうか。……自衛隊を突入させる予定だが、状況によってはお前の出番も来るかもしれない」
自然発火して爆発……なんてのはありえないだろう。離れた場所が、同時に爆発しているのだから。何者かによる計画的犯行と考えた方がいい。それこそ、杏樹や警察が危惧している、テロ。国家転覆への第一歩と────。
「……今日は国会が開かれてたから、こりゃ大事になるな。死者も多数出てるだろう」
「……そりゃまずいネ」
杏樹は知らなかったが、今日は国会が開かれていたらしい。日本の政治を動かしていく議員が集結している場所、国会議事堂。そんな場所が爆破されたのだから、被害は本当に甚大だろう。
暴動を抑えようとする警察官が多数到着したが、そんな警察官へと暴行を加える一般市民の姿も目立ってきた。岬もそんな市民を止めるために動き出そうとした瞬間────。1発の乾いた銃声が、騒がしい空間を切り裂くように鳴り響いた。
「……実弾じゃなイ。火薬か何かで鎮圧するために威嚇射撃でもしたかナ……?」
銃声によって、暴徒たちの動きが一時的に止まる。その隙を狙って、一気に鎮圧をしようとする警察官。その光景を見た杏樹は、その銃声が故意的なものであったと勘違いする。
しかし、動き出そうとした岬は、見ていた。その銃声が、警察官ではない者によって発される瞬間を。
「おい、杏樹」
呆然とした表情である一点を見つめながら、杏樹に呼びかける岬。いったいどうしたんだ、なんて返事をする前に、杏樹はその岬の視線の先を見つめる。
国会議事堂の、中央にある塔の前。そんな皆の注目を浴びるような場所に、立ち尽くす者が居た。紅色の美しいマントを羽織ったそいつは、ただ黙って冷めた瞳で上から暴動を見下すだけ。杏樹は、そのマントにどこか見覚えがあった。
「……ァ。思い出した、写真だ」
3秒程度で、杏樹は思い出す。ここに来る前にあの家で拾った写真をポケットから取り出すと、杏樹は確認をし始めた。やはり、同じだ。奴が羽織っているマントと、写真に映る男が羽織っているマント。
ただ唯一違う点といえば……。そのマントを羽織っている人物が、全くの別人に見えるという点だろう。写真に映る男性は四十代半ばに見えるが、国会議事堂に立つ者は、そうは見えない。黒という髪色こそ同じだが、その長さは伸びきっており……。遠くから見える立ち姿も、とても写真の男と同じとは思えない。
「……なんだ? その写真」
「ン。ここに来る前に、遊馬さンのとこで拾ッたヤツ。不思議だよネ、あそこに立ッてンのに似てる」
写真と立っている者を見比べている杏樹から、その写真を受け取る岬。その写真に映る男2人の姿を見て、岬はまたもや絶句してしまう。
「……おいおい、なんだこれ。指名手配犯の
「あ〜!! 指名手配か、どおりで見たことあると思ッてたンだ」
大矢國男。それは、懸賞金800万という大きな額と共に記された、誰もが一度は見たことがあるであろう指名手配犯だ。杏樹の脳のどこかにあった記憶は、それだったのである。
そんな彼が、何をしたのか。これを知る者は、近年かなり少なくなっているが……。複数の罪を持っている大矢の主な罪は、紅月というテロ組織を作ったこと。そんな凶悪犯と国会議員が、肩を組んでいる。そんな異常な写真に、岬は冷や汗すら浮かべてしまう。
「ほら、このマント。アレ本物じゃ…………ッて、居ない」
写真に映るマントに指を指した後、杏樹は国会議事堂へとその指先を向ける。しかし、先程まではあんなに目立つ場所に立っていた奴は、杏樹と岬が目を離している間にいつの間にか居なくなっていた。
「……私も見たから大丈夫だ。……この写真、差し押さえとして貰ってもいいな?」
「うン、お好きにどうぞ」
「あとは……。これから1時間もしないうちに、自衛隊を内部へと突入させる。お前も、いつ呼ばれても動けるように準備をしておいてくれ」
「……面倒だけど、まァ仕方ないネ」
杏樹に伝達をし終わると、岬は写真を大事に握り締めながらどこかへ走り去っていく。暴動に巻き込まれたら面倒だし、杏樹も一度この場所からは去ることにした。
「……これで、終わりなんだな」
「ああ」
「過去とはもうおさらばです」
或る3人組が、椅子から立ち上がる。
「……
「……笑うのは、革命を終えた後。そう決めている」
「……全ては楽園のために。無駄な感情は捨てろ」