国会議事堂から離れた後。杏樹は、これで訪れるのは3度目になる道場へとバイクを走らせていた。理由は単純。同じ正義執行人の夏怜に、手を貸してもらうため。
杏樹の力があれば、1人でテロ組織を壊滅させることも可能。それは、杏樹自身も分かっていた。だが……、道場で蛇川と戦ってみて、杏樹は少し考え方が変わった。もし、蛇川級の人間が複数居たら? 狡猾で、肉体も強い彼のような人間が複数居たとしよう。それは、さすがの杏樹でも対処に困る事案である。
勿論、夏怜に蛇川クラスの敵を倒せという訳じゃない。だが、怪盗の手札は無限大……。過去に夏怜が放ったその言葉が本当なら、油断なんてしなければ絶対に殺されることはないはず。杏樹は、夏怜にそんな望みを託しに来たのだ。
「……お。来た来た」
先に連絡を携帯で受け取っていた夏怜は、道場の前で杏樹を待っていた。遠くからバイクのエンジン音が聞こえてくると、夏怜はそう呟く。そういえば、杏樹に捕まえられたあのクリスマス・イヴも、微かにバイクが走る音が聞こえたっけ。およそ半年前の思い出に思いを馳せながら。
「……アレ、外で待ッててくれたノ? 全然中に居てよかッたのに」
道場の前でバイクを止めて、杏樹は道場の門の前で立ち止まっている夏怜に話しかける。
「ン〜、中には蛇川さんとか桜李さんも居るし……。怪しまれたら面倒でしょ?」
「それもそうだネ」
一応、この2人が正義執行人ということは誰にもバレてはいけない。桜李には手助けをしたことがあるが、正義執行人として接したことはないからノーカン。夏怜も、一緒に住んでいる蛇川に話したりはしていない。道場内でもし会話をしてしまえば、桜李や蛇川にひょんなことから内容を聞かれてしまうかもしれない。
それを避けるために、夏怜はわざわざこうやって道場の前で杏樹を待っていたのだ。
「そンで〜……、例の事件についてはもう知ッてる?」
「うん、トレンド1位になってたからね。それに、ニュース速報の通知で流れてきたからすぐ気づけた」
「手間が省けていいネ。……警視庁からの指示じゃないシ、もちろん断ッても全然大丈夫なンだけどサ。夏怜ちゃンも一緒に来てくれないかナ、ッて」
杏樹は、しどろもどろにそう話す。人に何か物を頼むのなんて久しぶりだから、少し緊張してしまっているのだろうか。断られたらもちろん1人で行くし、彼女の強さは本物だから、緊張することなんてなにもないのに。
杏樹に頼まれた夏怜は、返事をする前に、ある表情を見せる。それは、とても嬉しそうな、とびっきりの笑顔だった。
「ぜっ……たいに、行くよ! 杏樹がこうやって頼み事をしてくれるってだけで、ボクすっごい嬉しい……!」
「ホント? ……ハハ、さすが夏怜ちゃン。だけど、今回は命が関わるかもしれなくテ……」
「そんな場面、1人で仕事をしてる時に何度も出会ってきた。……今のボクならいける。なんだか、そう思うんだ」
自信に満ち溢れた、夏怜の表情。そんな表情を見て、杏樹は思う。彼女は彼女なりに、正義執行人として成長してきたのだと。この夏怜ならば、安心して背中を託せそうだ。
「……おッけ〜、じゃあ……21時になる前に国会議事堂の前に集合。なンなら今乗せてッてもいいケド」
「ん〜、ボクは一旦家に帰って色々用意してから行こうかな」
「わかッた。それじゃ、あたしはお先に……」
夏怜の了承も得たことだし、もうこの場所には生憎用事がない。幸い時間に余裕はあるし、めるの家に一度寄って報告してから行くか、どうするか……。そんなことを考えつつ、杏樹はバイクのエンジンをかけようとする。
「……ま、待ってくれ……!」
その瞬間。門の扉を勢いよく開いて、大きな声で杏樹を静止する者が現れる。それは、この九十九道場の館長である桜李であった。
あちゃ〜、なんて顔をする杏樹と夏怜。話を聞かれてしまったか。さて、どう誤魔化そうか……? なんて頭を働かせていると、間髪入れずに桜李が二言目を発する。
「……ぉ、オレも連れて行ってくれないか……?」
その予想外のお願いに、2人とも目を丸くしてしまう。いったいなんの話をしていたんだとか、今の状況の国会議事堂に行って何をするんだとか。そんなことを聞かれると思っていたもんだから、2人が困惑してしまうのも当然であった。
バイクから降りれば、杏樹はポケットに手を突っ込みながら桜李に近寄っていく。そして、そのまま体も顔も寄せていき、少し威圧的に上から桜李を見下しながら杏樹は口を開いた。
「……桜李ちゃンみたいな一般人が足を踏み入れちゃいけなイ領域の話。悪いことは言わないからサ、早く指導しに行ッておいで」
「……そ、そうだよ。中で子供も待ってると思うし……」
桜李を引き止めようとする、杏樹と夏怜の言葉。それから、杏樹の独特な威圧感。それらに屈することはなく、桜李は更に言葉を交わし始める。
「……オレが一般人なんてこと、あるかよ。陸斗を殺したのは……」
「あたしが揉み消した以上、桜李ちゃンが人を殺したという事実は無くなった。キミはまだ一般人のままだ」
桜李がなんて言おうと、杏樹は拒否するつもり。正義執行人以外の人間を連れていくと面倒になるのもそうだが……、さっき夏怜にも言った通り、これから向かうのは命が関係する場所。
夏怜は死なない実力を持っているから連れて行けるが、正直桜李のレベルはその域に達していない。夏怜なら防げていた攻撃も、桜李は防ぎきれず、それが致命傷になったりするかもしれない。その心配も加味しての拒否なのである。
「…………その、国会議事堂を爆破したメンバーの中によ。昔からの友達が居るかもしれねぇんだ」
「……」
ただ頼んでも仕方ないと感じたのか、桜李は自分の正直な気持ちを伝えることにした。
「友達、って訳でもないんだけど……。全国の舞台で、オレや陸斗の前に何度も立ちはだかった奴。宿敵が」
「……そンなこと、どこで知ッたのサ」
「もう既に、現場の写真がネットで流れてる。それに映ってた」
そう言うと、桜李は杏樹と夏怜に携帯の画面を見せる。そこに映ってたのは、先程杏樹と岬が見た赤いマントを羽織った人物の姿と、大きな日本刀らしきものを背負う男の姿。その男こそが、自身の宿敵なんだと桜李は言う。
杏樹は、少し驚いていた。桜李の話からは脱線するが、赤いマントの人物が二十代そこらの女性ということに気づいたからだ。……顔から雰囲気まで、大矢國男の遺伝子を継いでいるとしか感じられない。新生紅月、とでも言うべきであろう。
「……連れて行きたいンだけどサ。桜李ちゃンがもし死んじゃッたら……」
「……頼む。リベンジが目的じゃない。奴を改心させたいんだよ」
桜李のそんな悲痛な願い。杏樹を見つめる桜李のその瞳には、正義が宿っていた。もし桜李が死んだら、九十九道場は無くなるだろうし、色々な人が悲しむことが予想される。だが、杏樹は断ることをできなかった。その正義の瞳は、岬のようで、遊馬のようで。自分よりも、ずっと正義執行人らしかったから。
「…………たッた1人を改心させるために、全てを捨てる覚悟ができてるンだ。いいよ、勝手についてきナ」
「……押忍!」
きっと、昔の杏樹ならば絶対に許可はしなかった。杏樹の一言のせいで人1人が死んだとなれば、責任問題になってしまう可能性があるから。そんな面倒ごとはごめん……というのが彼女の性格なのに。
いったい、何が杏樹を変えたのか。それは、彼女自身にしか分からない。杏樹が変化していることに感激している夏怜を横目に、杏樹は桜李を自身の後ろに乗せてエンジンをかけた。
「しッかり捕まッてなヨ」
辺りがすっかりと暗闇に包まれた、21時。あんなに居た暴徒は警察や自衛隊によって鎮圧されて、国会議事堂の前は事件当初と比べて閑静になっていた。
周りには記者や野次馬が集まっていたが……、21時になる頃には、その数はかなり少なくなっていた。事件の行く末を見守ろうとしていた人々が、警察によって帰らされてしまったからだ。なんでも、紅月の構成員が加勢しに来たりしないようにするためらしい。
「……ンじゃ、行こっか」
そして、国会議事堂の周りを無数の警察官が囲んでいる中……。1台の黒色の車が、議事堂の敷地内へと入っていく。その車を運転するのは、警視長の遊馬哲也。肘をつきながら国会議事堂を見上げている、助手席に座っている女性は、正義執行人の朽内杏樹。後ろに座っている少し緊張気味の2人は、同じく正義執行人の丹波夏怜と、九十九道場館長の九十九桜李。なんとも頼もしい四人衆である。
国会議事堂の前に車が到着すると、その後ろから続々と黒色の隊服を着た無数の人間が列になって行進してくる。彼らは、犯罪組織の制圧を任務としている部隊。警視庁警備1課……通称、SATだ。それに、まだ出動していなかった自衛隊も列に加わっている。総人数は、200をゆうに超えていた。
「……20時頃に突入した自衛隊の奴らは、ほぼ全滅に等しいってよ」
警備部長が後ろで隊員たちの統率をする中、遊馬は車内にてそう呟く。その言葉は、3人へのプレッシャーとなっていた。あの厳しい訓練を乗り越えた自衛隊が、紅月によって壊滅させられる。その事実の絶望感は、半端なものではなかった。
「300を超える構成員が確認されてるらしいが、お前らの目的はそれを始末することじゃない。お前らの目的は、」
「首謀者をいち早く見つけて殺すコト。……でしョ?」
「ああ」
場馴れしている杏樹は、遊馬の言葉に重ねてそう呟く。正確には、桜李だけ目的が違うのだが。正義執行人には歯向かえないということで、特別に許可された桜李の同行。彼女の目的はただ1つ。旧友の元へと向かうこと。
「遊馬さん。準備が整いました」
車の窓をトントンと優しく叩いた警備部長が、遊馬に向けてそう告げる。
「……よし。行くぞ、お前ら」
「は〜イ」
「はいっ!」
「押忍」
戦いが、まもなく始まる。車から降りて、3人は決意を固めた表情を浮かべるのであった。
隊員達が先導して、続々と国会議事堂に入っていく。杏樹達は、列の中央で隊員たちに守られるように歩いていた。正義執行人は、絶対に首謀者または幹部の元へ向かわせるという意図。それが感じられる。
「……絶対に守り抜けっ、第11班っ!!」
国会議事堂の中央広間に出ると、そこには紅月の構成員がうじゃうじゃと居た。刃物を持った者や、銃器を持った者。構成員1人につき1つは武器を持っているようだった。それから、20時に突入した自衛隊達の無惨な死体の数々も。
構成員が隊員の突入に気づいた瞬間。凄まじい音が連続して館内に響き渡る。怒声、銃声、悲鳴。一瞬にして、国会議事堂が騒々しくなる。そんな中、杏樹達を取り囲んでいた8人程度の隊員達……第11班が、階段に向かって直線的に進んでいく。
「こっちです、早く!」
この先へは行かせないと言わんばかりに、階段には明らかに体格がいい男達が立ちはだかっていた。そんな男達を、難なく処理する第11班。盾で攻撃を防ぎ、スタンガンを駆使して処理する。
そんなこんなで、2階へと上がることができた杏樹達と第11班。大男達に囲まれて襲われた隊員が2人。第11班の残りの人数は、6人だった。きっと、首謀者は1番安全な場所であろう上階に居るはず。構成員を掻き分けながら、3階へと進もうとする彼女達。
あまりにも動きが素早く、構成員が銃を放つことさえ許されなかった制圧劇。そんな不甲斐ない構成員達を叱るように、1発の銃声が2階の隅々まで鳴り響いた。
「も〜、ダメじゃないですか。許可なしに上がってきたら」
そんな言葉と共に、姿を現した人物。ふんわりとした黒髪をポニーテールにしていて、眼鏡をかけていて、少し露出が多めの杏樹のような服を着ていて……。1番目立つのは、両手に持った金色の2丁の拳銃だった。
彼女の言葉と共に、2人の隊員が床に崩れ落ちる。その2人の隊員の眉間には、穴が空いていた。歩みを止めて、即座に臨戦態勢になった杏樹達や第11班。その中でも動き出しが早かったのは、夏怜だった。
「……みんなは早く、上にっ……!!」
その拳銃を持った女性が現れると、夏怜はすぐに麻酔針を撃ちながら彼女へと飛びかかる。夏怜は、分かっていた。こいつは只者じゃない、杏樹と同じような人物だから、自分じゃ彼女を捕まえることはできないと。
今はただ、最高戦力である杏樹を、首謀者の元へと送り届ける。それだけ。その意志を既に固めていた夏怜は、眼鏡の敵の動きを制限させるために動き出したのだ。
「……もぉ。酷いですよ、怪盗さん。こんなに可愛いギャリアちゃんに攻撃するなんて」
ここまで誰も触れてこなかったが、夏怜は実は怪盗ヴァイパーの服装でここへと来ていた。なんでも、慣れた服装が1番動きやすいし、ハットやスーツにも仕掛けがあるから……とのこと。
自身をギャリアと称した女性は、いとも容易く夏怜の麻酔針を避ける。そして、近づいてきた夏怜にお返しをするように、2丁の拳銃から繰り出される弾丸を放った。
「ッ、ぶな……!」
命からがら、その場に屈むという咄嗟の判断でその銃弾から回避することができた夏怜。そんな夏怜を見て、杏樹は歩みを始める。複数人でかかれば容易く片付くと思う人も居るかもしれないが、決してそうではない。むしろ、コンビネーションができていないと逆にピンチな状況に陥ったりしてしまう。
それを避けるために、杏樹は選択した。ギャリアは夏怜に任せて、自分たちは先へ進むという道を。
「……2人だけココに残して、あたし達は行こう」
夏怜へのせめてもの情けとして、4人居る内の2人の隊員をここに残し、先に進もうと杏樹は先導する。それに急いでついて行く隊員2人と、日本刀を肩に背負った桜李。
「行かせませんよ」
そんな彼女達の動きを見逃さず、ギャリアは目を光らせながら杏樹に弾丸を浴びせようとする。しかし、弾丸が放たれることはなかった。その動きを警戒していた夏怜が、そのままカードのようなものをギャリアに投擲していたから。
何が塗られているかわからないソレに、当たる訳にはいかない。ギャリアは素早くそう判断し、投げられたカードを避けることを選択した。その隙を見て、杏樹達は一気に3階へと駆け上がっていってしまう。
「……あ〜あ、行っちゃいました。3階には鬼が居るのに」
「……、随分余裕そうな表情だね」
一旦距離を取った夏怜は、一息つきながらそう呟く。ギャリアに飛びかかってから今までの間で、息をする暇なんてなかった。それほどまでに、夏怜にとってギャリアは強く見えたのだった。
いかにも余裕といったにやけ顔を浮かべ、夏怜に銃口を向けるという決めポーズをキメて……。引き金に指をかけながら、ギャリアは口を開いた。
「あの2人なら、きっと大丈夫ですから。夜が明けるまでの辛抱です」
「……やっと、収まってきたか」
階数が増えていく度に、紅月の構成員もどんどんと強くなっていく。こんなんじゃ上を目指すのは難しいと判断して、4人はただひたすら敵を制圧していた。
敵の嵐が収まってきた頃、隊員の1人が一息つきつつそう言葉にする。
「……ったく、……最悪だ」
現時点で、第11班の仲間が既に2人死んでいる。そんな事実に耐えきれず、少しだけ弱音を漏らしてしまうもう1人の隊員。そんな隊員へと、忍び寄る影があった。
「退け」
弱音を吐く隊員へ、背後から小さくそう伝える背の高い男の影。それに驚いた隊員は、急いで銃を構えながら後ろへと振り向こうとする。だが、その時にはもう遅かった。
隊員の体が、左右に真っ二つ。簡単に別れてしまった。一刀両断というやつだ。SATの隊服は、防弾性能さえあるのにも関わらず。急に現れた男は、1本の日本刀で容易く隊員の体を2つに別れさせてしまったのだ。
「貴様ァッッ!!!」
その一部始終をたまたま見ていたもう1人の隊員は、大きな盾を構えつつ日本刀の男に近づいていく。さっきまで共に戦っていた友が、奴によって殺された。奴への怨みを込めた叫びと共に、隊員はスタンガンを奴に打ち込もうとする。
「遅い」
怨み、憎しみ、怒り、悲しみ。その感情が宿った体を、男は無情に分断させた。左右の次は、上下に。
盾を構えているのに、そんなことはありえない? 否。彼は、本当に隊員の体を上下に分断させていた。どうやって? ……そう。盾ごと綺麗に、真っ二つ。攻撃から身を守るために作られた盾は、男の斬撃の前では何も持っていないに等しいのであった。
「…………おい」
隊員の大きな声によって、少し遠くに居た杏樹と桜李もその男の存在に気づく。そして、隊員が斬り伏せられた時、その斬り伏せた男が目的の男だと認識した時────。桜李は、物悲しそうな表情を浮かべながら言葉を零してしまった。
桜李の声を聞いた男は、その声の方向へと顔を向ける。そこに居たのは、かつて自身の敵として立ちはだかった敵の姿。九十九桜李だった。予想外の人物を見た男は、険しかった表情を少し曇らせてしまう。
「何してんだよ。
「……なぜお前がここに居る。九十九」
何年も会っていなかったが、数年前まで何度も全国という舞台で戦ってきた者同士だから、顔を見ただけで分かってしまう。蒲生と呼ばれた男は、桜李をしっかりとその目その脳で認識していた。
「お前を止めに来たんだよ、蒲生。……なんでそんな馬鹿なことしてんだよ。数年前までは……」
「口を慎め」
平然という顔で人を平気で殺めた蒲生を戒めるような言葉をかける桜李。そんな桜李の言葉を遮って、蒲生は強い口調で桜李に言い返す。
杏樹はというと、いつの間にか階段の方ではなくその2人が居る方向へと歩き出していた。惹き付けられていたのだ。蛇川を超えるくらいの、とんでもない強者のオーラに。
「我ら紅月による革命のためなら、どんな犠牲も
心配してくれている桜李の感情なんて考えずに、蒲生……改めドラコスは、桜李にそう告げる。斬り伏せた隊員の血液がついた日本刀の先を、桜李に向けながら。
「……杏樹。先に行ってくれ」
「いいノ? ……桜李ちゃン、ソイツ相手だとほンとに死ぬよ?」
こんなことを言いたくはなかったが……、今の桜李じゃドラコスを倒すことはできないだろう。あまりにも、レベル差が開きすぎているから。人の殺し方を熟知している裏社会の人間ならまだしも、日本刀をちゃんと振ったことがない桜李がドラコスに勝つのは無理がある。冷たく感じる言葉も、杏樹なりの思いやりなのだ。
それならば、少し時間がかかってしまうが、2人で……もしくは杏樹1人でドラコスを処理してしまえばいい。杏樹はそう考えていたが、桜李はその考えを一蹴するように背中に背負う刀を抜いた。
「いい。行ってくれ。……コイツが改心するまで、オレは絶対に倒れない」
「何故俺がそいつをタダで通すと思い込んでいる? 2人とも相手にしてやる。かかって来い」
ドラコスは、威勢よく2人に向かってそう言い放つ。杏樹が強いのをわかった上での判断なのだろう。肝が座りきっている。
じゃあお言葉に甘えて……と、ドラコスとの戦闘を始めようとする杏樹だったが、それよりも先に桜李はドラコスへと近づいていく。
「……オレ1人で充分だ、こいつは」
日本刀の先をドラコスに向けて、桜李は杏樹にそう忠告する。こいつはオレの獲物だ、お前は手を出すな。そんな百獣の王のようなオーラを纏いつつ。
「……お前1人で、俺を? ……舐められたものだ。早くかかってこい、九十九。お前を殺して、俺はその女もすぐに殺しに行く」
桜李の挑発に乗せられたドラコスは、大層不快そうに、眉間に皺を寄せながら呟く。ドラコスの目には、もう杏樹の姿は見えていない。革命の邪魔をする目の前の女を、確実に殺害する。ドラコスは、それだけを思っていた。
桜李の意志を尊重して、杏樹は素直に階段の方へと足を進めていく。杏樹が居なくなって3階で2人きりになった後、先に口を開いたのはドラコスだった。
「……楽園はすぐそこだ。俺は止まらない。生きるか死ぬかだ」