杏樹が斜陽都市へと入ってくる、何分か前のこと。クラウンのビル、最上階、王の部屋。黒色のいかにも高級そうなスーツを着た、黒い髪を七三に分けた男が、壁一面に広がる大きな窓の外を眺めながら口を開く。
「……そういえば、このビルに誰かが攻めてくるという噂ですが」
スーツの男はどうやら、正義執行人がこのビルへと攻めてくるということを聞きつけているようだった。
その言葉を聞いた、部屋に居るもう1人の男。キングサイズのベッドに寝そべり、両隣には美女を侍らせている、筋肉質な半裸の男。彼がこの部屋の主であり、同時にクラウンの王であるということは、誰でも理解できることであろう。
「ハッ、そんな根も葉もない噂を信じてどうする? そんな奴が居たとして、誰がこの殺人タワーを突破できるんだ」
顔にまでタトゥーを入れている、茶色のドレッドヘアの男は、両隣の美女のたわわに実った胸を揉みしだきながら言葉を放った。
「……それもそうですね。すみません、部下がボヤいてたのをついつい拾ってしまいました」
窓の外を見ていたスーツの男は、王に対して謝罪をすると共に、ゆっくりと扉の方へと向かい始める。
「そろそろ、私は仕事をしに行きます」
「仕事……あぁ。そういや今日は外に出る日だったな」
「えぇ。いつもどおりに済ませてきますよ」
そう言って、スーツの男がドアノブに手を伸ばそうとした瞬間────。
「Hey、wait。どうせここを出るんなら、子猫ちゃん達も連れてけ」
ベッドに寝そべっていた男が、スーツの男に命令をする。子猫ちゃんというのはきっと、両隣の女性達を指すのであろう。
命令をされたスーツの男は、ベッドの方へと振り向き、口角を少しだけ上げながら問いかける。
「これからお楽しみの予定ではなかったのですか?」
「火のないところに、煙は立たない。今このタイミングで戦場になるかもって噂の場所に、子猫2匹は危険だろ? 俺は獣であると同時に紳士だ」
片手で器用に下着やはだけた服を着せてやりながら、男はそう呟く。どちらの女性にも服を着せ終わると、王は女性2人をスーツの男の方へと行くように命令した。
命令をされれば、相手は部屋の主だから逆らえるわけもなく。少しだけ不満気な表情を浮かべながらも、女性2人はキングサイズのベッドを降りて、スーツの男の元へと向かった。
「Hey、んな顔浮かべんなよ猫ちゃんズ。また呼んでやるから、その時は沢山鳴かせてやる」
女性2人を励ますように、少しばかり揶揄うように。にやけた顔で王はそう語った。
男の言葉を聞いた女性2人は、完全に納得したわけではないが、妥協はしたような表情を見せる。そして、そんな表情のまま、扉を開いたスーツの男の背を追いかけていくのであった。
それから、1時間半程度の時が経った頃。次に王の部屋の扉を開いたのは、スーツの男でもなく、女性2人でもなく。長い黒髪の、細身の見知らぬ女性であった。
「……ォ〜。ラストに相応しい人間、居たじゃン」
王の部屋へと足を踏み込んだ杏樹は、窓ガラスに寄りかかっている男を見てそう呟く。これまでの個性がない構成員とは違い、ドレッドヘアにタトゥーにピアスと、個性の塊のような人間だ。服装からしても見た目は派手でやんちゃだが、強者特有の独特なオーラもしっかりと纏っている。間違いない。彼が、クラウンのボスだ。
「……噂は本当だったか。Hey、Ledy。俺が育てた兵達は弱かったかい」
入ってきた杏樹を睨みながら、そう問いかける王。王は、杏樹についている返り血や言葉、雰囲気で、察していた。自身の部下達は、皆目の前の女によって殺されたということを。
質問を投げられた杏樹は、怪しげな笑みを浮かべながら回答をする。
「うン、まァ。平均くらいかナ」
「そうか……向こうで出会った時にゃあ鍛え直しだな」
杏樹の答えを聞いた王は、自分と同じように窓に寄りかけていたある物を手に持って、ゆっくりと杏樹の方へと歩き出す。窓に寄りかかっていたから身長が抑えられて見えていたが、王はかなりの長身だった。190は超えているであろう。
そんな彼が手に取ったのは、自分の身長と同じくらいの、大きな斧。柄は木材で刃は鉄、というのが普通の斧だが……。王が手に持っている斧は、柄から刃まで黒色で、柄なんかは間違いなく木材ではなく。なんとなく頑丈そうな印象を持った斧であった。
「名は無いが、部下達は俺をこう呼んだ。マリク。どこかの言葉じゃ王様って意味らしい」
斧の間合いに入った王……改めマリクは、杏樹をまっすぐな瞳で凝視しながらそう話す。いきなり名を口にし始めたマリクを、杏樹は首を傾けながら不思議そうに見つめた。
「……なンか、そういう風習でもあるノ? み〜ンな戦う前に名を名乗るケド。武士道とか?」
杏樹はどうやら、戦う前に名を名乗る人物が多いことを疑問に思ったらしく。今から戦うマリクに、あくまでも純粋な質問を問いかけてしまう。
想定外な質問が来たとしても、至って冷静に。片手で持った斧を肩に担ぎながら、マリクは答えを返した。
「…………俺ぁ武士じゃねぇし、詳しいことはわかんねえけど。起きたバトルには、ロマンを求めるもんだからよ。要はカッコつけだ」
マリクは、戦いにロマンを求める、根っからの狂人であった。命懸けの戦闘を楽しむ狂人は、稀に居る。スイッチが入った時の杏樹もそうだし、楽しんでいたかはわからないが、死合いを望んだ陸斗もその類に入るだろう。
戦闘を楽しめる人間は、強い。出鱈目を言っているわけではなく、これは本当のことだ。死を恐れていないから緊張なんて全くしないし、当たり前のようにパフォーマンスもグッと上がる。マリクがロマンチストである限り、彼には自然と力がつくのである。
「……あァ、なるほど。ちょッとわかるよ、ソレ。気分が高揚シた時とか……決めポーズまでとはいかなくとも、少し意識して言葉を選ンじゃうよネ」
「Ya、そういうことだ。分かってるじゃねぇの」
狂人同士、……もしくは、女を抱く者同士? 価値観が合っているのか、笑みを浮かべながら会話をする両者。これから殺し合いをする者同士とは思えない、和やかな雰囲気だ。
だが、そんな雰囲気も、もう終わりを迎える。高周波ブレードを抜いた杏樹の雰囲気が、ガラリと変わった。
「OK。ココはキミのフィールドだから、キミのスタイルに合わせてあげル。あたしは朽内杏樹、キミを殺してクラウンを終わらせる人間」
マリクの喋り方を少しだけ真似しながら、そう呟いた杏樹。呟くと同時に、杏樹は高周波ブレードの電源ボタンを押した。
ンという文字に濁点をつけたような、小さなモーター音が部屋内に響き渡る。高周波ブレードの超振動が始まったのだ。
「……イカした武器だな、おい。憧れちまうわ」
鳴り響いた小さなモーターの音は、戦の始まりを告げる大きな法螺貝の音。両者準備が済んだのを認識すれば、マリクは両手に斧を持って杏樹に襲いかかった。
マリクのノリに乗ってあげるとは言ったものの、わざと攻撃を受けたり、ドラマティックな結末を演出するわけではない。杏樹は、いつだって短期決戦を望む。今回も、マリクに隙があるようなら、いつもどおり隙を狙って一撃で仕留める……そのつもりだったが。
「……、!」
杏樹が想像しているよりも数段階早く、マリクは斧で杏樹を攻撃した。距離が遠すぎて、普通の人間ならばまず当てれないような距離感だが……。
大きすぎる斧のサイズ。そして、生まれ持った体格。間違ったように思える距離感も、実は武器の特徴とマリクの身体的特徴によって作られた、緻密な間合いなのだ。
「……意外とテクニックもあるンだネ」
長すぎる間合いに驚愕はしたものの、攻撃自体は紙一重で躱した杏樹はマリクにそう言った。
「だろ? 力任せだけじゃ気持ちよくなれねぇからな」
強烈な一振りを繰り出したとしても、平然とした表情で体制を戻しながらマリクは返答する。
自分の身長くらいある斧を、平気な顔で振り回すほどのパワー。斧のリーチと自分のリーチを把握した間合い管理をするテクニック。一見相反しているような2つの要素を、マリクは操ることができていた。
「ほンとそのとおり。マリクくン、キミとは仲良くやれそうだ」
こんな状況の中、マリクには冗談を挟む余裕さえあるらしく。敵なのに不快感が全くないマリクに笑みを浮かべながら、杏樹はマリクに攻撃を仕掛けた。
相手は、間合い管理のプロと言っても差し支えがない人間。高周波ブレードだけで戦っては不利になると考えて、杏樹はもう片方のホルスターから拳銃を抜いた。
「Wow、銃まで使えるのか」
主な武器が拳銃ではないとはいえ、杏樹の早撃ち速度は櫻葉やギャリアにも引けを取らない。どんな武器だとしても、どんな技術だとしても、杏樹が扱ったのなら最高峰。それが、杏樹が戦闘の天才たる
杏樹によって放たれた、頭部を狙った弾丸。マリクは、なんとその弾丸を斧の刃に当て、違う場所へと弾丸を跳ね返すという荒業を見せた。
「悪いな、銃じゃきっと俺を倒すことはできないぜ。俺の大親友には銃のスペシャリストが居た」
神妙そうな顔で、淡々とマリクに射撃を続ける杏樹。射撃の腕に異常はなく、むしろ完璧な弾丸しか杏樹は放たなかったが……。マリクは、言葉を呟きながら弾丸を回避し続ける。どうやら、対拳銃の戦闘には手馴れているようだ。
このまま中距離から射撃をしていても、弾が無駄になるだけ。そう判断した杏樹は、手に持っていた拳銃をホルスターに装着し直した。
「……結局はハイリスクハイリターンかァ」
そう呟いた杏樹が手に持っているのは、ただ1つ。近接武器である高周波ブレード。マリクに近づくという決意を瞬時に固めた杏樹は、深呼吸をしてある状態に入る。
ある状態……それは、かつてレナと戦闘を交わした際にも使った、集中力が極限まで高まっている状態。ゾーン状態である。
「……んぉ、っと」
今までは、互いの力量を測る、言わば小手調べのような状況。先にその状況から抜け出したのは、ゾーン状態に入った杏樹だった。
高周波ブレードを片手に、体から余計な力を抜いた杏樹はマリクの方へと動き出す。禍々しい杏樹の動きを見たマリクは、自身の間合いの内側に入られぬように、バックステップを刻みながら横薙ぎに斧を振った。
しかし、ゾーン状態に入っている杏樹が大振りな斧の攻撃に当たるわけもなく。斧の下へと潜り込むようにして、杏樹は攻撃を回避する。
「だハッ、最高にCoolだ」
普通の人間ならば、間違いなく避けることなんかできない一撃。それを易々と杏樹に回避されたマリクは、思わず吹き出してしまっていた。
笑みを浮かべているマリクにも、容赦をすることはなく。真剣な顔をした杏樹は、マリクの胸元を斜めに切り裂くように高周波ブレードを振る。
「だがな、黒猫ちゃん。あんまりおいたが過ぎると火傷するぜ」
しかし、マリクにその斬撃が命中することはなかった。杏樹が高周波ブレードを振った方向へ、大きく体ごと回転するマリク。回転すると同時に、マリクは高く足を上げ、杏樹のこめかみに命中するように後ろ回し蹴りをする。
回避をしながらの攻撃に、ゾーン状態へ突入している杏樹が被弾するわけがない。……そのはず、だったが。
「ッ、……」
マリクが言葉を発した時と同タイミングくらいで、正確無比な杏樹の動きに、ボロが出る。一瞬だけ、頭が割れるような痛みが杏樹を襲ったのだ。それに気を取られた杏樹は、回避するのに少し遅れ、こめかみに軽めの傷ができてしまった。
昏睡からの復帰戦にしては、動きすぎただろうか? 正体不明の頭痛に顔を歪めてしまいながらも、杏樹は追撃されぬようにマリクから離れる。
「どうした、もうゲームセットか?」
フラフラと窓ガラスの方向へ下がっていく杏樹を見たマリクは、今この時がチャンスと言わんばかりに斧を構えて瞬時に近づき始めた。長く続く頭痛によって、ゾーン状態が解除されてしまった杏樹。状態は最悪だ。次に来る攻撃を回避できるかすら危うい。
そんな状況で────。杏樹は、頭痛が収まるまでひたすら回避をするという選択をしなかった。
「ハハ、まさか」
杏樹は、高周波ブレードを持っていない方の手で、1つだけ腰に携帯している手榴弾をマリクに見えぬように手に取る。そして、再び来たマリクの攻撃を避けると同時に、杏樹は手榴弾のピンを抜いた。
正規の手榴弾よりも、小ぶりな手榴弾。その見た目どおりに威力も収まっており、ピンを抜いてから爆発するまでの時間は約4秒ほど。回避と同時に窓ガラスのすぐそばへと手榴弾を投げ捨てると、杏樹は集中力を振り絞ってなんとかマリクの懐に潜り込んだ。
「ごめんネ、いい台詞が思い浮かばないや」
一瞬にして間合いを越えられたマリクは、先程と同様に回避しながらの攻撃をすることを試みる。しかし、失敗を繰り返すほど杏樹は野暮ではない。
高周波ブレードによる斬撃が来ると思い込んでいるマリクに、杏樹は刃の先を向ける。試すタイミングがなかった、高周波ブレードの新機能。背後に爆発しかけの手榴弾が転がっている中、杏樹はその機能をマリクへと披露した。
「ッ、~~~っが…………ッ!!」
新しい高周波ブレードになった際、増えた1つのボタン。それを押した瞬間──。マリクへと向けていた高周波ブレードの刃が、なんと持ち手からワイヤーを伸ばしながら急激に離れて、マリクの首元へと突き刺さる。
これは、電極を発射して非致死性の電撃を与える、テーザー銃を参考にした新機能。刃が肌に触れた瞬間、マリクの体に強烈な電流が流れ始めた。投擲の素振りもなく、刃物がそのまま飛んでくる。そんな予想外の不意打ちじみた攻撃なんて、杏樹でも防げるかどうかだろう。
「うン、100点だ」
一瞬でも命中したならば、充分すぎるほどに体は麻痺する。再度ボタンを押せば、マリクの首元へ突き刺さっていたブレードが持ち手の方へと戻っていった。
それと同時に、杏樹は麻痺して体を動かせないマリクの背後へと回る。位置が逆転し、マリクが壁一面に広がる窓の方向へ。ここまで、ぴったり4秒間の出来事。
杏樹の体が、マリクの大きな体によって完璧に守られているという状況。そんな状況の中、無情にも手榴弾は大きな音を出しながら爆発する。
「…………さ、て。サヨナラだ」
爆発した手榴弾によって、張ってあった近くの窓ガラスは全て粉々に割れてしまった。割れたガラスがマリクに突き刺さることはあっても、その後ろにいる杏樹に突き刺さることはない。酷い頭痛の中で瞬時に思いついた作戦どおりに、完璧に物事が進んでいた。
体の麻痺に裂傷まで加わったマリク。もう、体に力なんて残っていない。今にも崩れ落ちてしまいそうなマリクの背を、杏樹は軽く押した。ここはビルの最上階。落ちてしまえば、ひとたまりも無いだろう。
「…………死ぬ、のか」
杏樹に背中を押されたマリクは、地面へと落ちていく最中、呟く。
「………………Damn。……敵ながらあっぱ」
ぐしゃり。そんな音が、静かに斜陽都市に響き渡った。
「…………はい。正義執行人は仕事を終えたようです。マリクが死んだのもこの目で確認しました」
斜陽都市、クラウンのビル近くの道路。随分前に王の部屋を出たはずのスーツの男が、誰かに電話をしながら歩く。
「そう。了解。送った場所で待ってる」
スーツの男が電話をしていた相手は、淡々とそう告げてからすぐに電話を切ってしまった。
「……はぁ。新しいボスは冷たすぎますね、彼と居るのも大変でしたが」
携帯の電源ボタンを押せば、それをポケットにしまって、スーツの男は中心部から離れるように歩いていく。
「…………~~さん、
しばらく歩いていると、背後から自身の名前を呼ぶ声が聞こえてきて。スーツの男……慈鳥は、軽い笑みを浮かべつつ後ろを振り向いた。
そこには、跳ね返ってきたであろう血を沢山に浴びた20代程度の男が居た。名前を知っているのだから、きっとクラウンの構成員だろう。
「……大変ですっ、アジトが女1人に…………」
息を整える暇もなさそうに、男は慈鳥へと急いでそう伝える。慈鳥は、クラウンの幹部。きっと、彼に伝えれば何とかしてくれると思っているのであろう。
だが、その言葉ももう慈鳥にとっては無駄だった。
「駄目じゃないですか。きちんと処理されてくれなきゃ」
「…………え? じ、慈鳥さ」
服の内側のポケットから拳銃を抜いた慈鳥は、即座に男の額に銃口を向ける。そして、返事を聞く間もなく、慈鳥は1発の銃声を響き渡らせた。
頬についた血痕を胸ポケットから出したハンカチで拭きながら、拳銃を胸ポケットへ戻そうとする慈鳥。
「……ああ、危ない危ない。外に出る時に携帯してたらいけないんでした」
しかし、本来ならば拳銃を持っていてはいけないということに慈鳥は気がつく。男の死体の上に拳銃を置くと、慈鳥は何も起こらなかったかのように振り向いて、また壁の方向へと歩き出すのであった。