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第49話 草原





 そこら中に立ち込める、血の匂い。音も無ければ、声も無し。斜陽都市最大の犯罪組織であるクラウンの日常は、ある1人の女によって粉々に破壊された。

 レナの際と、同じ過ちは繰り返さないために。最上階から地面へと落ちたマリクの遺体を杏樹は確認する。ソレはピクリとも動いておらず、頭からは柔らかなピンク色が飛び出していた。即死は免れなかっただろう。


「……ヨシ、これにて任務完了〜」


 杏樹は、ポケットから取り出した携帯に文言を打ちながら王の部屋を出ていく。杏樹が連絡している人物は、警視総監である千弦。普段ならば、杏樹に付き添っている岬や遊馬なんかが連絡するのだが……。今回に関しては付き添い人が居ないので、仕方なく杏樹が連絡をした。

 千弦に連絡をし終わると、杏樹は携帯をポケットに入れ直して、エレベーターで下まで降りていく。行きでエレベーターを使わなかった理由は、単純。全フロアを探索するには、エレベーターよりも階段の方が効率が上がるし、安全性も格別だからだ。密室にマシンガンを乱射されては、流石の杏樹も蜂の巣になってしまう。


「……別に観光名所ッてワケでもないシ、まッすぐ帰るとしますか」


 クラウンのビルを出ると、そこらに転がる死体には目もくれず、入ってきた時と同様の道を通っていく杏樹。マリクとの戦闘時に起きた謎の頭痛も、だいぶ治ってきているようで。いち早くシャワーを浴びたい……なんて思いつつ、杏樹は口笛を吹きながら歩いていった。

 戦闘を終えた杏樹には、死臭が染み付いていた。クラウンの生き残りや、行きで出会ったような暴漢が杏樹を見たとしても、誰も彼女に襲いかかろうとはしないだろう。


「…………おや」


 そんな杏樹が、草原のエリアに足を踏み入れて丘を登っていくと……。子供を引き連れたある人物が、杏樹を見て言葉を漏らす。

 その人物は────、つい1時間程度前に杏樹と道で出会った老人だ。世界に比べりゃ狭すぎる壁の中とはいえ、再び出会うなんて思ってもいなかった杏樹は、老人に気づくと珍しげな顔を浮かべた。


「さッきぶりだネ」


 老人や子供達が居る方を通らなきゃ、どうせ帰ることはできないし。杏樹は、老人に近寄りながら声をかける。


「ああ、かなり心配していたのだが……色々と、大丈夫だったようだな」


 近づいてきた杏樹を見れば、老人はホッと胸を撫で下ろしつつそう呟いた。杏樹が向かった先は、この斜陽都市の中で最も治安が悪い場所。そんな場所へと向かった杏樹が、無事に帰ってこれてよかった。今日出会った見ず知らずの人でも、老人はしっかりと心配していたのである。

 草原に寝転がったり、走り回ったり。治安の悪い都市でも、壁の向こう側の子供と同じように元気な子供達の姿を見た杏樹は、背中側で腕を組みながら口を開く。


「この子達は?」


「孤児院の子供達だ。儂は、その孤児院の院長をしておる」


「へェ……」


 孤児院……少し堅苦しい言葉で言うのなら、児童養護施設。老人は、そんな施設の運営をしているのだと言った。流石に、杏樹でも子供相手には欲情したりはしない。斜陽都市にもこのような微笑ましい光景は存在しているんだな、と思って質問をしただけである。


「かれこれ10年以上も前から、ここらは子供の遊び場になってる。子供達にとっては、だだっ広いただ1つの公園みたいなもんさ」


 草原の上、ずっと遠くを見つめながら言葉を発する老人。きっと、この草原こそが、斜陽都市の小さな平和の象徴なのだろう。

 老人は、草原の平和さの不変を喜ぶと同時に、少しばかり憂いを覚えていた。子供達が人生で見れる綺麗な緑は、ここだけなのだろうか────。そう思うと、憂いを覚えてしまうのも当然である。


「……辛くなッたりはしないノ?」


 老人や子供達と同じ斜陽都市を生きたフロガは、ここで生きることを、確かに辛いと言っていた。それを思い出した杏樹は、なんの前触れもなく老人に問いかける。

 質問をされた老人は、先程までと同様に遠くを、もしくは子供達を見つめたまま、少しの間答えを考え続けた。


「…………そうだね。儂は、子供達が幸せなら、少しくらい貧しくたって、辛くはないよ。こんな変な壁の中にだって、確かに幸せはある」


 哀愁が漂う表情を浮かべながら、老人は答える。更なる幸福を求め、戦うか。微かな幸福を、甘んじて受け入れるか。何が、誰が正しいのか、それは誰にも分からない。一生解決することのない、答えなき問いなのだ。


「……あたしにやれるコトはやッたし、……たかが依頼だけド。少しでも治安が良くなッたらいいネ」


 老人の言葉を聞いた杏樹は、いつものなんとも言えないような笑みを浮かべて、老人に言葉を告げた。斜陽都市の幸福を願った紅月を食い止めた杏樹が言うには、最も相応しくない言葉である。

 言葉を告げ終わると、杏樹は老人に背中を向けて、壁の出入口の方へと歩き出した。


「嬢さん。言い忘れていたよ」


 杏樹が歩き出したのを察知すれば、彼女の背に声をかける老人。声をかけられた杏樹は、老人の方へと振り向きつつ、後ろ向きで変わらず歩いていく。

 そんな杏樹へ、老人は深々と頭を下げた。首元の十字架をヒラヒラと揺らしながら。


「あの時。助けてくれて、ありがとう」


 それは、3人組に襲われた際に助けてくれた杏樹へ、言い忘れていた感謝の言葉だった。

 国のために動くことが多い杏樹だが、正義執行人という役柄故、誰かに感謝されるということは極端に少ない。国の危機を裏で何度も救っているのにも関わらずだ。だが、それもきっと、杏樹の宿命なのであろう。


「……」


 よく会うことになるだろう人物は別だが、生憎老人は斜陽都市の住人。杏樹が立ち入ることはもう無い……つまり、老人と会うこともこの先無いと考えられる。

 またねと言うのはおかしいし、さよならと言うのもなんだか冷たい印象を与えてしまう。老人へかける言葉が見つからなかった杏樹は、ただの笑みを老人へと向けて、そのまま斜陽都市を後にするのであった。













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