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第50話 水着





「ただいま〜」


 杏樹がクラウンのビルを襲撃した、翌日のこと。早朝、杏樹は合鍵で扉の鍵を開けて、めるの家へと帰宅した。

 バイクでの長距離運転は、意外と身体の隅々にまで効いてしまう。筋肉が疲労しているのを感じている杏樹は、今すぐにでもベッドやソファにダイブしたかった……が。


「……おかえり」


 早朝なのにも関わらずリビングに居ためるを見たせいで、その杏樹の考えは瞬時に破棄されてしまった。顔や髪、服装を見る限り、きっとめるは寝起き。季節は夏に差し掛かってきており、朝から割と蒸し暑くなってきているのが原因で、意図せず起きてしまったのだろうか?


「まだ早いノに、珍しいネ」


 めるが起きている理由なんて特に考えていなかった杏樹は、直球にそう話しかける。


「まぁ、ね。今日は朝から仕事だし……」


 コップに水を入れながら、杏樹の問いに答えためる。ドラッグストアが開店する時間帯なんて、早くても8時程度。まだまだ起きなくても良い時間帯だ。

 しかし、めるの言葉から話を広げられる程、今の杏樹に元気は無かった。当然だ。杏樹がクラウンを殲滅しきってから、まだ1日も経っていない。それにバイクの運転の分もプラスされるのだから、もう杏樹の体はボロボロである。


「そッか、頑張ッてネ」


 コップの水を飲んでいるめるに言葉を返すと、杏樹は浴室へと行こうとする。シャワーを浴びて、すぐに寝るつもりだ。


「ァ」


 しかし、めるに何かを伝え忘れていたのか、杏樹はピタリと立ち止まってめるの方を向いた。


「そうだ、めるちゃン。ちょッと先の話になるケド、再来週の土曜日ッてヒマ?」


「再来週……? たしか、仕事は入ってなかったはずだけど」


 めるの返答を聞くと、ニヤリと笑みを浮かべて口を開いた杏樹。


「ンじゃ、一緒に行こう!」


「行こうって……どこに?」


「そりャあ、もちろン。夏にうッてつけのアソコ」





















 燦々と照りつける太陽。今日はどうやら、雲1つ無い快晴らしく。そんな快晴の下を走る、ある1台のレンタカーがあった。そのレンタカーは、もちろん杏樹御一行の車だが……。


「来たぞ、海〜〜〜っ!!!」


 車の窓を開き、外の景色を見ながら元気にそう叫んだのは、なんと夏怜。いったい何が起こっているのか────。

 そもそも、最初に海に行きたいと言い出したのは、窓の外を見ている夏怜。その夏怜が杏樹を誘い、誘われた杏樹がめるを誘い……。結果的に、複数人で遊ぶことになったのだ。自分以外にも他に人が居ると、杏樹はめるを誘った際にしっかり言っている。それをめるが了承しての現状況だ。


「海で遊ぶなンて、初めてだワ〜……」


「なんなら私は初めて海行ぎます……!」


「そうか。私も海に行くのは数年来だし……大半が不慣れというのは少し不安だな」


 顔ぶれはというと、杏樹、める、岬、夏怜、鈴佳の計5人。運転席に岬、2列目の席に夏怜と鈴佳、3列目の席に杏樹とめるといった状況である。


「めるちゃンは、海に来るノ初めてだッけ?」


 窓にもたれかかって外の景色を見ているだけのめるに、杏樹は声をかける。


「……え、あ〜……ううん。最近来てなかったけど、昔はよく来てたかな」


 杏樹に声をかけられると、めるは少しばかり気まずそうに返答した。

 気まずいというのも、当然のこと。最後に岬と夏怜と会ったのは、杏樹の見舞いに行った例のあの日。衝動的に病室を出ていってしまったあの日以来は、話してすらいなかったし……。鈴佳に関しては、自己紹介こそしたものの今日が初めまして。逆に、この顔ぶれでめるが了承したのが奇跡に近しいのである。


「ふ〜ン、じゃあ今日はめるちゃンを頼ッちゃうネ」


「…………まぁ。……うん」


 めるだって、その気まずさをもろに態度に出したいわけではないのだが……。どうしても、出てしまうものは出てしまう。杏樹への返事が、それを物語っていた。

 そんなめるの返事を聞いた1列前の席に座っている夏怜は、ふと車の窓を閉め、後ろに座っているめるの方を向きながら口を開いた。


「今日は楽しく行こうよ、無礼講って感じで!」


 気にしない、気にしない。そう思う程、人間は思考の沼に沈んでいってしまう。繊細な大人ほど嵌りに嵌ってしまう底なし沼からめるを引っ張り出そうとしたのは……、どんなことがあってもポジティブに生きてきた夏怜だった。

 あの日のことは、誰も謝る必要がないんだから気にしたって仕方ないと言わんばかりの眩しい瞳をめるに向け続ける夏怜。背後から聞こえてくる言葉に、車のハンドルを握っている岬は思わずクスリと笑ってしまう。


「……そうだね、夏怜ちゃんの言うとおり……。……よし、切り替えなきゃっ!」


 まっすぐな瞳で見つめられながら夏怜に言葉をかけられためるは、自身の両頬を両手でペチンと軽く叩きつつ言葉を吐いた。少しだけ曇りがかっていた車内の雰囲気が、夏怜の言葉によって一瞬で和んだ瞬間である。


「……さすがは土曜日だな、かなり早く出たとはいえ駐車場も混んでる…………」


 かなり大きな駐車場に入ると、岬は慎重に車を進めながら言葉を発した。

 なんとか車の駐車をし終わり、荷物を持って移動をする杏樹達。移動先はというと……、海の家である。このビーチの海の家は、更衣室やコインロッカー等が完備されている。まず最初に訪れる場所としては、最高の場所であろう。


「へ〜……、最近は海の家に更衣室が付けられてるんだ。便利……」


 海の家の方へと先導して歩いていく夏怜について行きながら、めるはそう呟く。


「でしょでしょっ! コインロッカーとか売店とか、それこそ食堂もちゃんとあるし!」


「便利な世の中になったもんだな……」


 少し前までは、海に更衣室なんて無いのが当たり前。あらかじめ家で水着を着てから来るか、車内で着替えるか、海に来る際にはそれを考えなければならなかった。

 しかし、最近はそれも変わりつつある。更衣室の設置や、着替え用の簡易的なテントの設置がされている海が増えてきているのだ。便利になるほど、来訪者も増える。その考えと共に物が進化していくのは、ごく自然なことなのである。


「ナルホド、もッと開けた更衣室なのかと思ッてた。学校のプールみたいナ……」


 更衣室に到着すると、杏樹は室内をジロジロ見回しながら口を開く。そこは、杏樹が想像しているような仕切りも何も一切ない更衣室とは、全く違った更衣室だった。

 かなり広めの部屋に、カーテンで中が見えないようにされた個室がいくつも並んでおり。その個室の前には、荷物を持った女性らがずらりと並んでいる。少し時間はかかれど、プライバシー的には最高の更衣室だ。


「別に、お前が居なけりゃそういう部屋でもよかったんだがな」


 杏樹の呟きを拾って、岬は至って冷静な顔で言葉を告げる。杏樹が女好きなことを考慮した、ジョークのような発言だ。それを知っているめるは軽くふふっと笑い、知らない夏怜と鈴佳はキョトンとしてしまっている。

 岬の言葉を耳に入れた杏樹は、咳払いをして岬の発言を誤魔化してから口を開いた。


「……じゃ、じャあ。着替え終わッたら、更衣室の前の柱付近で待ち合わせしよッか……」


「はいっ……!」


「りょうか〜い!」


 待ち合わせの言葉を聞いた年下2人の元気な返事と共に、5人はそれぞれ列へ並ぶために散らばっていく。……今日、この瞬間を杏樹は1番待ち望んでいた。そう、皆の水着を見れる瞬間である。

 皆顔は整っているし、少しの差はあれど、スタイルだって全員が全員杏樹の好み。標準的な体型のめるに、運動をしているから引き締まっているであろう体型の岬。いつもは服の下に隠れているが豊満な胸を持っている夏怜に、スレンダーな体型の鈴佳。

 誰がどんな水着を着たとしても────。杏樹の目の保養になることは、間違いがなかった。






「ぃやっほ〜〜いっ、海だっ!!!」


 本日2度目となる、海を喜ぶ夏怜の大きな声。ビーチにいちばん早く到着したのは、性格から予想できるとおり彼女であった。

 1人目、夏怜の水着は……可愛らしい紫色のビキニ。女性が着ける下着と同じような水着で、とても露出部分が大きいのがビキニという水着だ。割と動きやすいビキニを選んだらしいが……、動く度に布に包まれている大きな胸が揺れてしまっている。


「ま、待って〜〜、夏怜ちゃん…………」


 そんな夏怜を追いかけるようにして現れたのは、彼女と特に仲がいい鈴佳。はしゃぐ夏怜とは対比的な、落ち着きのある鈴佳の方が年下なんて、彼女らを見ている人達からしてみれば想像もつかないだろう。

 2人目となる鈴佳が着ている水着は、ワンピース型の白色の水着。割とワンピース型の中でも丈が長く、露出も控えめに抑えられている。……仈湧村での彼女を彷彿とさせるのは、言うまでもない。


「……元気だな、あいつら……」


 ビーチを走っている夏怜と鈴佳を見ながら、そう呟く岬。彼女は大人だ、変にはしゃいだりはしない。……が、心が踊っているのも事実。誰かと過ごす休暇なんて、本当に久しぶりのことだから。

 岬の水着は、クロスデザイン型の、淡い緑色の水着。夏怜が着ているようなビキニとあまり変わりはしないが、それよりも布の面積は大きめ。腹筋もあり、体が引き締まっている岬にはピッタリの水着だ。


「まぁ、2人共海は初めてらしいですし……」


 岬と会話をしながら現れたのは、めるだった。めるも岬と同様に、騒ぐ年下2人の様子を見ながらの登場であった。

 可愛らしいフリルのビキニに、シースルーのトップスを上から着ためる。ビキニの色は水色で、シースルートップスの色は白。いかにもめるが着そうな色合いの水着だ。……いつも杏樹が着ている服装に少しだけ似せたのは、秘密のこと。


「…………あァ、みンな可愛い……」


 ビーチへと出ていった4人を見て呟いたのは、遅れてビーチに出てきた杏樹。めるも、岬も、夏怜も鈴佳も。全員可愛いを超えて、もはや尊いの域にまで達してしまっている。その尊さのあまりに、思わず鼻血が出てきてしまいそうだ。

 そんな杏樹の着用している水着は、岬が着ているような水着の黒色版のようなもの。谷間があまり見えないような水着とはいえ、いい水着ではあるが……。杏樹はもっと、それこそ夏怜が着ているような、露出が多い水着を着そうなイメージ。言われてみれば、杏樹らしくない水着ではあるだろう。


「……ン〜。あたしもこの傷が無ければもッと可愛いノ着てたンだけど……」


 皆が居る方へと歩き出す前に、杏樹は自身の水着に指を引っ掛けて、自分の谷間を直視しながら独り言を漏らす。谷間にあったのは、1つの手術痕だった。

 この傷にすら見える手術痕は、紅月との戦闘で得てしまったもの。杏樹の体にこんなに大きな傷が残ったことは、これまではなかったが……。その痕から、いかにあの戦闘のレベルが高かったかがうかがい知れる。


「お〜いっ、杏樹も早く来なよっ!!」


 胸の痕を見ていれば、何やら遠くから夏怜の声が聞こえてくる。向こうで立ち止まってる杏樹が気になって、仕方なかったのだろう。夏怜はそういうのを見逃すことができない人間だ。


「は〜イ、すぐ行くすぐ行く……」


 中途半端な声量で夏怜に返事をすれば、杏樹は自分のペースでゆったりと4人が居る方へと歩き出した。

 いざ近づいてみれば、ビーチパラソルの下で何かをしているのが確認できる。何かと思って覗いてみると……、そこにはマットが2枚敷かれてあった。


「……何コレ? もしかしてソー」


「日焼け止め、まず最初に塗るでしょ。私はこういう水着だし、自分で塗れるとこは家で事前に塗っといたからいいけど……」


 マットという1つの物だけで判断しようとした杏樹の言葉を遮って、めるは質問に答える。日焼け止めを現地で塗る際、マットは欠かせない道具。砂の上で寝っ転がって日焼け止めを塗ってもらうなんて、誰もしたくはないだろう。

 言葉を告げると共に、めるは杏樹の腕を引っ張ってマットへと座らせる。


「ほら、ボケっとしてないで。背中側くらいなら私が塗ってあげるから、早く寝そべりなさいよ」


 杏樹をマットの上へと案内すれば、めるは置かれている日焼け止めのボトルを手に取ってそう口にした。なんとなくあの日から気まずかったから、家ではそっけない態度をとっていためるだったが……。さっきの夏怜の言葉で、どうやら吹っ切れたらしい。

 口調こそ少し強いが、要は善意で日焼け止めを塗ってくれるとのこと。水着姿でツンデレ風な立ち回りをしてくる彼女に、頬が緩んでしまいそうだ。だらしない顔を晒してしまう前に、杏樹はマットへうつ伏せに寝転がる。


「ンじゃあ、遠慮なく……」


「ん。できるだけ塗り忘れとかないようにするから……」


 ひんやりとした日焼け止めを杏樹の背中に垂らすと、めるは背中一面に浸透させるように手のひらで塗り始める。隣のマットでは、年下2人で岬の背中に日焼け止めを塗っているようだった。

 そんな可愛らしい光景がすぐ隣にあるのにも関わらず、杏樹はそちらを見ないで、黙ってうつ伏せに寝るばかり。めるの手が気持ちよくてリラックスしているのか……、それとも他の理由があるのか。


「…………ン〜。めるちゃンには申し訳ないコトしちゃッたかも」


「んぇ、なんのことよ」


 ふと口を開いたかと思えば、杏樹は背後のめるに言葉を交わす。謝られたりする覚えなんて全くなかっためるは、手の動きを止めて杏樹に確認をした。


「あたしが居るとはいえ、気まずくなッたりしない? それこそ、桜李ちゃンとか居たら……」


「え。全っ然そんなことないけど……」


 杏樹は、めるが上手く馴染めているか心配だったが……。その心配は、杞憂に過ぎないようだった。


「たしかに桜李が居たらもっと楽しくなってただろうけど。居なけりゃ居ないで、あの子達と仲良くなるチャンスだからいいの」


 止めた手の動きを再開しつつ、優しい声色で杏樹に返答しためる。……やはり彼女は、優しすぎる。環境に適応するというか、そういうのが異様な程にできる女なのだろう。


「……そうだネ、謝ンないどくヨ」


 めるの言葉を聞いた杏樹は、表情や姿勢は変えぬまま呟いた。

 まだ、5人は海に来たばかり。日焼け止めを塗り終わったなら、そこからが本番である。













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