目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第58話 世代を超えた戦いを





「……シュレイダー、生きてル〜?」


「…………ええ、何とか」


 操縦室前で、夏怜とアナスタシアによって緊迫した空気が流れ始めた頃。スイートルーム前の廊下では、激戦が繰り広げられていた。敵を何人殺したか、味方が何人死んだか、2人にはわからない。わかるのは、敵の波が少しずつ収まってきたということくらいだ。

 何十人の殺し屋が襲いかかってくる、という最悪のシチュエーションが来ることは無かったが、どれだけ倒してもまた次の殺し屋がやってくるという感じではあった。杏樹も鷲津も、かなり疲労困憊。相手はプロの殺し屋。集中力を途切れさせたら死んでしまうし、最高の状態をキープし続けて戦ったのだから、そうなってしまうのも無理はないだろう。


「そりャよかッた。キミが普通の人間なら、既に死んでる相手だッたからサ」


 少し敵の波が収まってくると、杏樹は息を軽く整えながら鷲津に話しかける。……過去に戦ったような、日本の強者達。櫻葉やレナ、フロガにマリク等。彼らと戦った時ほど苦戦してはいないが、殺し屋というだけあって、強くはある。そんな彼らを相手にしても怯まずに戦えてる鷲津は、実は相当強いではないのか。杏樹は、ふとそう思い始めた。


「……そうですね。少なくとも、普通ではないかもしれません」


 杏樹の「普通ではない」という言葉を受け取ると、少しだけ思考をしてから言葉を返す鷲津。たしかに、主を守らないといけないという感情が相乗効果になってる部分はあるかもしれないが……、それでも鷲津の強さは異常値レベル。

 時間と余裕さえあれば、なぜその強さの領域まで昇り詰めたか、杏樹には話してもよかったのだが。新たな敵が見え始めた今、それを話す余裕は鷲津には無かった。


「あともうひと踏ん張り、ッてとこかナ」


 挟み撃ちをするような形で襲撃してきた殺し屋達。鷲津も杏樹も、応戦を強いられるような状況である。杏樹は、高周波ブレードを。鷲津は、片手にナイフ、片手に拳銃を持って。何回目かに渡る戦いを、2人は始めようとする。

 前の敵に気を取られている鷲津の背後。そこら辺の死体に紛れて、密かに蠢く影があった。殺し屋の中には、稀に居る。隠密を得意とし、隙を見て致命傷となる攻撃をする、日陰者のような殺し屋が。


「…………」


 その殺し屋は、音も無く鷲津の背後に現れ、黒色の小型のナイフを胸元から取り出し────。一言すらかけず、容赦もなしに、鷲津の首を鋭い刃で掻っ切ろうとする。

 一般人や並の殺し屋なら、気配を消しきれず、近寄る最中で鷲津にバレてしまっていたかもしれないが……。気配を消すのに長けている暗殺者は、たとえ杏樹程の強者が相手だとしても、気づかれることがほとんど無いと言える。鷲津を襲う殺し屋は、まさにその域の暗殺者であった。


「ッ、が…………!!」


 言葉にすらなっていない悲鳴と同時に、廊下に赤色が舞う。宙を舞った赤色は、血の主の人生の幕切れを知らせるかのように、パタパタと音を鳴らして床へと降り注いだ。










「……さて。話でもしようかしら。……その前に」


 殺した警備員の上で、頬杖をつきながら呟くアナスタシア。目の前に居る夏怜は、自身を見つめてはいるが、どこか虚ろな瞳をしていた。

 別に相槌等がほしいとは思わないが、聞き流しをされるよりかは、ちゃんと理解をしてほしい。なんとなくそう思ったアナスタシアは、夏怜に対してある行動をする。


「ひょい、っと。避けれる?」


 そこら辺に落ちていた、先程夏怜に投げたのと同じようなナイフ。座りながらそれを拾えば、アナスタシアはナイフを夏怜にまたもや投擲した。先程と唯一違う点は────、ほんの少し速度が違うということ。先のナイフの速度を100とするなら、今投げたナイフの速度は80程度である。


「…………!」


 ギリギリとはいえ、さっきは避けれたのだから、それよりも遅くなった今回の投擲は避けれるに決まっている。ついさっきの攻撃と同様に、夏怜は右側へ素早く動いて迫り来るナイフを回避した。

 ────否。夏怜が回避をした、できたのではない。アナスタシアは、回避をする余地をくれた…………、つまり、回避をさせられたのだ。完全に夏怜は、アナスタシアの手のひらの上で転がされている。


「それじゃダメね」


 さっき見た回避方法と同じでは、物足りない。そう考えているアナスタシアは、つまらなさそうにため息を吐きつつ、夏怜に罰を与えることにした。

 かつて櫻葉が杏樹にやったような、相手が回避をする方向を予期しておき、そこに攻撃をするという攻撃方法。文字として表すのなら、“置く”。する人こそ少ないが、できたならば非常に強い攻撃を、アナスタシアは実行してみせる。夏怜が避けた方へ、左手首を向けてアナスタシアは発砲をした。どういう原理かは分からないが、どうやら左手首周辺に、銃弾を発せられる何かを持っているようだ。


「ッ、ぅ…………!!」


 まんまと手のひらの上で転がされている夏怜の右脇腹に、無情にも風穴が開く。ギャリアと戦った時にも味わった、「痛い」よりも先に「熱い」が到達する感覚。一瞬で撃たれたのだと理解した夏怜は、顔を歪めて傷口を抑える。前回は太腿だったが、今回は脇腹。より危険な場所を撃たれ、顔を青ざめさせる夏怜。

 アナスタシアは、決して追撃をしない。彼女を殺めるのは、今の自分の目的ではないから。


「大丈夫。急所は外してあげたわ。……どう? 意識がハッキリしてきたでしょ?」


 今のアナスタシアの目的は、夏怜の思考を一旦リセットさせること。昭和の人間が、壊れているテレビを叩いて直していたように。苦痛という刺激を与えて、無理矢理にアナスタシアは夏怜の考えていることを作り替えてみせた。

 事実、夏怜は何も考えていなかった。考える余裕が、もはや彼女には無かったのだ。彼女にできることは、傷口を抑えつつ、黙ってアナスタシアの話に耳を傾ける、ただそれだけ。太腿を撃たれるのとはまた違う、なんだか気持ち悪い感覚に、思わず吐き気を催してしまう夏怜。


「…………ッ、……ふ、」


「……じゃあ、早速話しましょうか。仕事ばかりじゃ疲れるし、少しアタシの過去話でも」


 夏怜の意識が自分に集中しているのを感じれば、顔色が悪い彼女の容態なんて気にもせず、アナスタシアは話を始めようとする。

 急所を外されたとはいえ、血は少しずつジワジワと滲み出てきている。このまま処置をせずにいたら、死は確実だろう。とはいえ、容易に逃げたりすることはできない。もし逃げたり、勝手な行動をしたならば、容赦なく殺されるのが目に見えているから。

 圧倒的な実力差で、相手を跪かせる。人間としては鬼畜そのものだが、傭兵としてはあまりにできすぎている。それが、アナスタシアという人間であった。


「そんな格好をしてるんだから、怪盗ヴァイパーについてはもうご存知よね? 10年以上も前になるかしら……彼と戦ったのは」


 夏怜を見つめながら語るアナスタシアは、衝撃的なことを口にした。なんと、夏怜よりもずっと前に名を馳せていた怪盗ヴァイパーとアナスタシアは、戦ったことがあると話したのだ。

 晩年は、日本での活動がメインだった怪盗ヴァイパー。北海道で盗んだ、「白銀色の宝桜」という宝石が最後になったのが有名だが……。2年程度前まで遡れば、怪盗ヴァイパーは海外でも盛んに活動していた。それこそアメリカやドイツ、フランス等、色々な国へ行って。彼の名は、日本国内に留まらず、世界的に知られていたのだ。


「アナタが知ってるか分からないけど、彼は一度だけ私の祖国であるロシアに来たことがあるの」


「…………知ってるよ、……絵画を盗んだ時でしょ」


「素晴らしい。ファンの鑑ね」


 彼女達の会話の内容のとおり、怪盗ヴァイパーは一度だけロシアに訪れたことがある。世界的に有名な何億もの絵画を盗みに現れたのだ。


「彼を捕まえれば、とんでもない懸賞金が手に入ると聞いてね。初めてだったわ、人に依頼されずに任務へ向かったのは」


 そんなロシアに来た怪盗ヴァイパーを捕まえようとした、ある傭兵が居た。当時徐々に名を挙げていた傭兵、アナスタシア・ノヴィコフである。傭兵というのは普通、直接自身に利益が生じたりしない戦争や紛争に、契約主から金を積まれて参加する兵であるが。怪盗ヴァイパーと戦った際は、傭兵としての仕事ではなかったのだと語るアナスタシア。

 10数年という年が経ったとしても、色褪せることはない、戦いの記憶。どんな名画を見ても、どんな宝石を見ても、その輝かしい記憶の美しさは超えられない。その戦いは、いったいどのように始まり、どんな終わりを迎えたのだろうか?











 月が綺麗な夜だった。冬の到来を告げるには、少し寒すぎる程の風が吹いていた夜だった。

 ロシア、サンクト・ペテルブルク、エルミタージュ美術館。今宵怪盗ヴァイパーによって劇場と化す舞台は、そんな世界的にも有名な美術館であった。


「……おい、どうなってるんだよ!」


「押すなって!」


 テレビ中継では満足できず、怪盗ヴァイパー劇場を一目見ようと集まったエキストラ達。現地人に、モスクワから鉄道で3時間かけて来た人、ウラジオストクからわざわざ飛行機に乗って来た人。様々な人間が居たが、その目的は1つだけ。

 怪盗ヴァイパーが、現れる瞬間を。怪盗ヴァイパーが、宝を盗む瞬間を。そしてあわよくば、怪盗ヴァイパーが、捕まる瞬間を。脳に焼き付けるために、彼ら彼女らは集まったのである。


「……ふむ。ロシアの警備とは、こんなものでしたか」


 美術館の外で観客達が好き勝手に言葉を嘆いている頃。美術館内部では、怪盗ヴァイパーが既に館内の攻略を進めていた。

 有名な美術館であればあるほど、警備の層は厚くなる。そうイメージしていた怪盗ヴァイパーだったが、エルミタージュ美術館の警備は想像していたよりもずっと緩かった。ことが上手く進みすぎて、もはや誘導されているのではないのかと思うほどに。


「これなら、南米の国にでも行った方がマシでしたかね。……っと、ここか」


 これまで色々な美術館や博物館を訪れたが、明らかに優れた組織力や強さを感じる国は、無いと言っても過言ではないと感じていた怪盗ヴァイパー。組織力で選ぶのなら……やはり、祖国日本の警視庁だが。容赦なく殺害しに来る人間がうじゃうじゃ居るという面では、治安が悪い南米周辺の国が強さを誇れるだろう。

 もし、世界中の国々が手を組んで。意思疎通ができるかとか、そういうのは関係なしに、自分を止めるためにできた警備隊があったのだとしたら────。いったいどんな手を使ってくるのか、なんて妄想をしつつ、狙いの絵画がある部屋へと入っていく怪盗ヴァイパー。


「…………誰も居ない……?」


 彼が入った部屋は、進むにつれ徐々に高度が上がっていく、いくつもの小さな段差がある部屋。真上から見たら、入口から扇形に広がっていくような形の部屋で、部屋自体が芸術作品のように見える部屋であった。

 この部屋の奥に、お目当ての絵画が展示されていると聞いていたが……。警備員は、誰1人居ないように見える。こんなにも大事な部屋に、警備員を配置しないことがあるか……? と、困惑混じりの警戒をしながら、怪盗ヴァイパーは奥へと進んでいこうとする。


「…………、!」


 ────しかし。怪盗ヴァイパーの戦闘者としての本能が、彼に働きかけた。無闇にこの先へ足を進めてはいけない、さもなければ死ぬことになるぞ、と。嫌な気がした怪盗ヴァイパーは、段差を上っていく足の動きを止めると共に、あることに気づく。この部屋に、濃い鉄の匂いが充満しているということに気がついたのだ。

 怪盗ヴァイパーは、こうなってしまったら怪盗を辞めるぞ、という想定を既に2つほどしていた。1つは、想像しているような動きが自分でできなくなった時。そしてもう1つはというと……、人間を殺めてしまった時。

 自分のショーでは絶対にすることがないはずの、血の匂い。それを感じ取った怪盗ヴァイパーの目の前に、ある人物が部屋の奥の方から足跡を鳴らしながら現れる。


「…………怪盗、ヴァイパー」


 冷徹な瞳で、部屋に入ってきた怪盗ヴァイパーを見下しながらそう呟く彼女は、懸賞金だけを目当てにやってきた傭兵。当時はロシア語しか喋ることができないアナスタシアだった。

 濃い紫色の、短めの髪型。自身こそ1番強い存在なのだと証明せんばかりの眼光。大量に浴びている血液……返り血。きっと彼女は、自身と同じ部屋に居た人間を片っ端から殺害したのだろうと、怪盗ヴァイパーは推測する。


「……先程の言葉を訂正しましょうか。ロシアに来れてよかった、とね」


 雰囲気からして他の警備員とは違う、目の前の彼女を見た怪盗ヴァイパーは、先に言った自分の発言を訂正した。まだ戦ってもいない目前の敵を、早くも強敵であると認めたのである。

 こうして、怪盗ヴァイパーとアナスタシアの戦いは始まった。全盛期とも言える伝説の怪盗と、数年後には世界トップクラスとなる傭兵の戦いが。











「…………あれは、言語や人種を超越した戦いだったわ」


 過去の戦いの思い出に浸っていたアナスタシアは、夏怜に向けていた怖いとすら感じる笑みから一転して、自然な笑みを浮かべながら話していた。怪盗ヴァイパーに殺意は無かったとはいえ、当時の戦いは凄惨な殺し合いそのものだったろうに。

 スポーツと同じようなことが、殺し合いでも言える。例外は居るが、結局は、楽しんだ者が勝つ世界なのだ。勿論、楽しみすぎるのも危険だが……。楽しみながら、自分の100パーセントの力を出せる人間。杏樹だったり、アナスタシアだったり、当時の怪盗ヴァイパーだったり……。そんな人間は、自覚せずとも強くなれるのだろう。


「東洋人なんて舐めてたのに、彼は違った。身体的にも精神的にも強くて、アタシは思わず惚れてしまったわ。アタシがこうして日本語を喋れるのも、彼の存在こそが理由よ」


 殺そうとした相手に惚れるなんてこと、普通はありえない。けれど、強者というのはいつも変だ。狂った愛も、彼女にとってはきっと普通のことなのだろう。

 アナスタシアが語る、先代怪盗ヴァイパーへの愛。それを黙って聞いていた夏怜は、何を思い、何を言うのだろうか?


「…………名前、聞いてもいい? ボクは、丹波夏怜」


「名前? アナスタシア・ノヴィコフ。それがどうしたのかしら」


 こんなタイミングで。撃たれた箇所を抑えつつ、夏怜はアナスタシアの名前を聞いた。

 脈絡のない唐突な質問に不思議な顔を浮かべながらも、質問には答えておくアナスタシア。たしかに、奇襲を仕掛けたのは自分だし、自己紹介を済ませてないのはそりゃそうだが。……冥途の土産にでもするつもりだろうか?


「……アナスタシアさんは、……さっき、ボクを怪盗ヴァイパーのファンだって言ったよね」


「えぇ。言ったけれど」


「たしかに、ファンっていうのは間違っちゃいないけど……」


 ついさっきまで、腹の傷を抑えては弱りきった表情を浮かべていた夏怜。しかし、まるで中身そのものが変わったかのように、夏怜は神妙な面持ちでアナスタシアに話しかける。その口端からは、ツツ……と血が滴り落ちてきていた。


「怪盗ヴァイパーは、ボク自身であり、同時にボクの師匠なんだ。アナスタシアさんを倒さなきゃ師匠を超えられないなら、……ボクは言葉どおり、死ぬ覚悟で戦うとするよ」


 ────人間は死ぬ間際、脳内物質等が働き、急に元気になることがある。このまま腹の傷を自分で抑えていても、流れ落ちていく血がまるで猛毒のように体を死へと誘っていくだけ。ならば、いずれ来る死をも受け入れて、目の前の敵を倒すことに全力を注ぐとしよう。

 腹を決めた夏怜は、腹の傷を抑える手を自ら退けて、アナスタシアへ攻撃を繰り出そうとし始めた。蓄積された傷、実力差、メンタリティ。全てがアナスタシア側に傾いており、アナスタシアの勝利は必然と思えるような状況で、夏怜はまだ抵抗をしようとする。これは、気安く誰かが語ったりすることはできない、世代を超えた因縁の対決なのだ。


「……面白い。いいわ、死ぬ覚悟で来なさい」


 本気で攻撃を仕掛けてくる彼女が、あの時戦った怪盗ヴァイパーの弟子だとわかったのなら。決して手を抜くことはできない。戦友ともいえる彼が育てた人間を相手にして手を抜くことは、それこそ礼儀に反すると考えたからだ。

 かかってくる夏怜に対し、アナスタシアは本気の応戦をしようとする。腹の傷で動きが鈍っている夏怜の攻撃に、伝説レベルの傭兵であるアナスタシアが当たるわけもない。夏怜が攻撃を外してしまえば────、その瞬間死ぬということは確実であった。













この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?