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第61話 契約





「……ふィ〜、到着。なンか久しぶりだワ」


「そうだね……」


 2人は、バイクで同時に素早く移動……ではなく、公共交通機関と自らの足を使って道場へと来た。一緒にバイクに乗ることに慣れていないめるを気遣って、少し時間はかかるがめるが希望した選択を選んだ杏樹。やはりめるには、尻に敷かれている……というか。最近の杏樹は、めるに対して明らかに優しさが出てきている。

 2人共、久しぶりの九十九道場。特にめるなんか、最後に訪れたのは数年前だ。桜李のお父さんの怒鳴り声が、門の外にまで響いてきて。ヒシヒシと緊張感が伝わってきたっけ、なんて思いながら、中に入ろうとめるは扉に手をかけた。


「…………凄い。ほんの少しだけど、扉が震えてる……」


 扉に手を触れさせためるは、少しだけ扉がカタカタと震えているのを指先から感じ取る。地震が起きているわけじゃあるまいし、なぜこんなにも扉は震えているのか────。理由は、杏樹もめるもある程度わかっていた。

 今現在道場で行われている、剣道という競技。この競技では、踏み込む際に大きく足を鳴らしたり、声を発したりする。その扉から遠く離れた道場での衝撃が、振動に変わって伝わってきているのだ。元々、名門と称されるだけあって、中から伝わる気迫は凄かったが…………今でも変わらないんだなと感じながら、めるは扉を開く。


「お邪魔します」


「お邪魔〜。……ォ、凄い。なンか、前よりも随分とレベルが上がッてるようナ……」


 挨拶を呟きつつ玄関へと入ると、杏樹は早速、まだ見てもいない道場内の鍛錬のレベルを察したような発言をする。自分がしたことがあるスポーツならば、少しの要素だけでその競技をしている人間のレベルを判断することができる。この感覚が理解できる人間は、スポーツをしたことがある人間の中じゃ少なくはないだろう。

 サッカーやバスケットボールならば、チーム全体が大きく声を出しながらコートを動き回っている場面。野球ならば、素振りの空を切る音や、ミットにボールが気持ちよく収まる音。卓球ならば、インパクトの瞬間に鳴る音、うるさい程に鳴る体育館の床とシューズが擦れる音。

 このように、あげていけばキリがないほど、「程度がわかるような場面や音」がスポーツには数え切れないほど多くある。剣道なんか、一般人からしてもそれがかなりわかりやすいスポーツ。音、声、気迫、力強さ等が重視されるからだ。一般人でもわかるようなことを、杏樹が見逃すわけもなく。上記のことを感覚だけで感じとったから、杏樹は見ずともそう言えたというわけである。


「学生の頃、家に入ったことはあるんだけど……勉強会だったから2階の桜李の部屋に行って、道場には行かなかったんだよね。だから新鮮」


 道場までの廊下、めるは久しぶりに来たこの場所を懐かしむようにキョロキョロと見回しつつ、杏樹に話しかけた。


「ァ〜、そういえば。2人は同級生だッたンだよネ」


「そうそう、……ふふ、懐かしい。勉強が苦手すぎて陸斗くんに意地悪言われてた桜李も、もう大人。……それどころか、道場の館長なんて。時が過ぎるのは早いや」


 10年はまだ経っておらずとも、5年は確実に経った、青春時代のあの頃。静かに思いを馳せて歩いていれば、道場までの短い道のりはあっという間に過ぎていき。

 九十九道場の門下生の皆が今実際に鍛錬を積んでいる空間を目の前にすると、杏樹もめるも一度立ち止まり、一礼をしてからその空間へと入っていく。道場内には、顔見知りが何人か。桜李が居ない間、代理で道場を動かしていた蛇川。道場にて、日々鍛錬を積む鈴佳。そして、道場の奥には────。つい最近道場へと戻ってきた館長、桜李の姿もあった。


「こんにちはッ!!」


 比較的小柄な体格の、水色の髪をした彼女は見たことがないが。つい最近新しく入門した者は除くとして、九十九道場の門下生ならば、彼女の隣に居る黒髪ロングの女性は誰もが知っている。たった2回しか道場には来ておらず、うち1回はただの見学だったというのに。杏樹は、門下生達に強烈なインパクトを残していた。

 たとえ鍛錬中だとしても、それが突然の来訪者だったとしても。剣道は、礼儀に重きを置いている武道の1つ。道場に入ってきた彼女達に、大きな声で挨拶をする門下生達。前よりも2倍くらい声が大きくなってるな……なんて感じつつ、杏樹はめると共に椅子が置いてある方へと歩いていく。


「……お、思ってた10倍くらいは凄いや……」


 高校生の頃の部活なんかで、ある程度剣道の迫力は理解したつもりだったが。こんなにも近くで練習を見るとなると、また話は違ってくる。竹刀同士がぶつかり合う音や、自身を奮い立たせたり相手を威嚇したりという意味がある声。それらに怯むと、杏樹にひっそりと話しかけながら椅子に座っためる。

 正直、杏樹は剣道の音や声に凄さを感じていない。百歩譲って、竹刀や踏み込みの音は、強さの指標になるからいいとして。実際の戦いの場で、あんなにも声を出す必要は無いだろう。だって、声を出さずとも集中できるし、負けるということもほぼないのだから。

 ……まあ、それも人それぞれか。自分がそうだからと否定するのは、子供がする行為。めるの隣に座りながら、杏樹は口を開く。


「そうだよネ〜、大きい音に慣れてないと驚くのも無理はないヨ」


 杏樹がめるに対して適当に返事をすると同時に、竹刀を床に置いてから彼女達に近寄る人物が居た。明るめな茶髪の彼女は、杏樹にとってもめるにとっても、随分久しぶりに会う人物。桜李である。


「久しぶりだな、2人共」


 桜李は、椅子に座る2人に対して、緩く笑みを浮かべながら話しかけた。

 国会議事堂の敷地内で倒れ、病院に救急搬送された時は、危うく命を落としかけていたのに。たった数ヶ月でここまで回復するのは、本人の体の強さのおかげか、それとも生きようとする意志の強さのおかげか。オマケに、斬り落とされた左腕も縫合されてくっついている。元の強さが戻ったかはいいとして、体がここまで戻ったのは奇跡と言っていいだろう。


「久しぶりだネ〜」


「ほんと。半年くらいぶりじゃない?」


 桜李に話しかけられると、同じように笑みを浮かべて言葉をかけ返す杏樹とめる。情けない姿は見せたくないと言って、桜李は相手が誰であろうと面会を拒否していた。杏樹は国会議事堂にて彼女を遊馬に引き渡した時、めるはファミレスで一緒に食事をした時。それ以来会っていなかったのだから、久しぶりだと感じるのも無理はないだろう。


「……髪、切ッたンだ」


 杏樹は、桜李の髪を直視しながらそう呟く。

 前までは、腰くらいまであったはずの桜李の髪。その髪がなんと、うなじが見えるくらいまでに切られていた。ミディアムとショートのちょうど中間くらいの髪型だ。


「そうなんだよ! 復帰できる頃は結構長くなっちゃってて。邪魔だから、一思いに切っちまった」


「いいネ〜。似合ッてル」


 男勝りな性格をしているのだから、むしろ今まで伸ばしていたのが不思議なくらいだが。リハビリをしている時に伸びきって邪魔だと感じたから、桜李は髪をバッサリと切ったのだと。

 自分が日常で多く関わる人間だと……それこそ、髪を短くしている女性は岬ぐらい。ロングヘアも勿論好きだが、今の桜李くらい髪を短くするショートヘアも杏樹にとっては大好物。口角を上げながら、杏樹は桜李の髪型を褒めるのであった。


「昔はいつもそんな感じの髪だったよね〜。むしろ、昔の方が短かったような気がする」


「学生の頃はな〜。校則もだるかったし、親父にも切れ切れ言われてたし……」


 剣道部に所属していた頃……選手として全国の1番を競っていた頃は、髪をかなり短くしていたが。高校を卒業して選手としては半引退状態になり、指導者側の立場になってからは、髪を切る意味もあまり無くなってしまっていた。こんなにも髪を短くするのは、全国上位を目指していた学生時代以来である。


「……色々考えてみたんだけどさ。諸々リセットして、子供達と一緒にオレも上を目指そうと思って」


 相槌を打っている杏樹とめるの横で、切った髪を指先で弄りながらそう呟く桜李。髪を切ることはつまり、これまでの自分とはおさらばして、新しい道を歩んでいこうという意思表明のようなものであった。

 九十九道場の近年の成績は、全国に出場しているとはいえ、落ちてきている。桜李や陸斗の世代で団体優勝を果たしているから、それに比べてしまえば仕方のないことではあるが。桜李は、個人としても団体としても、再起を図りたかったのである。


「だからこンなにも気合い入ッてるンだね」


「そうそう。子供達に伝えたら、『一緒に頑張ろう』って言ってくれてさ。今年はまだ早くても、来年に向けて頑張ってる最中だよ」


 ニカッと一際眩しい笑みを浮かべて、桜李は杏樹に対して返答をする。

 生涯の師であり、父である、九十九豹仁。無惨にも殺されてしまった彼の意志を、桜李は継ぐつもりなのだろう。本当に大人になったなぁ、なんて、会話を静かに聴きながら思うめる。

 決心した彼女を見ると、杏樹は思う。これから、桜李と関わることは少なくなるかもしれない。難関校の受験を前に控えた友達とは、遊ぶのが極端に少なくなるように。正直、杏樹からしてみれば都合がよかった。もっと仲良くしたい気持ちはあるにはあったが、自分と居ると事件に巻き込まれて酷い目にあってしまうのではないかと感じていたから。紅月戦の桜李や、護衛での夏怜のような事態は、もう懲り懲りだったのだ。


「……おっと、そろそろ頃合だな。お〜い、そろそろ休憩入っていいぞ!」


「はいっ!」


 ふと時計に目を移せば、大勢の門下生達に声をかける桜李。上を目指すからといって、水を与えないとか、そういった極端な指導をするつもりは桜李にはない。厳しめな指導をしそうな桜李でも、それがあまりよくない指導方法であるのはわかっていた。

 鍛錬の時間が終わると同時に、杏樹は椅子から立ち上がる。


「あたし、ちょッと話しなきゃなンだよネ〜。めるちゃンはそこで待ッてて」


「ん。わかった」


 来て早々、一緒に訪れためるから離れるのはなんだか申し訳ないが。このタイミングを逃せば、次回いつ彼に話しかけられるかはわからない。めるに断りを得てから、杏樹は道場の床板の上を歩いていくのであった。

 杏樹が話をする相手は、定期的に道場に指導をしに来てくれる蛇川。道場に居るか、誰かに確認をとったわけではないし、夏怜の状況を加味して考えれば、居ない確率の方が高いのかもしれないが。とりあえず行ってみないことにはわからないからと足を運んでみれば、いつもと同じように彼は指導をしていた。


「…………おや。珍しい客人ですね」


 ペットボトルの水を飲んでいた蛇川は、近づいてくる杏樹の姿を確認すると、口につけながら傾けていたペットボトルを水平にして言葉を交わす。数ヶ月は姿を現すことがなかった人間を見たのだ、そんな言葉が出るのは当然のことだろう。

 蛇川が視線を移した先で、杏樹は────。静かに、それでいて深く深く、頭を下げていた。その頭を下げるという行為が謝罪を意図しているのは、ほとんどの人が見て理解できることであろう。これまでの杏樹の思考からは、考えられないような行動である。


「……護れなくて、申し訳なイです」


 普段は敬語なんてよほどの事がない限り使わないし、謝罪なんてもってのほか。そんな彼女が、深々と頭を下げながら、敬語で謝罪をする。普通ならばありえない光景だ。

 数ヶ月前に対決をした時の強気な口調や言葉はどこへやら、目の前で消え入るように言葉を放った杏樹に対して、蛇川は目を丸くして彼女を見つめた。杏樹の謝罪の意味を一瞬で理解すると、やれやれといった表情で口を開く蛇川。


「……頭を上げてください。怒ったりする気は全くありません、ただ……2つだけ、お話をしておきたく」


 謝ってきた杏樹に対して、蛇川は至って冷静にそう告げる。普通ならば、頭を上げてくれと頼まれても、易々と上げたりはしないものだが。謝ることに慣れてなく、ましてや一般人の常識は欠如してると言っても過言ではない杏樹は別のようで。申し訳なさそうな表情を浮かべつつも、杏樹は深く下げた頭を上げるのだった。

 馬鹿正直に、と言うべきか、素直に、と言うべきか。頭を上げた杏樹と目が合えば、蛇川は再び口を開く。


「1つ目。貴女達の仕事の内容は、依頼人を護衛すること……でしたよね、たしか。護るという点では、朽内さんも夏怜も、仕事を完璧にこなしています。いくら一緒に居たとしても、優先順位的に夏怜を護れないという状況は発生し得るものですので、仕方のないことかと」


 蛇川は、杏樹に対して淡々と言葉を並べていく。彼からしてみれば、並べている言葉に、杏樹の行動を肯定したり、慰める意図なんて微塵もない。ただ、仕方のなかったことなのだと。そう言いたかったのだ。

 突き刺される事実の数々に、目を細め、そのとおりだと噛み締める杏樹。むしろ、彼女が居なければ夏怜は死んでいただろうし、胸を張るまでは行かずとも、もっと堂々としていてもいいのだろうが。完璧な能力を持っている上、そこまで強い敵との対峙が結果的に無かったから、杏樹はここまで堪えているのだろう。


「2つ目。夏怜がああなっているのは、戦闘に敗北したから。つまり言ってしまえば、私の指導不足です。朽内さんに責任なんて全くありません」


 1つ目の理由を聞いた杏樹の、納得できていなさそうな表情。それを見た蛇川は、続けて2つ目の理由を伝える。先程の言葉がただひたすら事実を並べているだけならば、今の言葉はそれに比べて、若干寄り添うような言葉であった。

 その言葉を受け取ってなお、杏樹は自分に対する不満を浮かべたような表情だったが。蛇川は気を使ってくれたのだし、この場でずっとクヨクヨしていても仕方ないと、自分なりに納得してみせる杏樹。


「……まァ、そのとおりではある……かもしれないケド。夏怜ちゃンは実際あンな状態だシ、謝ッた方がいいかナ〜……ッて」


 納得してみせたとしても、やはり申し訳なさは簡単に拭えない。いかにも申し訳なさそうな声色で、杏樹はそう呟く。

 杏樹の言葉を聞くと、蛇川はそっと静かな笑みを浮かべて


「大丈夫。傷が既に塞がってる状態の昏睡は、本人の精神力の問題ですから。この世を生きる権利を簡単に手放してしまうほど、夏怜を弱く育てた覚えはありません」





















「……ふぅ。今日もぼちぼちだったネ……」


 同日、21時。こじんまりとした、知る人ぞ知る名店のような飲食店が多く閉まる時間帯。それは、ある個人経営の中華料理屋においても同じことが言えた。

 今日も売上はまずまず、いつも来てくれる常連を外まで見送って、店を畳もうとする赤いチャイナ服の女性。「中国料理 林凛」の店主である真凛が常連を見送り終わって、店の中へ戻ろうと振り返った時だった。


「こんばんは」


 振り向いた彼女の背後、少し離れた地点には、黒いスーツを着た細身の男性が立っていた。店の明かりと電灯の光によって照らされる七三分けの彼に話しかけられると、真凛は静かに不気味だなんて思ってしまいながら、口を開いて言葉を返す。


「ごめんネお客さん、本日は閉店アル。また今度来てくれたらとびっきり美味しい……」


「中国料理、林凛店主。本名は林真凛、中国生まれ中国育ち」


 笑顔を見せて、また後日にでも来てくれれば美味しい料理を振る舞うと言おうとした真凛。料理屋の店主として鑑のような行動をしようとした真凛だったが……。その言葉を丸ごと遮って、スーツの男はいきなり真凛についての情報を吐き始める。


「全中華人民拳法大会、3年連続優勝」


 この国に来てからは、本当に誰にも話したことがない、自分についての過去のこと。それを完璧に言い当てられた真凛は、額に汗を浮かべて一瞬で思考を張り巡らせる。

 雑誌やテレビのインタビューは受け付けず、万人に知られていないという程度の料理屋を続けてきたが。どこかから情報が漏れたのか、はたまた、誰かが広めた噂を真に受けた人間がやってきたのか。言葉の訛り等から考えるに、彼は中国出身のスパイなんかではなさそうだし。いったい彼は誰なのか────。

 動揺を隠せていない真凛に対し、ジロリと目線を絡みつかせ、笑みを浮かべながら更に言葉をかけるスーツの男。


「……失敬。こういう場面では私から先に名を名乗るべきでしたね、申し訳ありません。……私の名前は、慈鳥。お好きに呼んでください」


 彼は────、杏樹が斜陽都市に居た時、斜陽都市を出た人物。今は無きクラウンの元幹部、慈鳥だった。

 名を名乗ると、開いた右の手の平を見せながら、真凛の方へと寄っていく慈鳥。その動作は、他の何でもなく、握手を意味する動き。つまり、敵意がないことや信頼関係を築きたいということを慈鳥は示したかったのだ。


「…………近寄るないネ、怪我しても責任はとれないヨ」


 勿論、急に現れて自分の情報を吐いた人間なんて信じれるはずもなく。慈鳥が近づいてくるのを確認すると、真凛は厳しめに殺気を彼に浴びせる。言葉に加えて、殺気でも警告できるなんて、彼女はなんて優しく、そして強い人物なのだろうか。

 空気が変わるというのは、こういうことか。真凛の殺気を受けた慈鳥は、浮かべていた笑みを崩し、唖然としたような表情で真凛を見つめて歩みを止める。

 慈鳥が歩みを止めたのは、真凛の殺気に怖気付いたからではなかった。人は、なにか感銘を受けたりした時、動作を止めてしまうことがある。慈鳥が動きを止めたのは、まさにソレだった。


「……ますます、貴女が欲しくなりました。林真凛さん。悪い気にはさせません。契約をしましょう」


 サディスティックな……もしくは、狂気的な、と形容すべきか。そんなとびきり眩しいほどの笑みを浮かべ、真凛に契約を持ちかけた慈鳥。

 今宵。まだ眠っているだけの闇が、ついに動き始めた。













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