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第60話 宝石





 夏怜を医務室に連れていった後の杏樹は、アナスタシアが居る想定で急いで鷲津達の元へと向かっていたのだが……、到着した頃には既に戦いは終わっていた。鷲津に聞いた話によると、杏樹から連絡が来た後も並大抵の実力の殺し屋しか来ず、戦いはいつの間にか収束していたらしい。

 殺し屋達に飛行船を襲撃されるという事件は、アナスタシアの逃亡と夏怜の昏睡によって幕を下ろした。ヴェルデ姉妹には指1本すら触れさせていないという結果的に見れば、警備側の完全勝利だったが……。警備員サイドにも、死者は続出している。特に、操縦室前やその道中を警備していた警備員は、ほとんどがアナスタシアに殺されてしまっていた。ヴェルデ財閥のハッピーエンド、という結末ではないだろう。


「……素晴らしいわ、アンジュ。そして、ここには居ないカレンも」


「お姉様の言うとおりね! 貴女達が居なければ、私達やシュリィは死んでいたかもしれないわ」


「イエイエ、別にそンなことないです〜。与えられた仕事をやッただけなンで」


 場所は、ウリフ共和国にあるヴェルデ財閥の大豪邸へと移る。飛行船を降りた杏樹は、姉妹に連れられて、鷲津と共に豪邸へと向かわされていた。今頃夏怜はというと、国で1番大きい病院へと搬送されている。この人は私達の命の恩人だ、絶対に死なせるな……という、ヴェルデ姉妹の斡旋付きでの搬送だ。

 いい働きをしてくれた杏樹……そして、夏怜を褒め称えるヴェルデ姉妹。姉妹の言葉に合わせ、鷲津も縦に首を振って相槌を打つ。杏樹が居なければ鷲津は死んでいただろうし、夏怜がアナスタシアを止めていなければ操縦室は占拠されていただろう。当人が思っている以上に、彼女達の功績は素晴らしいものであった。


「……さて。明日には帰国するだろうし、今のうちに聞いておくわ」


「アンジュは、今回の報酬に何をお望みかしらっ? ここにある物なら、1つだけ……とは言わず! 3つくらいなら、全部譲渡してあげるわよ!」


 素晴らしい功績には、それに見合った対価を。岬から聞いていた話のとおりだ。今彼女達が居る、美術館のような部屋に展示されている物ならば、何でも譲渡すると杏樹に提案する姉妹。夏怜が居たならばきっと、何を選ぶか、これもいいしこれもいい、なんて騒がしくなっていたであろう。

 杏樹の狙いの品は、警視庁で話を聞かされた時から決まっていた。高価な宝石や絵画なんかではなく、ただ1つ。可愛い女の子だ。


「……ン〜、特にこういうノはいらないッていうか〜……」


 宝石や絵画は特に見たりせずに、姉妹に話しかける杏樹。……もしかして、これ以上の品物を求めるつもり!? しかし、いったい何を要求してくるのだろうか……と、杏樹の言葉に合わせて唾を飲むロシェルとルシェル。

 黙って話を聞いている鷲津だったが、実は彼は、杏樹が生粋の女好きなことを知っていた。先んじて、岬にその事実を伝えられていたのだ。もしかして彼女は、報酬としてお嬢様方の体を求めるつもりか──。そんなことを言えば反感を買うかもしれないからと、杏樹の言葉を遮るために口を開く鷲津。しかし、それに気づくのはあまりにも遅すぎた────。


「あたしは今回特に頑張ッてないシ、あたしに与えるくらいなら夏怜ちゃンの報酬を増やしてほしいンですよネ〜」


 口を開いたまま硬直する鷲津の隣で、そう言った杏樹。杏樹の言葉を聞いた鷲津は、自分の耳を疑ってしまうと同時に、言葉の意味を理解するのに時間をかけてしまう。聞いていた話とは全く違ったことを言っているのだから、驚いてしまうのも当然だ。

 鷲津が思っているとおり、本来ならば杏樹は姉妹の体を求めていただろうし、つい数時間前までは事実求めようとしていたが……。夏怜が昏睡状態に陥ってからは、その気が変わりつつあった。夏怜が死の淵を彷徨っているのに、自分だけがいい思いをするわけにはいかない。そんな思いが、杏樹の欲望の邪魔をしたのである。


「……まぁ、アンジュがいいのなら……?」


「そうね。素晴らしい人間性に応えないわけには……」


 杏樹の言葉を聞いたヴェルデ姉妹は、彼女の言葉に対して感動に近い感情を覚えつつ、杏樹の言葉を受け入れようとした。しかし……、


「……誠に恐れ入りますが……」


 杏樹と姉妹の会話を聞いていた鷲津が、横槍を入れるように言葉を放つ。鷲津は、将来ヴェルデ財閥を背負うであろう彼女らの世話係。気になった点やよくない点があれば、指摘するというのも彼の仕事だ。


「警視庁との契約違反になりかねませんし、ヴェルデ財閥の権威を示すためにも、朽内さんには何か1つでも報酬を渡した方がいいかと……」


 報酬は渡さなくてもいいという杏樹の言葉とは真逆の言葉を姉妹に伝える鷲津。

 たしかに、本人がいいと言うのなら報酬を渡さなくてもよいというのは、間違ったことではない。しかし、こういった仕事の報酬等は、受け取ってもらわなければ契約違反になってしまったりと、色々困ることがある。更には、報酬を受け取ってくれなければ、根も葉もない噂が立ってヴェルデ財閥の権威が落ちかねない。

 そういった面倒事を起こさないためにも、報酬のあり方は、「仕事をした人が受け取ってもいい物」から「依頼人が受け取ってほしい物」にするべき。鷲津は、そう言いたかったのだ。


「……ふむ、たしかにそれはそうね」


「え〜っ、でもアンジュは要らないって言ってるし……どうするべきかしら」


 鷲津が言葉を発すると、その言葉を正直に受け入れて検討し始めるロシェルとルシェル。たとえ意見を申し出た人間の立場が自分より下であろうとも、素直にそれを聞ける人間は、人を統率するのに長けている人間だ。彼女らは、それに当てはまっていた。

 首を傾げながらどうするべきかと考える2人を見た杏樹は、ふと何かを思いついたように歩き出しながら口を開く。杏樹が歩き出した先にあるのは、数々の名画や宝石であった。


「ンじゃあ、何か適当に選ンで持ッて帰るとしますヨ。それでいいよネ? シュレイダー」


「ええ。お気遣いありがとうございます」


 背中の後ろで緩やかに腕を組みつつ、展示されている物を適当に見ていきながら、鷲津に確認をとる杏樹。

 適当に選ぶ……とは言ったものの、見て選ぶとなると、杏樹はやはり困ってしまう。絵画の何がいいのかは分からないし、ファッションに気を使っているとはいえ、宝石はなんだか非日常的で選ぼうにも選べない。意味の分からぬ金色の秘宝のような物なんてもってのほか。

 まぁここは、適当に手頃なサイズの物を選んですぐに撤収しよう。あらかた見尽くし終わった杏樹は、そう思っていたが……。


「……決〜めた。コレにしまス」


 目に入った、とある宝石。それに目を奪われた杏樹は、展示されている宝石に人差し指を向けながらそう呟いた。

 いったい杏樹は、どんな物を報酬として選んだのか。姉妹も鷲津も気になり始め、興味津々な顔を浮かべて杏樹の方に近寄っていく彼女達。杏樹が選んだ宝石を見たヴェルデ姉妹は、全く同じのタイミングで言葉を零した。


「……アクアマリン……!」





















「ッてなワケで……ウリフ土産。めるちゃンにプレゼント」


 ウリフ共和国の大豪邸から移るは、島国日本の一軒の家。帰国をして真っ先にめるの家に帰ってきた杏樹は、土産話を早々に切り上げ、丁寧に梱包された物を箱ごとめるに手渡した。

 今回の仕事の内容を杏樹から聞かされていためるは、彼女が居ない間、ずっと気が気でなかった。もしも帰国の日に帰ってこなかったら……とか、杏樹がまたあんな状態になったら……とか。そんな想像ばかりをしてしまっていたから。無事に帰ってきたから、まぁいいのか……? という顔は浮かべつつ、差し出された長方形の箱を受け取っためる。


「……何これ?」


「まぁまァ、開けてみたらわかるヨ」


 長方形の箱に入ってる土産といえば……、思い当たるのは菓子類とか、ご当地関連の物とか? どちらにせよ、箱や梱包状態を見る限りはかなり高級そうだし。いつにも増して丁寧な手つきで、めるは箱を開いていく。

 もはや箱の手触りすら違うな、なんて指先から感じつつ、箱をパカりと開いためる。そこには────。雲一つない青空を詰め込んだような、あの日の海の色をそのまま描いたような。綺麗な水色の宝石のネックレスがあった。


「……何これ、綺麗っ……!!」


 感情を表に出したりしないめるとはいえ、煌びやかな宝石を見たりすれば、乙女心が自然に動くもの。そのネックレスのあまりの綺麗さに、めるは思わず両手で口を覆ってしまいながら、独り言を呟いた。

 いつもは見せないような顔を見せためるを見ると、まるで布団の上で寝かされているかのような状態のネックレスを片手に取り、めるの顔の横まで持っていく杏樹。


「めるちゃンの髪色に似てるナ〜、ッて思って選ンだけど……やッぱりほとンど同じだネ。アクアマリン、ッていう宝石らしいヨ」


 杏樹がネックレスをめるの顔の横へと移動させたのは、めるの髪色と宝石の色を実際に比較してみるため。比較せずとも似ているのは明らかだったが、いざ実際に比べて見てみれば、本当に互いの色は酷似しきっていた。

 めるの髪の色が、その宝石の如く美しいのか。または、その逆か。杏樹が見抜けるわけもなかったが、どちらもとても美しいということだけは確実に見て取れた。


「……見るからに高価そうだし……、まさか盗んできたわけじゃないわよね」


「まさかぁ。さっきも言ッたとおり、報酬を受け取ッてほしいッて言われたから貰ったノ」


 ファッションには気を使う方ではあるが、そんな高価なアクセサリー類を身につけたりはしないめる。元はといえば杏樹の貰い物……というか報酬だし、それを譲り受けるのにも、なんだか気が引けてしまう。

 遠慮がちな態度を匂わせだしためるを見た杏樹は、なにか思いついたような顔を浮かべてから、ネックレスを両手で弄っていつでも装着できる状態に変化させていく。


「ま、日頃の感謝として素直に受け取ッてヨ。……ほら、こンなに似合ッてるンだし」


 杏樹は、にこやかな笑みを浮かべつつ、言葉をかけながらアクアマリンのネックレスを器用にめるの首にかけた。宝石というのは、偉大だ。着ているのが普段着だとしても、光り輝く宝石のネックレスをしているだけで、一流ブランドの服を着ているようにしか見えなくなるのだから。

 アクアマリンという高価な宝石を首にかけためるは、満更でもなさそうな表情になりつつも、徐々に顔を赤くして呟く。


「……ま、まぁ。そう言うなら……、……ありがと」


 久しぶりの、同居人の可愛い成分を摂取できて、杏樹はかなりご満悦な様子だ。


「……帰ッてきて早々悪いケド〜、そろそろあたし出かけの用事あるンだよネ。めるちゃンは今日予定あッたり?」


「今日は特にないかな。帰国して早々大変ね、どこに出かけるの?」


 ネックレスをかけたままのめるを見ながら、杏樹は椅子から立ち上がってそう伝える。めるの言うとおり、帰国してすぐにお出かけばかりでは少し心配になる。分からずとも溜まってしまった疲れ等で、倒れてもおかしくはないからだ。

 とはいえ、それが仕事だったりしたならばと思うと、一概に「やめろ」とかいう否定を言うわけにもいかない。せめて行き先でも分かれば安心できるかもと、杏樹に問いかけるめる。


「ほンとなら休みたいンだけどネ〜、中々そういうワケにもいかなくてサ。めるちゃンも行く? 九十九道場」


「……あ、そういえば……!」


 杏樹と夏怜が、まだウリフ共和国に居た頃。紅月との戦闘────、ドラコスとの戦闘の傷によって長らく姿を現さなかった桜李が、久しぶりに九十九道場に顔を出したのだそう。その連絡を鈴佳から受けた杏樹は勿論、桜李から直接連絡を受けためるも、思っていた。久しぶりに、桜李と顔を合わせたい……と。

 杏樹からしてみれば、九十九道場に行くのにはもう1つの理由がある。日本の病院で、未だ昏睡状態が続いている夏怜の師────蛇川。彼ともまた、話さなければならない。飛行船内での夏怜の働きを知るのは、杏樹ただ1人だから。杏樹には、そういったことを蛇川に説明をする責任があった。


「どうせ予定無いンなら、一緒に行こッか」


 こうして、杏樹とめるは、向かうことになる。杏樹からしてみれば、紅月と戦う直前以来の。めるからしてみれば、高校時代に何度かだけ訪れた以来の、九十九道場へ。













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