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第63話 轟音





 桁違いの猛暑というのは、もう過ぎ去って。少しだけ夏を彷彿とさせる暑さがある日と、新しい季節である冬を彷彿とさせる寒さがある日が交差する季節。秋がやってきた。

 誰かにとっては、食欲の秋。また違う誰かにとっては、読書の秋。他にも、スポーツや芸術等……。秋という季節のあり方は、人によって様々だが。正義執行人・朽内杏樹の秋は…………。


「…………ゥげ。ま〜た連絡来たンだけど〜……」


 〇〇の秋、というのと同様に表すのならば、事件解決の秋だった。

 岬から連絡を受け取った杏樹は、携帯の画面を見て不満そうな表情を浮かべながら呟く。連絡は勿論、事件解決についてのことだった。岬の連絡によると、都内某所の民家にて、人質立てこもり事件が起きているのだとか。距離的にも、急いでバイクを飛ばさなきゃいけない場所。面倒ではあるが、行くしかないか……なんてため息をついて、杏樹は寝転がっていたソファから立ち上がる。


「……しャ〜なイ、ちょいと頑張るとしますか」


 いつにも増して杏樹が気だるそうにしているのには、理由がある。ここ最近、事件解決の依頼を受ける頻度が明らかに増えてきているのだ。前までは、週に1、2回。夏怜も居たことを加味すると、正義執行人が仕事をする場面は週に3、4回程度と考えられる……の、だが。

 最近はほぼ毎日依頼をされるし、1日に2回呼ばれる、なんてこともザラにある。元々治安は悪いし、夏怜が居ないからその分仕事が増える……というのは予測できたが。流石に、事件の数が2倍にまで増えているというのは変だし、何かが起こる前兆なのかもしれない。

 ……とは思いつつも、夏怜が自分より多く仕事をしていた線は捨てきれないし。今度岬や遊馬に確認をすればいいや、なんて杏樹は軽く思っていた。


「ッと。お邪魔ねカラスさン。退いてくださ〜イ」


 外に出た杏樹は、自分のバイクの近くにカラスが何羽も群がっているのを見ると、ゆっくりと近づきながらそう呟く。人間が近づいてきても動じないカラスが世の中には存在している中、近づいてきた杏樹からは不吉な予感や死臭を感じ取ったのか。カァカァと鳴いて、バサバサと羽根を飛び散らせ。カラス達は、どこかへ飛び去っていってしまった。


「……うッし。出発」


 邪魔者が居なくなると、黒光りしているバイクに跨って。豪快なエンジン音を鳴らしながら、カラスにも負けないスピードで事件の現場へ杏樹は飛び去って行く。





















 杏樹が現場に到着した頃……、17時15分くらいの頃。今現在杏樹が居る地点とは真逆の方向にある、東京都立小華和こはなわ高等学校に鈴佳が現れたのは、その頃のことであった。

 鈴佳が在籍する小華和高校は、夜間定時制の学校。17時半から授業が開始されるということで、九十九道場での鍛錬を途中で抜けると、包装されている竹刀を背に鈴佳はまっすぐ高校へと足を運んだ。道場の練習はできる限り受けたいものではあるが、授業に遅刻したりするのは絶対ありえない。そんな、鈴佳のささやかな我儘に似てるポリシーが如実に現れている登校時間だ。


「お……、今日は剣道の練習終わりか。おはよう、お疲れさん」


「あ、先生。おはようございます」


 学校へと入った鈴佳は、廊下でたまたま自身の担任である教師と出会うと、ぺこりと礼をして挨拶を交わす。様々な境遇を持った生徒が集まるのが定時制高校だ。生徒指導等で叱ることはあったりしても、普段から生徒に対して厳しい態度で接する教師はほとんど居ない。鈴佳の担任も、非常に優しい教師の内の1人である。

 夏怜のような、非常に仲のいいクラスメイトや同級生は居ないし。授業の進み方や、登校の時間も、普通の高校とは違うけれど。まともな教育を受けさせてもらうことすらできなかったあの村での生活よりかは、ずっとマシな生活を送れている。この小華和高校は、鈴佳の人生の再出発の、始発点だった。


「…………」


 多くの生徒が鈴佳のように登校をし終え、席につき、授業が始まるのを待っていた頃。1人、外を歩き玄関へと向かってくる生徒が居た。彼も鈴佳と同じ、今年度からこの小華和高校に入学をした、1年生の生徒である。

 携帯を見ているわけでもないのに、常に地面へと首を傾げて登校をする彼は、どこか物憂げで。ボーッとしている……というよりは、呆然としきっているような表情。そんな顔のまま、彼が校舎へと入るのと同時に。学校全体にチャイムが鳴り響き、1時間目の授業が始まるのであった。






「…………おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、…………」


 国語、現代文の授業中。若くして命を失った文豪・中島敦が残した名作、山月記という短編小説が、男性教師によって読まれている。

 70年あまり経ったとて、未だ教科書に掲載され続けている山月記は、詩人を目指していた李徴りちょうという男が、自分自身の自尊心によって屈辱的な挫折をして、人虎へと変身する物語。その内容は、文体等も相まって、高校でやる小説の中でも比較的難しく、国語が苦手な鈴佳からしてみれば難しすぎるくらいの作品だった。


「己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、おそれ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない」


 静かに眉を顰め、襲いかかってくる難解な文章を少しでも理解しようとする鈴佳。人虎になった李徴の、悔い、苦しみ、自嘲が表れている、絶対に集中は乱したくない、という場面で……。

 パァンッッッッ!!!! …………と。打ち上げた花火が咲いた時のような、圧力によって風船が割れた時のような、そんな音が、校舎の外側からではなく内側から鳴り響いた。

 学校に居る時は聞けるはずもないほどの轟音に、真面目を授業を受けていた生徒も、山月記を読んでいた教師も、こっそり寝ていた生徒までもがその方向へと体を傾ける。轟音は、後ろの教室から聞こえた。例に漏れず、鈴佳も気になってしまって後ろを向く。


「…………失礼。少し見てきます」


 音の正体が気になった教師は、教卓に教科書を伏せて置き、教室から出ていこうとする。

 彼が出ていこうと足を踏み出した、その瞬間。テレビやドラマでしか聞かないような、割れんばかりの悲鳴が、轟音に遅れて教室へとやってきた。事件性を含んだ悲鳴を聞くと、教師は歩調を上げて廊下へと飛び出していってしまった。


「……え〜、なになに……?」


「こわ……」


 教師が出ていくと、徐々にざわつき始める教室内。何かトラブルなどは起きず、淡々と授業が進んでいく……。そうなるはずだった、今日という日々の内の一幕。平穏という、鈴佳の日常が────。轟音と共に、崩れ去っていく。

 間もなくして、再び凄まじい破裂音が校内に広がっていく。急に鳴った一度目の時とは違い、二度目となる今回は、鈴佳が居る教室内にも悲鳴を上げる者が現れる。場はまさに、パニック状態と化していた。




「…………いったい何が……?」


 廊下に出た教師は、音が聞こえてきた教室の方へと走る。聞こえてくる悲鳴は、隣の教室の、もう1つ隣の教室からだ。他の教室で自分のように授業をしていた教師も、続々とその教室の方へと集まってくる。

 騒然としている教室の前へと辿り着いた教師は────。衝撃的な光景を目にすることになる。その教室の前方では、白いTシャツを着た茶髪の男性が、ショットガンと思われし物を構えていたのだ。彼が銃口を向けている先には…………。誰も見たいと思えないほどにグロテスクな、頭の上半分が消し飛んでいる生徒の遺体があった。

 先程まで生命として活動していたソレは、椅子の上に座っている体勢から、徐々に床へと崩れ落ちていく。あまりにも非現実的すぎる光景に、悲鳴を上げるか、呆然とするかしかできない生徒達の前で。唯一、その教室で授業をしていた教師が、ショットガンを持っている彼に話しかける。


「…………よ、芳村くん…………」


 教師に芳村くんと呼ばれた彼は、このクラスの生徒の1人である、芳村慶一よしむらけいいち。最近はあまり学校に来ていなかった生徒であった。

 ボサボサの、決して染めているわけではない茶髪に、眼鏡とそばかすがトレードマークの彼。先程、授業が始まる頃に登校してきた彼こそが、芳村くんだった。


「…………ち、ち、近寄るなぁっっ!」


 名前を呼んで、「ストップ」といった意味を伝えるために手のひらを向けてきた教師に対し、大声で威嚇をする芳村。教師は、近づいてなんか居ないし。むしろ、威嚇に怯えて、教室の隅の方へと後退していくばかり。

 それなのにも関わらず、芳村は酷く怯えたような表情で、呼吸を少しずつ荒くしていって。汗を垂れ流し、ポカリと口を開いたまま、教師に対してショットガンの先を向ける。


「動くな、動くなっ…………!!」


 そう呟きながら。芳村は、二度目の轟音を響かせる。教室中の生徒も、教室の外から様子を見ていた教師も、人が死ぬ瞬間なんて見たくはなくて。銃声の瞬間、誰もが目を瞑ってしまった。

 しかし────、教師が後退して距離が生まれたのに加え、芳村の手がとてつもなく震えていたのも相まってか。ショットガン特有の散っていく弾丸は、教師の脚にだけ命中した。頭部や胸部でなくてよかったとはいえ、銃弾が体のどこかを襲う灼熱感は凄まじいもの。教師は、即座に苦悶の表情を浮かべながらその場へと崩れ落ちてしまう。


「に、逃げろっ…………!!」


「うわぁぁぁぁッ!!」


 1人の生徒に加え、教師までもが撃たれてしまったというこの状況。危険すぎる状況で、生徒達が教室から出ないという選択をするわけがなく。ある生徒が教室から出ていったのを皮切りに、多くの生徒が席から立って教室から逃げ出していってしまった。

 逃げ出していく生徒達の後ろ姿。芳村は、呼吸を随分と荒くしていきながらも、窓側の席に座っていて逃げるのに遅れた生徒に向かって、ショットガンの先を向ける。


「…………僕は、お前達を、許さない。死ね」


 クラスメイトに向かってそんな言葉を吐き捨てた芳村の瞳に浮かぶのは────。業火の如く燃え盛る、憎悪にも似た復讐の感情であった。

 無情にも、3発目、4発目。爆音は鳴る。




「何これ、何が起きてんの……?」


「俺達も逃げた方がいいんじゃね……?」


 場面は、鈴佳が居る教室へと戻る。

 普段は走ったりしてはいけない廊下を、授業中なのにも関わらず堂々と走って、音の方向から逃げていく生徒達。彼ら彼女らを見た鈴佳のクラスメイトは、皆が思っていたし、口に出す者も居た。なにか、命に関わるような緊急事態が起きているのではないか、と。

 雰囲気に釣られ、逃げようとする生徒も出てきた中で……。先程まで自分達に現代文の授業をしていた教師が、息を切らして教室へと戻ってくる。


「…………全員、校庭へ。慌てずに、それでもできるだけ急いで避難をしてください。早く!」


 教室へと戻ってきた教師が教室の全員に告げると、生徒達は急いで教室から出ていく。他の教室に居る生徒等にも伝えなきゃいけないと判断した教師は、全員が出るのを待ったりすることはせず、途中まで避難を指示した上でどこかへと行ってしまった。

 指示を待たずして立っていた他の生徒と比べて、鈴佳は警戒をしていながらも椅子には座っていたからか、動き出すのに遅れてしまって。急いで教室から出ていこうとする、が…………。


「…………、っあ」


 鈴佳が椅子から立ち上がったタイミングと、他の生徒が通路を走るタイミングが、本当にたまたま重なってしまい────。意識をしていた上での接触なら耐えれたかもしれないが、完全な意識外からの接触は体幹だけじゃ耐えられず。ガンッッ、と音を鳴らして、鈴佳は倒れてしまった。鈴佳にぶつかった生徒は、まず自分の身が優先と言わんばかりに、鈴佳の方へ振り向くこともなく走り去っていく。

 幸い、受け身はとれた……というか、頭を打ったりすることはなかったのだが。即座に立ち上がって逃げようとした鈴佳は、気づいてしまう。


「…………ぃッ、た……」


 数分前までは何も異常がなかった自身の左足首が、立ち上がろうとするだけでズキズキと痛んでしまう……ということに。

 恐らくは、倒れてしまった際、変に足首を曲げてしまったのだろう。立ち上がるだけでも痛みを感じてしまうレベルの捻挫…………、歩くのも走るのも、きっと困難を極めてしまうくらいだろう。鈴佳は、密かに焦り始めた。教室には、誰も居ない。廊下は、逃げ惑う人で溢れ、声を上げてもきっと助けてくれないことが予想される。

 死が、刻一刻と近づいてきているかもしれない。鈴佳の首筋に、じんわりと汗が滲んできた。


「…………どう、しよう……」


 とりあえず、逃げるのが困難なのだとしたら、隠れる……? 教室で隠れられそうな場所は……パッと思いつくのは、掃除用のロッカー。だが、今倒れているのは教室の前の方で、ロッカーがあるのは後ろの方。そこへ行くまでが、もしかしたら危険かもしれない。

 なんて考えていた鈴佳の聴覚を、銃声が襲う。さっきまでも大きかった銃声が、更に大きく、廊下中に響いているようにすら聞こえた。


「…………ッ、ひ…………」


 それは、恐怖による思い込みなんかではなく、本当のことであった。鈴佳が居る教室の前を走っていた女生徒が1人、今ちょうど撃ち抜かれたのだ。つまり……、銃を持った人間は今、廊下に居るということになる。

 背中を撃たれ、前のめりに倒れた生徒と、ふと目が合う。その口端から、赤色の液体がツツ……と流れ落ちる。その目から、涙が零れ落ちる。死にたくない、という意思の表れであろう。

 助けなければ、彼女はきっと死ぬ。でも、銃を持った人間はきっと、すぐそこに居る。────こんな場面は、どうするべきか。優柔不断な鈴佳は、即座にそれを決めることができるのだろうか?













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