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第20話

何かがおかしい、と思った時にはもう遅い。

それがアシュランとレンカの考えだ。考えは経験から来たものであり、多くが戦場で学んだこと。戦場では多くの経験を得ることができた。自分の命を削りながらのことではあるが、その分大きなものを得たのだ。


しかしそれは命を張った場面でこそ、最も有効であると言える。街の中、旅の途中、食事をしている時、そのすべてで何もかもが『最も』とは言えなかった。だからこうやって気づいた時には、と言ってしまうようなことが起こる。


セインを引っ張り、2人は店に戻った。多くの荷物を持った息子と、男が2人。息子は息を切らしているが、2人の男はまったく息を上げていない。

クイードは焦って帰ってきた2人を見て、とても驚いていた。彼らが焦っているということは、それだけのことが何か起きたのではないか、と思ったからである。クイード自身も国で働いていたこともあり、よく分かるのだ。


「メイン様は!?」

「ああ、まだ奥だぞ」

「アシュラン、メイン様を確認しろ!」


レンカの言葉に、渋々アシュランは奥へ進む。奥では、メインがクイードの妻と話をしたり、本を開いているところだった。

何事もなかった、と思ったが、とても嫌な予感がする。メインに話しかけると人魚の薬を考えている最中だという。その様子に変わったところは一切なく、いつも彼女の様子であった。


アシュランはレンカの元へ戻り、何事もなかったことを伝える。しかしレンカはまだ怪しんでいる様子だった。その赤い瞳がじっとりとアシュランを見ている。


「あの、お2人ともどうしたんですか?」

「いや、別に気にするな」


静かにレンカは言うが、彼が何かを感じ取っているのは確かだ。アシュランはまた面倒なことになるのではないか、と思う。この男はいつも何かと面倒なことばかりを考えているんじゃないか。


砂の国でも、この男はいつも周囲を気にして、姉と国のことばかりだった。それなのに自分の中には、人から差別されてきたという過去ばかりを持っている。大人になっても、将軍になっても、彼はそのまま育ってきたのだ。そんな卑屈な男が将軍となれば、どんな将軍なんだ、とアシュランは思ってしまう。


彼はアシュランに対して年上として、常に上から目線で物を言ってくるが、大して立派な男とも思えない。ただ、この男の真面目さや、真剣さが自分にはないことくらいは分かっている。


「アシュラン、メイン様の側を離れるな。この国はおかしいぞ」

「わーったよ。どっから何が飛んでくるかねぇ」

「飛んでくるならば撃ち落とせ」

「はいはいっと」


2人がそんな会話をしているのを、セインはただ見つめていた。クイードは、彼らがメインを守る為に命を張っていることがよく分かる。


この国は、平和なように見えてそうではない。国民は国外へ出ることを基本的に禁じられ、教育にも制限がかかっている。クイードの若い頃にはそういったことはなかったのだが、今はそれが主流であった。だから、息子は何も知らない。外の世界も、海の先も。海がどれだけ広くて美しく、そして恐ろしいのかも。

現在でも国民は基本的な生活を国内の敷地内だけに制限され、漁に出るだけでも許可を持った船と船員でなければいけない。もしくは国家に従事する者だけだ。クイードは自分が何年も前に引退したというのに、そういった裏の事情はよく分かっているつもりだ。


「皆さん、どうしたんですか?」


奥から出てきたメインは、いくつかの資料を持ってやってきた。人魚の薬は複雑な材料と工程を経て、できあがるらしい。資料の内容はとても難しく、見せられたアシュランもレンカも、正直なところ理解はできなかった。

しかし、やはり国花選定師であるメインは違う。たとえば、植物が違っても同じ効能を持つもの、採取できる時期が過ぎていても代用ができるもの、様々なものを理解している。知識の量や考え方の柔軟さ。それは姉よりも大きい、とレンカは思う。


「薬の作成は可能です。でも色々と必要なものがあるんですよね。どうしようかな、本当ならこの国の国花選定師に頼む方が準備は早いのですが……。今回は事情がありますし」

「メイン様、我々で準備が可能なものはいたします」

「げ、俺らでするのか!?」


レンカはメインに協力的だ。しかしアシュランは面倒がっていることが多い。しかしクイードは薬を作ってもらわねばならない。妻の為に。そしてそれは内密でなければならなかった。人魚の末裔、人魚の血筋であることが分かれば、国から何をされるか分からない。そして、それは。


「セインさんには、何も症状は出ていませんか?」

「俺は大丈夫です。まあ、これから先は分かりませんが」

「一度確認しておきましょうか」

「は、はい……」


メインがセインの体を確認する。クイードと妻が最も心配しているのは、彼のことだ。人魚の血筋は彼にも受け継がれている。今は無事でも、年を取ったり、環境が変われば発症する可能性はあった。


彼の中に流れる血は、確実に人魚の血を引いている。自覚がなくても、何かが起こっている可能性もあった。メインはセインの体を丁寧に確認していったが、本当に特には問題がないようであった。

始終セインは真っ赤な顔をして、耐えている。真剣な顔で体を調べているメインとは逆に、まだ純粋なセインは恥ずかしいようだ。クイードが男だから我慢しろ、と怒っていた。


「特には問題なさそうですね」

「すまないね、国花選定師にこんなことまでさせて」

「いいえ、ちゃんと状態を把握することができました。奥様は治療が必要だと思いますが、セインさんは大丈夫ですね」


微笑んでメインは言う。セインもホッとして、胸をなでおろす。それは母も同じであった。自分には人魚の症状が出ていて、それだけでも不安だ。もしも息子にまで何かあったなら、と思っていたのだろう。


「俺、元気なのだけが取り柄なんですよ!」


セインが笑う。その笑顔は、クイードにそっくりであった。父子とはこんなに似るものなのか、と驚いたのはレンカである。自分は父に似ていなかった。あまりにも似ていなかったから、不義の子ではないか、とまで言われたほどである。

そんな経験があるレンカにとって、こんなに似ている父子を見て、とても羨ましいと思う。口にはできない思い。姉の前では決して言えない、絶対に口にはできない思いだ。


「それはいいことです!」

「そうですよね!親父似なんですよ、俺!」


本当にいい顔で、セインは笑う。

アシュランは、そんなセインを見つめるレンカに気づいていた。また気にしているのだろう、と思う。あんなに綺麗な姉がいるくせに、まるで捨てられた子犬のような顔をする。あの姉にあれだけ愛されているのに、愛とは何なのだろう、とアシュランは思う。

親の顔を知らない自分にとって、姉でもいるだけで十分だろう。血の繋がった存在がいるだけで、自分の人生は大きく違うのではないか。まあ、姉がいたことがないので、分からないのだが。


アシュランは、クイードが息子を大切にしているを見て、羨ましいというよりも、それがどんな感覚なのだろうか、と思う。特に、父親と母親の違いがよく分からない。父が何をして、母が何をしてくれるのか。それに何の意味があって、どれくらい大切なことなのか。アシュランは家族のことが本当に分からないのだ。


もしかしたら、それが羨ましいという羨望を含んでいるのかもしれないが、彼にははっきりとわからない。

家族がいない、というのはそういう感覚なのであった。


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