この世界で栽培という行為は、難しいものではない。しかしその管理や交配、流通などさまざまな点ではかなりの難しさを持っていた。栽培農家は栽培したさまざまなものを国を通して売買するのが、もっとも適した流通の形であると言えた。そうすることで安定的な売買が可能となり、無駄も省ける。
そのため、この世界で栽培農家は安定した職であった。しかしそれよりももっと多くのことをしたい、研究を重ね、新たな交配を目指したい、と考える者は、必ず国花選定師のもとを訪れる。そこで学び、弟子となる者もいれば、諦めて去っていく者もいる。
なぜ、諦める者がいるのか。それは、国花選定師の膨大な知識量についていけないこと、また外部の者が国花選定師になることはできないからだ。国花選定師は世襲制。特に能力を受け継いだ者でなければ、継承できない。親から子へ、孫へ、と血筋によって受け継がれる能力がある。それがなければ、ただ学んだだけでは国花選定師にはなれないのだ。
その事実を知った者は、それでも側にいたいと願う場合と、諦める場合がある。ほとんどの人間は後者だ。そして、その後者はどう生きていくのか―――
「稀に、国花選定師に学びを得て、植物の栽培を継続する者がいると聞きます。その可能性と、本当にこの国の国花選定師が関わっている場合と、両方があります」
メインは、目の前に広がった海の花を見ながら言った。これだけの栽培は、それなりの知識がなければできない。知識だけではなく、それだけの経験も必要だ。それだけ国花選定師の手掛ける植物は難しい部類なのである。
「とにかく、この場所は国花選定師が関わっています。あまり、植物には触れないようにしてください。何があるか分かりません」
「毒ってことか?」
「いえ、毒だけではなく、国花選定師は栽培場を荒らされるのが嫌いなので……」
その時、横を飛び出した汚いネズミが花の脇を飛んで行った。しかし飛んで行ったかと思えば、地面から飛び出した罠に捕まってしまう。叫び声をあげたネズミはやがて動かなくなった。
「こういうのが仕掛けられてるんです。思ったより精巧な造りですね」
「うっわ、なんだよ、これ!」
アシュランは大声を出して嫌がったが、レンカからすればいつものことだ。姉がそうやって植物を守ろうとしていたのをよく見てきたからだ。あの穏やかで美しい姉でさえ、植物の為ならば周囲に罠を張る。
植物を荒らす動物だけでなく、盗もうとする者さえも仕留める為だ。それが国花選定師の仕事であることを知る者は、少ない。花を愛でるだけが国花選定師の仕事ではないのだ。どんな国花選定師でも、そこに生まれた命はすべてが国家の財産であると考える。財産は荒らされることも、盗まれることもあってはならないのだ。
「こうやって外敵から守るんです。もちろん、足でも挟まれたら、千切れちゃいますよ。千切れた足は戻せませんからね」
「うっわ、こんなんやってるんかよ、国花選定師ってのは」
「もちろんです。だって、ここにある花がそれだけ大事だから」
目の前に広がる花。それはただの花ではなく、これから加工され、薬を作ることができる。その薬はとても貴重なものであり、多くの命を救うことができる。
「じゃあ、アンタの姉ちゃんも?」
「うるさいぞ、アシュラン。この程度、国花選定師でなくとも、軍人なら設置も撤去も可能だ。お前はできないのか?」
できないのか、と上から言われてアシュランはカチンときた。この男、いつもいつも自分を下に見る。何を考えているのか分からないが、腕を組んでこちらばかり見てくるのが、頭に来るのだ。
「できねーし、しねーわ!俺の基本は戦場なんだよ!」
「フン、学のない奴め」
「こんなとこで学なんか意味あるかっての!」
アシュランは少し年上のレンカからいつも馬鹿にされる。確かに自分には学がなくて、学びの場へ行ったこともない。しかし、それ以上に生きる為には努力してきたつもりだ。その形がレンカと違うだけのこと。
しかしレンカはなかなか分かってくれない、というか、あまりアシュランを認めたような発言をしてくれない。兄に認めてもらえない弟、という感じだろう、と横からメインは思っていた。
「2人とも、静かにしてください!こんなところで喧嘩なんかしないでください!」
メインの言葉に2人は止まったが、どちらも反対側を向いていて和解はしていない。クイードはこんな2人をまとめているメインが一番凄いな、と思うのだった。
しばらく進んで行くと、海の花は終わりが見えた。花畑の端まで来たのだろう。たくさんの花は潮風の中で美しく咲き、揺れている。その揺れはまるで海のようだ、とクイードは思った。
「ここで終わりでしょうか。でも島は終わりじゃないはず……」
周囲を見て、メインはそう言った。花畑はここまでであっても、島の終わりはここではない。外へ出る方法を考えねばならないか、と思った時に、クイードは人を見つけた。それは若い女であり、花畑の向こう側に立っている。
「だ、誰だ?」
その女の姿は、海で見たことがあるような気がした。クイードは自分の記憶が狂っているのではないか、と思う。しかし逃げ場のない海で、船に乗っていれば、誰もが一度は気が狂う。見えないモノを見てしまったり、有り得ないことを言い出してしまったりするのだ。
「この島の人でしょうか」
「み、見えるのか、嬢ちゃん」
「え、あ、はい」
あの女は幻想でもなければ、気が狂って見た幻影でもない。自分の目は狂っていないのだ、とクイードは安心する。しかし相手が誰なのか分からないことは変わりがないので、完全に安心することはできなかった。
「島の外から来てしまったのね、あなたたち」
女の声は、穏やかに耳に響く。美しい女、と思ったがよく見ればその目は少し人と違うのではないか、と見えた。まるでそれは魚のような目。
「あなたは……人魚の血が入っていますね」
「聡明な子。そのとおりよ」
「とても血が濃いと思いますが、間違っていませんか?」
「ええ……間違ってないわ」
瞬きをするたびに、女の目はギョロリとして、周囲を見る。人魚の血が濃いというのは、こういうことなのか、とクイードは知った。妻の足に広がる鱗よりも、もっと魚だ。見れば、女の肌は薄い鱗に包まれ、光の加減で輝く。
「国花選定師ね」
「どうしてわかるんですか?」
「ここまで来ることができるのは、その資格がある者だけ。そして、知識と経験、さまざまなことが重なって、来ることができる。あなたはそのすべてを、兼ね備えているのよ」
「私の知識は、母が残してくれたものですから!」
笑顔で答えたメインを見て、クイードは我が子を思った。今は黙って後ろからついてきているが、本来ならばこの子にも資格がある。学び、経験を得ることができれば、セインは国花選定師になることもできた。それを子どもを亡くしたから、と奪い去ったのは自分だ。
セインにいつか伝えねばならない。しかし伝えれば、セインはどの道を進むのか。そんなことを考えながら、クイードは女を見る。女とセインが重なって見えてしまい、気分が悪い。
「いい子ね。昔、あなたのような人を見たわ。赤毛に緑の瞳。別の国の国花選定師だった。もしかして、あなたの母親?」
「……そうだと思います。母は海の花の花畑がある、とだけ手記を残していました。場所を残せば、誰かが悪用する。そうならないように、あるとだけ伝えておく、と」
「そう……あの人は死んだのね」
「……流行り病の薬を、自分の分まであげちゃったんです。そんな母でした」
メインがそんなことを言うと、女は彼女の頬に触れた。冷たい手だ、と思ったが、女はメインの温かさを感じているようである。
優しく細められる目は、まるで母親のようだ、とメインは思った。