女は、一行を自分の住んでいる場所に案内してくれた。小さな小屋としか言えないような場所が、女の住処だった。女は、自分の名前をリナリアと名乗ったが、本当の名前は忘れてしまった、ともいう。
「長く生きすぎたの」
「長く?」
「そうね、もうどれくらいか忘れてしまうくらい。こんなに長く生きるのなら、そう教えてもらいたかったわ」
そう言って、リナリアはお茶を淹れながら自分の過去を語ってくれた。
◇◇◇
かつての島は、ただの島であって、そこに住まう者は人魚か人魚と人間の間に産まれて、人魚に近い者たちだった。全身を鱗に包まれた者もいれば、尾ひれ背びれのある者、中には見た目は変化がないのに誰よりも速く泳げる者もいた。
この島は人魚の楽園であり、人間との間に産まれた子の追放場所。人間との間に産まれた人魚の子は、人間の世界では暮らせなかった。性質が違うこともあり、陸で生活できないこともある。さまざまな理由はあったが、差別や暴力を受けて追放される者もいた。
リナリアもその1人だった。リナリアの母は、海に落ちてこの島に流れ着いた。流れ着いた母は、人魚の父と愛し合い、自分が生まれた。どちらの性質も受け継いだので、リナリアは見た目は人間だが、性質はほぼ人魚。特に目は魚の目をしていたし、肌はすべて鱗だった。産まれてくる時に母の産道を傷つけて産まれてきたくらいである。
この島で、人魚とその間の子は、幸せに暮らせるはずだった。そう、はずだったのである。
きっかけは、母だった。リナリアの母は、自分が産んだ子どもが人魚と人間の本当に中間地点であり、どちらでもあることを気味悪がった。今まで一緒に暮らしてきた人魚のことも、間の子のことも。
なぜなら、この島で純粋な人間は母1人きりになっていたからだ。周囲と違う自分。周囲には人魚か間の子しかいない。人間は自分だけだという現実に、母は狂った。
狂った母は、島を抜け出し、人間の国へ戻ってしまった。娘のことも捨て、夫のことも捨て、何もかもを手放して、ただ人間の国へ戻りたかったのだ。戻った母は、国の兵士に洗いざらい語ってしまう。
人魚と間の子が住まう、島がある、と。国は人魚を捕まえることに躍起になっている時期だった。人魚のそのものの価値だけでなく、鱗や髪の毛まで売り物にしていた。国は軍隊を率いて、島へやってくることになる。
島は、いつの日か炎に包まれた。美しかった緑も、美しかった景色も、何もかもが炎に包まれて、多くの人魚は殺されるか、軍の手を逃れて二度と戻らぬ海の底を目指した。
悲惨な目に遭ったのは、間の子だ。人魚と人間の間に産まれた子は、捕らえられ、非道な扱いを受ける。薬の実験体に使われたり、拷問の道具にされたり、生身で解剖されたりした。しかし人魚の生命力は強く、簡単には死ねないのだ。多くの間の子が、苦しみ、痛みを受け、死ぬ寸前で海に投げ捨てられる。
誰もが海に帰ること、島に帰ることを望んだ。海には家族がいる。海だけが家族。島だけが家。そうやって間の子たちは、死ぬ為に投げ捨てられた海を必死に渡り、島に戻ったのだ。
島に戻った間の子たちは、二度と外界からの接触を受けないように願い、島を閉ざした。その為に使われたのが海の花。海の花の毒は、幻覚を見せたり、方向感覚を狂わせる。海の花の毒を霧に混ぜ、海に混ぜ、魚に食わせ、次第に人間はその毒に侵された。
そして。
「間の子は、狂った人間を操ることにしたの。人間は操るに容易いわ。だから国花選定師はこの島の血筋にしたの。この島で生まれた子を国花選定師にするように、仕向けたのよ」
リナリアの言葉に、レンカが息を飲む。彼も国花選定師の血筋であり、姉がいなければその立場だったかもしれない。それを考えると、恐ろしい。
この女、何をしてきたのか。この国は、何なのか。
「私はここを守っているけれど、まだ血筋は何人か残っていてね。定期的に子どもを作っているわ」
「て、定期的、とは……」
クイードの問いかけに、リナリアが魚の目を向けた。
「前の国花選定師の死に頃ね」
「しに、ご、ろ……」
「間の子同士で作った子だから、あまり長くは生きないわ。寿命としてはせいぜい70年かそこらかしら」
ポン、とリナリアが言った年を聞いて、アシュランが笑う。
「おいおい、70年も生きればまともなもんだぜ?そんな言ったら、アンタはどんだけバアサンなんだ?」
「あら、私は、もう300年近く生きているのよ」
「はぁ?」
「だって、人魚は不老不死。正確には免疫力が高くて、自己治癒能力が高い。だから細胞の死滅が緩やかなの。まあ私はだいぶ長く生きた方ね。間の子としては」
300年生きても間の子と言う。それならば人魚はどれだけ生きるのか。そう思った時、クイードが立ち上がった。思い余って立ち上がってしまったことを、その場の誰もが理解したが、理由は知らない。
「じゃあ、この国は……」
「この国は、人間の国でもなければ、人魚の国でもないわ。間の子の国よ。人間がもっとも嫌い、迫害し、殺してきた間の子たちが、この国を作っているの」
リナリアの口元が少しだけ緩んだのを、レンカは見た。この島の間の子は、レンカとはまた違う道を見つけたのだ。それは長命な命を使い、自分たちの国を作り上げた。多くのことを裏で操り、国の中枢から色を変えたのだ。自分が必死になって将軍になったこととは、別の道だ。
「人間は、間の子に支配されているのよ。でもそうしたのは、人間じゃない」
「に、人間は……」
「人間は愚かね。自分たちが支配されていることにも気づかない」
クイードは顔色を変え、セインを見た。セインは何が起きているか分からずに首を傾げたが、リナリアが言葉を続ける。
「愚かな人間は、永遠に支配され続ければいいわ。別に悪くはなかったでしょう?海軍に出世すれば安定の道。そうでなくても、戦争もない、争いもない、食うにも寝るにも困らない、そんな世界」
「だが、それで夢も希望も失う子どもがいるのはおかしいだろう!」
「夢や希望……そんなの、作ってあげればいいじゃない」
作ってあげればいい、と言われた。クイードはまさか自分の人生さえもすべて、操られていたのか、と気づく。人魚の血筋の娘と出会ったこと。その娘を妻にしたこと。最初の子が流れて、セインを拾い上げたこと。すべてが。
「本来なら子どもの頃から教育だけでいいかと思ったの。でも、この島と同じよ。混ぜ物をした方が効果があるし、早かった。
「な、なんて、女だ……!
「300年生きた私にとって、あなたたちはたまにちょっとだけ現れる虫やネズミと一緒よ。罠を仕掛けなかっただけ」
リナリアはそう言って、セインを見た。セインは何の話か理解できていなかったが、父親の態度がおかしいことには気づいている。
「でも、あなたの人生にとって、私の母との出会いは衝撃だったはずです。他国の国花選定師がここまで来たのだから」
赤い髪に、緑の瞳。それを見て、リナリアは確かにそうだ、と思った。あの女性は突然やってきて、突然自分の目の前に現れた。遠い東の国の国花選定師なのだと言う。自分たちが作り上げた国花選定師とは、何かが違う存在。
赤い髪が母親と同じで、その熱いまなざしが同じ。子どもとはそうあるものなのか、と思って、リナリアはセインを少しだけ見た。見たがすぐに視線を逸らし、メインとクイードを見た。
「そうね。あの人は勝手にここに来て、勝手にお茶を飲んで帰って行ったわ」
「でも、同行者がいませんでしたか」
そう言われて、リナリアの魚の目が大きく見開かれる。
彼女の脳裏に、赤い髪が一緒に連れてきた笑顔の人を思い出させた。