アインスは自分の父親を国王とは認めているが、父親とはあまり思いたくなかった。なぜなら、母親―――先代の国花選定師が死ぬはめになったのは、国王の存在があったからである。体調不良の国王を気遣って、毒見などした母は、それがきっかけでひどい副作用を発症し、死に至った。
国花選定師の死は、国民には知らされない。死んだことが分かれば、国の信頼が揺らぐから。また感染症を恐れた国側の措置として、次の国花選定師のみが立ち会って火葬とする。国花選定師が立ち会っている時点で感染症ではないのだが、アインスは自分の母が灰になっていくのを見つめた。
母の死を知らない国王は、ただの食あたりだったということですぐに元気になっている。本当は食あたりに見せかけた暗殺だったことも知らずに。それを防いだのが愛した女だと、なぜ国王は分からないのか。国花選定師の任命式が決まってから、父は初めて母の死を知ったのだ。
あの時だけ、国王は父だった―――母のいなくなった東屋に座り込んで、母の好きだった花を眺めている時。この東屋は母のところに来て、国王が濡れないために作られたのだ。けして、国花選定師である母のために作られたものではない。でも、母はここが好きだった。だから、アインスはここが大嫌いだった。この東屋があるから、国王はここに来る。ここでしか、母を見ない。母の努力も、哀しみも、喜びも、そして我が子の成長さえ見ない。
だからアインスは国王が嫌いだ。そう、嫌いなのだ。自分とカブルの実父だと分かっているが、大嫌いだ。自分に父の姿が見えると、鏡を割りたくなる。それに比べて、カブルは母親にそっくりだったから、男のくせに国王に似ているところはほとんどなかった。
国王は、年を取ってからはほとんどを王宮で過ごしている。稀に体を鍛えると言って、何かしていることもあるが、大抵は王宮内で何か仕事をしているようだった。だからアインスはそこへ容赦なく、入って行く。執事や補佐官は、アインスを止められないのだ。国花選定師であり、国王の実子。頭もよくて、地位もある。そんな存在を止められる術など、彼らにはなかった。
「おう、親父」
バン、と開かれた扉。中では厳格な顔つきの国王が、書類に目を通している最中だった。補佐官はアインスにぶっ飛ばされて、廊下に転がっている。
「馬鹿者。お前は国花選定師。私の息子ではない」
「うるせーな、じゃあ、クソ爺!」
「お前は国花選定師のくせに、国王を侮辱するか」
「黙れ、クソ爺。どーせ、南の水源地近くに鍛錬場を作って若い女の裸でも見れば、若手の士気が上がるのなんのってクソなこと考えてんだろ!」
アインスに国王を敬うという気持ちは一切ない。補佐官はなんとか立ち上がり、アインスを捕まえて、泣き叫ぶように言った。
「アインス様!いえ、国花選定師様!国王がそのような強欲にまみれたことをお考えのはずがありません!どうぞ、落ち着きくださいませ!美味しいハーブティーを持って参ります!」
「コイツは強欲爺なんだよ!そのうめぇハーブティーは俺が作ってんの!再吸収かよ!阿呆が!」
腕を引き寄せたアインスの力に負けて、補佐官はまた廊下に転がった。護衛ではなく、あくまでも国王の事務全般を補佐する役割なので、あまり強くないのだ。床に向かってヒステリックに泣き出す姿を見て、アインスはその背中に唾を吐きたくなる。
国王は、一息吐いてから困ったように語り出した。落ち着いた様子から、どれだけ立派な言葉が紡がれるのか、と思ったがまったく違う。
「やはり、それくらいで若者は奮い立たんか」
「別のところがおっ勃つだけだわ!呆けてんのか爺!!」
「私の若い頃は、美女の裸でもちょっと見れば、あれを嫁にしたいからと戦場で功績を上げたものだが……」
「自由恋愛解禁したのアンタだろ!!今じゃ平民から国王まで自由恋愛だよ!!」
吼えるアインスに、泣き出す補佐官、ため息ばかりの国王。それを見て、横にいたアシュランとレンカは、言葉をかけるタイミングを失っていた。
「親父、山岳地帯に行く許可証、出せよ」
「私に命令するな……どんな美女でも私に命令はできぬ」
「てめえがその美女との間に作ったガキなんですけど?俺は?」
本当に父親との関係が悪いのだな、とレンカは思った。レンカも父親との関係は悪い方だったが、こちらとはまた話が違う。レンカは父親から、母親殺しと罵られ、ない者として扱われてきた。将軍にまでなっても、父にとって栄誉は国花選定師である姉だけ。
「一粒種の」
「ちげーわ、わんさか兄弟おるわ」
「そうか、こんなに大きくなったか」
「国花選定師になってから、もうどんだけだよ!」
バンッとアインスが床を蹴る。そこへ補佐官と執事が軽食とお茶を持ってきた。それに喜んだのはアシュランである。国王が手を付ける前であるにも関わらず、彼は気にせず口を開いた。
「うま!さすが国王の食いモン!」
「お~!お主は何番目の子だ?」
喜んで軽食をかじるアシュランに向かって、度肝を抜くようなことを言う国王。ついにアインスがレンカの持っていた短刀を抜いて、国王に向ける。
「クソ親父!!自分の子どもの顔くらい覚えておけやぁ!!」
「アインス様、どうか、どうか落ち着きくださいませ!」
「他人を息子と勘違いしてんじゃねーぞ、呆け!!」
「アインス様~~!!」
補佐官は執事と一緒に止めに入ったが、すぐ突き飛ばされてまた床に転んだ。泣き出す補佐官を執事が慰めている。
「お、俺って国王の息子だったんか!」
「阿呆!お前まで話に乗るな!」
レンカに怒られ、アシュランは反対を向く。喧嘩は先ほど怒られてしまったので、解決方法が分からなかったのだ。
「其方は!?異国の騎士団の偉大なる騎士ではないか!?」
「い、いや、ちが!?」
国王はレンカの見た目から異国の騎士と思い込んでいるようだ。レンカが困っていると、アシュランは大笑いしている。
「え、お前、騎士だったの!?将軍じゃねーわけ!?」
ゲラゲラと笑われ、レンカの顔色がスーッと青いくなっていく。アインスは咄嗟にレンカの手を掴んだ。
「国王の部屋で自死考えんじゃねー!!」
「姉上……レンカはもう、この世に存在する自信がございません……」
レンカは自分で自分の首を絞めようとしていたのだ。それができるくせに、なぜこの状況を耐えられない?とアインスは思う。
結局、アインスが全員を席に座らせ、国王はハーブティーを飲んで落ち着いた。王の言うところ、年齢が多くなって視力が悪くなった、と言う。
「すまんな、レンカ殿。金髪赤目となれば、異国では騎士団長の証。異国の騎士団は、赤子の時からの憧れでなぁ」
「おめーの赤子は何歳までなんたよ、爺」
アインスは父親の暴挙に慣れているので、何を言われても平気のようだ。同時に、レンカの見た目が父の言っているとおりであることも知っている。しかし、彼の生まれが違うことも理解してのことだ。
「それから、アシュラン殿。あなたのような立派な息子がおれば、もう王位なんかちょちょいのちょいで」
「俺にくれんのか!?」
「本当の息子じゃないから駄目!」
「つまんねぇの~」
アシュランは、不貞腐れたような顔をした。アインスの真面目(で武人としても強い)な姿を知っている2人からすると、国王は少し違う人間のように見える。本当に国王なのか、本当に武人としても立派な存在なのか、疑わしい。
「親父、さっさと許可証出せって」
「なんで山岳地帯なんか行くんじゃ。私の相手をすればよかろうに」
「言い方、気持ち悪いわ!見つめんな!そろそろあの花が咲く時期なんだよ!」
あの花、と言われて国王の目はスッと冷静に戻っていった―――