背中がひどく凍える―――レンカは背中に背負ったメインのことを考えて、そう思う。
彼女の息遣い、彼女の体温、そのすべてが冷たくて、苦しくなる。同時に、これがこの山の状態であるとするなら、山岳の部族たちはどうやって生活をしていたというのだろうか。レンカも国花選定師を姉に持つ男だ。自然との共存が人には必要だとよくわかっている。そうでなければ、人間など自然に勝つことなどできない。
砂漠の中で水を求めるように、その存在に感謝しなければ、生きてはいけない―――だが。この山は、もう死んでいると言っても、おかしくはないのではないか。そんな気がしてならない。つまり、この山はもう死んでいるのではないか―――死んでいるのなら、花など咲きはしないのではないか。そう思えて、ならない。こんなに冷たくなって、こんなに動きがないのなら、何があるというのか。
レンカは、そんなメインを背負いながら山道を進んだ。後を追ってくる皆が、それぞれ走ってやってくる。響く足音の中に、レンカは動物の息を感じた。その息が自分たちに向かってやってくるのが、嫌なくらいに感じられる。狼か、野犬か。振り返れば食われる、と感じられたのでレンカは振り返ることができなかった。
上がる息と男たちの足音。それを追う野生動物。
「きりがねぇ!」
振り返ったアシュランが、自分の剣を握って野生動物を倒そうとしたが、それをアインスが止めた。
「山の命だ!勝手に奪うな!」
「なッ!?」
「とにかく逃げるんだ!あいつらは入れない場所がある!」
入れない場所、と聞いてそれはどこなのか、とアシュランは思ったのだが、アインスはそこを教えてはくれない。とにかく、走り続けて、全員がアインスの背中を追った。すると、しばらくして開けた場所に出る。開けた場所には、草が生え、少し今までの雰囲気とは違う場所のようだった。
「こ、ここは……」
「カブル、火だ!」
アインスの言葉に、カブルは炎を焚いた。その炎によって、照らし出されたのは真っ黒な狼。獰猛な顔をして、よだれを垂らし、明らかに人間を食らおうとしている。
「ったく、魔眼持ちが2人もいるくせに、追い払えねぇんだもんな!」
呆れたようにアインスは言ったが、本来魔眼とはそういうこともできるのだ。それは鍛錬を積んだ者ができる存在のことであって、彼らのように一族に突然現れた存在ではない。彼らにとって、魔眼であっても、それはただの目と変わりがないのだ。
「みんな、下がれよ!噛まれると、面倒な話になるぞ!」
「どうなるんだよ!?」
アインスの言葉に、アシュランが反応すると怒鳴るような返事が返る。
「連れて行かれるんだよ、山奥にな!」
ここでも十分に山奥なんじゃないか、と思われるが、さらに山奥があるようだ。その山奥に連れて行かれるなら、命の保証はない。そして、きっとこの場合はただの【連れて行かれる】ではないはずだ。
「アシュラン、もう少し中央へ寄れ!」
その言葉に、アシュランは一気に中央へ寄った。誰もがその場に立った瞬間―――地面が崩れ落ちる。
アシュランは、自分がどうなっているのか、目が覚めた時には理解できなかった。そこにあるのは、地面と地面の中に咲く花。どうしてこんなところに、と思った時にレンカの声が聞こえる。
「レンカ?」
「アシュラン、起きたか」
「なんだよ、ここ」
「ここが俺たちの目指していた花の群生地だ」
群生地という言葉がよくわからないアシュランだったが、彼は花が咲いている地面を見る。どこまで続いているのか、と思うとかなり奥まで続いているようである。
「花……アインスのオッチャンは?」
「奥にいる。行くか」
行くか、というそのレンカの言葉は、とても優しかった。今まで聞いた何よりも優しいように感じる。
しばらく洞窟のような場所を歩き進めると、水音がしてきた。そして、湿った空気の中に花の香り。
「ここは……」
アシュランの目の前には、たくさんの花。どこから光りが差し込んでいるのかわからないが、まるで輝いているかのようだ。水は澄んで、とても美しく、より花を美しく見せていた。
「花……」
「アシュランさん!」
メインの声が響き、アシュランはそちらを見た。すると、そこには目を覚ましたメインがいる。
「メイン、起きたのか?」
「はい!ここの花に助けられました!」
助けられた、ということは、メインはここの花に同調しているのだ。アインスは花を調べているようで、しっかりと書き物をしている最中だった。
「オッチャン……」
「おう、起きたか」
アインスは、目覚めたアシュランを見てニヤリと笑う。
「なんだよ、ここに来たかったのか?」
ここを目指しているとは、思わなかった。こんな地下道に、お目当ての花があるとは思わなかったのだ。しかし、アインスは軽く首を振る。
「いや、俺はここを知らんかった。お袋の資料にもない場所だ」
「ない場所」
「だが、親父とお袋は知っていたみたいだけどな」
みたい、というのはどういうことか、とアシュランが周囲を見れば、何か石板のようなものが置いてある。その石板にはかすれた文字で、ガーシバルとリュシオルの名が刻まれていた。そうか、この場所は2人だけの秘密の場所だったのだろう。
「まあ、誰にも知られたくない、2人きりの場所だったんだろうな」
「そうか……」
アシュランは、ここに2人きりで佇む国王と国花選定師の思いまではわからない。しかし、この場所が2人にとってどれだけ大切なのかは、感じることができる。石板は軽いものではない。きっと若き日の国王が、自ら運んだのだろう。愛する人のために、それをした国王の強さ。それをさせる国花選定師の深い愛。
花はアインスの目の前で、静かに揺れた。