巻ノ四十八 鯨
幸村主従は夜は船の中で干し魚を口にしつつ酒を楽しんでいた、船頭が用意してくれたその酒をである。
十一人で車座になり飲んでいた、そうして十勇士達は主に口々に言った。
「いや、幾ら飲んでもいいとは」
「船乗り達も休んでおる時はそうとは」
「また凄いですな」
「それだけ酒を積んでおるのですか」
「船の底にじゃ」
幸村はその酒を飲みつつ彼等に答えた。
「いkるあでもな」
「酒の樽がある」
「それで、ですか」
「我等も飲んでよい」
「そうなのですか」
「そうらしい、しかもこの酒はな」
彼等が今飲んでいる酒についてもだ、幸村は話した。
「随分強い焼酎じゃな」
「ですな、焼酎でもです」
「随分と強いものです」
「普通の酒よりずっと効きます」
「かなり酔いますな」
「うむ、拙者も御主達も船酔いはしておらぬが」
見れば誰もそれにはなっていない、至って平気である。
「しかしな」
「この酒にはですな」
「すぐに酔ってしまいそうですな」
「どうにも」
「そうじゃ、酔ってしまってな」
そうしてというのだ。
「明日の朝辛くないようにせめばな」
「どうにもですな」
「我等はよくそうなりますな」
「酒については」
「二日酔いになるとな」
そちらの酔いについてはだ、幸村はこう言った。
「一度なるとな」
「辛いですな」
「どうにも」
「特に船では風呂もありませぬ」
「近くに川もありませぬ」
「うむ、そうした場所で酒を抜くことが出来ぬ」
だからだというのだ。
「酒が抜けるまでずっと我慢するしかない」
「頭が痛いことに」
「そのことについて」
「そうじゃ、海に飛び込もうものなら」
瀬戸内のだ、そうすればというと。
「鮫の餌じゃ」
「ですな、そうなりますから」
「海には飛び込めませぬな」
「それはとてもですな」
「するものではありませんな」
「そうじゃ、だから酒は程々にな」
二日酔いにならぬ位にというのだ。
「そうしておこうぞ」
「では程々で飲み終え」
「そして寝て、ですな」
「明日に備える」
「そうすべきですな」
「そうしようぞ、酒は飲んでもな」
それでもと言うのだった。
「過ぎぬ様にしてな」
「では」
「あと少し飲み」
「それ位で止めましょうぞ」
十勇士達も幸村の言葉に従ってだ、酒は徹底的に酔わぬ位で止めて酒と肴を収めてから飲んだ。そしてその次の日の朝。
船の中から出て来た主従を見てだ、船頭は幸村の顔を見て笑って言った。
「苦しそうではないな」
「うむ、酒を馳走になったが」
「とことんまでは飲んでいないか」
「二日酔いになってはどうしようもない」
十勇士に言ったことを船頭にも言う。
「だからな」
「途中で止めたか」
「そうした」
実際にというのだ。
「それでじゃ」
「苦しくないか」
「頭は痛くない」
「わかっておるな、見事だ」
「そう言ってくれるか」
「実際にな、船にも酔ってないしな」
こちらの酔いもないというのだ。
「よいな」
「そちらは心配したが」
「全員何ともないな」
「そうじゃな」
「貴殿達は山の中にいるとのことだが」
「上田のな」
「信濃だな、確かにあそこは海がなく山ばかりだが」
それでもとだ、船頭は幸村に言った。
「その中でいつも相当に激しい鍛錬を積んでおるからか」
「船がどれだけ揺れてもか」
「平気になったやもな、実際最初に船に入った時からな」
まさにその時からというのだ。
「足取りもしっかりしておった」
「揺れる船の中でか」
「揺れの動きを自然に読みな」
そのうえでというのだ。
「普通に身体の軸もその都度変えておったしのう」
「だから酔わなかったのか」
「それに身体も格別強い様じゃしな」
酔いを退けるまでにというのだ。
「だからじゃな」
「我等は酔わぬか」
「そうであろう、そして酔わぬのなら」
それならとも言うのだった。
「それに越したことはない」
「船酔いにも」
「そうじゃ、酔わぬなら楽しめるしのう」
「船旅をか」
「心おきなくな」
まさにというのだ。
「それが出来る」
「ふむ、海にな」
「陸も見えるな」
「確かに」
海の向こうの陸も見つつだ、幸村は船頭に答えた。
「緑の山が紫に見える」
「緑が集まりな」
「上田の山と同じじゃな」
そこはというのだ。
「山が紫に見えるのは」
「青い海と空の間がじゃ」
「紫の山か」
「それが瀬戸内だ」
「その景色か」
「今見ている通りな」
「そういうことか」
「船に酔っていなければな」
「万全で見られるか」
「この様にな」
まさにというのだ。
「よいであろう」
「こうした旅もいいものだな」
幸村は微笑んで船頭に言った。
「実にな」
「気に入ったな」
「うむ」
その通りという返事だった、幸村のそれは。
「これはよい」
「気に入ってくれたなら何よりだ」
「ずっと見ていたい位だ」
「そう言うか、しかしな」
「それはじゃな」
「出来ぬ」
笑ってだ、船頭は幸村に答えた。
「残念だがな」
「そうだな」
「博多までだ」
「博多に着けばな」
「後は貴殿等の働きだな」
「うむ」
幸村は微笑んで船頭に答えた。
「そうなる」
「頑張れよ、そしてな」
「そのうえでか」
「全員生きて帰れよ」
こうも言うのだった。
「国までな」
「生きて帰れか」
「ああ、あんた達はそうあるべきだ」
「戦で死ぬは武士の常だが」
「ははは、それでもだ」
船頭もまた村上水軍にいる、毛利家の家臣である。だから武士であるから戦の場で死ぬのは彼にしても当然だと思っている。
しかしだ、幸村にはこう言うのだった。
「あんた達はもっと生きてだ」
「そしてか」
「これからも存分に働くべきだ」
「武士としてか」
「ああ、そうするべきだからな」
「九州で死ぬべきではないか」
「九州は激しい戦が行われている」
船頭も知っていることだった、このことは。
「島津家がどんどん攻めていてな」
「九州を完全に手中にせんとしておるな」
「そうした状況だ、だからこれから起こる戦もな」
「激しいものになるな」
幸村もまたその目の光を強くさせて述べた。
「間違いなく」
「ああ、しかしな」
「それでもか」
「あんた達は生きるんだ、勿論わしもそのつもりだ」
「ははは、御主もか」
「死ぬのは怖くないがな」
だがそれでもという返事だった。
「わしはまだ死ぬつもりはない」
「そうか、ではお互いにな」
「生きようぞ」
「わかった、それでだが」
船頭と約束してからだった、幸村はあらためて言った。
「御主この仕事の後はどうなっておる」
「あんた達を博多に送り届けた後か」
「うむ、どうなっておる」
「その時はな」
どうかとだ、男は幸村にすぐに答えた。
「安芸に帰る」
「そうするのか」
「そして暫くは休みだ」
「そうか、わかった」
「戦になればまた出る」
「九州にだな」
「うちの殿様も出陣されるしな」
彼等が仕えているのは毛利家、それも毛利家を支える小早川家にだ。毛利家は当主輝元を支える彼の二人の叔父である吉川元春、小早川隆景が支えていた家で今もこの両家が毛利家の両翼となっているのだ。
「だからな」
「そうか、では水軍の戦になればな」
「思う存分暴れる」
楽しげに笑っての言葉だった。
「そうする」
「そうか、それがしは暫く九州にいる」
「そうなっておるな」
「うむ、そうなる」
こうした話をしてだった、そして。
幸村主従は船に乗り瀬戸内を進んで博多に向かっていた、船旅は順調で。
本州と九州の近くの海に来たところでだ、十勇士達は感慨を込めて言ったのだった。
「ここがじゃな」
「うむ、壇ノ浦であるな」
「平家が滅んだ場所じゃな」
「この海がな」
「そうであるな」
幸村もその海を見て言う。
「ここで平家が完全に滅んだ」
「栄華も夢の跡」
「一時の」
「平家はここで敗れ消え去った」
「まさにそうなりましたな」
「悲しいことに」
「栄枯盛衰は世の常」
無常を感じつつだ、幸村は述べた。
「そして平家はな」
「色々とですな」
「無道をしたといいますとありますな」
「うむ、その殆どが偽りであるが」
しかしというのだ。
「無理はしておったな」
「そのこともありですか」
「因果も巡り」
「平家は滅んだ」
「この壇ノ浦で」
「まさにそうなった」
こう十勇士達に言うのだった。
「諸行無常の言葉通り」
「そして平家を倒した義経公もまた」
「兄である頼朝公に討たれましたな」
「衣川において」
「そうなりましたな」
「そうなった、しかし源氏はあまりにも身内でいざかいが多かった」
このことについてはだ、幸村は無念の顔で言った。
「何かとな」
「そういえばそうですな」
「源氏は常にまず身内で争っていました」
「平家と戦うよりも」
「まず身内で、でした」
「平家にはそうしたことが殆どなかった」
保元の乱の時はあった、しかし清盛が棟梁となってからは全くなかった。平家は身内で争う家ではなかったのだ。
「それを見るとな」
「源氏は、ですな」
「あまりにも惨いですな」
「身内で殺し合ってばかりいた」
「そうした家でしたな」
「そして滅んだ」
源氏もまた、というのだ。
「実朝公の後血筋は全く絶えたな」
「はい、為美公の血筋は」
「まさに完全に」
「それではじゃ」
まさにというのだ。
「何の意味もない」
「武家の棟梁となっても」
「身内で殺し合ってばかりでは」
「その様な有様では」
「家が滅びる」
断言だった、幸村の今の言葉は。
「源氏の様にな」
「ですな、確かに」
「源氏は実際に滅びましたし」
「あの様になりますね」
「現実として」
「まだ平家の方がよい」
滅び多くの悪名を残しているこの家の方がというのだ。
「平家は清盛公の後身内で殺し合うことなかった」
「ですな、一度として」
「中で色々揉めることはあったとしても」
「それが殺し合いになることはありませんでしたな」
「最後の最後まで」
「それだけで違う」
それも全くという言葉だった。
「源氏の様なことをしてはならぬ」
「家が滅ぶ」
「その為に」
「そうじゃ、中で争ってはならぬ」
またこう言った幸村だった。
「やはりな」
「では頼朝公は誤っていた」
「そうなりますか」
「その通りじゃ」
苦い顔での言葉だった。
「だから源氏は血が全く絶えたのじゃ」
「そして以後は幕府は北条家が取り仕切ることになった」
「そうなったのですな」
「乗っ取られたと言うべきか」
北条家が執権として幕府を取り仕切る様な状況になったことがというのだ、将軍は都から迎え入れてすぐに都に戻り次の将軍を迎える状況になったのだ。
そのことについてもだ、幸村は言った。
「全て源氏の血が絶えた為じゃ」
「では当家もですな」
「源氏の様になってはならぬ為に」
「内で争ってはならぬ」
「そういうことですな」
「その通りじゃ、何故島津家が強いか」
これから向かうこの家のことも話すのだった。
「それは家の中がまとまっていることも理由にある」
「四兄弟がですな」
「それぞれ一つになっており」
「そして家臣団もまとまっている」
「だからですな」
「島津家は一つじゃ」
そう言っていいまでにまとまっているというのだ。
「それもあり強いのじゃ」
「ですか、この壇ノ浦で平家は滅びましたが」
「源氏もまた滅んだ」
「それは家の中で殺し合っていたが為」
「そしてそれをしてはならない」
「断じて、ですな」
「そうことじゃ、この壇ノ浦には来たかった」
一度は、というのだ。
「そして来られたことを嬉しく思う」
「平家の者達がここで眠っていますな」
「この海の底で」
「そうなっていますな」
「安らかに眠って欲しい」
幸村は心から願った、彼等の冥福を。
「滅んでしまった無念はあろうがな」
「では、ですな」
「平家の者達の為に祈りましょう」
「その冥福を」
「ここで」
「そうしようぞ、今から」
幸村は最後は静かに言った、そしてだった。
自ら率先し目を閉じて瞑目した、その彼に続いて。
十勇士達も瞑目した、その上で平家の者達の冥福を祈ったのだった。
それが終わった時にだ、船頭が幸村のところに来て声をかけてきた。
「さて、もう少ししたらな」
「博多であるな」
「そうだ、あと少しだからな」
「うむ、この旅ももう少しで終わるな」
「海が荒れずよかった」
船頭は笑ってこのことを心から喜んだ。
「荒れてはな」
「下手をすれば波に飲まれてだな」
「船諸共だ」
それこそというのだ。
「皆死んでおった」
「それが船旅の怖いところだな」
「そうだ、海が荒れる時はわかる」
「どうしてわかる」
「風の匂いが変わるんだ」
荒れる時はというのだ。
「微妙にな」
「そうなのか」
「あんたもわかると思うが」
「天気が荒れる時はか」
「あんた位になればな」
「確かにな」
そう言われるとだ、幸村もだった。納得がいくことだった。
「風も空気の匂いも変わる」
「気配全体がな」
「それでわかる」
「やっぱりそうだな」
「忍術の鍛錬は山や川、谷の中を動き回る」
「そしてその中でだな」
「わかるようになった」
こう船頭に話した。
「そういうことか」
「そうだ、わし等もずっと海にいるからな」
「わかる様になったか」
「同じだ、あんた達とな」
「常に海におるとわかるか」
「ああ、嵐が来るかどうかもな」
「そして嵐が近付けばか」
その時はとだ、幸村も言う。
「対する」
「そうしている、強い嵐だと船を岸に停める」
「難を逃れる為にか」
「そうすることもある」
「そうか、そうなってはか」
「船が沈むからな」
大荒れの海で船を進めてはというのだ。
「だからな」
「そうするか」
「実際にそうした時もある」
「左様か」
「船は板の下はじゃ」
「その一枚下はじゃな」
「地獄じゃ」
まさにというのだ。
「落ちたら終わりじゃ」
「そうした場所じゃな」
「だからな」
「そうした勘もなくてはだな」
「やっていけぬわ」
「山も海も同じか」
「生きる為には勘も必要じゃな」
「確かにな」
二人でこうした話もしたのだった、そして。
博多の港が見えてきた、その時に。
十勇士達はその港を見てだ、口々に言った。
「さあ、いよいよじゃな」
「九州じゃ」
「九州での仕事じゃな」
「それをはじめるか」
「うむ、いよいよじゃ」
幸村も彼等に言う。
「それがはじまるぞ」
「そうですな、では」
「博多に着きましたら」
「そこからですな」
「何があるかじゃ」
こう話すのだった、そしてだった。
彼等は港を見ていよいよを意気込んだ、その彼等に。
船頭がだ、笑みで声をかけてきた。
「後はあんた達の仕事のはじまりだが」
「だが?」
「だがというと?」
「何かあるのか?」
「右を見るんだ」
船の右舷の方を指差して言うのだった。
「いいものがおるぞ」
「いいもの?まさか」
「まさかと思うが」
「ああ、そのまさかだ」
こう言って彼等にそれを見せた、すると。
その右の海の方にいた、三匹程だ。
魚とは到底思えないだけの大きなものが泳いでいた、それを見てだった。
十勇士達は目を瞠ってだ、こう言った。
「何と」
「何ということじゃ」
「あの様な大きさとはな」
「この船程ではないが」
「それでもな」
「相当な大きさじゃな」
「下手な小舟よりなぞ一口じゃな」
「あれが鯨よ」
船頭はその黒くて大きな泳いでいる魚の様な生きも達を指差して言った、時々海面に背中を出してそこから大きく潮を出している。
「海で一番大きなものだ」
「そうか、あれがか」
「鯨か」
「そうなのじゃな」
「そうだ、あれが見られたら運がいいと言ったが」
その鯨がというのだ。
「実際に見られたな」
「では、か」
「我等は運がいい」
「そうなるか」
「そう思っていい」
船頭達は十勇士達にはっきりと告げた。
「殿様にしてもな」
「うむ、観られて何よりだ」
幸村は船頭にだ、微笑んで応えた。
「これだけでも幸いに思う」
「むっ、そう言うか」
「何しろ滅多に見られないと聞いておったからな」
それ故にというのだ。
「見られて幸いに思う」
「そう言うか」
「そう思っておる」
「そうか、そう言うと余計にな」
さらにとだ、船頭はその幸村にこう言った。
「幸が来るだろうな」
「それは何故じゃ」
「運というものは欲がない者に来る」
「それでか」
「だからな」
幸村には欲がない、それでというのだ。
「あんた達には幸が多くもたらされるだろうな」
「だといいがな」
「九州でもそうなるだろう」
まさにというのだ。
「全員無事に生きて帰れるな」
「そう願う」
「ははは、それは願うか」
「うむ、そのことはな」
「しかしそれ以上は望まぬな」
「その通りじゃ」
「ならその欲のなさが運を余計にもたらすわ」
こう幸村に言うのだった、鯨達は自分達を見る幸村達のことなぞ全く意に介さず大海を悠然と泳いでいた。
そしてその彼等を見つつだ、幸村達は港に入った。
博多の港に降り立ってだ、幸村はまずこう言った。
「何かのう」
「何か?」
「何かとは」
「いや、上田から九州に来た」
このことがというのだ。
「感慨があるのう」
「はい、言われてみれば」
「そうですな」
「遠い国に来ましたな」
「我等も」
「このことに思う」
また言うのだった。
「はるばるとな」
「ですな、九州ですか」
「我等は色々な国を巡っていますが」
「今度はですな」
「九州ですな」
「そしてな」
その目を光らせてだ、幸村はさらに言った。
「島津家のことを隅から隅まで調べるぞ」
「では殿」
「我等はこれよりですな」
「九州の各国にですな」
「散るのですな」
「途中まではな」
こう返した幸村だった。
「そうしようぞ、しかし」
「しかし?」
「しかしといいますと」
「問題は三国じゃ」
幸村は十勇士達に真剣な面持ちで述べた。
「薩摩、大隅、日向のな」
「島津家の本来の領地」
「その三国ですな」
「この三国は違う」
今島津家が領有しているのは九州の大部分だ、しかしその中でも本来の領地であるこの三国は別格だというのだ。
「何といっても島津家の拠点だからな」
「守りが固い」
「そうだというのですな」
「しかも言葉が違うという」
幸村はこのことも言うのだ。
「我等とはな」
「言葉が違う」
「と、いいますと」
「同じ日の本の言葉ではある」
このことは確かだというのだ。
だがそれでもとだ、幸村は言うのだ。
「しかし方言があるな」
「その方言が、ですか」
「違うのですな」
「薩摩等では」
「それが問題ですか」
「そうじゃ、その土地その土地で方言があるな」
幸村は十勇士達に問うた、彼等がいる博多にしても様々な言葉が飛び交っているが九州の言葉が最も多い。
「この九州にしても」
「九州の訛りは違いますな」
「信濃や甲斐とは」
「無論近畿とも違います」
「北陸や関東とも」
「東海とも、ですな」
「そうじゃ、九州の訛りは独特じゃ」
他の地域と比べてもというのだ。
「その中でもとりわけじゃ」
「薩摩、大隅、日向は」
「この三国は」
「そこが違う、だからそこには充分以上に気をつけねば」
それこそというのだ。
「怪しまれるぞ」
「そして怪しまれれば」
「その時は、ですな」
「切られる」
「そうなりますな」
「そうじゃ、島津家には用心せよ」
その本来の領地に入ればというのだ。
「わかったな」
「ではその三国に入るには」
「どうすればいいか」
「それですな」
「その時にどうするかですな」
「そうじゃ、一体どうするかじゃ」
まさにというのだ。
「その時がな」
「ううむ、では三国に入るのは」
「先にしますか」
「自然とそうなる」
三国に入るのは後になることはだ、幸村もそうだと返した。
「それはな」
「やはりそうですか」
「九州の南にありますし」
「この博多から行くにはですな」
「一番最後になりますな」
「だからまずは他の六国を調べるが」
それはというと。
「御主達十人はそれぞれ二人ずつに別れてじゃ」
「そして一国ずつですか」
「そうして調べる」
「そうせよというのですな」
「うむ、そして三国はな」
その薩摩、大隅、日向はというと。
「一旦まとめて入るか」
「そうされますか」
「慎重に」
「そうされますか」
「そうする、ここはな」
まさにというのだ。
「まずは他の六国じゃ、いいな」
「では」
「まずはそれぞれ別れましょう」
「二人ずつ」
「して殿も」
「うむ、拙者は一人で行く」 88
十勇士達を分けてだ、幸村はというのだ。
「そうする」
「ですか、殿お一人で」
「そうされますか」
「ではお気をつけて」
「その時は」
「わかっておる、ではな」
「何でしたら我等がです」
十勇士達がここで言った。
「途中お守りしますが」
「交代して」
「そうしますが」
「ははは、それには呼ばぬ」
家臣達に申し出にだ、幸村は笑って返した。
「拙者も忍であることは知っていよう」
「そしてその武芸も」
「存じています」
「己の身は己で守れる」
だからこそというのだ。
「安心せよ」
「ですか、では」
「我等それぞれ行って参ります」
「そうします」
「是非な、ではこれから詳しい話をしようぞ」
これからのことをというのだ。
「よいな」
「はい、では」
「これより」
「そうするぞ」
一行は港にある宿屋に入った、そしてそこで話をはじめた。まずはだった。
幸村は十勇士達にだ、それぞれ告げた。
「では分けるぞ」
「は、これより」
「そうしますな」
「まず九州のことを話す」
それからというのだ。
「よいな」
「はい、それでは」
「これより」
「国は九つじゃ」
九州の名の通りというのだ。
「肥前、肥後、豊前、豊後、筑前、筑後にじゃ」
「そして薩摩、大隅、日向」
「合わせて九国ですな」
「だから九州ですな」
「左様、この博多は筑前にある」
幸村は博多の位置も話した。
「そして御主達はまずはじゃ」
「そのうちの六国をですな」
「殿と共に調べるのですな」
「二人ずつに別れてな」
このことをあらためて言った幸村だった。
「そうしてもらう」
「してどの組み合わせがどの国を巡るか」
「それですな」
「そうじゃ、それぞれの国に行ってもらう」
今よりというのだ。
「では決めるぞ」
「わかりました」
「これより」
十勇士達も応えた、そしてだった。
幸村は彼等にだ、こう告げた。
「小助と海野六郎」
「わかりました」
「では」
「筑後を頼む」
「行って参ります」
「その国に」
まずはこの二人だった、二人も応えた。幸村はさらに言った。
「鎌之助と甚八」
「はい」
「それでは」
「肥前じゃ」
「では肥前にです」
「二人で参ります」
この二人も決まり。続いて。
「望月六郎と伊佐」
「それでは」
「行って参ります」
「肥後じゃ」
「おお、では」
「その国を調べてきます」
この二人の組み合わせになって、そうして。
「佐助と十蔵」
「はっ」
「では二人で」
「御主達は豊前じゃ」
「その国に行き」
「務めて参ります」
またしても組み合わせと行く国を決めて。最後は。
「才蔵と清海」
「さすれば」
「働いてきます」
「豊後を頼む」
「ではその国を」
「隅から隅まで」
「その様にな、では決まりじゃ」
全てがとだ、幸村は微笑んで言うのだった。
「して拙者はな」
「はい、殿はですな」
「この筑前を調べる」
「そうされるのですな」
「そうする、では皆行ってもらう」
「はい、では」
「これより」
「まずは六国を調べ」
そしてというのだ。
「よいな」
「薩摩、大隅、日向は」
「我等は集まって入り」
「そしてですな」
「念入りかつ慎重に調べるのですな」
「そうする」
まさにというのだ。
「わかったな」
「では期日は」
「何時まででしょうか」
「何時までに調べればよいですか」
「二十日じゃ」
これだけの時だというのだ。
「行きと帰りを含めて二十日でじゃ」
「それぞれの国を調べよ」
「そう言われますか」
「その様に」
「出来るな」
幸村は十勇士達に問うた。
「それは」
「はい、無論です」
「二十日もあれば充分です」
「充分にわかります」
「それぞれの国のことが」
「そして落ち合う場所はな」
そこはというと。
「岩屋や」
「岩屋ですか」
「そこで、ですか」
「落ち合う」
「そうされますか」
「うむ」
まさにと言うのだった。
「わかったな」
「岩屋といいますと」
「島津家が目指しているとか」
「あの城に」
既に博多でも話になっている、それで十勇士達も言うのだ。
「そこに集まり」
「そのうえで、ですな」
「島津家の領内に入りますな」
「うむ」
その時からというのだ。
「よいな」
「畏まりました」
「では二十日後岩屋で会いましょう」
「あの地で」
「そうしようぞ、皆に九州の地図とそれぞれの国の地図を渡す」
ここでだ、幸村は懐から何枚かの地図を出して言った。
「持って行くがよい」
「その地図は」
「まさか」
「うむ、実は上田を発つ前に父上から頂いておった」
そうした地図だというのだ。
「九州に行くのならと申されてな」
「何と、大殿がですか」
「殿にお渡しして下さったのですか」
「その地図達を」
「当家は独自に地図も集めておる」
ここで幸村は言った。
「そう父上に言われた」
「して九州もですか」
「各国のものも含めて」
「全体の地図もですな」
「大殿はお持ちですか」
「それをお渡ししてくれたのじゃ」
その地図をそれぞれ拡げた、そこには確かに九州の地形があり細かい地名までその中には書き込まれていた。
その地図達を観てだ、十勇士達は唸って言った。
「しかもですな」
「九州の地図は何枚もあります」
「では事前にですか」
「映してもいましたか」
「実は信玄公が作らせていたものでな」
幸村はこの種明かしもした。
「来るべき時に備えてな」
「武田家が九州に攻め入る」
「その時にですか」
「密かに真田の者達を送り込んで調べさせてもいたという」
信玄の命でというのだ。
「それで作られたものでな」
「今は我等がですか」
「使わせて頂く」
「そういうことですな」
「左様、思う存分使うのじゃ」
まさにと言う幸村だった。
「わかったな」
「はい、では」
「お言葉に甘えまして」
十勇士達はその地図をそれぞれ受け取った、幸村も一枚の九州の地図と彼が調べる筑前のそれを手に取った。そしてだった。
主従は一時の話彼を告げて今は別れた、そして早速だった。
幸村はは筑前を調べだした、そこはまだ確かに大友領だった。だがその勢いは最早昔日のものであり。
兵達の顔にも覇気がない、それでだ。
その彼等を観てだ、幸村はこのままでは大友家は敗れると確信した。そのうえでだった。
立花山城に来た、だがここで。
ふとだ、飯屋に入った幸村の前にだ、一人の質素な身なりをした若い侍が来た。その侍を見て即座にだった。
幸村は彼にだ、こう言ったのだった。
「名のある方とお見受けしましたが」
「おわかりですか」
「まさかと思いますが」
「はい、貴殿が来られたと聞いて」
そしてというのだ。
「こちらに参上しました」
「それがしがということは」
「真田源二郎幸村殿ですね」
「はい」
その通りとだ、幸村は若侍に答えた。
「ここは隠しても無駄ですな」
「その通りかと」
若侍は澄んだ強い声で幸村に答えた。
「少なくともそれがしは承知しております」
「それがしがここに来たことは大友殿にも内密ですが」
「殿はご存知ありません」
主である大友宗麟はというのだ。
「そして他の方々も」
「しかしですか」
「拙者と父以外は」
「父上、といいますと」
「はい、それがしはです」
ここで若侍は名乗った。
「立花彌七郎宗茂と申します」
「何と、貴殿が」
幸村は和侍の名乗りを受けて小さいが声を出した、東西の若き英傑達が今ここで顔を見合わせることとなった。
巻ノ四十八 完
2016・3・6