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巻ノ百十八

            巻ノ百十八  方広寺の裏

 家康が方広寺の鐘の文章の件で豊臣家に対して言ったのを聞いてだ、十勇士達はまずはだった。

 怒ってだ、幸村にこんなことを言った。

「これは幾ら何でも」

「全くです」

「言いがかりにも程があります」

「どうにも」

「そうとしか思えませぬ」

「無恥かと」

 こう口々に言う、しかし。

 幸村は彼等にだ、落ち着いた声で言った。

「これは言うには値せぬ」

「値せぬ?」

「と、いいますと」

「国家安康君臣豊楽であるな」

 十勇士達が怒る言葉はというのだ。

「お主達が言うのは」

「そうです」

「その通りです」

「この様な言いがかりをつけるとは」

「言語道断」

「正道ではありませぬ」

「そうじゃな、これだけではじゃ」

 幸村もこう十勇士達に述べた。

「単なる言いがかりじゃ」

「単なるとは」

「ではこのことにはですか」

「何か裏がある」

「そうなのですか」

「そもそも諱なぞ使わぬ」

 幸村は己の学識から十勇士達に話した。

「国家安康じゃな」

「はい、大御所殿の名前を切っていると」

「幕府はそう言っていますが」

「そして君臣豊楽とはです」

「豊臣が上になると」

「これは言葉遊びに過ぎぬ」

 それだけのものでしかないというのだ。

「今諱は使わぬと言ったな」

「はい、確かに」

「大御所殿にしてもどの御仁にしてもそうです」

「諱は使いませぬ」

「それを書いたり呼ぶなぞ」

「そんなことは有り得ぬわ、これは普通に豊臣家が違うと幕府に言えばな」

 それでというのだ。

「済む話、幕府もそれ以上は言わぬ」

「そうしたものですか」

「所詮は」

「この度の方広寺の件は」

「そうしたものですか」

「そこでこれ以上何か言えば幕府の面子に関わる」

 天下にその謀を執拗に繰り返す姿を見せてというのだ。

「だからな」

「それで、ですか」

「この度のことはですか」

「豊臣家が言えば退く」

「幕府にとってはその程度のものですか」

「誰か駿府に行き大御所殿に釈明すればな」

 それでというのだ。

「終わる話じゃ、問題はじゃ」

「そこからですか」

「むしろそうなりますか」

「幕府にとっては」

「方広寺の件は絡め手ですか」

「そこからが肝心ですか」

「釈明には然るべき者が駿府に行ってな」

 そしてとだ、幸村は十勇士達にさらに話した。

「大御所殿か本多上総介殿、崇伝殿にお話すればそれでよい」

「それで方広寺の件は終わり」

「そしてですか」

「そのうえで本題に入る」

「その送って来る者に話しますか」

「その通りじゃ、切支丹のことじゃ」

 それの話だというのだ、幕府が豊臣家に言いたい本題は。

「そのまま茶々様に言っても駿府に人は送られぬな」

「茶々様ならば」

「どう考えましても」

「聞かれませぬな」

「それでは」

「だから方広寺で誘い出してな」 

 豊臣家から然るべき者をというのだ。

「そして話してじゃ」

「切支丹を止めさせる」

「それを認めたことを」

「それが幕府の狙いですか」

「本題は切支丹ですか」

「方広寺は全く無視してもよい」

 幕府にしてもというのだ。

「実はな、しかしな」

「切支丹は違う」

「あの者達はですな」

「違う」

「放ってはおけませぬか」

「そうじゃ」

 どうしてもというのだ。

「あの者達は天下を乗っ取り民を奴婢にする」

「そうした者達だから」

「どうしてもですな」

「放っておけぬ故」

「豊臣家に認めるのを止めさせる」

「それが幕府の狙いですか」

「そうじゃ、幕府は切支丹はどうしてもじゃ」

 何があろうともというのだ。

「認められぬ、だからな」

「若し豊臣家がそれを聞かねば」

「その時は、ですか」

「戦もですか」

「有り得ますか」

「そうじゃ、幕府もその時は覚悟を決めてじゃ」

 そしてというのだ。

「戦を選ぶ」

「切支丹を認めぬのなら」

「どうしても」

「そうせざるを得ませんか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「その時はな」

「では豊臣家からの者はですか」

「切支丹のことを話されますか」

「幕府から」

「そうなりますか」

「そうなる、しかしな」

 幸村はさらに話した。

「その使者の方が納得されてもな」

「茶々様ですか」

「問題はあの方ですか」

「あの方が問題ですか」

「やはり」

「そうじゃ、使者から言われてもな」

 それでというのだ。

「聞かれる方ではないな」

「ですな、どう考えましても」

「あれだけ我が強い方ですと」

「大坂のどなたが言われてもです」

「聞かれる筈がありません」

「到底」

「そうじゃ、おそらく使者の方は納得されるが」

 幕府の者達の話を聞いてだ。

「茶々様に言われてもな」

「聞かれぬ」

「どうしてもですか」

「そうなりますか」

「お江の方でも無理か」

 茶々の末の妹であり秀忠即ち幕府の将軍の妻である彼女から話してもそれでもというのである。

「妹殿がお話をされても」

「それでもですか」

「なりませぬか」

「特に政のことでは強情な方じゃ」

 それが茶々だというのだ。

「他のこと以上にな」

「そしてそのことをですな」

「止められる方がおられぬ」

「どうしても」

「大坂には」

「お江の方は幕府の方であるしな」

 それにとだ、幸村はさらに話した。

「上の妹のお初、常高院殿がお話をされても」

「聞かれぬ」

「こと政のことは」

「そうなのですか」

「何もご存知ない、そして何もご存知ないからこそ我を張られる」

 それが茶々の政の在り方だというのだ。

「無暗やたらにな」

「それで、ですか」

「常高院殿が言われても」

「それでもですね」

「茶々様は聞かれぬ」

「だから切支丹のこともですか」

「意固地になられますか」

 まさにというのだ、そしてだった。

 その話をしてだ、幸村は十勇士達にあらためて言った。そのあらためて言ったことは何かというと。

「このままだと戦になる」

「大坂と幕府の」

「それになりますか」

「方広寺のことを表として」

「その実は切支丹のことで」

「茶々様の強情さとそれを誰も止められぬことによってな」

 そうしたことがあってというのだ。

「そして戦になればな」

「大坂は滅びますな」

「最早天下の流れは明らかです」

「幕府、ひいては徳川家のもの」

「最早豊臣家は一大名に過ぎませぬ」

「それでは勝てぬ」

 到底というのだ。

「大坂はな、だからな」

「大坂は滅び」

「そして右大臣様もですか」

「滅びられる」

「そうなってしまわれますか」

「戦を止めようと思えば一つしかないが」

 それは何かというと。

「茶々様をじゃ」

「密かにですな」

「大坂城に忍の者を忍ばせ」

「そしてそのうえで」

「こっそりと」

「それをすればじゃ」

 切支丹のことを決め決して変えないことが明白な茶々をというのだ。

「それでじゃ」

「実際にですな」

「それで、ですな」

「戦にもならず」

「大坂は滅びることもないですな」

「後は実に楽じゃ」 

 ことの流れ、それはというのだ。

「豊臣家は大坂を出てな」

「他の国に移り」

「後は幕府が大坂に入り」

「そこから西国全体を治める」

「そうもなりますな」

「必ずな、しかしな」

 それでもというのだ。

「それが出来るか」

「茶々様を人知れずですな」

「急にいなくなってもらう」

「このことは」

「実は幕府は出来る」

 それだけの力があるというのだ。

「伊賀者、その十二神将と服部殿ならな」

「大坂城にこっそりと入り」

「そうしてですな」

「一服盛るなるして」

「そのうえで」

「それで消せる、しかし大御所殿はそうしたことを好まれぬ」

 肝心の家康がというのだ、決める彼が。

「あの方も謀を使われるが」

「それでもですな」

「ことそうしたことになりますと」

「どうしても」

「よしとされませぬか」

「正道の方じゃ」

 その歩く道はというのだ。

「好き好んでな」

「そうしたことはされよと言われぬ」

「あくまで正道ですか」

「謀にしましても」

「それが効があるとわかっていてもな」

 それでもというのだ。

「大御所殿はな」

「それはされぬ」

「そこまではですか」

「それが一番だとご存知でも」

「決してですな」

「やはりあの方も武士じゃ」

 家康もというのだ。

「幕府を開く前後から謀も備えられたがな」

「それでもですな」

「そうした謀は用いられぬ」

「絡め手は使われても」

「それでもですな」

「うむ、あくまで豊臣家に切支丹を認めることを諦めさせて」

 そしてというのだ。

「そのうえでな」

「それが出来なかった時は」

「戦ですか」

「そうなりますか」

「そうじゃ、そしてじゃ」

 幸村はさらに話した。

「ことここに至ってはな」

「戦になりますか」

「茶々様は幕府のお話に従われぬので」

「それで、ですか」

「最早戦は避けられぬ」

「あの方の過ち故に」

「そうなる、我等も覚悟を決めておくぞ」

 幸村は十勇士達にあらためて告げた。

「戦になればな」

「はい、その時は」

「すぐにこの山を出てですな」

「そのうえで大坂に入り」

「戦をしますか」

「そして何としてもじゃ」

 秀次の顔と彼に最後に告げられた言葉も思い出していた。

「右大臣様をな」

「お助けしましょうぞ」

「関白様との約束でした」

「それならば」

「関白様も拙者を認めてくれた」

 幸村は今もそのことを忘れていなかった、自分を認めてくれたそのことへの恩義をである。

「そしてその関白様のお願いであった」

「右大臣様をですな」

「頼むと」

「あの方の為に腹を切らされた様なものなのに」

「そう言われましたな」

「そのお心無駄にはせぬ」

 決してというのだ。

「何があろうともな」

「その為にも」

「大坂に入りますか」

「その時が来れば」

「おそらくその時は近い」

 これが幸村の見立てだった。

「だからな」

「我等もですな」

「その時が来れば」

「すぐにですな」

「大坂へ」

「共に来てもらう、よいか」

 十勇士達にこのことを確認した。

「そうしてもらいたいが」

「無論です」

「我等は常に殿と一緒です」

「死ぬ時と場所は同じと誓った身」

「それならばです」

「喜んで参りましょう」

「大坂に」

 十勇士は皆幸村に笑顔で答えた、それが彼等の返事だった。幸村もその返事を受けて笑顔になった。

 そうしてその日に備えて修行も続けた、彼等はそうした日々であったが。

 大坂はこの時大騒ぎだった、当然ながら方広寺のその話を聞いてだ。茶々は怒り狂って周りの者達に言っていた。

「あれはどう思うか」

「はい、言いがかりです」

「そうとしか思えませぬ」

「あれは漢文の読み方すら怪しい」

「そうしたこじつけです」

「そうとしか思えませぬ」

 周りの者達は茶々の剣幕に戸惑いながら答えた。

「最早です」

「そうとしか思えず」

「幕府は釈明の者を駿府にと言っていますが」

「どうされますか」

「言いがかりに黙っておられるか」

 直情的な茶々は即座にこう言った。

「だからじゃ」

「駿府にですか」

「誰かを送られますか」

「そうされますか」

「そうするのじゃ、よいな」

 すぐにこのことを決めたのだった。

「わかったな」

「幕府からはです」

 ここで大野が茶々に言ってきた。

「それがしの母君と」

「片桐をじゃな」

「送って欲しいと言ってきておりますが」

「ならその二人じゃ」

 茶々は即座に決めた。

「二人を駿府に送りじゃ」

「そのうえで」

「釈明をさせよ」

 こう言うのだった。

「我等に疚しいところはないからのう」

「だからこそ」

「すぐに送ってじゃ」

 そのうえでというのだ。

「幕府に釈明させよ、よいな」

「わかりもうした」

「大蔵局と片桐ならな」

 この二人ならともだ、茶々は言った。

「大丈夫であろう」

「そうかと」

「して修理、そなたはじゃ」

 その大野にも言った。

「片桐がおらぬ間じゃ」

「留守をですな」

「守るのじゃ」

 こう言うのだった。

「殿もな、そして」

「奥方様も」

「頼むぞ」

「承知しました」

 大野は茶々に絶対の忠義を以て応えた。

「必ずや」

「その様にな」

「お任せ下さい」

「では」

 今度は片桐が茶々に言ってきた。

「これより」

「うむ、大蔵局とな」

「行って参ります」

「そうせよ、方広寺の話はな」

「言いがかりなので」

「しかと説明してじゃ」

 そのうえでというのだ。

「ことを収めよ」

「さすれば」

 こう約してだった、片桐は大蔵局と共に大坂を発ち駿府に向かった。このことがすぐに家康にも伝わり。

 家康は幕臣達にだ、すぐに言った。

「わしが大蔵局殿をお迎えしてな」

「切支丹のことをですな」

「お話されますか」

「何処となく」

「そうじゃ、そしてじゃ」

「はい、片桐殿は」

 崇伝が家康に申し出た。

「拙僧とです」

「それがしが応じます」

 正純も出て来た。

「そしてそのうえで」

「しかとお話します」

「大坂から出てもらいたいことも」

「茶々様に江戸に来てもらいたいことも」

「どちらもな、大蔵局殿は気性が激しい」

 茶々程ではないが彼女もそれで知られている。

「それに実は政に疎い」

「だからですな」

「あの方には政の話は然程されず」

「やんわりとですな」

「言われる位ですな」

「わしからな、しかしどうもな」

 ここでだ、家康は難しい顔になりこうも言った。

「今更だと思うが」

「茶々様がですか」

「果たして切支丹の信仰を認めることを止められるか」

「そのことはですか」

「無理ではないかとな」

 こう言うのだった。

「思えてきた」

「大御所様への反感故」

「それ故のことで」

「しかも極めて強情な方」

「だからですな」

「今大坂にいる誰が話してもな」

 そうしてもというのだ。

「出来ぬのではないか」

「ではです」

 ここで正純が知恵を出してきた。

「若しこの度のことが不首尾に終わっても」

「それでもか」

「今度は上様の奥方様か」

 即ちお江というのだ。

「常高院様に」

「茶々殿の妹達にか」

「お話をしてもらっては」

「そうすべきか」

「はい、幾ら茶々様でもです」

 強情な彼女でもというのだ。

「妹様方に言われては」

「考えを変えるか」

「そうやも知れませぬ」

「切支丹のことをか」

「そして国替えと江戸入りのことも」

 豊臣家と茶々自身のそれもというのだ。

「して頂けるかと」

「肉親ならばか」

「お三方は仲睦じいですし」

 共に幼い頃より暮らししかも二度の落城という苦難も味わっている、それだけに三人の絆は強いのだ。

「ですから」

「ここはか」

「肉親の情を借りて」

「説得してか」

「ことを収めてはどうでしょうか」

 こう家康に言うのだった。

「駿府でのことが不首尾に終わっても」

「二段でいくか」

「はい、如何でしょうか」

「そうするか、若しここでしくじればな」

 家康はその場合のことをあえて述べた。

「最早な」

「戦ですな」

「何度も言うが切支丹だけはならん」

 幕府としtげはというのだ。

「あれを認めるとじゃ」

「天下を獲られますな」

「民も全てな」

「だからですな」

「あれだけはならぬ」

 こう言うのだった。

「だからじゃ」

「茶々殿であっても」

「それは許されぬしじゃ」

「どうしてもというのなら」

「戦じゃ」

 それになるというのだ。

「そうしてでもじゃ」

「切支丹だけは」

「ならん」

 断じてというのだ。

「わしも許せぬ」

「天下の為にも」

「それはですな」

「切支丹だけは」

「天下の為にも」

「他のことはまだよいにしても」

 また言った家康だった。

「切支丹は別じゃ、しかしな」

「茶々様はそれすらもわかっておられませぬ」 

 正純が苦い顔で述べた。

「どうしても」

「それが問題じゃ」

「政のことが全くわかっておられず」

「そうしたこともしてしまう」

「それも大御所様への反感だけで」

「あそこまで政がわかっておらぬとな」

「何とかしなければ」

「駄目じゃ」

 絶対にというのだ。

「この度のことは収められてもな」

「またですな」

「何をしでかすかわからぬ」

「だからですな」

「江戸に入れる」

 つまり幕府の手元にというのだ。

「そして豊臣家の江戸屋敷をもうけてな」

「そこに入ってもらって」

「静かにしてもらえばな」

 それでというのだ。

「よい、ではな」

「何とかですな」

「切支丹のことを収めてな」

「それでじゃ」

「さらにですな」

「そこまで話を進めていこうぞ」

「わかり申した」

 正純は崇伝と共に家康に応えた、そしてだった。

 早速片桐と大蔵局を迎えた、正純と崇伝は手筈通り片桐と会った。そうしてそのうえで話をするのだった。

 二人は駿府城のある部屋の中でだ、片桐に真剣な顔で話した。

「方広寺のことをです」

「お話して頂けますかな」 

 片桐に膝を詰める様にして近付き話をするのだった。

「鐘のことを」

「宜しいでしょうか」

「はい、それですが」

 片桐は二人に応え鐘のことをすぐに話した、するとだ。

 二人はすぐにだ、こう片桐に述べた。

「わかり申した」

「そうしたことでありましたか」

「では大御所様にお伝えします」

「このことはご安心下さい」

「そうですか、決してです」

 片桐は必死にだ、二人に話していった。

「我等は決してその様な考えはないので」

「大御所様も我等のお話を聞かれれば収められます」

「いや、我等の早とちりでした」

「このことは申し訳ありませぬ」

「わざわざお呼びして申し訳ありませぬ」

「いえ、わかって頂いたなら何よりです」

 二人が穏やかな感じになったのを見てだ、片桐もほっとした顔になってそのうえで応えた。

「それがしにしても」

「ではこのことはです」

「これで終わりということで」

「それでは」

「それでなのですが」

 崇伝がだ、ここで顔を戻して片桐に言ってきた。

「切支丹のことですが」

「片桐殿、あれはなりませぬぞ」

 正純も言ってきた、見れば二人共前よりも顔が厳しい。

「断じてです」

「幕府としては許せませぬぞ」

「茶々様のお許しの件はです」

「絶対に取り消して下され」

「さもなければです」

「幕府も放っておけませぬぞ」

「そのことですか」

 片桐は自分の危惧が当たったと感じ蒼白となって二人に応えた。方広寺のこと以上にまずいと思っていた。

「それは」

「弁明はいりませぬ」

「それは不要です」

「何とかです」

「取り消して頂きたい」

「宜しいですな」

「絶対にですぞ」

 二人で片桐に詰め寄る様にして言うのだった。

「このことはです」

「何としても」

「はい、承知しております」

 片桐にしてもとだ、彼は強張った顔で答えた。

「それがしも」

「ではです」

「この件頼みますぞ」

「そしてです」

「やがてはです」

 二人は片桐にさらに言った。

「豊臣家にはです」

「大坂以外の何処かを用意しております」

「そして茶々様もです」

「江戸にお屋敷を用意しますので」

 それでというのだ。

「このこともです」

「お考えになって下されますか」

「はい」

 この二つのことにもだ、片桐は答えた。

「それでは」

「必ずですぞ」

「お伝え下され」

「切支丹のことも」

「国替えと江戸入りのことも」

「全てです」

「くれぐれも」

 二人は念を押す様にして片桐に言いそれからこの三つのことについて細かく話していった、しかし。

 家康はだ、大蔵局を自ら出迎えてだ。

 宴を開いてだ、こう言った。

「では」

「宴ですか」

「楽しまれよ」

 こう言うのだった。

「存分にな」

「あの」 

 大蔵局はにこやかに笑い自分の前にいる家康に警戒する顔で返した。

「そう言われましても」

「方広寺の件じゃな」

「そのことですか」

「まずはそれをお話して頂けるか」

 家康もこれは忘れていなかった。

「是非」

「はい、それでは」 

 大蔵局も頷いてだ、方広寺の件の大坂からの釈明を話した。すると家康は聞き終えてからすぐに答えた。

「あいわかった」

「それでは」

「その件承知した」

 こう答えるのだった。

「しかとな」

「そうですか」

「よしとする」 

 上からの言葉だが大蔵局はこのことには気付かなかった、彼女もこの程度の政の勘も備えていないということでは主である茶々と同じだ。

 しかし家康はそのことにはあえて何も言わずそのうえで大蔵局を自ら宴を開かせてもてなした、そして飲みながらだ。

 大蔵局にだ、こう言ったのだった。

「茶々殿はお元気か」

「はい」

 大蔵局は宴の中で上機嫌で答えた。

「至って」

「それは何より。それでなのじゃが」

「はい、何か」

「切支丹は出来る限りじゃが」

 何気なくを装いつつ彼等のことを話に出した。

「抑えて欲しい」

「といいますと」

「大友家のことはご存知か」

「あの九州にあった」

「そうじゃ、あの家は切支丹を信じておったが」

 それでもというのだ。

「しかしな」

「確か他の教えを否定して」

「神社仏閣を壊して回っておった」

「では」

「あまり切支丹に肩入れするとな」

 それがというのだ。

「よくはないであろう」

「では切支丹は」

「大坂にも神社仏閣が多い、一向宗の者も多い」

 信長と血みどろの戦を行い家康自身とも戦った彼等のことも話に出した、大坂城が石山御坊の跡地に建てられたことは大坂にいれば誰でも知っていることだからだ。例え政に疎い茶々でもだ。

「だから余計にな」

「切支丹を大坂に入れてですか」

「いざかいがあっては民が困る」

 その彼等がというのだ、これは家康の本心でもある言葉だ。

「だからな」

「切支丹は大坂に入れぬ」

「そうされてはどうか」

 大蔵局の神経を逆撫でしない様に穏やかに話した。

「このことは」

「それをわらわから茶々様にですか」

「お話してもらいたいが」

「わかりました、それでは」

「このことお頼み申す」

 あえて低姿勢で言った。

「このことは」

「それでは。ただ」

「茶々殿はか」

「前からでしたが近頃特にお気がお強く」

「貴殿が言われてもか」

「乳母であったわらわでも」

 自分が言ってもとだ、大蔵局は家康に話した。

「お聞きになって下さいませぬ」

「そうなのか」

「ですから」

「このこともか」

「はい、茶々様に申し上げますが」

 それでもというのだ。

「聞いて頂けるかどうかは」

「わからぬか」

「むしろです」

 大蔵局は賑やかな宴の中で家康に暗い顔で答えた。

「そうなるかと」

「左様か、しかしな」

「このことはですか」

「何ともお願いしたい」

「迷惑を受けるのは民なので」

「だからこそな」

 そこはというのだ。

「お頼み申す」

「それでは」

「そのうえであらためてお話したいこともあるしのう」

 その茶々の江戸入りと豊臣家の国替えのこともやんわりと話した、直接言うことはしなかったが。

「出来ればな」

「はい、切支丹のことは」

「その様にな」

 大蔵局にはこう言うだけだった、彼女についてはこれ以上言うことはせず家康も出来なかった。しかし。

 片桐は大蔵局が宴の中にいる時もだ、真剣な顔で正純そして崇伝と膝を詰めて話をしていた。

 正純も崇伝もだ、言葉を飾らず謀も用いず彼に真摯に話していた。

「くれぐれもです」

「切支丹だけはお止めになって頂きたい」

「片桐殿ならご存知であろう」

「あの者達が何を考え民に何をしたのかを」

「はい、本朝を乗っ取り」

 片桐は秀吉子飼いだった、それだけに彼の傍にいて彼が見ていた切支丹の姿も共に見ていた。このことについては家康と同じだ。

「民を海の外に売り飛ばし」

「そして奴婢として使っていた」

「その様な恐ろしい者達だからのう」

「あの者達は本朝に入れてはなりませぬぞ」

「ましてや大阪は天下の要地」

 大坂のその場所のことも話した。

「あそこから天下の各地に向かえる」

「しかも奈良、都にも近い」

「切支丹達が自由に天下を行き来すれば」

「果たしてどうなるか」

 二人もそうなった場合を実際に考えそのうえで顔を青くさせている、それだけに神妙であった。

「大久保家のこともご存知であろう」

「ああしたことが幾らでも起こり天下はまた乱れますぞ」

「ですから切支丹のことはです」

「何とか取り消してもらいたい」

 片桐にあくまで言うのだった。

「それはくれぐれもです」

「お願い出来ますな」

「大御所様も深く憂いておられます」

「このことについては」

「天下が乱れる元にもなる」

「ようやく泰平になったというのに」

「はい、確かにです」

 片桐もそれはわかっているので二人に応えた。

「それがしもそう思いまする」

「左様ですな」

「これは天下のことです」

「大坂のことですがそれだけには留まりませぬ」

「かつて太閤様もそうされたではありませぬか」

「切支丹に対しては」

「では」

 片桐は二人に約束する顔で応えた。

「このことは」

「くれぐれもです」

「お願いしますぞ」

「天下の為にも」

「そして大坂の為にも」

「若し茶々様が聞いて下さらねば」

 その時のことも考えてだ、片桐は蒼白になった。

「やはり」

「これは脅しではありませぬ」

「まことにそうなりかねませぬ」

 正純も崇伝もそこは言った、これまで以上に真剣な顔で。

「戦にもです」

「なりかねませぬ」

「ですから」

「何としてもです」

「わかっております、ですが」

 片桐も必死で約束する、だが。

 それと共にだ、彼は二人に辛い顔で述べた。

「今大坂では誰一人としてです」

「茶々様を止められぬ」

「そう言われますか」

「それがしもですし」

 まずは自分のことを述べた。

「大野修理殿も」

「あの方は茶々様の乳母兄妹ですからな」

「そのせいですか」

「はい、修理殿は大蔵局殿のご嫡男です」

 彼女の長兄であるのだ、まだ茶々が浅井家の娘だった時のことだ。

「それ故に」

「絆が深く」

「そして忠義の心も強い故にですな」

「茶々様には逆らえぬ」

「意見も出来ませぬな」

「忠義の強さは大坂一ですが」

 しかしというのだ。

「他の者を止められましても」

「茶々様には出来ぬ」

「あの方には」

「二度の落城を経ても共におられるのです」

 一度目はその浅井家の小谷城だ、茶々はこの時に父である浅井長政と浅井家を失い兄も後に磔にされている。

 二度目は北ノ庄城だ、この時茶々の母であるお市の方は柴田勝家の妻となっていたがその柴田が秀吉に攻め滅ぼされここでも落城を経験しこの時は母の市を義父となった柴田と共に失っている。

 この二度の落城で常に大野は茶々達と共にいた、それでなのだ。

「並ではない苦楽を共にされているので」

「それだけにですな」

「絆と忠義のお心は強く」

「そしてそれが為に」

「何も申し上げられぬ」

「あの方は非常に頼もしい方です」

 考えは何かと違うことが多いが同じ豊臣の臣としてはというのだ。

「二人の弟君と共に、ですが」

「そのことが難であり」

「結果として茶々様を止められぬ」

「あの修理殿にしても」

「そうなっておりますか」

「大蔵局殿もそうでありますし」

 彼女もまた、というのだ。大野の母であり茶々の乳母である彼女も。

「そして他の女御衆も」

「誰一人としてですな」

「あの方を止められぬ」

「そしてそれが為に」

「あの方については」

「大坂で止められる者はおりませぬ」

 片桐は二人に無念の顔で述べた。

「そしてですが」

「常高院様もですな」

「そして奥方様も」

 茶々の妹である初、お江のことは正純と崇伝から出した。

「お話は出来ても」

「止められぬと」

「妹殿方であられるが故に、止められるとなると」

 片桐が思うにはだ。

「お亡くなりになられた加藤殿、浅井殿か」

「福島殿ですな」

「そして他のかつての七将のお歴々か」

「集まってお話すれば、しかし一人でとなると」

 茶々を止められる者はというと。

「それがしが知る限り真田殿しか」

「あの九度山の」

「あの御仁のみと言われるか」

「他に思い当たりませぬ、しかしその真田殿も」

 片桐は項垂れて述べた。

「最早」

「では誰も」

「大坂に近い方であの方を止められるのは」

「そうかと」

「ではですぞ」

 正純は片桐にいよいよ危うい顔で述べた。

「また言わせて頂きますが」

「このままですと」

「戦もです」 

 この最悪の事態もというのだ。

「有り得まするぞ」

「やはりそうですか」

「何とかしなければ」

「わかっていますが」

「何となればです」

 崇伝も戦を避けたく申し出た。

「拙僧がです」

「大坂にですか」

「参りますが」

「それがしもです」

 正純も身を乗り出す様にして申し出た。

「戦を避けるべしというのは大御所様のお考え」

「だからこそです」

「何ならです」

「大坂に参上しますが」

「いえ、その様なことをされては」

 片桐は申し出た二人を両手を前に出して慌てた顔で止めて述べた。

「お二人がです」

「危うい」

「そう言われますか」

「はい、急に何者かにです」

 幕府を快く思っていない者達がというのだ、大坂の中でも特に。

「襲われるやも知れませぬ」

「そうなれば」

「全くですな」

 正純も崇電もその場合はどうなるか、切れ者達であるが故にすぐにわかってそうして応えた。

「終わりですな」

「それこそ戦になってしまいます」

「幕府と大坂が」

「その時点で」

「ですからそれはです」

 どうしうてもというのだ。

「無理かと」

「では、ですな」

「ここはですな」

「片桐殿がですか」

「何とかされますか」

「正直に申し上げて自信はありませぬ」

 茶々を説得すること、それはというのだ。

「しかしです」

「それでもですな」

「何とかされるおつもりですか」

「切支丹のことは」

「絶対に」

「そのことご期待下さい」 

 こう正純と崇伝に言った、しかし。

 ここでだ、その片桐の顔を見て崇伝はあることに気付いた、そのうえで片桐本人にいぶかしむ顔で問うた。

「片桐殿、まさか」

「何でしょうか」

「貴殿病を得ておられませぬか」

 こう聞いたのだった。

「それもかなり危うい」

「それは」

「表には出ておりませぬが」

「そういえば」

 ここで正純も気付いた、それで彼も言った。

「貴殿何か弱っている感じですな」

「これまでは畏まってと思っておりましたが」

「どうにも」

「それは」

「正直に申されよ」

 これまでとはうって変わってだ、崇伝は片桐に穏やかな声で言った。

「このことは」

「正直にですか」

「拙僧とて坊主、こうしたことは誰にも言いませぬ」

「それがしもです」 

 正純も約束してきた。

「誰にも言いませぬぞ」

「そうですか」

「天に誓って」

 正純は嘘を言っていなかった、謀は確かに使うが今は実際に心から約束していた。片桐もそれを見てだった。

 暫し考えたが二人に意を決した顔で言った。

「どうも腎虚らしく」

「では加藤殿、浅井殿と同じく」

「花柳からですか」

「どうやら、その病で」

 この死に至る病の為にというのだ。

「身体も辛く」

「今もですか」

「そうでしたか」

「大坂では誰にも言っておりませぬ」

 片桐は二人に言った。

「若し言えばです」

「そこで、ですな」

「どうしてもですな」

「強く出る派がさらに大きくなりますな」

「幕府に対して」

「そうなれば戦になるやも知れませぬ」

 幕府と、というのだ。

「ですから」

「何としてもですか」

「腎虚であることを隠し」

「そうしてですか」

「大坂でも働かれますか」

「そのつもりです」

 こう二人に述べた。

「必ず」

「ううむ、しかしです」

「腎虚となれば話は別ですぞ」

「腎虚は身体が腐る病」

「幸いお顔には出ていませぬが」

 そして身体にもだ、腎虚独特の斑点が出たり鼻が落ちたり身体が腐ってはいない。このことは加藤も同じであった。

「しかしです」

「内で腐るものです」

「ですから今はお元気の様に見えても」

「実は」

「わかっています、しかし」

 それでもと言う片桐だった。

「それがしも何とかです」

「戦にさせぬ為に」

「豊臣家を守る為にですか」

「動かれていきますか」

「それでも」

「はい」

 そうすると言うのだった。

「何としても」

「では」

「それではですな」

「茶々様もですか」

「止められますか」

「どのみち長くありませぬ、ならば」

 片桐は覚悟と共に述べた。

「その時はです」

「まさか陰腹を切り」

「そのうえで」

「そうも考えていますが」

 その覚悟と共に述べたのだった。

「それがしも」

「そうですか、では」

「何としても」

「このことお任せ下さい」

 死をも覚悟した顔での言葉だった。

「何としても」

「では」

「その様に」

「ただこのことは」

 片桐は二人にこうも言った。

「大御所様にはです」

「お話してもいい」

「そうだというのですね」

「はい」

 そうだというのだ。

「お二人もあの方にお話せねば」

「主君に隠しごとは」

「やはり」

「はい、そのこともありますし」

 二人の忠義も慮ってのことでありそしてというのだ。

「大御所様ならばもう」

「お気付きだと」

「だからですか」

「そうです」 

 だからこそ、というのだ。

「お話されても。それに大御所様はこうしたことを誰にもお話されませぬ」

 その者のことを気遣ってだ、そうした気遣いが出来る器の持ち主だからこそ天下人にもなれたのだ。

「ですから」

「そうですか、では」

「大御所様にはお話しておきます」

「片桐殿のお身体のことは」

「さすれば」

「はい、大坂のことは何とかします」

 戦が起こらぬ様にするとだ、彼は二人に強く約束した。そのうえで話が終わると彼は丁度宴が終わった大蔵局と共に大坂に戻った、この時大蔵局は片桐に対して上機嫌でこんなことを言った。

「方広寺の件すぐに納得して頂き何よりでした」

「大御所様がですか」

「はい」

 気品があるが満面の笑みでの返事だった。

「そしてそれからです」

「大御所様にですか」

「色々とよくしてもらいました」

 それこそ贅を尽くした歓待を受けたというのだ。

「このこと何よりでした」

「他には」

「他にはとは」

「いえ」

 片桐はここでわかった、大蔵局は家康に切支丹や国替えや茶々の江戸入りのことも話されていたが全て入っていないとだ。最初の方広寺のことが収まりそれで満足しているということがだ。

 だからだ、それ以上は何も言わずだ。大蔵局に険しい顔になって述べた。

「では大坂に戻りますか」

「片桐殿、お顔が優れませぬが」

「そうでしょうか」

「本多上総殿、崇伝殿と何かとお話されましたが」

「そのことは無事に」

 片桐は怪訝な顔になった大蔵局に答えた。

「終わりましたか」

「後はそれがしの働きだけです」

「方広寺のことは」 

「それはもう無事に」

「お二方も納得されましたか」

「はい」

 まさにというのだ。

「ご安心下さい」

「ならよし、では」

「はい、大坂にです」

「帰りましょう」

 こう話してそしてだった、彼等は供の者達を連れて大坂に戻った。道中大蔵局は意気揚々だったが片桐は沈痛なままだった。そのあまりにも対照的な彼等が大坂に戻りことはまた動くのだった。



巻ノ百十八   完



                  2017・8・9

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