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巻ノ百十九

              巻ノ百十九  大坂騒乱

 片桐と大蔵局はまずはすぐに茶々と秀頼の前に参上した、それですぐに駿府でのことを話したが。

 大蔵局は満面の笑顔でだ、茶々に話した。

「方広寺の件ですが」

「どうなったのじゃ」

「はい、大御所殿は最初のお話で」

 家康、彼はというのだ。

「納得して下さいました」

「そうなのか」

「はい、あいわかったとされ」

「このことはとか」

「言われました」

 こう茶々に話した。

「それからは宴で」

「楽しんできたか」

「実に」

 舞楽に駿河の山や海の幸でだ、大蔵局はそうした贅を尽くした宴を受けて心から楽しんできたのだ。

「そうして頂いていました」

「それは何よりじゃな」

 茶々も大蔵局の話に笑顔で応えた。

「方広寺の件がな」

「終わったことが」

「何よりじゃ、ではな」

「はい」

 片桐は自分に笑みで顔を向けてきた茶々に神妙な顔で応えた。

「それでは」

「お主は本多殿、崇伝殿とじゃな」

「お話をしてきました」

「そうであったな、では」

「方広寺の件は」

 それはというと。

「別にです」

「何もなしか、ではよい」

「いえ」

「いえ?」

「お二方に言われたのですが」

 正純、そして崇伝にとだ。片桐はすぐに答えた。

「切支丹の件ですが」

「切支丹とな」

「はい、それはならぬと」

 断じて、というのだ。

「お話されていました」

「何っ、切支丹がいかぬと」

「はい、その様にです」

「本多殿と崇伝殿が言われたのか」

「幕府としてはと」

「?それは」

 大蔵局は片桐のその言葉に眉を顰めさせた、だが今は片桐が話しているので言うのを止めた。

 そしてだ、片桐は茶々にさらに話した。

「それだけはと、そして」

「まだあるのか」

「大坂からです」

 まずはこのことから話した。

「出られて」

「何処の国に行けというのじゃ」

「そこまではわかりませぬが」

 しかしというのだ。

「ですが」

「それでもか」

「はい、幕府としてです」

 即ち家康もというのだ。

「そう言われています、それに」

「それにとは」

「茶々様も」

 その茶々に言うのだった。

「江戸に入られて」

「他の大名達の妻子の様にか」

「江戸のお屋敷に住まれてはとです」

「言ってきたのか」

「そうです」

「方広寺はどうなったのじゃ」

「ですからそれは終わりました」

 ことなきを得たとだ、彼はまた話した。

「お話させて頂いた様に」

「ではよいではないが」

「それとはまた別に」

「切支丹とか」

「はい、その二つのことも」

 国替えと茶々の江戸入りのこともというのだ。

「お話されてきました」

「その三つ全てを飲めというのか」

「さすれば何もなしとです」

「幕府は言うのか」

「豊臣家に対して」

 まさにというのだ。

「そうすればよいと」

「何を命じておるのじゃ」

 茶々は眉を顰めさせそうして返した。

「幕府は」

「それは」

「天下人は誰じゃ」

 茶々は怒りで顔を真っ赤にさせて言った、その長い黒髪も今にも逆立ちそうで形相も変わっている。

「一体誰じゃ」

「そのことは」

「豊臣家であろう」

 こう片桐にも周りにも言った。

「それで何を命じておる」

「切支丹、そして国替えと江戸入りと」

「大御所殿に言われる筋合いはないわ」

 強い言葉で言うのだった。

「全くな」

「ではこの三つのことは」

「聞かぬ」

 絶対にという返事だった。

「聞く筈がないわ」

「左様ですか」

「幕府にもそう伝えよ」

 茶々は激しい剣幕のままこうも言った。

「切支丹はそのままでじゃ」

「国替えも江戸入りも」

「聞かぬわ」

 そのどれもというのだ。

「そう伝えい、修理よ」

「はい」

「お主はどう思うか」

 自らが絶対の股肱と頼む大野にだ、茶々はここで問うた。

「一体」

「茶々様の言われることなので」

 これが大野の返事だった、どうしても茶々の言うことには従ってしまう彼はこう答えるだけだった。

「よいかと」

「そうか、お主はどう思う」

 今度は若々しい精悍な顔立ちの者に聞いた、木村重成という。

「一体」

「若し幕府がそう言うのなら」

 木村はあくまで強い声でだ、茶々に答えた。

「天下人としてです」

「相応しい振る舞いをしてじゃな」

「応じましょう」

「ではじゃ」

 茶々は二人の言葉を受けてだ、己の意を決めて言った。

「その様にする」

「左様ですか」

「幕府に伝えよ」

 茶々は戸惑う片桐にさらに言った。

「その様にな」

「どうしてもですか」

「そうせよ、よいな」

 もう有無は言わせない口調だった、こうなってはもう片桐ではどうしようもなく彼に近い考えの者達もだ。

 黙るしかなかった、そして。

 この時は黙っていた大蔵局は片桐達が下がってからだ、茶々も己の部屋に戻ったところでだった。

 彼女の部屋に彼女だけで入ってだ、こう話したのだった。

「先程のお話ですが」

「何があった」

「はい、片桐殿のお話ですが」 

 このことを話すのだった。

「わらわは大御所殿にそうしたことは」

「言われていなかったか」

「方広寺の話が済んでからは宴だけと申し上げましたが」

「その通りだったか」

「はい、何か言われたと思いますが」

 家康も言うことは言っていた、やんわりとであるが。

「しかし」

「それでもか」

「遊びに。旅に出られてはと」

「それ位ことか」

「国替えと江戸入りは」

 片桐が言ったそれはというのだ。

「そしてです」

「切支丹のこともか」

「注意する様にとは言われましたが」

 家康の言葉をそうしたものと考えているのだ。

「しかし」

「それ以上のものはか」

「なかったです」

 そうだったというのだ。

「わらわが聞いた限りでは」

「では片桐は何故ああ言った」

「幕府に合わせて先に動いたのでは」

 これが大蔵局の読みだった。

「何か」

「確かに幕府はな」

「はい、以前からです」

「そうしたことを言っておったわ」

 茶々もこのことは幾度か聞いていたので覚えている、それで大蔵局に対してもこう答えたのだ。

「大坂から出てじゃ」

「他の国に入られてはと」

「わらわもな」

 自分のことも述べた。

「江戸に入ってはとな」

「あまつさえですな」

「大御所殿が言っておったわ」

 その家康がというのだ。

「わらわを正室にとな」

「左様でしたな」

「冗談ではないわ」

 茶々はこれ以上になく顔を顰めさせて述べた。

「全く以てな」

「はい、茶々様は右大臣様のお母上です」

「天下人の母であるぞ」

 秀吉の子を産んだ者だというのだ。

「そのわらわが何故じゃ」

「大御所殿の奥方になぞ」

「なれる筈がない、わらわはもう二度とじゃ」

 それこそというのだ。

「夫を迎えぬ」

「決して」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「太閤様がお亡くなりになった時に決めたのじゃ」

「もうどなたともですな」

「婚姻は結ばぬ」

「ご夫君は太閤様だけ」

「二度も夫を迎えるなぞ」 

 それこそというのだ。

「貞節を乱す」

「全くです」

「それにわらわはおのこなぞじゃ」

 こうも言うのだった。

「欲しくないわ」

「はい、茶々様はそうした方ではありませぬ」

「そうじゃ、ふしだらなことはな」

 決してというのだ、実は茶々はそもそも色には興味がない。気質としてそうしたことには極めて疎遠なのだ。

「決してせぬしな」

「だからですな」

「このこともじゃ」

 家康からの正室にという誘いもというのだ。

「断っておるのじゃ」

「それがよいかと」

 大蔵局もその通りと答えた。

「茶々様が正しいです」

「そうであるな」

「まことに」

「全く、ふざけておる」

 幕府、ひいては家康はというのだ。

「全てじゃ」

「突っぱねられますな」

「そうする」

 こう大蔵局に答えた。

「そしてな」

「片桐殿は」

「前からどうもと思っておったが」

 繭を顰めさせての言葉だった。

「この件でじゃ」

「さらに」

「信用出来なくなったわ」

 こう言い切った。

「だからな」

「それでは」

「遠ざける、あの者に近い者達もじゃ」

 つまり徳川家との融和派もというのだ。

「全てじゃ」

「遠ざけますか」

「そなたはそのままでそしてじゃ」 

 さらに言うのだった。

「修理達を用いる」

「わかり申した」

「その様にな」

「畏まりました」

「必要ならば」

 茶々はさらに言った。

「片桐はな」

「お手打討ちに」

「わらわは刀は使えぬが」

 それでもというのだ。

「然るべき者にな」

「では」

「修理にな」

 その彼にというのだ。

「そのことも話しておけ」

「それでか」

「そのこともな」

「はい、話しておきます」

 大蔵局はその大野の母だ、だからこう答えた。

「その様に」

「ではな」

 こうしてだ、茶々は大蔵局の話を聞いてそうしてだった。幕府の言うことを全て聞かぬことにしてだった。

 片桐達を遠ざける様になった、そして片桐は。

 はっきりと身の危険を感じる様になってだ、周りにも言われた。

「どうもです」

「貴殿の御身ですが」

「危ういですぞ」

「大野殿達に狙われていますぞ」

「お命を」

「そうじゃな」

 片桐もそこは察していて言う。

「どうにもな」

「ですから」

「残念ですが」

「こうなってしまうとです」

「お命が危ういです」

「去るしかありませぬ」

「最早」

 この大坂をというのだ。

「そうしましょうぞ」

「ここはです」

「残念至極ですが」

「お命なで狙われては」

「どうしようもありませぬ」

「潔く死ぬのも華ですが」

 武士としてとだ、こう言う者もいたがこの者もこう言った。

「しかし今はです」

「その時ではないか」

「はい」

 こう片桐に言うのだった。

「どうしても」

「そうなのか」

「また時があるでしょう」

 片桐にさらに言った。

「その時を待ち」

「今はか」

「この城を去りです」 

 そしてというのだ。

「時が来るのを待ちましょう」

「そうすべきか」

「拙者もそう思います」

「拙者もです」

 他の者達も片桐に言ってきた。

「ここはです」

「この大坂を後にしましょう」

「そしてそのうえで」

「今はです」

「時を待つべきです」

「豊臣の家を守る時を」

「そうした時も来るでありましょう」

「天命がそう定めているのなら」

「そうか、しかしわしは」 

 片桐は己の病のことを言おうとした、だが。

 信頼している彼等でもそれを話すのは危うい、そこまでのことと思ってだ。言うのを止めてだった。

 そのうえでだ、彼等にこのことを隠して述べた。

「もうと時がな」

「ないとですか」

「そう思われますか」

「ここで茶々様を説得出来ねば」

「そうだというのですな」

「そうも思う」

 どうにもというのだ。

「ここはな」

「左様ですか」

「しかしです」

「このままではどうなるかわかりませんぞ」

「片桐殿のご一族も」

「大野殿も木村殿もです」

 よく強硬な意見を述べる彼等がというのだ。

「何時どうしてくるかわかりませぬぞ」

「片桐殿に対して」

「ご一族の方々にも」

「無論我等に対してもです」 

 彼等自身のことも話した。

「どうなるかわからなくなっております」

「そして我等の一族も」

「そうした状況です」

「ここで大坂を去らねば」

「最早」

「そうか、穏やかに言う者達は皆か」

 片桐は大坂の空気がわかったことを認めざるを得なかった、それは大蔵局が茶々に自分のことを言ったせいだということはわかっていた。

 しかしだ、まだ何とかなるせねばと思っていた。それだけにだった。

「そうした状況ではな」

「もうです」

「今の大坂に我等の居場所はありませぬ」

「ですからここは」

「去りましょうぞ」

「この大坂を」

 周りの者達の言葉も切実だった、それでだった。

 彼等は片桐に必死に語り続けた、そしてだった。

 遂にだ、片桐は彼等に告げたのだった。

「わかった」

「では」

「これで、ですか」

「大坂を去られますか」

「そうされますか」

「致し方ない」

 無念の顔での言葉だった。

「これではな」

「はい、それでは」

「すぐに大坂を後にする用意に入りましょう」

「その間周りの警護を固め」

「そのうえで」

「無論去る時も」

「そうするか、しかしな」 

 ここでまた言った片桐だった。

「わしとしてはな」

「どうしてもですな」

「茶々様にですな」

「納得して頂きたい」

「左様ですな」

「うむ」

 その通りだとだ、彼等に返事をした。

「まだそう思っておる」

「しかしです」

「もう茶々様はあのご様子です」

「片桐殿も我等も近寄せませぬ」

「それも一切」

「それではです」

「どうにもなりませぬ」

 話を聞く素振りすら見せない、全く聞く耳持たない状態ではというのだ。彼等も無念そうに言う。

「我等とて無念です」

「このままでは大坂が危うくなります」

「太閤様から受けたご恩を想うと」

「どうしても」

「わしは幼い頃に太閤様に拾われた」

 片桐も己の身の上を話した。

「そしてじゃ」

「今に至りますな」

「三万石の禄に豊臣家の執権」

「そうなられましたな」

「虎之助や市松程ではないが」

 加藤や福島、やはり秀吉子飼いであった彼等には流石に劣るがというのだ。片桐はさらに話した。

「大名じゃ」

「ですな、そうなられましたな」

「三万石と」

「そのご恩がある」

 一介の小童だった自分をそこまでしてくれたというのだ。

「三万石は幕府の計らいにしても」

「その基は、ですな」

「やはり太閤様ですな」

「あの方ですな」

「そうじゃ、それで思うが」

 しかしというのだ。

「無理でももう一度だけでもな」

「茶々様にですな」

「何とかお目通りし」

「そうしてですな」

「切支丹を認めることを撤回して」

「国替えも」

「そして茶々様ご自身もですな」

 江戸入りもというのだ。

 そしてだった、片桐は。

 すぐに動いた、既に大坂城での彼を見る目は危ういものがあったがそれでもであった。彼は。

 茶々に目通りを願った、しかし。

 大蔵局からその話を聞いてだ、茶々はすぐに苦い顔で彼女に言った。

「会わぬ」

「そうされますか」

「誰が会うものか」

 これが茶々の返事だった。

「絶対にな」

「そうですか、しかし」

 大蔵局も流石に茶々があまりにも頑ななのでこう言った。

「せめてです」

「会うだけでもか」

「されては」

「よい」

 だが茶々は頑ななままだった、ある意味非常に彼女らしかった。

「せぬ」

「左様ですか」

「返すのじゃ」

「そうですか」

「二心ある者には会わぬ」

 あくまでこう言うのだった。

「だからじゃ」

「では」

「わらわはあの者にもあの者と似たことを言う者にも会わぬ」

 流石に大蔵局も片桐のことをよく思っていなくとも幾分情けを出したがそれも無視されてだった。

 それでだ、片桐は茶々に会うことも出来なかった。それでだ。

 片桐はここでだ、遂にだった。

 決意した、それで親しい者達に告げた。

「出ようぞ」

「会われませんでしたな」

「茶々様は」

「そうされましたな」

「予想通りでしたが」

「わしもわかっておった」

 片桐にしてもだ、茶々が自分と会わないことはだ。

 だがそれでも言いたかったがそれが適わずだった。無念のまま。

 片桐達は城を出た、茶々に暇を願う文を出して。

 茶々はそれを見ずにだ、すぐに言った。

「わかったと伝えよ」

「では」

「去りたい者は去るのじゃ」

 大野に告げた言葉だ。

「わかったな」

「大坂に残る者は」

「残りたい者だけが残るのじゃ」

 こう言って片桐達に暇を出させた、もっと言えば追い出した様なものだ。そうしてだった。

 片桐達は城を出た、だが彼等と彼等の一門の周りはだ。

 具足を着けて刀や槍、弓矢を持った兵達が固めていた。そうして。

 鉄砲には既に撃つ用意が出来ていた、その今にも戦に出る様な有様で城を出るがここでだ。

 彼等を櫓の上から見る大野が周りに言った。

「せめてもの情けじゃ」

「だからですな」

「ここは、ですか」

「攻めることなく」

「去ってもらいますか」

「ここで若し殺し合いにもなれば」

 実際に一触即発の状況だ、出る方も見送る方も恐ろしい形相で睨み合い最早敵同士の有様だ。

「お家騒動としてじゃ」

「豊臣の名が落ちますし」

「幕府にもですな」

「とかく言われる」

「そうなりますな」

「だからじゃ」

 それでというのだ。

「ここはな」

「このままですな」

「一切手出しをせず」

「そしてですな」

「そのうえで」

「出てもらう」

 絶対にというのだ。

「そうしてもらうぞ」

「わかりました」

「ではそうしましょう」

「ここはですな」

「何もせずに」

「そういうことでな、それでじゃが」 

 大野は周りにさらに言った。

「問題はこれからじゃ」

「では」

「いよいよですか」

「幕府はですな」

「我等を攻めてきますか」

「切支丹のことでな」

 大野もこのことが問題であるのはわかっていた、しかしそれでも彼は茶々の言うことにはどうしても逆らえないのだ。

 それでだ、こう言うしかなかった。

「戦になる」

「それでは今より」

「戦の用意をしますか」

「そうしてですな」

「そのうえで」

「その覚悟はしておこう」

 今からというのだ。

「各地から浪人達も集めるか」

「では」

「そうしてですな」

「そのうえで」

「我等も」

「我等に何があろうとも」

「右大臣様をお守りするぞ」

 こう周りの者達に言った。

「それはよいな」

「我等は豊臣家の臣です」

「臣ならば何があろうともです」

「それは果たしてみせます」

「命にかえても」

「頼むぞ。若し戦になり若しもの時になれば」

 その時はとだ、大野は周りの者達に話した。その中には彼の二人の弟達もいて彼等にも話している。

「それを必ず果たしてくれる御仁がいて欲しいな」

「我等の中におるか」

「そうした者が」

「我等の中にはおらずとも」

 それでもとだ、大野はまた言った。

「天下にはおる」

「と、いいますと」

「兄上にはどなかた心当たりが」

「真田源次郎殿じゃ」

 幸村、彼だというのだ。

「あの御仁ならば必ず果たしてくれる」

「真田殿ですか」

「上田城の戦で活躍した」

「あの方ならばですか」

「果たしてくれますか」

「そう思う、だからな」

 大野は周りの者達にさらに話した。

「戦になるならば絶対にな」

「真田殿をですな」

「大坂にお迎えする」

「そうしてですか」

「いざという時は」

「あの御仁に働いてもらってじゃ」

 そうしてというのだ。

「右大臣様を助けてもらおう」

「わかり申した、それでは」

「戦が避けられぬならですな」

「その時には」

「真田殿を必ず」

「そう考えておる、それにもう戦はな」

 どうなるかについてもだ、大野は話した。

「お主等もわかっておろう」

「はい、もうですな」

「切支丹のことは茶々様は撤回されぬ」

「それならばですな」

「幕府としても看過出来ませぬな」

「そうじゃ」

 それ故にというのだ。

「もう幕府との戦は避けられぬ」

「だからですな」

「ここは覚悟を決めて」

「戦の用意をしますか」

「今から」

「片桐殿とは考えが何処までも違っておったが」

 それでもとだ、大野は大坂を警護の兵達に護られつつ去っていく片桐を見て惜しむ様な顔を見せた。

 そのうえでだ、こうも言った。

「しうかしな」

「決してですな」

「お嫌いではなく」

「認められるところはですな」

「認められていましたな」

「大坂の為に必死にな」

 力を尽くしてというのだ。

「働いておられた、それは紛れもない事実であった」

「だからこそですな」

「今大坂を去られることが」

「どうしても無念ですか」

「わしは茶々様に逆らえぬ」 

 自分でもこのことはわかっていた、幼い頃より彼女と共にいてその忠義を超えた親愛の情が強過ぎるからだ。

「片桐殿は何とか申し上げることは出来たが」

「しかしですな」

「それでも茶々殿は聞かれず」

「それで、ですな」

「片桐殿も去られた」

「そうなりますな」

「そうじゃ、結局大坂に茶々様を止められる者はおらぬ」 

 一人もだ、かつては石田や大谷といった者達がいたがその彼等も関ヶ原において散っている。

 それでだ、大野は今度は無念の顔で述べた。

「わしもその力がない、それ故にな」

「戦になり」

「そしてですか」

「このままでは」

「茶々様は戦のことにも口出しをされる」

 彼女の性格からだ、間違いなくそうしてくるというのだ。

「しかしあの方は政もご存知ないし」

「戦は尚更ですな」

「兵法の書なぞ読まれたこともありませぬ」

「その目で戦を御覧になられたこともない」

「それで些細なことでもご存知の筈がないですな」

「そうじゃ、しかしそれでもじゃ」

 茶々、彼女はというのだ。

「口出しをされる」

「そして大坂の主としてですな」

「これまで通り振舞われ」

「采配も執られる」

「そうされますか」

「そうであろう、これではな」

 戦になればというのだ。

「負ける、しかしそうなってもな」

「何とかですか」

「真田殿に後を託しますか」

「右大臣様のことを」

「そうしますか」

「うむ」

 その通りだとだ、大野はまた答えた。

「そうする、よいな」

「わかり申した」

「それではです」

「兵を集める用意をしましょう」

「大坂の銭を全て使い」

「そのうえで」

「確かに寺社の普請で多くの銭を使ったが」

 家康の勧めを信仰心の篤い茶々がそうしたことならと聞いてだ、家康にしては銭があるから兵を集めて戦を起こそうとするから先に使わせて戦をさせぬ様にと考えていたのだ。だがそれも途中でだ。

 大坂にはまだかなりの銭がある、そしてその銭を使えばだ。

「天下の浪人で戦をしたい者達の全てをかき集められる」

「そうすればです」

「相当な数が集まります」

「今大坂にいる兵と合わせて十万」

「それだけの数になりますな」

「十万あれば」

 どうかとだ、大野はこうも言った。

「それなり以上の戦が出来るな」

「幕府がどれだけの兵を出してくるかわかりませぬが」

「それでもですな」

「十万の兵があれば」

「この摂津、河内、和泉だけでなく」

「大和や摂津にも兵を進めてです」

 そうしてというのだ。

「都にも行けます」

「そして水軍も用意すれば四国も」

「無論紀伊も攻められます」

「非常に大きいです」

「十万もの兵があれば」

「近畿を掌握も出来ましょう」

「そうなればです」

「天下もわからぬ」

「そうもなれますな」

「普通に考えばな、しかしな」

 大野はその十万の兵を使っての戦のことを口々に話す周りの者達にだ、暗い顔になりまた話した。

「先程も言ったが」

「茶々様ですな」

「あの方ですな」

「あの方が口出しをされる」

「そうなることが間違いないですな」

「大坂城は一万の兵でも置けばな」

 それだけでというのだ。

「攻め落せぬ、そこからどんどん攻めていけばいいが」

「若しもです」

 大野の弟の一人治房が言ってきた。

「ここで、大坂城に篭りますと」

「十万の兵がじゃな」

「そうして戦いますと」

 城の外に出ずにというのだ。

「そうなればです」

「敗れるな」

「城に篭ったままですと」

 そこが例え難攻不落の城であってもというのだ。

「囲まれて終わりですぞ」

「その通りじゃ」

 大野は弟に応えて言った。

「そうなってしまえばな」

「左様ですな、しかし」

「茶々様はな」

 とかく茶々が問題だとだ、大野は言うのだった。

「あの方はとかく口出しをされるからのう」

「難儀ですな」

「まことに」

「戦にも関わるとなると」

「政でもそうですが」

「家の大事ですが」

 しかしとだ、彼等も言うのだった。

「どうしたものか」

「あの方が静かにして頂ければいいのですが」

「そうはなりませぬな」

「難しいところです」

「どうにも」

「あの方を止められぬ為に」

 大野の言葉は嘆きになっていた、その嘆きの言葉で言うのだった。

「豊臣は滅ぶか、しかしな」

「そうしてもですな」

「それでもですな」

「右大臣様だけは」

「何としても」

「豊臣家のただお一人の方じゃ」

 だからこそというのだ。

「あの方はな」

「はい、だからです」

「そのお命は何としても守りましょう」

「その為にもですか」

「真田殿をですか」

「文を書く」

 大野がというのだ。

「そしてそのうえでな」

「大坂に来て頂き」

「いざという時はですな」

「あの方に右大臣様を救って頂く」

「そうしますな」

「そのつもりじゃ、あの御仁さえおれば」

 大野も幸村そして十勇士達のことを知っている、それで言うのだった。

「右大臣様はな」

「例え敗れようとも」

「大坂城が陥ちようとも」

「それでもですな」

「あの方のお命だけは」

「何とかなるやも知れぬ」

 それ故にというのだ。

「あの御仁には文を送る、そしてな」

「他の方々もですな」

「天下の浪人衆の中から」

「名のある方には文を送り」

「来て頂けますな」

「おそらく大名は誰も来ぬ」

 大野はこのことは確信していた、彼にしても天下の流れは片桐程ではないがわかっているのだ。

「しかしな」

「浪人衆はですな」

「来ますな」

「文を送り俸禄を約束すれば」

「その時は」

「一旦集めればそれこそ勝って俸禄を与えねばならぬが」

 それでもというのだ。

「戦になるとなってはな」

「背に腹は代えられぬ」

「それが現実です」

「ならばですな」

「その時は」

「うむ、集めるぞ」

 その浪人達をというのだ。

「よいな」

「わかり申した」

「すでに戦は避けられぬ状況」

「それではですな」

「今より用意をしておきましょうぞ」

「頼む。しかし」

 大野はまた項垂れる顔で言った。

「お主達もな」

「戦で、ですな」

「死にますな」

「そうなりますな」

「おそらくは」

「殆どの者が」

「そうなるであろう、しかし我等が死んでもな」

 それでもというのだ。

「右大臣様、そしてご子息の国松様はな」

「どうしてもですな」

「お助けする」

「お命だけは」

「そうするのじゃ」

 二人の命だけはというのだ。

「よいな」

「ですな、我等が死のうとも」

「そうなろうともです」

「ここは何とかです」

「お二人だけは生きて頂き」

「天寿を全うして頂きましょう」

「万が一の手筈は整っておる」

 それは既にとだ、大野は話した。

「肥後の加藤殿にもな」

「既にですか」

「文を送られていますか」

「では万が一の時は」

「お二方はそこに移って頂きますか」

「島津殿にも送った」 

 その文をというのだ。

「だからな」

「はい、それでは」

「いざという時は」

「密に船を用意しておいて」

「加藤殿、島津殿にお任せする」

「右大臣様と国松様を」

「ここだけでの話じゃが真田殿もその手筈をされておるという」 

 幸村もというのだ。

「流石であるな」

「ですな、まことに」

「武田家の頃からの智勇兼備の家でしたが」

「既にですか」

「そのことも手を打っておられましたか」

「あの方は」

「そうじゃ、あの方はまことにな」

 幸村、彼はというのだ。

「天下の知将、是非大坂に来てもらうぞ」

「わかり申した」

「では文を送りましょうぞ」

「そして戦の用意ですな」

「それに入りますか」

「そうしようぞ」

 こう言ってだった、そのうえで。

 豊臣家は幕府即ち徳川家との手切れは避けられぬと見てそのうえで各藩の大名達に文を送り。

 天下の浪人達の中で主立った者達にも文を送った、天下を二つに分けた戦がここでまたはじまろうとしていた。



巻ノ百十九   完



               2017・8・16

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