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巻ノ百二十

               巻ノ百二十  手切れ

 片桐達が大坂を出たことはすぐに幕府にも伝わった、秀忠は江戸城でその話を聞いてすぐにこう言った。

「愚かな」

「ですな、これは」

「これでは幕府も戦しかありませぬ」

「切支丹のことを認めるということですから」

「それを取り消さぬのであれば」

「攻めるしかありませぬ」

「本来なら取り消しても攻めておった」 

 秀忠は幕臣達に沈痛な顔で述べた。

「しかし豊臣家は仮にも右大臣であるしな」

「千姫様のご夫君」

「上様にとっても娘婿です」

「しかも前の天下人の家でありましたし」

「別格でしたが」

「まだわかっておらぬな」

 こうも言ったのだった。

「もう豊臣家は天下人でないことに」

「茶々様がですな」

「どうしてもです」

「わかっておられず」

「その様なことをされていますな」

「その通りじゃ、他の家ならばじゃ」

 それこそという口調での言葉だった。

「認めただけでな」

「お取り潰しですな」

「そうしていましたな」

「問答無用で」

「それだけで」

「切支丹がどれだけ恐ろしいか」

 秀忠は苦い顔で述べた。

「茶々殿だけはわかっておらぬ」

「全くです」

「政のことは何もです」

「わかっておられませぬ」

「それこそ」

「何一つとして」

「そうした方だからな」

 それ故にとだ、秀忠は苦い顔のままで話した。

「切支丹を認めてしまい」

「幕府への反発から」

「ただそれだけで」

「そうされてですな」

「しかもこの度のことです」

「まるで自ら滅びたい様じゃ」

 秀忠の目にはこう見えていた、茶々そして豊臣家の動きは。

「あのままではな」

「実際にですな」

「滅びますな」

「そうなってしまいますな」

「間違いなくな」

 それは避けられないというのだ。

「どう見てもな」

「ですな、ではです」

「幕府としてもですな」

「戦の用意ですな」

「それに入りますか」

「何れ大御所様からお話があるが」

 しかしというのだ。

「各大名達に命じるぞ」

「出陣を」

「それを」

「前にも前田家に何か言っておったしのう」

 幕府はこのことも知っていた。

「このことは終わったが」

「幕府も忠告しただけで」

「それで大目に見ましたが」

「このことにつきましても」

「本来ならばお取り潰し」

「そこをよしとしたのですが」

 注意だけでというのだ。

「切支丹のことは」

「これは天下の大事ですから」

「どうしても認められませんが」

「そのことがわかっておられぬとは」

「最後にじゃ」

 秀忠は苦い顔のままだった、しかしそれでもあえてだった。戦を避ける為にと思い幕臣達に述べた。

「奥の文を送るか」

「そうされまますか」

「奥方様からの文をですな」

「大坂にお送りし」

「そしてですな」

「切支丹のことを思い止まって頂き」

「戦を避けられますか」

「そうするとしよう、幸いじゃ」

 こうも言った秀忠だった。

「常高院殿も協力してくれるだろうしな」

「左様ですな」

「あの茶々殿も妹君とは今も仲睦まじいです」

「ご幼少の時からそうした姉妹であられたとのことなので」

「それで、ですな」

「ここは奥方様の文を送られ」

「戦を避けよう、大御所様は出来るだけ戦は避けられるお考えじゃ」

 家康は秀忠以上にそうした考えだ、戦を避けてそのうえで豊臣家を穏健に幕府の統治の中に入れたいのだ。 

 そして何よりもだ、大坂をだった。

「大坂もな」

「幕府のものとして」

「そうしてですな」

「大坂を西国を治める要として」

「そこからも天下を治めるお考えですな」

「江戸だけでは足りぬ」

 天下を治めるにはとだ、秀忠以上に家康がそう考えているのだ。大坂の大事さをわかっているが故に。

「やはりな」

「大坂ですな」

「あの地を手に入れる」

「豊臣家より遥かに大事ですな」

「あの家をどうこうするよりも」

「あの地を手に入れれば幕府の天下は盤石のものになるしじゃ」

 そこから西国を治められるからだ。

「しかも豊臣家にしても大坂から出さえすればな」

「何の力もない」

「そうした家になりますな」

「それだけにです」

「幕府としましては」

「大坂が欲しいのじゃ」

 実は豊臣家を滅ぼす云々よりもそちらだ、幕府としては大坂自体に強い関心があり豊臣家はそうではないのだ。

 だからだ、秀忠は言うのだ。

「何としても大坂から出てもらう」

「それだけでしたが」

「ここに切支丹の話まで加わり」

「それが実に厄介です」

「尚且つ茶々殿はおわかりになっておられぬ」

「それではです」

「戦をするしかないわ、しかし何とか避ける為にな」

 幕府としてもとだ、秀忠はまた言った。

「ここは姉妹の絆に頼るとしようぞ」

「では奥方様にですな」

「一筆お願いしますか」

「奥も実の姉が死ぬのは耐えられぬ」

 むしろ長姉である茶々とは正反対に穏やかな気質だ、それで江戸でも常に彼女のことを案じているのだ。

 そのお江に頼む、こう決めてだった。

 秀忠はすぐに大奥に入りお江の前に来てだ、そのうえで深刻な顔で事情を話し頼んだのだった。

「そういうことでな」

「はい、私もです」

「わしと同じ気持ちじゃな」

「そうです」

 お江は夫に真剣な顔で答えた。

「お姉様に何かあっては」

「だからな」

「すぐにです」

「書いてくれるか」

「そうさせて頂きます」

 秀忠に約束してすぐにだった、お江は実際に文を書いた。そのうえでその文をである。

 次姉の常高院に直接江戸まで来てもらってだ、対面して文を直接手渡してから切実な顔で言った。

「では」

「この文をですね」

「大坂の茶々お姉様に」

「わかりました、私もです」

 姉妹共によく似ている、整った顔だ。だが妹達は姉よりも遥かに穏やかな顔立ちでお江は特にだ。

 その妹の顔を見つつだ、常高院は答えた。

「そなたと同じ気持ちです」

「お姉様にですね」

「父上、母上の様な終わりは迎えさせませぬ」

「そして義父上の様にも」

 柴田勝家だ、母の市の二番目の夫であり北ノ庄城において市と共に壮絶な自決を遂げて炎の中に消えている。

「させませんね」

「何があろうとも」

 こうお江に言うのだった。

「ですから」

「切支丹のことは何とか」

「思い止まって頂き」

 そしてというのだ。

「難を避けましょう」

「必ずや、ですが」

「はい、お姉様は元来強情なお方で」

「こうした時は時に」

 お江は暗い顔で次姉に話した。

「追い詰められると」

「その強情さが出られ」

「一歩も退かれませぬ」

「そうした方ですね」

「ですから」

「私達が申し上げても」

 二人で幼い日々のことを思い出した、三人で共に仲睦まじく暮らしていたあの頃のことを。だが。

 だからこそだ、二人は言うのだった。

「適いませんね」

「強情さはあの時から」

「お父上がまだおられた時から」

「小谷の城において」

 まだお江が三歳の時のことだが覚えているのだ。

「それではです」

「私達の文も言葉も」

「お聞きになられず」

「あのまま」

 茶々、彼女はというのだ。

「今度こそ」

「落城と共に日の中に消えられる」

「そうなってしまいますね」

「遂に」

 このことを予感し姉妹で嘆くのだった、だがそれでも一抹の望みを胸にそのうえでだった。

 常高院は江戸から大坂に急いで向かいそうして茶々と会った。そのうえでお江の文を渡してだった。

 自身もだ、姉に必死の顔で頼んだ。

「姉上、切支丹は認めてはなりません」

「そなたもそう言うのか」

「お江もそう書いています」

「確かにのう」

 茶々はここで文を見て答えた。

「書いてあるのう」

「はい、ですから」

「ならん」

 だが茶々は二人が予想した通りの返事で応えた。

「そのことはな」

「それは何故ですか」

「豊臣が決めたことだからじゃ」

 それ故にというのだ。

「天下を治めるな」

「だからというのですか」

「そうじゃ、天下人が定めたことを変えることはじゃ」

 それはというのだ。

「あってはならぬ」

「それが法だからですか」

「決してな」

「ですが切支丹達は」

「天下を乗っ取るというのか」

「そうした者が多くいます」

 このことも話すのだった、やはり必死に。

「しかも民達を外の国に売り飛ばし」

「奴婢にしておるか」

「そこまでご存知でしたら」

「その様なことは豊臣がさせぬ」

 茶々は上の妹に毅然として返した、例えその毅然さの裏には一切根拠がなくともそれでもだった。

「だからじゃ」

「鎌らぬと」

「切支丹のもたらすものを受け入れるだけじゃ」

「しかしその受け入れる中で」

「天下が乗っ取られてはか」

「どうしようもありませぬ」 

 こう姉に言うのだった。

「太閤様もそう思われた筈です」

「だからあの時切支丹を禁じたか」

「ですから」

「あれは杞憂じゃ」

 つまり秀吉が心配し過ぎたというのだ。

「豊臣の力ならばじゃ」

「切支丹の者達がそう動いても」

「抑えられる」

「そしてそのうえで」

「南蛮の学問等がわかるのじゃ」

「だからですか」

「切支丹は認める」

 この考えは変わらないというのだ。

「わらわはそうする」

「どうしてもですか」

「そうじゃ」

「幕府はこのことだけはと言っていますが」

「天下人は豊臣じゃ」

 まだこう言う茶々だった、大坂城からは長い間一歩も出ておらず外のことを知らないからこその言葉だった。

「ならばじゃ」

「このことも」

「変えぬ」

「左様ですか」

「何があろうともな」

「ですがそれは」

 常高院も必死だ、姉を必死に説得にかかる。だが。

 茶々はどうしても聞かない、それで遂に彼女も諦めてだった。

 肩を落として江戸に戻りお江にことの次第を話した、するとお江も肩を落としてこう言った。

「何もかもがですね」

「これで」

「終わりですね」

「最早」

「ではことの次第を」

「上様にですね」

「お話してきます」

 お江は肩を落としたままこう姉に言ってだった。

 秀忠にことの次第を話した、すると秀忠も苦い顔で言った。

「ではな」

「はい、それでは」

「戦じゃ」

 これが秀忠の言葉だった。

「最早な」

「わかり申した」

「江戸は竹千代が守る」

 自身の次の将軍である彼がというのだ。

「そしてそなたもな」

「はい、大奥をですね」

「これまで通り頼む」

 お江にも言うのだった。

「そうしてもらうぞ」

「わかり申した」

「しかし出来るだけな」

「右大臣様はですか」

「大御所様のお考えではな」

 戦になってもというのだ。

「助けられるらしい」

「それでは」

「そのことは安心せよ」

「わかりました、それでは」

「ご苦労だった」

 妻を労いもした。

「ではな」

「後のことは」

「我等がやる」

 優しい声であった、その優しい声で妻を下がらせて休ませてだった。自身は大奥から出てそのうえで。

 幕臣達を集めてだ、強い声で告げた。

「戦の用意じゃ」

「はい、大坂との」

「そちらのですな」

「大名達に告げよ」

 天下の彼等にもというのだ。

「兵を出す様にとな」

「そしてですな」

「我等もですな」

「兵を出す」

「幕府もまた」

「そうする、二十万の兵でな」

 これだけの数を出してというのだ。

「大坂に向かうぞ」

「わかり申した」

「では二十万の軍勢を以て」

「大坂に向かいましょうぞ」

 幕臣達も応えた、そしてだtた。

 家康もだ、駿府にいる幕臣達に告げた。

「こうなっては致し方ない」

「それでは」

「これよりですな」

「兵を出す」

「大坂に向けて」

「そうする、しかしわかっておろう」

 家康はここで己の前にいる者達に話した。

「わしは右大臣殿の命は狙わぬ」

「決してですな」

「あの方のお命までは」

「決して奪わぬ」

「そうされますな」

「約束したからな」

 だからだというのだ。

「太閤殿と」

「約は守らねばならぬ」

「何があろうとも」

「それが幕府ですな」

「幕府の政ですな」

「わしは昔から律儀と言われてきた」

 天下の律儀殿、実際に家康がこう言われていて天下から人望を集めていたのである。例え謀を使ってもだ。

「だからな」

「このこともですな」

「決してですな」

「約を違えぬ」

「左様ですな」

「そうじゃ、約を守りな」

 そしてというのだ。

「右大臣殿はな」

「お命を奪わず」

「戦になろうとも」

「最悪でもですな」

「暫く幽閉ですな」

「戦の流れ次第じゃが」

 それによるがというのだ。

「最悪暫く高野山に入りな」

「それを罰として」

「そしてですな」

「やがて赦し」

「そのうえで」

「大名に戻す、わしは大坂が欲しいのじゃ」

 とにかくこのことは年頭にあった。

「豊臣家は構わぬ」

「はい、大坂は天下の要です」

 崇伝も言ってきた。

「まことに。ですから」

「幕府の政に必要じゃな」

「その通りです」

「そうじゃな、しかしな」

「豊臣家につきましては」

「大坂城におるから問題でな」

「大坂城から出てしまえば」

「何のことはない」

 力もかなりなくなるというのだ。

「だからな」

「大坂さえ手に入れば」

「やはり豊臣家はどうでもいい」

「例えるならば」

 崇電がここで言うのはというと。

「太閤殿にとっての織田家」

「まさにそれじゃ」

「左様ですな」

「茶筅殿はああした方であったからな」

 家康は信雄のことも話した、信長の次男で信長の亡き後織田家の実質的な主となっていた彼のことだ。

「改易となったが」

「我等はですな」

「あそこまでせずな」

「改易にもせず」

「前の天下人の家としてな」

「立てていおきますな」

「宋を見るのじゃ」

 異朝の話もした。

「太祖は前の主を大事にしておったな」

「後周ですな」

「あの国の家を大事にしてな」

 そうしてというのだ。

「宋が続く限り厚遇しておったな」

「あれこそがまさにです」

「徳じゃな」

「はい」

 その通りだとだ、崇電は家康に答えた。

「まさに」

「だからじゃ」

「幕府もですな」

「その様にする、法だけでなく徳も備えてな」

「まさにそれでこそ」

「盤石な天下と出来る」

「それ故に豊臣家も」

 自分達がまだ天下人と思い幕府に従わないこの家もというのだ。

「約を違えることなく」

「滅ぼさずですな」

「取り込む」

「そして右大臣殿も」

「わしの孫の婿にもなっておるしな」

 このこともあってというのだ。

「無暗なことはせぬものじゃ」

「あくまで律儀を通す」

「そうしていかれますか」

「律儀は幕府がある間守る」

 家康だけでなくだ。

「それはわかるな」

「はい、何があろうとも」

「約束を破ってはなりませぬ」

「それをすればです」

「信をなくします」

「信なくば立たずじゃ」

 家康は言い切った。

「それもわかるな」

「はい、誰も幕府を信用しなければ」

「それではです」

「もうそれこそです」

「天下は乱れます」

「治められるものではなくなります」

「法もあり徳もある」

 信からもたらされるものだ、この場合の徳は。

「その両方を備えてな」

「天下は治まる」

「だから豊臣家に対してもですな」

「滅ぼさぬ」

「そこは徹底しますか」

「あと無駄な血もじゃ」

 それもというのだ。

「流してはならぬぞ」

「ですな、そのことも」

「あの鎌倉幕府の様なこともです」

「そして室町の六代殿の様なことも」

「してはなりませぬな」

 鎌倉幕府は頼朝が義経達を殺し北条家も多くの御家人を滅ぼしてきた、実に流れた血が多い幕府だった。室町の六代将軍義教はとかく残暴で関東の公方の家を幼い子達まで滅ぼし側近の者達にもすぐに刀を出した。

 しかしだ、江戸の幕府はというのだ。

「決して」

「若し血を好む幕府なら」

「人の心が離れます」

「室町の六代殿の様にです」

「ああなってしまいかねません」

「暴君は最悪じゃ」

 家康はその義教を念頭に話した。

「天下にとってな」

「はい、まさに」

「あってはなりませぬ」

「幸い本朝は暴君はこれまで出ておりませぬ」

「異朝の傑紂の様な者達は」

 夏の傑王、殷の紂王だ。どちらも暴君の代名詞となっている。

「天下は法と徳により治めるもの」

「だからですな」

「律儀でもある」

「無暗な血も流してはなりませぬな」

「絶対にな、惨い刑罰もあらため」

 そしてというのだ。

「死罪もな」

「減らしていきますな」

「出来るだけ」

「そうもしていきますか」

「そうじゃ、仁も忘れてはならぬ」

 決してというのだ。

「政はな」

「そうですな、徳は仁からも生まれます」

「それ故にですな」

「仁を忘れず」

「そうしていきますな」

「うむ、では戦をするが」

 しかしというのだ。

「大坂を手に入れるが」

「それでもですな」

「右大臣殿のお命は奪わず」

「そのうえで、ですな」

「戦を進めていきますか」

「そうする、では出陣の用意じゃ」

 ここまで話してだ、家康もまた出陣を命じた。戦は避けられぬ事態になったことは明らかだった。

 豊臣家は天下の大名達に文を送った、だが。

 その返事にだ、茶々は大野に勘気を出して言った。

「どの家もか」

「左様です」

 大野は茶々に畏まって話した。

「豊臣家にはです」

「つかぬか」

「左様です」

「七将の家もか」

「はい」

 まさにというのだ。

「どの家も。ただ」

「ただ。何じゃ」

「平野殿ですが」

「誰じゃ、それは」

「田原本五千石の御仁ですが」

 いぶかしむ茶々に話した。

「ご存知ないですが」

「知らぬ」

「その者が当家への参陣を言いましたが」

「そうであったか」

「江戸に召し出されました」

 即ち幕府にというのだ。

「そうなってしまいました」

「ではその者もか」

「はい、大坂には来ませぬ」

 そうなったというのだ。

「その者も」

「そして他の者もか」

「来ませぬ、大名もそれより下の者達も」

「誰一人としてか」

「大名家を抜けて馳せ参じる者はいますが」

「大名が来てこそじゃ」

 茶々は大野に怒って言った。

「そうではないのか」

「それはそうですが」

「大名は一人もか」

「左様です」

 大野は平伏したまま再び茶々に答えた。

「そうです」

「恩知らず共が」

 茶々は怒りに満ちた声をここで漏らした。

「豊臣の恩を忘れたか」

「はい、ただ内密ですが」

「手を貸してくれるのか」

「兵糧を出してくれる家もあり」

「ほう、兵糧をか」

「黒田家等が。それに」

 大野は顔を上げてさらに話した。

「何かあれば右大臣様をです」

「右大臣殿をか」

 茶々は己の隣にいる秀頼を見た、巨体をそこに誇示して何も言わず堂々とした態度で座っている。

「如何すると」

「肥後の加藤殿、薩摩の島津殿が申し上げています」

「島津とな」

「まずは肥後まで落ち延びられ」

 そしてというのだ。

「薩摩の奥に入れば」

「それでというのか」

「右大臣様を万全に匿えるので」

 薩摩は天下の端にあり南と西、東は海であり北の国境の警備も厳重だ。そして中に入っても他の国の者は言葉からすぐにわかる。

 そうした外の者が入りにくい国だからというのだ。

「匿えると」

「では我等が負けるというのか」

「万が一の時とのことです」

「馬鹿を言うでないわ」

 そう聞いてまた怒った茶々だった。

「天下人の豊臣が敗れるものか」

「だからですか」

「いらぬ心配は無用じゃ」

 目を完全に怒らせての言葉だった。

「全く、しかし大名達はか」

「どなたもです」

「来ぬか」

「天下の浪人衆は別にして」

「では誰が来るのじゃ」

 その浪人達の中でというのだ。

「一体」

「明石全澄殿、後藤又兵衛殿、塙駄右衛門殿達が」

「聞いたことがあるのう」

 茶々にしてみれば天下の豪傑達もこの程度だった、家康はどの者の名を聞いても目を瞠ったが。

「後藤殿はよく知っておる、天下の猛者ではないか」

「はい、その方々にです」

 大野はさらに話した。

「岩見重太郎殿、それに長曾我部盛親殿の」

「前の土佐の主じゃな」

「その方も」

「それは心強いな」

「はい、それにです」

 大野はさらに話した。

「宮本武蔵殿や大家に刑部殿のご子息も」

「来るのか」

「そして真田家からも」

「真田?」

 真田と聞いてだ、茶々は少し声をあげた。

「確か九度山に流されておる」

「はい、お父上はもう亡くなられましたが」

 それでもというのだ。

「ご子息の真田源次郎殿がご健在で」

「その者がか」

「今文を送っております」

 大野自ら書いたそれをだ、実は彼は他の主な浪人達に対してもそうして来ると約束を貰っているのだ。

「そしてどうやら」

「来てくれるか」

「この大坂まで」

「そうか、して数はどれ位になる」

「十万位かと」

「では勝てるな」

 茶々は十万と聞いて笑みを浮かべて言った。

「それでは」

「それは」

 大野はその返事には窮した、勝てるとは彼もあまり思えなかったからだ。だがその本音は隠し。

 そのうえでだ、茶々にこう言った。

「後は戦次第」

「戦の場でどう戦うかか」

「左様です」

「わかった、ではじゃ」

「はい、兵が集まれば」

「戦じゃ、そして戦に勝ってな」

 そのうえでとだ、茶々は大名達の話から一転してそのうえで明るい笑顔になってそのうえで言った。

「天下人は誰かをな」

「天下にですな」

「はっきりさせようぞ」

「わかり申した」

「して修理」

 茶々は大野にさらに言った。

「戦の采配じゃが」

「そのことですか」

「誰が執るのじゃ」

 今度はこのことを聞いてきた。

「やはり右大臣殿か」

「それは」

「ならば申し分ないな」

 こう大野に言うのだった。

「右大臣殿ならば」

「天下人だからですか」

「天下人自ら兵を動かせば」

 それでというのだ。

「勝てぬ道理はないわ」

「そう言われますか」

「そうじゃ」

 何の根拠もなく言うのだった。

「だからな、この度の戦はな」

「右大臣様ご自身が采配を執られ」

「当然の様に勝つ」 

 そうなるというのだ。

「この度の戦はな」

「そうなりますか」

「うむ、何の問題はない」

 それこそというのだ。

「それでな」

「その様にされて」

「負ける筈がないわ」

 茶々の言葉は普遍のものがあった、だが。

 この話の後でだ、茶々の話を聞いた者達が大野に言ってきた。

「右大臣様が戦の采配を執られるにしても」

「あの方は戦に出られたことがありませぬ」

「これが初陣です」

「槍や弓を取られたことさえ」

 それこそなのだ。

「あまりありませぬ」

「学問ばかりされてです」

「書での戦はご存知ですが」

「肌では知りませぬ」

「それで武芸さえまともにされておらぬ」

「それではです」 

 到底というのだ。

「あの方が采配を執られては」

「その場におられても出来るか」

「実質我等がとなりますが」

「我等が軍を動かしますな」

「そうなるであろうな」

 大野も彼等にこう答えた。

「間違いなくな、そして浪人の中からな」

「長曾我部殿や後藤殿、それに真田殿ですな」

「かつて大名だった方々が采配を執られる」

「そうなりますな」

「格が違う」

 かつて大名だった、このことはというのだ。後藤にしても黒田家で一万石以上の禄を持っていた大名だったのだ。

「やはりな」

「左様ですな」

「そうなりますな」

「大野殿がそうした方々の助けを借りて」

「そのうえで軍勢を動かしていかれる」

「そうなられますな」

「わしよりもじゃ」

 戦になればというのだ。

「その時はな」

「はい、後藤殿や長曾我部殿ですな」

「そして真田殿ですな」

「あの方々が軍勢を大きく動かされる」

「そうなりますな」

「あの方々が兵を率いてくれれば」

 その時はというのだ。

「違うと思うが。しかしな」

「茶々様ですな」

「右大臣様が采配を執られるとなりますと」

「やはりですな」

「口を出されてきますな」

「うむ、そうなる」

 こうなることは火を見るより明らかだった、茶々はこれまで大坂の政で秀頼の母として常にそうしてきたからだ。 

 それでだ、戦もというのだ。

「そうなればな」

「あの方は兵法の書も読まれていません」

「右大臣様より遥かに酷いですぞ」

「右大臣様はまだ馬に乗れます」

 決して上手ではないがだ、巨体過ぎて乗れる馬が少ないことも秀頼にとっては問題なことである。

「刀や槍、弓の稽古もされています」

「茶々様が傷ついてはと言われても」

「それでもです」

「稽古もされることはされています」

「あまりにしましても」

「しかし茶々様は」

 翻って彼女はというと。

「一切です」

「戦のことを承知でないです」

「その茶々様が戦に口出しされますと」

「危ういですぞ」

「政以上に」

「そうなることは明らかだしのう」 

 大野は困った顔のまままた述べた。

「この度のこともな」

「難しいですな」

「それも非常に」

「むしろ政の時以上に」

「厄介ですな」

「どうにも」

「全くじゃ」

 こう言うしかなかった。

「その場合は負けるか、しかしな」

「加藤殿に島津殿がです」

「密にとはいえあちらからも自ら申し出てこられましたし」

「それならば」

「敗れてもじゃ」

 例えそうなってもというのだ。

「右大臣様のことはな」

「はい、薩摩に入られれば」

「後は大丈夫です」

「天下人ではあられませんが」

「お命は」

「ならばじゃ」

 秀頼の命が助かるならというのだ。

「その様にな」

「していきましょうぞ」

「手を打っていき」

「そしてそのうえで」

「我等はですな」

「戦いましょう」

「まずは

「確かに茶々様は気掛かりじゃが」

 それでもとだ、大野も言う。

「まずはじゃ」

「戦になるのならば」

「勝つことですな」

「まずは」

「それが大事ですな」

「そうじゃ、勝つ為に心を砕くぞ」

 これからはじまる戦にというのだ。

「よいな」

「はい、それでは」

「天下の浪人達を集め」

「そうしてですな」

「そのうえで」

「戦に入りな」

 そうしてというのだ。

「まずは何としてもじゃ」

「勝つ様にしましょう」

「この度は」

「戦をするかにはな」

 大野も覚悟を決めて言う。

「やはりな」

「はい、勝たねばなりませぬ」

「負ければ滅びるだけですから」

「何があろうとも」

「勝ちましょう」

「わしはこれより戦の采配を執る」

 大野がというのだ。

「そして出来る限りな」

「茶々様にはですな」

「気遣いはさせぬ」

「そうしていきますな」

「そうしていこうぞ」

 出来ぬとわかっていても茶々にいらぬ口出しをさせぬ様にするというのだ、そうしたことを話してだ。

 大野は天下の浪人達の中で力のある者達に文を出していた、大坂の動きが本格化していたその時にだ。

 ふとだ、幸村は九度山でこんなことを言った。夜の星の動きを見てだ。

「戦になるな」

「では幕府と豊臣家がですか」

「遂にですか」

「戦になりますか」

「そうなりますか」

「星が教えてくれた」

 こう十勇士達に述べる。

「そうした動きじゃ」

「殿がそう言われるなら」

「間違いありませぬな」

「戦が起きますな」

「そうなりますな」

「必ずな、しかし一方にじゃ」

 幸村は星の動きを見つつ険しい顔になりこうも言った。

「暗い星がある」

「暗い星ですか」

「そうした星がですか」

「その星はやけに大きくしかも真ん中にある」

 その一方にというのだ。

「そして他の星の輝きを妨げておるわ、それに対してな」

「もう一方は違う」

「そうなのですか」

「二つの将星があるが」

 そちらにはというのだ。

「一方が大きく強く輝いてな」

「そして、ですか」

「そのうえで」

「そちらを導いておる」

 そのもう一方をというのだ。

「そしてな」

「相当な強さですか」

「そちらは」

「盤石なものがありますか」

「うむ、おそらく戦はそちらが勝つ」

 黄色い大きな星がある方がというのだ。

「間違いなくな」

「黄色といえば徳川家ですな」

「徳川の具足や旗は黄色です」

「井伊家だけは赤ですが」

 井伊の赤備えだ、武田家の強さを見てその強さを受けようとその赤備えを受け継いでいるのだ。

「それでもですな」

「黄色となりますと」

「やはり」

「うむ、幕府じゃ」

 幸村もこう見ていた。

「やはりな、そしてもう一方には金色に輝く星もあるが」

「金色は豊臣ですな」

「太閤様の頃よりそうですし」

「黄衣といえども実は金色ですし」

「具足も旗も」

 この辺り派手好みな秀吉らしい。

「それではですな」

「その暗い大きな星は」

「やはり」

「わかるな、そして拙者とお主達に大助はな」

 今は大助もその場にいる、それで彼にも声をかけたのだ。

「大坂に入る様じゃ」

「そちらにですか」

「やはりそうなりますか」

「うむ、それも星に出ておる」

 そこにというのだ。

「我等の星が出ておる」

「左様ですか」

「大坂方で戦いますか」

「そうなりますか」

「そうじゃ、幕府につきたい者はおるか」

 ここで十勇士達と大助に問うた。

「お主達の中に」

「いえ、ありませぬ」

「それはありませぬ」

「我等にしましても」

「それはありませぬ」

「決して」

 まずは十勇士達が口々に答えた。

「我等と幕府は相いれませぬ」

「どうしましても」

「例え幕府から文が来ましても」

「断りましょう」

「そうしましょう」

「それがしもです」

 大助も父である幸村に言った。

「やはりです」

「お主もじゃな」

「幕府につくことは考えられませぬ」

「我等は幕府とはどうしても相容れぬな」

「そうしたものがあります」

 このことは大助もわかっていて言うのだ。

「これまで多くの戦を経てきましたし」

「そうじゃ、しかもな」

「我等にはやらねばならぬことがありますな」

「関白様にも頼まれておる」

 秀次、彼にというのだ。

「右大臣様のことをな」

「だから余計に」

「幕府の陣営に加わることはない」

 そうなるというのだ。

「大坂で戦う」

「そうなりますな」

「そしてじゃ」

「右大臣様をお守りする」

「何があろうともな」

 そうするとだ、幸村は我が子に話した。

「お主にも頼むぞ」

「はい」

 確かな声でだ、大助は父に応えた。

「及ばずながらそれがしも」

「お主には学問も武芸も教えてきた」

「はい、槍に馬に兵法に」

「そして忍術もな」

 真田家の者が極めるべきそういったもの全てをというのだ。

「教えてきたな」

「だからこそですな」

「お主にも来てもらう」

 大坂、そこにだ。

「そしてな」

「戦いそのうえで」

「拙者に何かあればな」

「その時は」

「十勇士達を指揮してじゃ」

 そしてというのだ。

「右大臣様をお守りせよ」

「わかり申した」

 大助は父に確かな声で答えた。

「是非共」

「その様にな。もっとも拙者はそう簡単に死ぬつもりはない」

「真田だからこそ」

「真田は生きる家じゃ」

 何としても生きてその果たすべきことを果たす、幸村は大助に真田家のその考えも話すのだった。

「だからな」

「それ故に」

「死ぬな」

 何としてもというのだ。

「お主もな」

「わかり申した」

「拙者の見立てじゃが」

 幸村は遠い目になった、その目で大助だけでなく十勇士達にも話した。

「この戦は負ける」

「大坂がが」

「即ち豊臣家が」

「そうなる、しかし既に手を打っておいた」

 こうも話すのだった。

「肥後の加藤家、薩摩の島津家と話をしたな」

「はい、両家はです」

「戦には加わりませんが」

「それでもですな」

「いざという時は右大臣様を匿って下さる」

「そう約束して頂いたので」

「両家共約束は守られる」

 幸村はこのこともわかっていた、死ぬ前の加藤清正それに島津家久の目を見てわかったんだ。

「必ずな」

「だからですな」

「このことは安心してですな」

「そしてですな」

「万が一の時は」

「敗れようとも」

「我等は右大臣様をお連れしてじゃ」

 そうしてというのだ。

「薩摩まで落ち延びるぞ」

「わかり申した」

「これまで話してきた通りに」

「そうしますな」

「必ず」

「関白様との約を果たしましょうぞ」

「必ずな、しかし思うことは」

 それはというと。

「それは我等全員が生き残ってこそじゃ」

「それがしもですか」

「無論じゃ」

 大助にはっきりと答えた。

「お主も生きてじゃ」

「そのうえで」

「右大臣様をお助けしてな」

「大坂から何とか落ち延び」

「薩摩まで逃れるぞ」

「わかり申した」

「だから言ったのじゃ」

 幸村は大助にさらに話した。

「我等は決してな」

「迂闊に死のうと思ってはならぬ」

「生きることじゃ」

 出来る限りそうせよというのだ。

「その為の忍術でもある」

「それがしも身に着けている」

「真田は武士であるが忍でもある」

 そこが普通の武士と違うところだ、彼等は確かに武士であるが忍術を備え忍としても生きて来た家なのだ。

 だからだ、幸村も言うのだ。

「その時は忍として生き残るのじゃ」

「そして右大臣様を」

「お助けするぞ」

「わかり申した」

「全ての手を打っておいてな」

 そのうえで、というのだ。

「敗れても」

「それでも」

「我等の果たすべきこをしましょう」

「必ず」

「そうする、そして文が来たならばな」

 豊臣家からのそれがというのだ。

「この九度山を出るが」

「どうもです」

「近頃見張りの者が多いですな」

「伊賀者や甲賀者達が」

「前よりも」

「うむ、しかしな」

 それでもとだ、幸村はさらに話した。

「その見張りの目もな」

「何とかですな」

「かい潜り」

「そしてそのうえで」

「大坂に入りますか」

「そうする、知恵は既に用意しておる」

 幸村は十勇士と大助に確かな声で答えた。

「だからな」

「その時はですな」

「すぐにでも」

「ここを出る」

 確かな声で言った。

「雲隠れの様にしてな」

「左様ですか」

「では、です」

「その時になれば」

「殿の知恵から」

「大坂に入ろうぞ」

 こう言うのだった、幸村は既に全てを決めていた。戦についてその見るべきものも見てもいて。



巻ノ百二十   完



                   2017・8・25

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