巻ノ百三十一 国崩しの攻め
自身に届けられた文を見てだ、家康は満面の笑みを浮かべた。そのうえで傍に控える正純に対して言った。
「これはいいことじゃ」
「では」
「うむ、大坂からうって出るつもりであったが」
「それはですな」
「二日後とのことじゃ」
「そうですか、では」
「明日にはじゃ」
まさにその時にはというのだ。
「あれが届くわ」
「そうですな、明日の朝からです」
「当たらずとも届かずともよい」
家康はそれには構わないとした。
「撃つだけでいいのだ」
「それだけで」
「明日からはじめられるな」
「はい」
まさにとだ、正純は家康に答えた。
「その様です」
「ではな」
「はい、大砲をですな」
「撃つのじゃ、しかし有楽殿も狸よのう」
「全くですな、大坂の諸将が茶々殿に言われると見れば」
「すぐに酒を勧めてくれたわ」
それも二日酔いにまるまでだ。
「風邪までひくとはな」
「そしてその間にです」
「大砲が供えられる、若し大坂が今日にでもうって出ていれば」
「大砲どころではありませんでした」
「我等は大きな戦になっておった」
そうなっていたというのだ。
「まさにな」
「左様ですな、そしてです」
「ここにも軍勢が迫っておったかも知れぬ」
「そう思いますと」
「茶々殿が三日と言ったのはよかった、普通はじゃ」
戦を知っているのならとだ、家康は言った。
「ここでどう言うか」
「その日のうちにですな」
「攻めることを決めておった」
そうだというのだ。
「それが戦じゃ、しかしな」
「それを茶々殿はですな」
「戦のことを何も知らぬからじゃ」
それ故にというのだ。
「何も考えなく言ったと思うがな」
「その何も考えなくもですな」
「戦を知らぬこと、そしてその戦を知らぬことがな」
「大坂の命取りとなりますな」
「この戦これで勝ったわ」
家康はにんまりと笑って言った。
「では明日からじゃ」
「いよいよですな」
「城攻めじゃ」
それに入ると言ってだ、そしてだった。
家康は次の日の朝からだった、大砲達を城のすぐ傍に置いて激しく撃たせはじめた、幸村は真田丸でその音を聞いて言った。
「はじまったか」
「父上、明日にはです」
「うむ、うって出るとなっておったがな」
「はじまってしまいましたな」
「これで茶々様はじゃ」
大坂城の主である彼女はというと。
「もうじゃ」
「何も出来ませぬか」
「外に出ることが決まっておってもな」
それでもというのだ。
「肝心の茶々様が何も出来ぬ様になってはな」
「どうしようもないですか」
「今頃茶々様は本丸で震えておられる」
幸村は大助に確信を以て話した。
「雷の音が苦手というからにはな」
「砲の音にもですな」
「平気でいられる筈がない」
だからだというのだ。
「それではな」
「本丸で震えておられ」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「やがてはな」
「まさかと思いますが」
「うむ、その通りじゃ」
「講和を」
「それを言われるわ」
「この状況で講和なぞしても」
「わかるな、それは」
「はい、とても」
まさにと言う大助だった、まだ元服したばかりの彼にもこのことはよくわかることだった。
「幕府の言うがままにです」
「講和をさせられてな」
「どうなるかわかったものではありませぬ」
「この大坂を出ることになるぞ」
「豊臣家は」
「幕府は豊臣家を出してですな」
「そうじゃ、大坂を治めるつもりじゃ」
「豊臣家自体はですな」
「大坂が必要だからな」
そう思っているからだというのだ。
「そこまでは考えておらぬが」
「それでもですな」
「大坂は出るしかなくなる」
「茶々様は大坂から出られるおつもりは全くないですが」
「それも適わなくなる」
間違いなく、というのだ。
「そうなるわ」
「それでは」
「我等もじゃ」
幸村達もというのだ。
「これではな」
「敗れますか、しかし」
「ここはじゃな」
「明日うって出ることは決まっています」
それ故にと言う大助だった。
「ですから」
「それを口実にしてじゃな」
「うって出れば」
「それが出来ればするが」
しかしというのだった。
「出来ぬわ」
「それもですか」
「そうじゃ、茶々様がそうなっては大蔵局殿達が何というか」
茶々の側近中の側近である彼女達がというのだ。
「そう考えるとな」
「うって出ることはですか」
「出来ぬわ」
「そうなのですか」
「うむ、この戦決まったわ」
苦い顔で言う幸村だった。
「最早な」
「左様ですか」
「残念じゃがな」
「まさか明日だというのに」
「それがそうなるとはな」
「はい、無念です」
大助もこう言った。
「あと一日早ければ」
「大坂城の堀は広い」
幸村は大助にもこのことを話した。
「風に乗せて弾を撃っても精々外堀のところの壁や櫓に届くのみ」
「それでもですな」
「音で攻めるとな」
「茶々様は雷がお嫌いだとか」
「つまり大きな音に苦手じゃ」
「それで砲の音に攻められては」
「終わりじゃ」
そうなるというのだ。
「今拙者が話した通りにな」
「左様ですか」
「そうじゃ、もう今の時点で茶々様は動けなくなっておられる筈じゃ」
砲撃の音が響いている今はというのだ。
「それが朝も昼も晩も続けばな」
「茶々様は参ってしまわれて」
「やがて講和と言い出す筈じゃ」
「大坂方が折れる形で」
「囲まれたうえにな」
「そのうえで講和とは」
「最悪の講和じゃ、大坂にとってな」
まさにと言う幸村だった。
「どういった条件かわからぬわ」
「大坂を出ることになりますな」
「そう思ってよい、しかしそれを茶々様は聞かれるか」
「そうしたうえでの講和となっても」
「わかられる方ではない」
「どうもあの方は政は」
「我等より遥かに、いや全くわかっておられぬ」
兄信之より政は劣っていると見ている幸村そしてまだ元服したばかりであり政に携わったことのない大助よりもというのだ。
「ご自身は気付いておられぬが」
「そうした方では」
「それでも出られぬわ」
「それでは」
「下手をすればまことにな」
「豊臣家はですな」
「滅ぶやも知れぬ」
こう大助に言った。
「講和の後でまた騒がれてな」
「そしてまた戦となり」
「厄介なことになるやもな」
「そうなのですな」
「しかし我等はそれでもじゃ」
「はい、何としてもですな」
「関白様と約束したからな」
秀次、彼にだ。
「右大臣様は必ずじゃ」
「お助けしますな」
「我等全員が生きたうえでな」
「それがしも十勇士も」
「そしてじゃ、何としてもお助けするぞ」
「戦がどうなろうとも」
「そうするぞ、無論大御所殿には負けぬしその御首もな」
家康のそれもというのだ。
「手に入れるぞ」
「そうなれば勝ちですな」
「それもあるからな、何としてもじゃ」
「戦に勝ちますか」
「そうする、拙者は武士としてそうしたい」
「大御所殿に勝ちたいですか」
「そう思っておる、武士としてあの御仁に勝ちたい」
天下人になった家康、彼にというのだ。
「あの方は間違いなく天下人」
「器を見ても」
「その方に同じ武士として勝ちたいのじゃ」
「だから御首をですな」
「取りたいのじゃ、だから右大臣様をお助けし」
「そして大御所殿の御首も」
「どちらも果たす、しかしそう考えると拙者はな」
幸村はここで笑って我が子に話した。
「非常に欲が深いな」
「父上がですか」
「どちらも出来ぬと言われるものやも知れぬが」
「そのどちらもどうしてもというからですか」
「欲深いわ」
笑ってこう言うのだった。
「そう思ったわ」
「左様ですか」
「ここまで欲深い者はおらんわ」
「父上は禄にも官位にも銭にも特に欲はないですが」
「だから無欲というか」
「今もそう思っていますが」
「それが違う」
幸村自身の言うところだ。
「拙者はこれ以上はないまでに欲深いわ」
「右大臣様をお助けし」
「大御所殿の御首をというのだからな」
「その両方を何としても収めたい」
「そしてもう一つあったわ」
「もう一つとは」
「武士の道を歩みな」
そしてというのだ。
「天下一の武士になりたい」
「そうも思われるからですか」
「これ程欲の深い者はおらん」
我が子に話した。
「そう思った、武士の道もな」
「歩まれて」
「天下一の武士になりたいわ」
「そして天下一の武士になって」
「さらに進みたい」
その武士の道をというのだ。
「それからもな」
「父上の望みは道ですな」
「武士のな」
「それは変わりませぬな」
「そう誓っておる、この戦がどうなろうとも」
「二つのことを果たされ」
「天下一の武士となるぞ」
こう大助に言うのだった、幸村は砲撃の中でもそう思っていて戦に向かっていた。彼は砲撃の音なぞ気にしていなかった。
それは城の中の諸将も同じで当然後藤もだった、だが後藤は木村の話を聞いて顔を顰めさせて言った。
「そうか、やはりな」
「茶々様は最早です」
「本丸のご自身の部屋に篭られてか」
「耳を塞いで震えておられるばかりだとか」
「そうなっておられるか」
「はい」
まさにという返事だった。
「あの方は今は」
「そうか、それではな」
「我等もですな」
「攻められぬ」
後藤は木村に歯噛みして言った。
「それではな」
「やはり」
「うむ、この城の総大将はやはり茶々様じゃ」
「その茶々様がそうなってしまわれては」
「右大臣様は何ともないな」
「はい、本丸の本陣におられてです」
秀頼はとだ、木村は後藤に彼のことも話した。
「悠然としておられます」
「大砲の音にもじゃな」
「全く動じておられませぬ」
「やはり太閤様のお子、戦ははじめてとはいえお見事じゃ」
「ですな、肝が違います」
並の者とはとだ、木村はこのことは笑みを浮かべて言えた。
「ですが茶々様は」
「どうしてもじゃな」
「元々雷がお嫌いですしどうも」
「どうも、というと」
「小谷と北ノ庄のことを思い出される様です」
この二つの城のことをというのだ。
「二度の落城を」
「その時をか」
「その時は砲の音はなかったですが」
「鉄砲か」
「はい、その音が激しく落城を思い出され」
そして親達を失ったことをというのだ。
「そしてです」
「震えておられるか」
「左様です」
「そうか、余計に困ったことじゃま」
「今は大蔵局様がお傍におられます」
大野三兄弟の母であり茶々の乳母として幼い頃から傍にいて全幅の信頼を寄せる彼女がというのだ。
「そうして茶々様を支えておられますが」
「このままではじゃな」
「はい、よくないことになるかと」
「講和か」
後藤は渋い顔でこの言葉を出した。
「それか」
「はい、どうもです」
「それに傾くこともじゃな」
「このままでは」
「今講和をしてもじゃ」
「大坂にとっていいことはありませぬな」
「大御所殿はここぞとばかりに仕掛けてくるぞ」
その講和の時にというのだ。
「それこそ我等が大坂から出るしかなくなる様なことをな」
「そしてそれはですな」
「茶々様は絶対に大坂から離れたくはない」
「大坂におられることこそが天下人の証だからですな」
「茶々様にとってはな」
天下人である秀吉が築いたこの城にいてこそというのだ、そして茶々は大坂にさえいれば何があろうと安心だとさえ思っているのだ。もうそれで落城し大切な者を失うこともないと確信しているからこそだ。
「だからな」
「それで、ですな」
「そうなってもじゃ」
「講和となり大御所殿にどうされても」
「ここからは離れぬ、わしも大坂でそれがわかった」
茶々自身を見て彼女と話をしてだ。
「あの方はどうなってもな」
「例え大坂から離れるしかなくなっても」
「あの方だけはじゃ」
「大坂から離れられず」
「そしてじゃ」
「最悪、ですな」
「滅びられるやも知れぬ」
こう木村に話した。
「まことに最悪であるがな」
「左様でありますか」
「それは避けたいが」
大坂の将となったからにはとだ、後藤は木村に暗い顔で話した。
「ここで講和すればな」
「最悪そうなることもですな」
「有り得る、だからな」
「何とか講和にはならぬ様に」
「せねばな、そしてその為にはな」
「茶々様を説得し」
「うって出てじゃ」
「戦うのが一番ですな」
木村もこう応えた。
「やはり」
「何といってもな」
「さすれば」
「うむ、今のうちにじゃ」
「茶々様を説得しましょうぞ」
「何とか茶々様の御前に行ってな」
こう言ってだ、後藤達は茶々に何とか会おうとしたがだ。それは有楽とその子長頼だけでなく大蔵局までもが血相を変えて彼等に言った。
「茶々様は誰ともお会い出来ぬ」
「そう言われますが」
「会ってどうされるおつもりか」
大蔵局は諸将に険しい顔で問うた。
「一体」
「一体も何も」
毛利が大蔵局に返す、当然幸村や後藤達諸将もいる。
「我等は茶々様のことを思い」
「それでお会いしてか」
「はい、外にうって出てです」
そしてというのだ。
「一気に攻めんとしております」
「その様なことは勝手にされよ」
戦のことを知らない大蔵局は怒った顔で言い返した。
「貴殿等で」
「ですがそれも茶々様のお許しがなければ」
今度は塙が言ってきた。
「ですから」
「ならばまたの機会にされよ」
「またの」
「そうじゃ、今の茶々様はお疲れじゃ」
ただ茶々のことを思い言った言葉だ、もっと言えば茶々のこと以外は頭の中にない言葉である。
「だからじゃ」
「左様、大蔵局殿の言われる通りです」
ここでまたしたり顔で言う有楽だった。
「各々方申し訳ありませぬが」
「下がられよ」
また言ってきた大蔵局だった。
「また今度じゃ」
「今度といいますと」
大野は母に問うた、大蔵局には言えるのだ。
「それは」
「砲が止まってからじゃ」
「それからというのですか」
「そうじゃ、それまではじゃ」
「茶々様にですか」
「近付いてはならん」
つまり会うなというのだ。
「断じてな、お主でもじゃ」
「しかし今はです」
大野は母である大蔵局にさらに言った。
「何とかしてです」
「まだ言うのか、そなたは」
「それがしもです」
治房も大蔵局に言う、治胤も同じ顔である。
「どうかここは茶々様に」
「まだ言うのか、だからじゃ」
大蔵局は茶々を守りたい一心だ、その一心のまま息子達に言った。
「今は無理じゃ」
「ですがそれはです」
治胤も遂に口を開いた。
「我等がうって出ればです」
「砲撃を止められるというのか」
「ですから是非」
「いやいや、それは出来ませぬぞ」
有楽は大蔵局の側に立って大野達を止めた。
「既に敵も迎え撃つ容易をしておるのです」
「それはまことでございますか」
「はい」
自分の言葉に聞いてきた大蔵局にすぐに答えた。
「ですからうって出ても確実にはです」
「大砲を退けられませぬか」
「確実にはです」
嘘は言っていないがそれで諸将の考えを退ける言葉だった、もっともそれが有楽の狙いである。
「それはです」
「出来ぬのですな」
「拙僧が見たところ」
「ではならぬ、それに妾は僭越ながら茶々様の乳母を務めてきて今もお傍にお仕えしている身」
ここで大蔵局は見得を切った、きっとした顔になり諸将に言った。
「こうした時妾の言葉は何であるか」
「茶々様のお言葉です」
「左様です」
有楽だけでなく長頼も言ってきた。
「だからですな」
「ここは」
「各々方よく聞かれよ」
諸将を茶々の前に通すまいとして頑としての言葉だった、有楽達の後ろ盾もありそれは非常に強かった。
「ここは下がられよ」
「では」
「うって出ることもまかりなりませぬ」
大野にも強い声で返した。
「何があろうとも」
「左様ですか」
「今の妾の言葉は茶々様のものでありますぞ、どうしても行かれるなら」
さらに見得を切った。
「妾を切って行かれよ」
「戦の場でもない、まして女御を斬るなぞ」
長曾我部がこれ以上はないまでに苦い顔で応えた。
「武士ではない」
「誰がしましょうか」
明石もこう言った。
「我等はそれはしませぬ」
「では今はです」
機と見てだ、有楽はここでも諸将に言った。
「お下がり下され」
「仕方ありませぬな」
幸村も無念であった、だが最早ここはどうしようもないこともわかっていた。それでこう言ったのである。
「この場は」
「茶を飲まれますか」
有楽は今度は微笑んで諸将に彼の道を勧めた。
「そうされますか」
「いえ、今は遠慮致します」
「それがしもです」
「それがしもまた」
幸村に他の諸将も続いた、こうしてだった。
幸村達諸将は不承不承ながらも引き下がった、だが真田丸に戻った幸村の顔を見て十勇士達は彼にすぐに申し出た。
「あの、宜しければ」
「殿がよしと言われればです」
「我等十人だけでも出て」
「大砲を何とかしてきますが」
「いや、大砲にも服部殿と十二神将が来ておる」
その守りにというのだ。
「だからそなた達だけで攻めて例えどうにかなってもな」
「我等に死人が出る」
「そうなるからですか」
「出てはならぬ」
「そう言われますか」
「拙者と十一人で攻めれば誰一人も死なぬであろうが」
しかしというのだ。
「拙者まで出れば有楽殿に気付かれてな」
「大蔵局様に言われ」
「厄介なことになりますな」
「何故うって出たかと言われて」
「だからじゃ、それにうって出てはならぬと言われておる」
そもそもこのことがあってというのだ。
「だからそれは出来ぬ」
「それではですか」
「ここは大人しくですか」
「真田丸に篭るしかありかせぬか」
「このまま」
「そうじゃ」
まさにとだ、幸村は十勇士達に答えた。
「そうするしかない、それに大砲自体を多く用意するのも難儀じゃがな」
「弾もですな」
「だから砲撃も多くはない」
「それでは砲撃が終わるのを待つ」
「弾が尽きて」
「そうするしかない、しかしこれもな」
弾が尽きるのを待つにしてもというのだ。
「茶々様が折れぬ前にな」
「そうなればいいですが」
「そうでなければ」
「終わりじゃ」
まさにというのだ。
「我等はそこまで危ういのじゃ」
「そうなのですか、しかし」
「拙者は最後まで戦いそして生きる」
「それが真田の者ですな」
「そして拙者の考える武士の道じゃ」
「だからですな」
「そうなっても戦う、大坂城がどうなってもな」
「右大臣様をお助けして」
「そうする、だからお主もじゃ」
「最後の最後まで諦めることなく」
「戦うのじゃ、死んではならぬぞ」
「承知しました」
大助は父の言葉に頷いて応えた、そうして砲撃の音を聞いていた。徳川の軍勢はそこに鉄砲の音も入れていた。
その砲撃を見てだった、藤堂高虎は家臣達に話した。
「これで我等の勝ちじゃ」
「砲の弾は城に届いていませんが」
「大抵は堀に落ちています」
「大坂城自体は殆ど何もなっておりませぬ」
「たまに壁や櫓に当たっていますが」
そうして大坂城を傷付けてはいるのだ、だがそれでも藤堂はいぶかしむ家臣達に言うのだった。
「それでもじゃ、凄い音じゃな」
「はい、音は」
「これ自体はです」
「非常に大きいです」
「まるで雷の如きです」
「そうじゃ、雷じゃ」
まさにそれだというのだ。
「この雷で攻めるのじゃ」
「雷で、ですか」
「敵を攻めるのですか」
「そしてそのうえで、ですか」
「この戦に勝つのですか」
「城を攻めるは下計、人を攻めるは上計じゃ」
それ故にというのだ。
「そしてこの度はな」
「人ですか」
「人を攻めていますか」
「そうなのですか」
「そうじゃ、そうしておるのじゃ」
こう言うのだった。
「我等はな、だからこれでじゃ」
「この度の戦は勝つ」
「幕府がですか」
「そうなりますか」
「元々篭城をする時点でこうなることは半ば決まっておった」
大坂方が篭城したことについても言った。
「囲まれて出られなくなるのは火を見るより明らかじゃな」
「はい、それはわかります」
「まさに下の下の策です」
「茶々様が無理に言われたらしいですが」
「その結果ですな」
「だからわしは幕府についたのじゃ」
家康、彼にというのだ。
「幼君の右大臣様ではなく実権は茶々様にあって今もそうじゃが」
「茶々様は政が何もわかっておられませぬ」
「それこそ何一つとして」
「そして戦もです」
「全く分かっておられませぬ」
「それでいて非常に強情で強い癇癪を持たれておる」
そうした女だというのだ、茶々は。
「その様な方が大坂の主だからな」
「滅びる」
「そう確信されてすな」
「殿は幕府に入られた」
「左様でしたな」
「わしも大名、わし一人のことではない」
仕える家を選ぶこと、それはというのだ。
「お主達に家、そして何よりも民達のことがある」
「だからですな」
「滅びるとわかっている大坂にはつかず」
「何もわかっておられぬ茶々様ではなく大御所様ですな」
「あの方を選ばれたのですな」
「そうじゃ、そしてそのわしが言うのじゃ」
この度の戦のこともというのだ。
「これで幕府が勝つ、必ずな」
「大坂に弾が殆ど届かずとも」
「それでもですな」
「勝てる」
「そうなのですな」
「そうじゃ、必ず勝てる」
幕府はというのだ。
「だから安心せよ」
「はい、それでは」
「この度の戦を見させて頂きます」
「是非共」
「そうさせて頂きます」
家臣達は主の言葉に頷いた、そしてだった。
彼等は大坂城への砲撃を見た、それは実際に殆ど届いていなかった。だがそれでも茶々は大坂城の本丸で震えていた。
その状況を見てだ、家康に服部が話した。
「奥御殿に弾が届くやも知れませぬ」
「茶々殿のいるか」
「はい、そこにです」
まさにというのだ。
「強い追い風に乗せてですが」
「冬じゃ、風は強い」
家康は実際に大坂に流れる風を感じて大坂に応えた。
「ではな」
「はい、奥御殿に出来るだけ砲を近寄せ」
「そのうえでじゃ」
「撃ちますか」
「一発でも届けばよい」
砲の弾がというのだ。
「奥御殿の庭にでもな」
「そうなれば茶々様はいよいよ生きた心地がしなくなり」
「講和じゃ」
「そうなりますな」
「さて、講和の時はわしは鳴かせてみせよでいく」
真剣な顔になっての言葉だった。
「わしはよく鳴くまで待とうだと言われるがな」
「この度はですな」
「豊臣家には無理にでも大坂から出てもらいな」
「幕府が入る」
「そうする、何としてもな」
「それでは」
「奥御殿に届けよ」
こう命じた。
「弾をな」
「一発でもですな」
「それが決め手となる」
そのたった一発の弾がというのだ。
「ここまで散々撃ってきた、そこにじゃ」
「その一発が届けば」
「もう決まりじゃ、だからじゃ」
「奥御殿に届く様に」
「撃つのじゃ」
そうせよと命じてだった、家康は実際に大砲をそう動かさせだした。有楽はその状況を天守閣から見ていた。そのうえで傍にいる長頼に言った。
「これは奥御殿を狙ってじゃ」
「撃ってきますな」
「うむ、しかも今風が強い」
このことからも言う有楽だった。
「その風に乗せて撃てばな」
「奥御殿にもですな」
「届く、運がよければじゃが」
「若し届けば」
「一発でもな、それで茶々様は余計に怯えられてな
「遂にですな」
「講和となるわ」
長頼に笑みを浮かべて話した。
「必ずな」
「では」
「うむ、これで大坂の運命は決まる」
「幕府は大坂城を乗っ取れる様にして大坂城に入る」
「そして豊臣家は大坂を出る」
「そうなるわ、もう豊臣の天下は終わっておる」
有楽もこのことははっきりわかっていた、この家はもう天下人の家ではなくなっているということである。
「ならな」
「それならばですな」
「もう幕府がくれた場所で大名として暮らすべきじゃ」
「それが豊臣家の為ですな」
「大御所様もそうお考えじゃ」
「だから余計にですな」
「もう意地を張るのを止めてじゃ」
そのうえでというのだ。
「大坂を出てな」
「一大名として生きるべきですな」
「官位も高く大御所様の孫の夫じゃ」
そして将軍である秀忠の娘婿でもある。
「それならばじゃ」
「もう大名としてですな」
「別格の扱いで生きさせてもらえる」
「では文句もなくですな」
「生きていればよいのじゃ」
「それ故に」
「大坂に出ればよい、わしにとっても茶々殿は姪」
長頼にとっても従妹である。
「幕府とはつながっておってもな」
「それでもですな」
「わしなりにその行く末を考えておるわ」
「それ故にですな」
「茶々様も右大臣様もな」
「幕府の下で生きられるべきですな」
「全く、大御所様の申し出を受けられてじゃ」
茶々、彼女がだ。
「そのうえでじゃ」
「大御所様の正室となられていれば」
「こうした戦にもならんかった」
「ですな、確かに」
長頼もその通りと頷いた。
「茶々様が強情を張られれば」
「あの強情さはのう」
「お市様のものではないですな」
「そして兄上のものでもない」
信長、彼のだ。
「織田の者は強情ではないわ」
「場を見て考え動きますな」
「あの強情さは二度の落城故じゃ」
「小谷、そして北ノ庄での」
「それでああなってしまわれたわ」
その時に父と死に別れ後に兄を処刑されたのが小谷城の時だ。北ノ庄城では母と養父になっていた柴田勝家も失っている。茶々が受けた心の傷は不快のだ。
「だからな」
「あの様に強情になられましたな」
「そうじゃ、それでその強情さがじゃ」
「かえってご自身を危うくさせて
「今に至っておるわ」
そうなってしまっているというのだ。
「だからじゃ」
「父上としましては」
「その強情さも取り払いたいのじゃがな」
「この度の戦で」
「もう大坂城を出るしかなくなれば」
その時はというのだ。
「茶々様も折れられるであろう、そしてな」
「それからはですな」
「穏やかになられるわ、そうなればな」
「あの方にとってもよいことですな」
「右大臣様にとってもな」
茶々の子である秀頼にとってもというのだ。
「まことによいことじゃ」
「ではこの動きは」
「言わぬ」
一切という返事だった。
「誰にもな」
「幕府に好きなだけ撃たせる」
「これで戦が終わるからな」
「そうですか、では」
「これで講和じゃ、そして講和が成れば」
「我等はですな」
「この城を出ようぞ」
こう言うのだった。
「我等はな」
「はい、もう周りの目もです」
「あからさまに疑っておるわ、わしも流石にな」
「ここまで疑われますと」
茶々は疑っていない、それで有楽も彼女に好きなことが言えるのだ。
「ましてその疑いが事実ですから」
「だからな」
「講和がなればもう」
「茶々様も大坂を出られるしかなくなるしな」
「役目も終わって」
「そうした意味でも理由がなくなるわ」
有楽のそれはというのだ。
「だからじゃ、ここはあえてな」
「何も言われませぬな」
「今見ていることはな、しかしな」
「真田殿は気付かれますな」
「あの御仁は別じゃ」
有楽は長頼に幸村のことも話した。
「おそらく今天下一の知将じゃ」
「だから奥御殿が狙われることも」
「気付かれているだろう、だから真田殿が本丸に行き茶々様に言われぬ様にしよう」
「お止めしますな」
「このままな、茶々様はお会い出来ぬ」
誰にもというのだ。
「そうしていくぞ」
「ではすぐに天守を降り」
「茶々様の下に誰も通れぬ様にしよう」
「わかり申した」
こうして有楽は幕府の動きをあえて見て見ぬふりをしてだった、茶々のところに誰も行かせぬ様にしてだった。
彼のすべきことをした、それは彼が思う豊臣家の助け方の為であった。
巻ノ百三十一 完
2017・11・15