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巻ノ最後

               巻ノ最後  訪れるもの

 家康は幸村達との戦の後暫くして遂に動けなくなった、そうして床につく中で心配している幕臣達に言った。

「お主達暗い顔をしておるのう」

「それが当然です」

「大御所様のことを思えば」

「どうしてそうならずにいられるか」

「何を言うか、わしは全てをやり遂げて旅立つのだぞ」

 その幕臣達に言うのだった。

「満足して世を去るのじゃ」

「だからですか」

「それで、ですか」

「そうじゃ、悲しむことはない」

 これが家康の言いたいことだった。

「だからじゃ」

「悲しまずに」

「そのうえで、ですか」

「わしを見送るのじゃ、もう遺言も残した」

 それも既に済ませたというのだ。

「後はわかるな」

「はい、上様にですな」

「我等はお仕えし」

「そのうえで」

「天下を治めていくのじゃ」

 この国をというのだ。

「よいな」

「ではですな」

「我等は大御所様を笑顔で見送る」

「そうせよというのですな」

「今は」

「そうじゃ、笑って送るのじゃ」

 まさにだ、そうせよというのだ。

「よいな」

「それでは」

「笑顔にならせて頂きます」

「是非共」

「その様にせよ。そして薩摩のことはな」 

 今自分を見守る幕臣達は知っている、そして信頼出来る者達だからこそ家康もあえて言ったのである。

「よいな」

「はい、あえてですな」

「他言無用」

「その様にですな」

「そうせよ、手出しをしてはならぬ」

 決してと言うのだった。

「よいな、竹千代も承知しておるからな」

「承知しました」

「ではそのこともです」

「わかりました」 

 幕臣達はまた答えた、そしてだった。

 家康の死を見守った、家康は遂に涅槃に旅立とうとしていた。

 だがその中でだ、彼は薄れていく意識の中でだった。ある者に会った。その者は家康に対して言っていた。

「そなたは存分に働いた」

「そう言って頂けるか」

「だから後はな」

「日光において」

「江戸を護ることはしてもな」

 それでもというのだ。

「よいな」

「ゆっくりと休めと」

「そうするのだ」

 こう言うのだった。

「よいな」

「長い間働いたからですか」

「もう背中の重荷を下ろすといい」

 その者は家康にこうも告げた。

「そしてそのうえでな」

「この世を去り」

「眠るといい、しかしな」

「それがしのしたことは」

「実に大きかった、それは後世も長く残りな」

「後の民達もですか」

「助けていくことになる、しかし豊臣家のことはな」 

 この家のことも話すのだった。

「それはな」

「はい、言い訳になりますが」

「あの様なことをしなくて済んだ筈だがな」

「それがしもそう思っていましたが」

「無念であった」

 家康にとってもというのだ。

「こう言うとあれじゃが茶々殿がな」

「政がおわかりおなら」

「そしてあそこまで頑迷であらなければ」

「大坂を譲ってくれて」

「他の国に移られていました」

「大坂さえ手に入ればよかったのじゃ」

 家康にしてもというのだ。

「まことにな」

「左様でしたな」

「右大臣殿も聞いて頂ける感じでしたし」

「それならば」

「戦もせずともよかった」

 大坂でのそれもというのだ。

「そこはしくじったわ」

「ですがあれは」

 正純がここで家康に述べた。

「茶々殿のご気質では」

「致し方ないか」

「ああした方ではです」

 最早と言うのだ。

「ああなるしかです」

「諦めるしかないか」

「そうかと」

 こう家康に述べるのだった。

「致し方ないです」

「そうか、ではな」

「はい、それでは」

「大坂のことはあれでか」

「よしとすべきでしょう」

 内密であるが秀頼は助かった、それでというんのだ。

「太閤様との約束を果たした」

「それでか」

「大御所様は律儀を貫かれたと」

「わし自身約束を違えるのは嫌いじゃしな」

「公儀ならば」

「約束を違えて政は成らぬ」

 そうなってしまうというのだ。

「諸大名も民達も納得せぬわ」

「約束を違える様な幕府では」

「だからじゃ、これからもな」

「幕府はですな」

「約束を違えぬままじゃ」

「政をしていくべきですな」

「うむ」

 そうせよと言うのだった。

「ではな」

「はい、それでは」

「そのことも伝える、幕府の政には邪道は無用じゃ」

「王道、正道でですな」

「進めていくのじゃ、何があってもな」

 天下万民と向かい合ってとだ、家康は幕臣達に告げ江戸の秀忠にも伝えさせた。その言葉を聞いてだった。

 秀忠もだ、江戸城でこう言った。

「その通り、幕府はな」

「律儀をですか」

「まさにそれを」

「貫いていく」

 江戸にいる幕臣達に答えた。

「当然余もな」

「律儀であられますか」

「これからも」

「そうして天下万民を治めていく、正道を歩んでいくぞ」

 家康が言う政のそれをというのだ。

「そしてじゃ」

「そのうえで」

「天下泰平を守っていきますか」

「そうしていくぞ」

 こう言ってだ、秀忠は天下をその律儀で守ることを誓った、だが大奥ではお江は今も暗い顔でいた。

 そうしてだ、次姉の常高院に言うのだった。

「今もですね」

「お姉様のことはですね」

「最後までお救いしたいと思っていましたが」

「それは私もです」

 常高院も悲しい顔で妹に返した。

「今も想っています」

「左様ですね」

「二度の落城もありましたが」

「その時も常に共にいましたし」

「幼い時は楽しい時も辛い時もいつも一緒でした」

 それだけに強い絆がある、常高院はこのことを想って止まなかった。そしてそれはお江も同じなのだ。

「それではです」

「どうしてもお救いしたかったですね」

「何としても。ですが」

「もう」

 お江は俯き涙を堪える顔で応えた。

「それも終わってしまったこと」

「あの方はもう旅立たれました」

「それではですね」

「お姉様の菩提を弔い」

「そして私は」

「はい、次の天下人となる方を見守るのです」

 母としてだ、妹にそうせよと言うのだった。

「宜しいですね」

「はい、そうすべきですね」

「そうです、宜しいですね」

「承知しています。では私は竹千代と」

 次の将軍に第一になる者として定められている彼と、というのだ。

「国松を」

「はい、育てるのです」

「そうさせて頂きます」

「せめてもの救いはお姉様のお子右大臣様のこと」

「表向きは亡くなられたとなっていますが」

「薩摩で生きておられます、では」

「そのことを救いとして」

「これから生きていきましょう」

 常高院は妹に優しい声をかけて慰めていた、二人は茶々の菩提を弔いつつも未来を見据えていた。そうして生きていた。

 上杉景勝は戦が終わると米沢に戻っていた、そこで直江景勝に言った。

「もうな」

「はい、戦は終わりましたし」

「我等はすることがなくなった」

 こう言うのだった。

「戦の為に何かすることはな」

「ではこれからは」

「この米沢のことを考えていこう」

「この藩をどう治めるか」

「それをな。戦国の世は完全に終わった」

 景勝も確信していた、このことを。

「大坂での戦も終わり大御所様もな」

「遂に」

「世を去られる」

 そうなってしまうというのだ。

「だからな」

「それではもう」

「うむ、戦国の世は幕を下ろした」

「そしてこれからは泰平の世がはじまる」

「では我等はな」

「この藩を治めていこう」

 米沢をというのだ、こう言ってだった。

 景勝は兼続と共に一つの藩を治めにかかった、もう上杉家は百二十万石の大藩ではないがそれでも先を歩もうとしていた。

 政宗は片倉の子に言っていた、すぐ傍には成実がいる。

「真田殿の細君とご子息、それにじゃ」

「ご息女は」

「手厚くな」

 その様にというのだ。

「藩としてそうしていくぞ」

「はい、そしてですな」

「既に真田殿のことは伝えてあるが」

「薩摩におられることは」

「しかしな」

「はい、このことは内密に」

「その様にな」

 天下では幸村はあの戦で死んだことになっているからだ。

「そしてじゃ」

「はい、ご息女は」

「そなたがやがてな」

「そうさせて頂きます」

 妻に迎えることをだ、片倉は主に約した。

「殿がそう言われるなら」

「その様にな、戦の世は終わったが」

 それはというのだ。

「だがそれはな」

「はい、それはですな」

「真田殿が終わらせたな」

「戦国の幕を下ろしたのは」

「あの御仁であったわ」 

 幸村、他ならぬその彼だというのだ。

「まさにな」

「左様ですな」

「うむ、天下に名を轟かす素晴らしき戦ぶりをし」

「大坂、そして駿府で」

「そしてじゃ」

 駿府の戦は表立って語られてはいない、だがそれでもというのだ。

「戦国の幕を下ろした、わしの野心も消えたが」

「天下はですか」

「うむ、もうよい」

 それはというのだ。

「完全にな」

「それでは」

「うむ、この仙台をな」

「治めていきましょうぞ」

 成実が笑顔で応えた。

「これからは」

「そうしようぞ、寒いがそれでもな」

「この藩を豊かにしますか」

「他の藩が驚くまでにな」

 それこそとだ、政宗は笑って言った。彼もまた景勝と同じく泰平になってからのことを見据えていた。

 それは立花宗成も同じだった、だが彼は。

 少し寂しい顔でだ、家臣の者達にこう言っていた。

「戦はなくなった、民達にはよいが」

「殿にとっては」

「この状況は」

「うむ、それはな」

 どうにもというのだ。

「寂しい、しかし真田殿に負けぬまでにな」

「鍛錬を積まれ」

「これからもですな」

「武士の道を歩んでいきたい」

 武芸を明日売る者としてだ、そのうえでというのだ。

「そしてその果てを見ようぞ」

「それでは」

「殿はその様に」

「我等はその殿を盛り立てさせて頂きます」

「これからも」

「頼むぞ」

 立花はこうした考えだった、彼もまた先を見ていた。しかし先を見ている者達だけではなかった。

 かつての七将、福島正則と加藤義明、黒田長政、蜂須賀家政、細川忠興、池田輝政の面々は江戸において集まっていた。そうして共に飲みつつこんなことを話していた。

「戦の世もな」

「うむ、終わったわ」

「右大臣様は生き延びられたが」

 彼等もこのことは知っていた、内密であるが。

「しかしな」

「それでもな」

「我等はな」

「虎之助も死んだしのう」

「七人が六人になった」

「思えば七人でおった時がな」

 そうしていた時がというのだ。

「最もよかったやもな」

「そうじゃな」

「今思うとな」

「佐吉や桂松と争ったが」

「若気の至りであった」

「危うく右大臣様のお命を失うところであった」

 家康についてしまったことがひいてはというのだ。

「大御所様の天下は仕方ないにしろ」

「それは天下の流れであっただろう」

「しかしな」

「それでもな」 

 飲みつつだ、嘆きと共に言うのだった。

「ああしてな」

「我等は誤ったわ」

「豊臣の臣下であったのに」

「佐吉、治部憎しばかりであったわ」

 石田三成、彼への憎しみに凝り固まっていた自分達を嘆くのだった。

「今思うと愚かなこと」

「全くじゃ」

「そのことを思うとな」

「嘆かわしい」

 こう言うばかりだった、そしてそのことを言いつつだ。彼等は幸村のことも思うのだった。

「右大臣様をお助けしてくれた」

「そして戦国の最後に見事な戦ぶりを見せたわ」

「武なら我等と思っていたが」

「それもな」

「又兵衛もな」

 黒田は彼の名前を出した、酔いはかなり回っているが言葉ははっきりとしている。

「あの者もな」

「うむ、聞いておるぞ」

「真田殿と共に見事に戦ったな」

「大坂でも駿府でもな」

「そうしたのう」

「あれだけの戦が出来る者、わし程度では使えなかったか」

 黒田はしみじみとした口調で述べた。

「ではな」

「もうよいな」

「お主もな」

「それでよいな」

「何もせぬな」

「せぬわ」

 確かな声でだ、黒田は他の者達に答えた。

「過去のことは忘れた、ではな」

「それではな」

「後藤殿の武士の道を歩む様を見守ろう」

「薩摩からそうした話も聞くであろう」

「それではな」

「わしもじゃ」

 福島も言葉ははっきりしている、酒乱である彼も今は幾ら飲んでもそれでも乱れることはなかった。

「その歩みぶり聞くとしよう」

「そうじゃな」

「戦国の世は終わった」

「我等も後は世を去るのみ」

「ではな」

「あの御仁の話死ぬまで聞こう」

 こう話してだ、そしてだった。

 七将の残った者達も話していた、過去のことを。しかし先も見ていてそのうえで最後まで生きようと決意していた。

 天海は柳生を茶室に入れていた、そこで。

 彼に茶を淹れつつだ、こう言っていた。

「戦国の世は終わりこれからは」

「うむ、泰平の世になる故」

「それを守る政であるべきです」

「全くでありますな、しかし僧正は」

 柳生は天海から茶を受け取りさらに言った。

「世では何かと言われていますが」

「ははは、その様ですな」

「それは長生き故ですな」

「化けものの様に言われていますな」

「ですがその政へのお考えは」 

 穏やかなものだとだ、柳生は彼に話した。

「至ってですな」

「拙僧はどうも謀や血生臭いことはです」

「お好きではないですか」

「戦国の世が終わることを願っていました」

「だからですか」

「そうした政を考えていました、そして」

 天海はさらに話した。

「ようやく泰平の世が本格的にはじまります」

「それでは」

「それを守る政を前から考えていまして」

「大御所様にお話をしていましたか」

「そしてこれからも」

「上様に」

「お話をさせて頂きます」

「世にどう言われても」

「それは拙僧は気にしておりませぬ」

 一切とだ、天海は柳生に笑みを浮かべて答えた。

「だからよいです」

「左様でありますか」

「大事はこの天下と万民が幸せに暮らせること」

「そのことが大事ですか」

「はい、それが守られることが」

 まさにというのだ。

「大事ですので」

「だからですか」

「拙僧が何を言われようと構いませぬ」 

 自身の評判はというのだ。

「そういうことで」

「では」

「今はこうしてです」

「茶をですな」

「飲みましょうぞ」

 こうしたことを話してだった、天海はこれからのことを柳生と共に考えていった。天下泰平の世を保っていく為のそれを。

 薩摩において幸村は駿府の方を向いて深々と頭を下げた、十勇士達はその彼を見て言った。

「あの方にですか」

「挨拶をされましたか」

「うむ、あの方は旅立たれた」 

 だからだというのだ。

「今な、それでじゃ」

「我等は今は薩摩にいますが」

「それでもですな」

「別れの挨拶をされたのですな」

「そうされたのですな」

「うむ」

 その通りだというのだ。

「それでじゃが」

「はい、それでは」

「これからはですな」

「再び」

「鍛錬に励むとしよう」

 実は幸村は今は十勇士達と共に鍛錬を積んでいた、その途中のことだったのだ。

「再びな」

「殿、これよりです」

 穴山が明るく言ってきた。

「鉄砲を撃たれますか」

「いやいや、鎖鎌をしましょうぞ」

 由利が出すのはこちらだった。

「それがいいかと」

「泳ぎもいいですぞ」

 海野は自分が最も得意とするものを出した。

「あれは泳げば泳ぐ程よくなります」

「相撲は如何でしょう」

 望月はこれをと所望した。

「皆でぶつかり合いましょう」

「剣は忘れてはなりませぬ」 

 根津は自身の一番好きなものを常に頭に置いていた。

「日々励まねば」

「妖術は如何でしょうか」 

 筧の言葉は今も礼儀正しい。

「こちらは」

「法力も強くなればです」

 伊佐は僧侶として話した。

「悟りからさらに達することが出来ますが」

「いやいや、土の術もいいですぞ」

 清海が出すのはこれだった。

「地震を起こす様に励みましょうぞ」

「霧は如何でしょうか」

 霧隠は主に微笑んで述べた。

「この術は」

「獣達と共に木の術を楽しんで修行しましょう」

 猿飛の笑顔は今も晴れやかだった。

「それが一番いいですぞ」

「まあ待て」

 逸る十勇士達にだ、幸村は笑って応えた。

「焦ることはない、だからな」

「修行する術もですか」

「ゆっくりと選びゆっくりと励めばいい」

「そうなのですか」

「そうじゃ、焦っても何もならぬ」

 修行、それについてもというのだ。

「何をするかまずは考えようぞ、それでじゃが」

「それで?」

「それでといいますと」

「後藤殿と長曾我部殿はどうされておるか」

 幸村は二人のことをここで問うた、まだ明石はこの国にいるが外に出る準備を進めていて今は修行をしていない。

「一体」

「はい、今はです」

「槍術に励んでおられます」

「お二人共かなり激しく修行を積んでおられます」

「道場の中で」

「そうか、それは何より」

 二人の話を聞いてだ、幸村は笑って述べた。

「では我等もな」

「槍ですか」

「それを学びますか」

「そうされますか」

「殿も槍を使われますし」

 二本の槍だ、それを使った槍術だ。幸村は剣術も見事なものだが忍術とこちらの術を最も得意としているのだ。

「では」

「これより」

「いや、今は我等の本分に励むとしよう」

 これが幸村の返事だった。

「そうしようぞ」

「我等の本分ですか」

「といいますと」

「やはり」

「忍術じゃ」

 それだというのだ。

「思いきり駆けて跳んで励んでな」

「そしてですな」

「そうして修行に励みますか」

「そうしますか」

「そうしよう、大助もそれでよいな」

 今は静かにしていた我が子に問うた。

「ここは」

「はい、それでは」

 大助は父の問いに微笑んで応えた。

「その様に」

「うむ、忍術の修行をな」

「しましょうぞ」

「今日は忍術で思う存分汗をかき」

 そしてというのだ。

「座禅の後でな」

「学問ですな」

「そうしようぞ」 

 こう大助に言うのだった。

「是非な」

「わかり申した」

「それではです」

「今日は忍術に」

「是非励みましょう」 

 十勇士達も応えた、そしてだった。

 幸村は我が子と家臣達と共に汗をかいた、そうして汗を満足するまでかいてその後は風呂に入り飯の後は座禅と学問をして。

 十勇士達と共に酒を飲む、そこで彼は家臣であり友であり義兄弟である彼等に満足している笑みで話した。

「やはり拙者の命はな」

「満月の如くですか」

「満ちていますか」

「これ以上幸せな者はおらぬであろう」

 こうも言うのだった。

「武士の道を歩めてお主達もおるのだからな」

「だからですか」

「そう言われますか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「心から思うからな」

「ですか、それはです」

「我等も同じ」

「殿とお会いしてこれまで」

「不足に思ったことはありませぬ」

「一度たりとも」

 十勇士達もこう答えた。

「何といいますか」

「これ以上の幸せ者はおりますまい」

「我等もです」

「そうでしょう」

「そうか、お主達もか」

「はい」

 十勇士は幸村に一斉に答えた。

「殿の最初の旅でお会いしましたが」

「我等それぞれ」

「その時からです」

「一度も思ったことはありませぬ」

「元より富貴や身分にはこだわらぬ身」

「左様でしたから」

「それでか、ではこのまま幸せに生きてな」

 幸村は十勇士達の言葉を受けてだ、飲みつつ述べた。

「約通りにな」

「共に死にましょうぞ」

「同じ場所で同じ時に」

「そうしましょうぞ」

「そうしよう、我等はこの世だけでなくな」

 まさにというのだった。

「何度生まれ変わってもじゃ」

「共にいましょう」

「何があろうとも」

「必ずな」

 幸村は愛する家臣達に言った、そうして次の日もそれからも修行に励み武士の道の果てを目指すのだった。

 真田幸村は大坂の陣で死んだと歴史にある、彼の主君であった豊臣秀頼とその子国松も後藤又兵衛も同じだ。幸村の子大助も長曾我部盛親もそうである、そして十勇士達はその戦で死んだ者もいれば生き延びた者もいると言われている、実はいなかったのではないかと言われている者すらいる。

 だが鹿児島に彼等が生きていたという伝承がある、この時代で言う薩摩に。

 それは実は真実であり幸村の墓もそこにあり秀頼の伝承も残っている。しかしそれはあくまで伝承ということになっていてだ。

 真実ではないと言われている、しかしそれは真実であり幸村が薩摩に逃れるまでそして薩摩に逃れてからはこの物語にある通りだ。後藤又兵衛と長曾我部盛親もまた同じでこの国で生を全うし真田大助は名を変えて島津家の家臣となり生きた。

 幸村と十勇士達はこの世を去るまで共に修行に励み死ぬ時と場所は同じだった、その時彼等は十一人共見事な大往生を遂げ世を去ったという、彼等が武士の道を歩みきったかはわからない。だが満足のいく人生であったという。これ以上はないまでに。



巻ノ最後   完



真田十勇士   完



                 2018・5・5


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