巻ノ百五十三 戦の終わり
幸村は家康の前で服部と激しい戦を続けていた、服部はその身体から様々な形の炎を出して幸村の槍と忍術にあたっていた。
今服部は燃え盛る雀達の形をした炎を出してそれぞれに複雑な動きをさせて幸村を襲っていた。そうして言うのだった。
「これぞ伊賀炎雀陣」
「燃え盛る雀達を出し」
「左様、敵を襲う技であります」
幸村に技のことを話した。
「そうなのです」
「そうでござるか、しかし」
「この炎雀陣を以ても」
「確かに見事な技です」
幸村もこのことは認めた。
「並の者なら勝てませぬ。しかし」
「それでもでござるな」
「以前のそれがしもそうでござった」
幸村自身もというのだ。
「到底。しかし」
「今の真田殿は」
「この術があります」
この言葉と共にだ、幸村は。
己の切り札を出した、これまで一つの身であったのが。
二つ三つとなっていき七つになった、そのそれぞれの手に二本の槍があり合わせて十四本の槍に炎を宿らせ縦横に振るい。
襲い来る雀達を全て叩き落した、そうして言うのだった。
「この通りです」
「術を破られましたか」
「はい、服部殿がこれだけの秘術を使われるなら」
それならばというのだ。
「それがしもです」
「対するに相応しい術を使われた」
「はい」
その通りだというのだ。
「左様であります」
「そういうことですな」
「しかしですな」
「それがしの術はこれで終わりではありませぬ」
確かな声であ、幸村は服部に答えた。
「まだありまする」
「左様ですな、服部殿ならば」
幸村のそのことは察していて言う。
「先程の術だけでなく」
「もう一つです」
まさにというのだ。
「切り札があります」
「左様ですな」
「今からそれをお見せしましょう」
「待て、半蔵」
それまで黙っていた家康が服部の今の言葉を受けて眉を動かしそのうえで彼に対して咎める声で言った。
「それはならぬ」
「あの術を使うことは」
「あの術を使えばじゃ」
家康は服部にさらに言った。
「お主自身も」
「しかしです」
「それでもか」
「はい、それがしはです」
まさにというのだ。
「真田殿がそれだけの方だからこそ」
「使うか」
「そしてそのうえで」
「勝つというのじゃな」
「はい」
その通りという返事だった。
「そうさせて頂きます」
「そうか、ではな」
「そしてです」
「真田に勝つか」
「大御所様には指一本触れさせませぬ」
決してという言葉だった。
「ですから」
「わしの為か」
「はい、そしてそれがし自身も」
「真田にか」
「これだけの方です」
幸村の武芸者としてのあまりもの見事な姿、強さだけでなく心も備えているそれを見ても思ったのだ。
「ですから」
「勝ちたくなったか」
「はい、それがしの我儘でありますが」
「よい」
家康は微笑んで服部に答えた、そのうえでの言葉だった。
「お主はこれまでわしの。徳川家の為に尽くしてくれた、我儘を言うことがなかった」
「だからですか」
「そのお主の言うことだからな、それにそうした我儘ならばな」
「聞いて下さるのですか」
「うむ、ではな」
「はい、それでは」
「あの術を使うがいい」
「そうさせて頂きます」
「そして勝つのじゃ」
服部にこうも言うのだった。
「よいな」
「はい、それでは」
服部は家康に頷いた、そしてだった。
幸村に向き直ってだ、こう言った。
「それではです」
「これからでござるな」
「はい、それがしの最後の術秘奥義を出します」
「そしてそれがしに」
「勝ちまする」
全身から凄まじい気を発しての言葉だった。
「そうさせて頂きます」
「そうですか、では」
「これより」
「ではそれがしも」
幸村も受けて立った、そしてだった。
両者はそれぞれの秘術を出した、服部はその身体から九頭の激しく燃え盛る炎の龍を出しそれで幸村に襲い掛かった、幸村もまた。
七身のそれぞれの双槍に炎を宿らせその全身にもだった。
炎を宿らせてだ、そのうえで。
龍に向かった、双方激しくぶつかり。
場が燃え盛った、さながら地獄の様に。
龍と幸村はその中で激突してだ、その結果。
幸村の身体は六つまで消えた、だが龍もだった。
八つの頭が死闘の中で消えてだ、そうして。
最後の頭も一人残った幸村が薙ぎ払った、すると遂にだった。
龍は消えた、それを見てだった。
服部は右膝をついても尚幸村を見据えて言った。
「今ので、です」
「最早ですな」
「それがしは戦えなくなりました」
「力を全て出し切り」
「はい」
その通りだというのだ。
「これで」
「そうですか」
「貴殿の勝ちです」
まさにというのだ。
「これで」
「では」
「大御所様、申し訳ないですが」
「よい」
家康は服部に敗れても笑顔であった。
「そなたは死力を尽くして闘った」
「だからでありますか」
「見事な戦ぶりだった」
それ故にというのだ。
「その戦ぶりを見てはな」
「それではですか」
「わしも何も言えぬ、だからな」
「よいですか」
「うむ、素晴らしき戦ぶりであった」
微笑みこうも告げたのだった。
「実にな、後で褒美を渡す様にな」
「その様にもですか」
「伝えてもらおう」
「有り難きお言葉」
「それを伝えるのは」
ここでだ、家康は。
勝った幸村を見てだ、こう言った。
「お主に頼むか」
「それがしにですか」
「ここでわしがお主の相手となるのだがな」
残念そうに笑ってだ、家康は幸村に話した。
「もうわしはじゃ」
「それだけはですか」
「うむ、戦うだけの力はな」
最早というのだ。
「残っておらぬわ、あと少しすればな」
「この世からもですか」
「去ることになる」
だからだというのだ。
「それでじゃ」
「もう戦はですか」
「出来ぬ、刀を持とうと思ってもな」
かつては相当な腕を持っていたがだ、家康は剣術も見事なものがあったのだ。
「それでも持ってもじゃ」
「お力がですか」
「ない」
全く、というのだ。
「まことにな。だからな」
「それで、ですか」
「うむ」
まさにと言うのだった。
「これでな」
「それでは」
「お主が勝てばと思っておった」
まさにというのだ。
「その時にはとな」
「御首をですか」
「お主にやろうとな」
「そうでしたか」
「それでじゃ。これよりな」
「御首を取って」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「帰るのじゃ、そしてな」
「服部殿のことを」
「うむ」
その通りという返事だった。
「褒美の話は頼むぞ」
「左様ですか」
「それではな、早くじゃ」
幸村を見ての言葉だった、これも。
「わしの首を取ってな」
「そのうえで」
「薩摩に戻るがいい」
このこともだ、家康は知っていた。
「そしてな」
「右大臣様にですか」
「勝ちを告げるのじゃ」
秀頼にというのだ。
「その様にな」
「では」
幸村も頷いた、そしてだった。
家康の前に来た、そうして刀を抜いて一閃したが。
切ったのは家康の髪の毛だった、それだけを切って手にして言った。
「確かにこれで」
「首はあるぞ」
「それはもういいです」
こう家康に話した。
「最早」
「それはよいのか」
「はい」
家康に微笑んで答えたのだった。
「最早」
「それは何故じゃ」
「それがしは戦に勝ちました」
だからだというのだ。
「ですから」
「それはその通りであるが」
「ですから」
「わしの首を取らずともか」
「いいと考えています」
「そうか、わしの首はよいのか」
「それに大御所様はまだ天下泰平の為にやるべきことがおありです」
「あと僅かな命の中でか」
家康は座したまま幸村の目を見て言った。
「あるというのか」
「はい、ですから」
「わしに最後の一仕事をしてもらう為にも」
「御首を貰う訳にはいきませぬ」
「そこまで考えてのことか」
「左様です」
その通りという返事だった。
「それがしはそう考えています」
「わかった、ではな」
「その様にですか」
「するがいい。この首くれてやるつもりだったが」
ここでは笑って言った家康だった。
「思わぬ形でつながったな」
「それも運命かと」
「わしの運命か」
「そうも思いまする」
「運命とは面白いな、しかしな」
「しかし?」
「いや、わしは最後までお主が嫌いではなかった」
幸村、彼をというのだ。
「出来れば召し抱えたかったが」
「それがしも大御所様は決してです」
「嫌いではないか」
「見事な方だと思っています」
今もというのだ。
「その様に。ですが」
「わしの下につくことはか」
「はい、どうもです」
「お主の進むべき道ではないか」
「そうも思いましたし」
「そして運命か」
「我等は敵味方になる運命だったのでしょう」
幸村は達観した顔で家康に述べた。
「やはり」
「そういうことか。ではわしは最後にお主に頼む」
「右大臣様のことですか」
「宜しく頼むぞ。幕府は国松殿は切った」
そういうことにしたというのだ。
「木下家から分家で誰が出てもな」
「木下家の方としてですか」
「扱う」
その様にするというのだ。
「だからよいが」
「右大臣様は」
「うむ、お主達に頼みたい」
「では薩摩で」
「宜しくな」
「わかり申した」
幸村は家康の言葉に素直な声で応えた。
「それではです」
「その様にしてくれるな」
「約束致します」
「わしは約束を守れなかった」
家康はこのことは今も残念に思っていた、天下一の律儀殿と言われ彼自身それが誇りであったからだ。
「太閤殿とのそれをな」
「右大臣様を頼むと」
「天下人にはなった、しかしな」
それでもというのだ。
「約束を守りたかった」
「だから常にですか」
「国持大名にしようとしたのじゃ」
大坂から出てもらってだ。
「そうしておったが」
「しかしそれは」
「果たせなかった」
「いえ、右大臣様が薩摩まで逃れられたのは」
「わしが約束を守ったからか」
「だからこそです」
秀吉とのそれをしかとそうしたからだというのだ。
「薩摩まで逃れられました」
「そうであればいいがな」
「ですからそのことは気に病まれることなく」
「果たすべき最後のことをか」
「そうされて下さい」
こう家康に言うのだった。
「是非」
「そうか、ではな」
「はい、そして右大臣様は」
「くれぐれもな」
「そうさせて頂きまする」
「その様にな、ではお主達はこれより」
「薩摩に戻ります」
彼等の今の居場所であるそこにというのだ。
「そしてもうです」
「天下に出ることはないか」
「右大臣様をお守りして」
家康に今約束した様にというのだ。
「そうさせて頂きます」
「そうか、わかった」
「その様に」
「ではな。後は薩摩で武芸に励むか」
「修行を積みそして」
「お主の道を歩んでいくか」
「武士の道、果たして歩みきれるかわかりませぬが」
その果てにというのだ。
「歩んでいきまする」
「その道、しかと歩いていく様にな」
「最後の最後までそうしていきまする」
「その言葉わしに約束する言葉か」
「それがし自身にも」
これが幸村の返事だった。
「そうした言葉です」
「そうか、よい考えじゃ」
「そしてそのよい考えを」
「決して忘れぬ様にな」
「そのお言葉忘れませぬ」
決してとだ、幸村は答えた。
「それではこれで」
「達者でな」
家康は最後は笑みであった、その笑みで己に頭を下げた彼に応えた。
服部は部屋を後にする幸村に無言で頭を下げて別れの挨拶とした、幸村は彼にも挨拶をしたうえで部屋を後にした。
そしてだ、部屋を出るとだった。
彼等がいた、幸村はその彼等に微笑んで告げた。
「戦は終わった、戻るぞ」
「父上、勝ち鬨は」
大助はその父に確かな顔で問うた。
「どうされますか」
「それはよい」
「それは何故でしょうか」
「既に我等は心の中であげたな」
その勝ち鬨をというのだ。
「そうであろう」
「はい、確かに」
「だからじゃ」
「この度は」
「それはよい」
こう言うのだった。
「そのうえで胸を張ってな」
「帰りますか」
「そうするとしよう、それでよいな」
「はい」
大助は微笑んだまま父に答えた。
「それでは」
「帰るぞ」
幸村は居並ぶ者達に告げてだ、そしてだった。
彼等は駿府城から姿を消した、服部は彼等の気配が城から完全に消えたのを確認してから家康に話した。
「もうどの方もです」
「城からじゃな」
「去られました」
「そうか。風の様に去ったのう」
「左様でありますな」
「まさに風じゃな」
家康は微笑みこうも言った。
「あの者達は」
「特に真田殿は」
「そうじゃな、それではな」
「真田殿達は」
「追わぬ、好きな様にさせよ」
「その道をですか」
「歩ませてやれ」
幸村達にというのだ。
「そうさせてやれ」
「お約束通りに」
「うむ、そしてお主達も薩摩に入ってもな」
それでもというのだ。
「よいな」
「はい、右大臣様は」
「見てもな」
「見なかったことにするのですな」
「そうせよ。そしてあの者達にな」
「お任せしますか」
「約束したのじゃ」
幸村、彼にというのだ。
「だからな」
「その様にして」
「任せよ、わかったな」
「はい」
服部は家康にすぐに答えた。
「その様に致します」
「このことは竹千代にも言う」
秀忠にもというのだ。
「もう幕府はじゃ」
「右大臣様は死んだ」
「そして国松殿もな」
彼もというのだ。
「切った、ではな」
「はい、その様に」
「木下家から出てもな」
「国松様ではないですな」
「そういうことでよいな」
「国松様のお顔はわかっていませぬ」
実は大坂でも顔を見た者は僅かだ、それでその顔を知っている者は幕府にもいないのだ。常高院位しか知っていない。
「では」
「それでよい」
「わかり申した」
服部は国松のことにも答えた。
「その様に」
「そうせよ、そしてわしはな」
「最後の一仕事をされて」
「世を去ろう、もう思い残すことはない」
満足している顔でだ、家康は述べた。
「最後の戦には負けたがな」
「それでもですな」
「うむ、思い残すことはじゃ」
それはというのだ。
「もうよい」
「満足されておられますか」
「これだけ満足して死ねるとはな」
まさにというのだ。
「最高の気分じゃ、ではな」
「そうですか。では」
「大往生しようぞ」
そうして死ぬというのだ。
「そうするぞ」
「畏まりました」
「では半蔵」
家康はあらためて彼の名を呼んだ。
「十二神将達に他の戦った者達にじゃ」
「褒美をですか」
「出す、内密であるがな」
それでもというのだ。
「出そう、お主にもじゃ」
「有り難きお言葉」
「この度の戦で褒美は出すが」
「処罰はですか」
「せぬ」
一切という言葉だった。
「そうするぞ」
「そうされますか」
「皆充分戦った」
だからだというのだ。
「遅れも卑怯未練もなくな」
「それ故に」
「誰も罰さぬ」
一切という言葉だった。
「そうするぞ」
「わかり申した」
服部も応えた、そしてだった。
駿府で戦った者達は内密にであるが褒美も貰い誰も罰されることはなかった。そして戦の後始末も終わってだ。
家康は本多正純にこう言った。
「日光に入る用意をな」
「では」
「うむ、あと少しじゃ」
まさにというのだ。
「わしは世を去る」
「だからですか」
「その用意に入ろう」
「日光にですな」
「東照宮を建ててな」
「そこにおいてですか」
「わしは祀られてじゃ」
そのうえでというのだ。
「そこから江戸の東北を守護しよう」
「鬼門を」
「うむ、そうする」
まさにというのだ。
「その様にな」
「遂にこの時が来ましたか」
「このことが終わるとな」
もう、とだ。家康は達観した顔になって述べた。
「わしは遂にじゃ」
「もうお命は」
「そうなるからな、あとお主にも言うが」
「はい、右大臣殿のことは」
「一切構わぬ様にな」
「そうさせて頂きます」
「そうせよ」
まさにと言った家康だった。
「せよ、よいな」
「はい、それでは」
「そうさせて頂きます」
「その様にな、くれぐれも言うぞ」
「承知しております」
正純も約束してだ、そうして。
彼も秀頼には何も言うことはしなかった、それでだった。
家康達は己の最後の仕事にかかった、だがもう戦はしなかった。
戦を終えた幸村達はすぐに薩摩に戻った、そしてそこで家久が内密に用意した宴に参加した。その宴では。
酒に様々な馳走が出た、家久は彼等にそれを出して言った。
「戦に勝たれましたな」
「はい」
その通りだとだ、幸村は家久に答えた。
「見事」
「そうしてですな」
「この通りです」
戦に加わった者達はというのだ、無論彼等も揃っている。
「無事に戻ってきています」
「そうですな、ではです」
「その戦の勝ちを祝って」
「飲んで食して」
そうしてというのだ。
「楽しまれて下さい」
「有り難きお言葉」
まさにと言った幸村だった。
「そうさせて頂きます」
「それでなのですが」
「これからですか」
「戦は終わりました」
戦国の世だけでなく幸村達の戦はとだ、家久は述べた。
「それではです」
「これからのことは」
「はい、どうされるのでしょうか」
「もうそれは決めております」
微笑んでだ、幸村は家久に答えた。
「これからのことは」
「そうなのですか」
「はい、武士道をこれからもです」
「歩いていかれますか」
「鍛錬と学問の双方に励んでいきます」
その両方にというのだ。
「文武の修行に」
「そうされますか」
「はい、そしてです」
そのうえでというのだ。
「武士道を最後まで、です」
「歩まれますか」
「その果てがあるかどうかはわかりませんが」
「それでもですか」
「文武の修行を続けて」
そうしてというのだ。
「武士道を究めたいと思っております」
「武士道の果てに辿り着かれることを目指されますか」
「是非」
「そうですか、ではこの薩摩で」
「文武の修行を続けていきます」
鍛錬と学問の両方をというのだ。
「そいて仏門や神道にも触れます」
「左様でござるか、では」
「その様にして宜しいですか」
「どうぞ」
家久は幸村に笑みで答えた。
「そうされて下さい」
「それではその様に」
「ただ、実は薩摩の海から南に出られまして」
ここでこんなことも話した家久だった。
「そしてです」
「そこから日の本以外の国にもですか」
「行くことが出来ますが」
「他の国々も回って、ですな」
「見聞も修行も出来ると思いますが」
「そうですか、そのことは」
「これからですか」
「いえ、右大臣様をお護りします」
これが幸村の返事だった、秀頼を見つつの言葉だ。
「そうさせて頂きます」
「そうですか」
「はい、しかし」
「それでもですか」
「そのこともお考えを」
「余のことは気にせずともよい」
秀頼は微笑み幸村に述べた。
「そなた達がそうしたいならな」
「日の本から出てですが」
「旅をしつつな」
日本の他の国々をというのだ。
「そうしてじゃ」
「己を鍛えても」
「よいぞ」
「そう言って頂けますか」
「そこは好きにせよ」
秀頼は微笑み幸村に話した。
「そなた達がな」
「それでは、しかし」
「それでもか」
「はい、それがし達はあくまで」
「余を守ってくれるか」
「我等は豊臣の家臣になりました」
大坂の陣からというのだ。
「そうなりましたので」
「だからか」
「はい、右大臣様をお守り致します」
「余のことは叔父上に頼まれてであったな」
秀頼は幸村のその目を見て彼に問うた。
「そうであったな」
「はい、確かに」
「それはもう果たしたのではないのか」
こう幸村に問うた。
「余を薩摩まで逃してくれて」
「それはそうですが」
「それでもか」
「豊臣の家臣になったのも事実。そして」
「そのうえでか」
「もう幕府の追手は来ませぬが」
このことはわかっている、他ならぬ家康が己の誇りにかけて約束したことだ。
「ですが」
「一度仕えたからにはか」
「お仕えするのも武士」
それ故にというのだ。
「このままです」
「仕えてくれるか」
「そうさせて頂きます」
「では薩摩でか」
「薩摩にいても武士の道は歩めます」
幸村は秀頼に笑みで答えた。
「ですから」
「それもか」
「充分とです」
「考えておるか」
「はい」
その通りだというのだ。
「その様に」
「そうか。武士の道はか」
「人は至るところに青山がありともいいますし」
志を遂げるべき場所、それがというのだ。
「薩摩でもです」
「武士の道を極められるか」
「そうしたものかと」
「そうなるか」
そう聞いてだ、秀頼は唸って述べた。
「ではな」
「はい、それがしのですか」
「思う様にせよ」
秀頼は自分の下に留まることもよしとした。
「その様にな」
「その様にさせて頂きます」
「余は何も言わぬ、そして今はな」
「はい、これよりですな」
「宴を楽しむのじゃ」
酒に馳走がある、薩摩の馳走ばかりだ。
「そうしようぞ」
「わかり申した、それでは」
「それでなのですが」
今度は治房が言ってきた。
「上様はこれより」
「うむ、この薩摩においてな」
「生きられますか」
「そうすると決めておる」
既にというのだ。
「だからな」
「もうそのお考えはですな」
「変わらぬ」
決してというのだった。
「もう天下も何もな」
「よいですか」
「そもそも余は天下人と思っておったのは確かだが」
「その天下はですか」
「余が治めるには大き過ぎた、だからな」
「もうですか」
「よい」
そう考えているというのだ。
「折角助けてもらった命じゃ」
「ではそのお命を」
「大事にしよう、書を読みそして武芸もな」
これまで然程していなかったそれもというのだ。
「励んでいく」
「そうしてですか」
「余も武士道を歩む」
そう考えていた、今の秀頼は。
「祖父上や父上に劣らぬ様にな」
「それでは拙者も」
「共にいてくれるか」
「それがしは豊臣家の家臣です」
この立場は変わらなかった、治房にとっては永遠不変のことだった。
「それでは」
「その余にか」
「共にいさせて頂きます」
「頼むぞ」
「それでは」
治房も頷いた、そうして彼も進むべき道を定めた、それは他の者達も同じことで十勇士達もだった。
幸村に対して口々に言った。
「殿、ではです」
「我等もこのままです」
「殿にお仕えさせて頂きます」
「薩摩において」
戦が終わってもだ、そうするというのだ。
「是非共」
「その様にお願いしたいのですが」
「宜しいでしょうか」
「無論じゃ」
幸村は十勇士達に笑顔で答えた。
「我等は誓ったな」
「はい、生きる時も死ぬ時もです」
「同じと」
「死ぬ場所もまた」
「だからじゃ」
そう誓ったからだというのだ。
「お主達はこれからもな」
「共にですか」
「殿とここにいてよいですか」
「お仕えさせて頂いたうえで」
「頼むぞ、それでじゃが」
さらに言う幸村だった。
「拙者と共にこの薩摩におるがな」
「禄のことならば」
ここで家久がまた話した。
「ご安心を」
「それでは」
「真田殿に表向きは名前を変えて頂き」
そしてというのだ。
「百石で宜しいでしょうか」
「百石か」
「右大臣様には千石をお暮しに」
その為にというのだ。
「用意しておりますし」
「そうしてくれるのか」
「それで如何でしょうか」
秀頼にも話した。
「当家から」
「よいのか。薩摩藩は七十七万石というが」
「それは表向きで、ですか」
「実は四十万石もなかろう」
言っている石高の半分位だろうというのだ。
「そして武士の数が多い」
「そのこともご存知でしたか」
「その分出す禄も多いであろう」
それで秀頼達に禄を用意することはというのだ。
「民達も苦労しよう」
「いえ、これはです」
「これは?」
「実は加藤殿や細川殿、黒田殿からお話がありまして」
「あの者達がか」
「はい。やはり幕府も見て見ぬ振りで」
それで通っているものだというのだ。
「そうしてです」
「余の千石にか」
「はい、ですから」
それ故にというのだ。
「用意出来ます」
「そうなのか」
「ですからご心配なく」
島津家のことはというのだ。
「それでお暮し下さい」
「そうであったか」
「真田殿の百石は」
それ位はという口調での言葉だった。
「別にです」
「何ということはないか」
「はい、そして真田殿の後継ぎは」
家久はそのことも話した。
「もうそれは」
「それがしでござるか」
「そのことで」
「ではそれがしは」
「表向きは島津家の家臣、しかしその実は客分として」
その立場でというのだ。
「子々孫々暮らして頂くということで」
「有り難きお言葉」
大助は家久に深い感謝の意を以て応えた。
「それでは」
「その様に。無論後藤殿に長曾我部殿も」
彼等のこともだ、家久は話した。
「百石用意致します、そして明石殿も」
「いえ、それがしは禄はいりませぬ」
明石は家久に笑みを浮かべて応えた。
「それは」
「というとまさか」
「はい、それがしはやはり切支丹です」
だからだというのだ。
「ですから」
「この国を出て」
「やはりもう本朝では切支丹は当分生きていられぬ様なので」
「だからでござるか」
「本朝を出て」
そうしてというのだ。
「そのうえで」
「他の国に行かれて」
「切支丹として生きまする」
そうするというのだ。
「その様に」
「左様でありますか」
「はい、考えましたが」
その結果というのだ。
「それがしはその様にしようとです」
「決心されましたか」
「海に船で出て」
そしてというのだ。
「呂宋かシャムに出て」
「その地で、ですか」
「生きようとです」
「思われていますか」
「あちらにも日の本から来た者が多いといいます」
これは本当のことだ、この国を出てそうした国々で暮らしている者も出て来ていたのである。それで明石も言うのだ。
「ですから」
「これからはですか」
「あちらで生きたいのですが」
「わかり申した」
それならとだ、家久も頷いた。そうして言うのだった。
「それでは明石殿が思われている様に」
「その様に生きさせて頂きます」
「それでは」
こう言ってだ、そしてだった。
明石は禄はいらず南に行くことになった、そのことも決まってだった。一同はいよいよ酒と馳走を楽しみだしたが。
幸村は飲みつつだ、微笑んでこんなことを言った。
「それがしこれまで生きてきて」
「どうであったか」
「はい、満月の如くです」
こう秀頼に言うのだった。
「満ちておりまする」
「そうした一生か」
「はい」
その通りだというのだ。
「まさに」
「そうなのか」
「多くの友と共にいて武芸と学問に励め」
己が望む様にというのだ。
「そして今も約束を果たせて」
「叔父上とのか」
「右大臣様をお助け出来て最後の戦にもです」
「勝てたからか」
「はい、これ以上はないまでにです」
「満ち足りたものであるか」
「それがし程の幸せ者はいないのではないか」
こうまで言うのだった。
「思っております」
「左様であるか」
「はい、そして」
「その満了の人生をか」
「それをさらにです」
「進めていきたいか」
「そしてそのうえで」
さらにというのだ。
「何時かです」
「武士道を極めたいか」
「そうしていく」
「そのつもりです」
「わかった、ではな」
「その様にですか」
「していくのじゃ」
秀頼は幸村に告げた。
「余はそのそなたを見よう」
「そうして頂けますか」
「その道を歩むのをな」
「有り難きお言葉。ただそれがしも」
ここでこうも言った幸村だった。
「人間五十年といっても」
「もう五十じゃな」
「そうなろうとしております」
「そうか、そなたも五十か」
「はい、ここからどれだけ生きられるか」
それはというのだ。
「わかりませぬので」
「だからか」
「はい、ですが生きている限りです」
「その生をか」
「悔いなく生きて」
そうしてというのだ。
「武芸と学問に励み」
「武士道をさらに歩んでいくか」
「そうしていきまする」
「道か」
後藤は幸村のその言葉を聞き瞑目する様に目を閉じた、そうしてから幸村に対してこうしたことを述べた。
「真田殿はあくまでか」
「はい、道をです」
「進みたいのじゃな」
「それがそれがしの望みです」
「富貴も官位も何も求めずか」
「人としての武士の道をです」
まさにそれをというのだ。
「求めておるます」
「そうした者か」
「はい、それがしは」
「そうか、それはな」
「後藤殿もですか」
「やはりそうらしい」
後藤は幸村に笑みで答えた。
「どうもな」
「それでは」
「この薩摩で武芸と学問に励み」
そうしてというのだ。
「道を歩むか」
「武士の道を」
「そうするか」
「そうじゃな、わしも何もなくなった」
長曾我部も言ってきた、それも笑みで。
「大名に返り咲こうという気もな」
「では」
「武士として生きるだけ、ならばな」
「武士道を」
「共に歩もう、真田殿達とな」
「無論我等も」
十勇士達も言うのだった。
「そうさせて頂きます」
「そうか、お主達もか」
「先程申し上げた通りです」
「我等は殿の家臣にして友、そして義兄弟です」
「死ぬ時と場所は同じと誓った」
「そうした者達ですから」
だからこそというのだ。
「殿と共にです」
「武士道を歩んでいきまする」
「その果てまで」
「ははは、これは面白い」
一同の言葉を聞いてだ、家久も笑って言った。
「この薩摩でこれだけの武士が道を極めんとするとは」
「そうしても宜しいでしょうか」
「拙者も武士」
これが家久の幸村への返事だった。
「ならばな」
「それがし達の道を進むのを」
「是非見せてもらう」
そうするというのだ。
「そしてじゃ」
「そのうえで」
「薩摩にその武士の姿を永遠に伝えさせてもらう」
その姿をというのだ。
「それでよいか」
「はい、それでは」
「見せてもらおう」
こう幸村に告げた。
「是非な」
「わかり申した」
幸村も応えた、そしてだった。
一同はさらに酒を飲み馳走を楽しんだ、その夜は心までそうしてだった。明け方までそうしていて。
夜が明ける前に風呂に入ったがそこでだ、幸村は夜空を見て言った。
「これでじゃ」
「まさか」
「まさかと思いますが」
「巨星が落ちた」
そうなったというのだ。
「今な」
「では」
「遂にですか」
「あの方が」
「そうなられた、これでもう完全にな」
まさにというのだ。
「戦の世は終わったわ」
「ですか、長く続きましたが」
「長く続いた戦の世でしたが」
「それもですね」
「終わったのですか」
「あの方は戦国の世に生きられ戦国の世を完全に終わらせた」
幸村はその星が落ちた空を観つつ十勇士達に話した。
「それ故にな」
「この度のことで」
「遂にですか」
「戦国の世は完全に終わった」
終わらせた者が去ってというのだ。
「そしてな」
「これからは、ですか」
「真に泰平の世がはじまりますか」
「そうなるのですな」
「うむ、もう民達が戦に困ることはない」
それから必死に逃げたりすることはなくなるというのだ。
「そしてな」
「民達は泰平を謳歌出来るのですな」
「待ちに待ったそれを」
「遂に」
「そうなる、そしてこれからはな」
まさしくというのだ。
「長い泰平の世になる」
「戦の世は長かったですが」
「今度はですか」
「長い泰平の世になりますか」
「そうなるのですか」
「間違いなくな、そのはじまりじゃ」
今のことはというのだ。
「それになる、そして報がな」
「やがて薩摩にも届きますか」
「この地に」
「そうなるであろう」
十勇士達に話してだった、幸村は今は風呂に彼等と共に入った。そうして戦の世が完全に幕を下ろしたことを実感していた。
巻ノ百五十三 完
2018・5・1