「今日はもう遅い。ゆっくり休んでください」
ステファンが美代を労う。
「あっ……はい……」
美代に返す言葉はなく、その場しのぎの返事をするしかできなかった。
「……美代さん。あなたにも色々事情があるのでしょう。それなのに、私はカサンドラ嬢の事を押し付けるような事をしている……許して頂けるでしょうか?」
「ステファン様?」
突然の謝罪に美代は驚いた。
「……美代さんは通行証を持っていません。あなたを居留地から連れ出すには、通行証を発行する理由が必要になる……だから、とっさにカサンドラ嬢の通訳などと言ってしまった……」
重荷になってしまったのではないかとステファンが美代を伺っている。
「とにかく、美代さんのことは最後まで責任を持ちます。もう少しだけ我慢してもらえませんか?」
ステファンの決意に嘘偽りはないと美代にはわかった。それなのに、自分は、ステファンを騙すようなことを、これからしようとしているのだと思うと素直に感謝を述べることができなかった。
美代は、ステファンの顔を見ることができず、手にするサンドウィッチを握りしめた。
「美代さん?あまり緊張しなくて良いのですよ?私もいますから、安心してください」
ステファンは、黙りこむ美代を励ました。
「あっ、私が長いしては美代さんも休めないな」
美代の沈黙の意味を勘違いしたステファンは、さっと立ち上がりドアへ向かい、
「そうそう!美代さんが作ってくれたサンドウィッチは絶品でしたよ!」
朗らかに言うとドアノブに手をかける。
しかし、持ってこられたサンドウィッチは、レタスが無理矢理詰め込まれているもので、つまり、ステファンが作ったもの……。
どうやら、美代が作ったサンドウィッチだとステファンは、勘違いしているようだった。
「あ、あの、ステファン様……」
色々と言いたいことに、サンドウィッチまで含まれてしまったと美代は困惑しつつ、結局、何も言い出せないまま、部屋を出ていくステファンの後ろ姿を見つめるしかなかった。
閉じられたドアの向こうから、時折吹き付ける風の音に紛れ、ステファンの足音が聞こえるがそれも遠退いてしまった。
一人残された美代を、夜の静けさが襲う。
部屋にはランプの灯りが不気味に揺れ、影が壁を這うように動く。
まるで、美代のこれからの立場を表すようなそれは、美代の心を締め付けた。
明日からは、この屋敷で皆を欺かなければならない。
課せられた使命を思い美代は、深く息を吸い込んだ。
ランプの灯りが揺れるたびに、部屋の影が不気味に動き、美代の心をさらに掻き乱す。
ステファンの優しさと、煌達の期待が交錯する。
(私は……どうすればいいの?)
心の中で問いかけながらも、答えは見つからない。
(ステファン様が本当に悪い人だとは思えない……でも、煌ちゃん達の言うことも間違いじゃないかもしれない)
ステファンの笑顔が脳裏に浮かぶ。だが、同時に、煌達が自分のために必死になっているという話も思い出す。
(今は、迷っている場合じゃない。私の役目は、ステファン様を見張ること。そして、カメラのありかを探ること)
ランプの灯りが一瞬大きく揺れ、部屋の影が激しく踊った。まるで、美代の決意を試すかのように。
美代は、サンドウィッチの皿をそっとトレーに戻し、両手を膝の上で握りしめた。冷たい指先が、美代の決意とは裏腹に震えている。
(明日から……始まるんだ)
美代は静かに目を閉じ、乱れる心を落ち着けようと、深呼吸を繰り返した。