「スワンソングと協力したいんでしょう? 令谷」
警察署の屋上で、葉月は令谷に訊ねた。
令谷は答えない。
風が強く吹いている。
空には月が輝いている。
満月へと近付いている。
「私はそろそろ帰るわ。貴方は貴方のやるべき事をやればいい。今回、突如、現れた生き埋め犯『ベリード・アライブ』は私が始末するから」
「…………。礼を言う」
令谷は鉄柵に手を置いて、夜の景色を眺めていた。
†
室内には静かな音量でグレゴリオ聖歌が流されている。
葉月は被害者の腕の骨を戦利品として眺めながら『ナイト・リッパー』が描いた絵を写真に印刷して、写真を額縁に入れて飾っていた。
他でもないワー・ウルフの犠牲者になった女性を描いたイラストだ。
頭蓋骨や脳味噌が露出しており、その美少女の表情は苦悶と快楽に満ち溢れている。
どうやら絵の中の少女はまだ生きているみたいだった。
「成程。ふーん。これが巷で言われている。所謂”リョナ絵”って奴か」
葉月は切り裂き魔・聖世孤志が殺害した女の骨に造花を飾り付けながら、写真の前に添えていた。
葉月は眼を閉じて、聖世がこのイラストを描いていた時の状況をイメージしていく。
……アーティストは自分の作品を誰かに見て欲しいと思っている。聖世のこの絵は明らかに仕事では無い。個人の趣味で描いたイラストだ。描いた後、自分だけで見て喜ぶ? 猟奇的な絵を描く事は、表現の自由で保障されている。だがこのイラストの場合、他でも無い不謹慎極まり無いワー・ウルフの犯行をモチーフにしている。素人ならともかく、プロのイラストレーターである、聖世がこれを趣味の絵でも、これを世間に公開するだろうか?
葉月は額縁の中の少女を見ながら、何か見落としが無いか考える。
服装は萌え絵を好みそうな層が好みそうな、学生服といった処か。実際の制服には無さそうなデザインをしている。
……この絵を絶対に誰かに見せたかった筈だ。戦利品は誰にも見せずに保管して欲望が満足する。でも自己表現なら自己顕示欲が出てくる。このイラストを誰かに見せたかった筈だ。
葉月は崎原のLINEにメールを入れる。
「私の考えだけど、聖世弧志は自己顕示欲の強い人間だ。
アーティストは自分の作品を創ったなら誰かに見て貰いたいという欲望がある筈。
ワー・ウルフの絵を生前、彼は自分からは世間に公表しなかった。
なら絵を見せる相手が存在する筈。彼の同業者を調べて」
十分後。崎原からメールが返ってきた。
<おいおい。エロ漫画家や美少女を描くイラストレーターは、性犯罪の前歴者じゃねぇんだぞ。調査しろ、って、まるでセンセーショナルな事を言ってレッテル貼りをするマスコミじゃねえか!>
崎原は表現の自由に対して敏感だ。
彼はそういうものは守られるべきだと考えているタイプなのだろう。
見当違いの返し方だな、と思い。
葉月は小さく溜め息を吐く。
「うん。私は彼の友人の同業者の可能性は薄いと思っている。
だけど、ワー・ウルフ本人か、あるいはワー・ウルフを騙る何者かが、
聖世弧志を煽っていた可能性がある。
同業者を調べるのは、むしろ、彼らの潔白を証明する為よ。
マスコミが表現の悪影響について騒ぎ立てているから肩身が狭い筈」
実際、今、世間では切り裂き魔が有名なイラストレーターでエロ漫画家だったという事実で、マスコミ達はこぞって、表現の自由の否について話題作りをしている。その手の仕事をしている人間達は肩身が狭くなっていると聞く。俗物な社会評論家が、暴力やエロと犯罪の親和性に関してTVで語っていたりする。
加えて、スワンソングに対する掌返しも酷い。
世間の人間の大多数は彼を辛辣に叩き続けていたのにだ。
今や、スワンソングが英雄視され始めている。
スワンソングは、切り裂き魔を殺害して、次に出るであろう犠牲者の命も何名も助けた事になった、と、世間では言われている。
実際は、葉月と令谷の二人で、次の犠牲者を出さずに、切り裂き魔は始末出来た。
スワンソングは手柄を横取りした、という事になるのだが……。
<で。同業者の漫画家を調べて、どうするんだよ?>
「彼ら以外を調べ終わった後、別の人間関係で、誰か、聖世を煽った人間がいる筈。
その人間に、聖世は自分の自信作を見せようとした」
LINEは終わった。
時計を見ると、時刻は午前2時を過ぎていた。
葉月は、今度は、怜子にLINEを入れる。
明日、一緒に“生き埋め事件”が起きた樹海へと共に向かわないかと。
富岡から渡された、生き埋め事件のファイルのコピーの束がバッグの中には入っている。何度かファイルを見直した後、結局、現場を見なければ分からないと、葉月は結論付けている。
令谷は、スワンソングと協力したいと考えている。
ワー・ウルフを始末する事が、令谷の人生の全てなのだから…………。
明日、現場に向かう時に用意しなければならないものは、幾つもある。
葉月は、ナップザックに大量の荷物を入れていく。
ギターケースの中には銃があった。
令谷から借りたものだ。
銃弾は六発。
充分過ぎる。
結局、準備をしている間に、明け方近くになってしまった。
出来るだけすぐに事件を解決する為に、葉月は一日でも早く現場に向かわなければならない。
それにしても、この処、睡眠時間が足りていない。
明日、というか、今日はもう土曜だ。大学が無い。
土日のうちに『ベリード・アライブ』事件は解決しようと、葉月は決めていた。
†
今日は山中を歩くという事で、いつものロリータ・ファッションではなく、Tシャツにジーンズといたボーイッシュな格好で外に出る。上着に厚手のパーカーを羽織った。
途中、スーパーに寄り、携帯食料になるものやペットボトルの飲料などを買い足す。
彼方の家に寄り、怜子を拾う。
怜子は替えの服が無かったので、仕方無く白いロリータ・ファッションのまま来るように言う。汚れるだろうが、汚れが落ちなければ買い替えてあげる、と約束して。
朝に新幹線に二人で乗り、此処に到着して、更にバスに乗る事になった。
場所は樹海だった。
現場に辿り着いたのは、時刻が正午をとうに過ぎていた。
「流石に、黄色いテープは無いか。でもファイルに貼ってあった写真を見る限り、この辺りで老人の死体が二つ見つかった」
葉月は現場を検証する。
「この山の奥に、まだ死体が遺棄されていると踏んで、沢山の警察官が入り込んだ。そして、二十数名程度、戻ってこなかった。この事件は生き埋め事件であると共に、神隠し事件とも言われている」
葉月はナップザックから、ファイルのコピーを取り出して、念入りに調べていた。
「本当に私達二人だけで解決するの? 私は何をすればいい?」
怜子は少し困った顔をする。
「…………。いざとなった時に援護して欲しい。この迷宮の奥にいるであろう、サイコキラーは、私一人で勝てるかどうか…………」
「私は足手まといになるだけ……」
「いや。怜子。いてくれるだけで、私は心理的に助かる」
葉月はギターケースからシャベルを取り出して、山中へと入っていく。
ファイルには、警官達が作った山のルートが書かれている。
捜査のつもりが、行方不明者を大量に出してしまった為に、一時的に捜査が打ち切りになっている。
結局、この事件は葉月しか解決出来ない。
刑事課の一部は、既に葉月を認めつつある。
「もしかすると、警官の死体を大量に見る事になるかも。心してかからないとね」
森の中は、方位磁石を狂わせる、迷いの樹海になっている。