ルートを進んでいって、二時間程が経過した頃だった。
葉月はある臭いを嗅ぎ取る。
……人間の死体が腐敗していく過程の臭いだ。
「まるで、プレゼントのようだわ。この犯人は何を考えている?」
葉月は怜子の手を引いて、臭いのする場所へと進んでいく。
すると、そこには腐乱していく過程の死体が転がっていた。
二十代くらいの女だ。
スーツ姿だ。
「人喰い『リンブ・コレクター』と切り裂き魔『ナイト・リッパー』の時、私は捜査をする上で、やらなかった事がある。特に必要も無かったし、やれば私の立場を危うくするから。…………、吸血鬼『ブラッディ・メリー』は、むしろ、誘っていた。私が警官達の前で、オブジェにした死体に、この力を使う事を……。挑発だと分かったから、乗らなかったけど」
葉月は蓮の匂いの染み付いた、反魂香である線香に火を点ける。
怜子は息を飲む。
自分はこれによって、蘇らされた。
葉月が世界各国の魔術の知識を調べて、独自に作った道具。
そして、彼女を“異能者”たらしめている悪魔の力とも言えるもの。
人間を……、生命を不完全な身体で蘇らせるもの。
蓮の煙にかざされて、びくり、びくりと、女の死体が動き始める。
「怜子。下がって、なんなら、木の陰に隠れていい。死の闇から蘇った者は、恐怖のあまり狂暴化し、身体の欠損部分を補う為に、酷い空腹感に苛まれ、たとえ、親族でも喰い殺そうとする」
「…………知ってる。私がそうだったから」
「下がって、怜子」
葉月は息を吹き返そうとしている、女の死体の傍にシャベルを突き立てる。
「答えて。貴方は誰に殺された?」
びくり、びくり、と、女の声帯が動く。
夏場なら腐敗が進行していくだろう。
葉月の見立てでは、この女の死亡推定時刻は、大体、五日前、と言った処か。
警察が見つけている筈なのに、見つからなかった。
犯人が意図的に置いたとしか思えない。
やがて、女は声を出し始める。
「あ、ああ、暗い、こわ、怖い。こわ、怖い、の…………」
ぎしり、ぎしり、と、女の声帯は鳴り、同時に女の全身からガスが漏れ始める。
「貴方を殺した犯人の顔は見た?」
「……………あ、あた、あたしを、殺した、奴…………。見て、ない。でも、沢山の、…………、死体が…………」
女はどろり、と、両眼から血を流す。
背後では怜子が震えていた。
女はゆらりと、立ち上がる。
そして、おもむろに、葉月に飛び掛かろうとする。
葉月はシャベルを手にして、女の顔へと突き立てる。
ザシュリ、と、顔が大きく引き裂かれる音が響いた。
「何も知らない。あるいは、覚えていないか」
女は飛び掛かる。
葉月に爪と歯を立てようとする。
葉月は冷静に、ギターケースの奥に仕舞ってあるものを手にしていた。
それは、拳銃だった。
令谷から借りているものだ。
葉月は充分に女が近付いているのを見計らって、引き金を引いた。
女の胸に穴が開く。
ゾンビ化した女は地面に倒れる。
葉月は地面に突き刺した線香を蹴り飛ばして、火を消す。
「腕が痛い……。銃の反動は慣れないわね…………。それに、射撃も教えて貰わないと…………」
葉月は拳銃を仕舞った。
怜子が物陰から出てくる。
「大丈夫? 葉月ちゃん」
「うん。大丈夫。しかし、この女は犯人を見ていないか。……殺されたと言う事は、やはり、この樹海に来た別件の遭難者や自殺者では無いわね」
山道は続いている。
「この先に何かあるかもしれない」
†
「死体の死後硬直の様子と、身体に出来たアザなどから見て、見つかった死体は、棺のようなものに入れられていると見られている。でも、被害者の胃の中からは泥が検出され、しかも、全身は土がべったりと付いていた。何故?」
葉月は考える。
「棺の中にも、泥を詰めていたって事? 生き埋めにして殺したいのなら、そのまま土に埋めるか、棺に入れて埋めるか、どちらかじゃないの? 非合理的過ぎる」
樹海の中に、霧が立ち込め始めてきた。
「怜子。なんでだと思う?」
「そんな事、私に聞かれても分からないよ」
急斜面の先に何かがあった。
葉月はその先へと歩く。
その先には、小さな崖のような場所になっていた。
「怜子。…………、信じられないものが置かれている」
葉月は小さく息を飲む。
「見てみて。これ、何かしら?」
怜子は言われて、急斜面の上まで上がる。
そこからは、在り得ないとしか思えないものが広がっていた。
棺だ。
大量の木で出来た棺が並んでいる。
ゆうに数十体はあるだろうか。
葉月は崖を降りていく。
そして、棺の一つ一つを確認していく。
彼女は途中、何度もスマートフォンで棺と棺の中身を撮影していった。
十くらいの棺の中を開けてみた頃だろうか。
葉月は話し始める。
「毎年、行方不明者の数はどれくらいか知っている?」
葉月は怜子に訊ねる。
怜子は首を横に振る。
「実に九万人と言われている。この棺の中には、老若男女、様々な死体が縛られて入っている。服装もバラバラ。ウェイトレスの制服を着ている女までいる。学校の制服を着ている男子学生もいた。意味が分からない事に、棺の中には土がいっぱい入っている。だから、腐敗が進んでいる。白骨化しているものも多いわ」
葉月は崖を登っていく。
そして、怜子の傍へと座る。
「怜子。下に行って、開けて見てみる?」
怜子は顔をこわばらせながら、首を横に振った。
葉月は崖下の大量の棺を何枚か、全体が見えるように撮影する。
「さて。死体は見つかったし、現場写真をこれから、崎原に送るわ」
葉月は崎原のメールにスマホで撮影した、棺と死体写真を添付して送る。
メールが送られない
葉月は、今度は富岡のメールアドレスにも送ってみる。
やはり送れない。
今度はLINEを使って、送信しようとしてみる。
LINEも送れない。
「何? これ?」
今度はネットを開いて、SNSに写真を投稿しようと試してみる。
写真を載せる事が出来ない。
更に言うと、SNSに書き込む事が出来ない。
「外界から遮断されている…………?」
神隠し、という言葉が、頭に浮かんだ。
「此処から、出られなくなった、という事かしら?」
葉月は息を飲む。
時刻は夕方を過ぎ、19時を過ぎていた。
酷く寒くなってくる。
厚着をしてきたつもりだが、それでも、寒い…………。