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怪物の口腔の闇の奥へ。

 今頃は、葉月は都内から離れた山の中に向かっているのだろうか。


 令谷は自分の住んでいるマンションのポストと、彼方の家のポストの中に、それぞれ手紙が入っていたので、それを読んでバッグの中へと仕舞った。


 時刻は正午だ。


 11月30日が満月の夜だ。

 満月まで後、二日。


 自分のマンションのポストには、スワンソングらしき人物から手紙が入っていた。


 内容はワー・ウルフの件に関して、捜査協力をしたい、という事だった。


「殺人犯と協力か…………」

 唾棄すべき事だな、と思いつつ、そう言えば昼宵葉月もシリアルキラーだ。

 彼女の犯罪の全てを知っているわけではないが、少なくとも、刑事を二人殺害し、怜子の両親を刺殺している事だけは知っている。七月に爆破テロ事件に関与している事も知っている。葉月は、後、五人、女を殺していると告げていたが、詳細は分からない。


「スワンソングが殺した人間は表沙汰になっている中では、有名アーティストが六名。聖世弧志を入れて、七名か」


 葉月より少ない。

 令谷が殺してきた、彼の中での呼び名である“人狼。”狼男“、つまり異能を使う犯罪者の数は、スワンソングの倍以上になる。自分も人殺しだ。


 罠かもしれないと思いつつ、そもそも、令谷にとって、スワンソングと敵対する理由や動機が見当たらない。協力する選択しかない。


 だが。


 スワンソングは腐敗の王の仲間の一人である事を、葉月は、断言していた。

 そして吸血鬼ブラッディ・メリーも彼らの中の一人だと。


 ……ブラッディ・メリーが殺害した人間は表沙汰になっている数だと、七名……。たった七名。でも、死体が見つかっていないだけで、間違いなく、もっと沢山、殺している。彼女の事件は二年前からだが、その間に犠牲者は数え切れない程のものになっているだろう、と。


 魔の王も、吸血鬼も、自分が倒すべき怪物達だ。

 彼らの仲間ならば、スワンソングとは協力関係を結んで良いのか悩む。


 令谷は強い焦燥感に駆られていた。

 ワー・ウルフに全てを奪われた、四年前から、彼の時間は止まったままだ。毎日、復讐する事ばかり考えていた。それから、自分の両親があの異常殺人鬼に殺された時に、三ヵ月もの間、同級生であった彼方は、令谷を励ましてくれた。


 ……昔は明るかったな、彼方。絵も好きだった。


 令谷は彼方の家に入る。

 怜子は葉月と共に出かけている。


 彼方は一人だ。


 先ほどから、何者かに尾行されている。

 一人の時もあれば、複数の時もある。

 令谷は溜め息を吐いて、彼方の家の中へと入る。


 怜子が掃除をしてくれたお陰で、部屋の中は綺麗だった。


 彼方はいつものように絵を描いている。

 白紙のキャンバスに何かを描いている。


 令谷は部屋の壁にもたれて、彼方の姿を見ていた。

 何度、思い出しただろうか。

 彼方は、令谷が、ワー・ウルフに両親を殺害されて晒し者にされて、廃人同然だった令谷をずっと励まし続けてくれた。ワー・ウルフにいつか復讐しよう、と言ってくれたのは、彼方だった。彼がいなければ、令谷は立ち直れなかっただろう。


 三ヵ月後、彼方の両親も殺害され、彼方自身も脳に異物を入れられて完全に廃人と化して生活する事になった。


 ワー・ウルフは令谷から全てを奪った。


 あれから、令谷はワー・ウルフと、日本中に跋扈する異能力者、連続殺人犯達を殺す事ばかりを考えていた。異能者なら自分の手で始末して、普通の連続殺人犯なら死刑台に送る為に捕まえる。その目的の為だけに令谷は生きる事を選んだ。


 結局の処、令谷には何も無い。

 本当は、生きている理由も無いのかもしれない。


「彼方。多分、お前は俺にとって全てだ」

 彼は一人、眼の前にいるキャンバスに向き合い続ける同い年の少年に向かって呟く。


 令谷はスワンソングからの手紙を取り出す。


 彼方の家のポストに入っていた手紙の中には、落ち合う場所と時間が書かれている。


 今日の夜。

 時刻は22時過ぎ。

 都内にある某廃ビルで会いたい。

 そう記されている。

 もし、一人で来なければ、捜査協力の話は無かった事にする。そう書かれていた。


「行ってやるよ。どっちにしろ、テメェらとはやり合わなければならねぇからなっ!」

 令谷は一人呟く。


 令谷と彼方の家のポストの両方に、手紙を入れていたのは、向こうは二人の住所を知っている、と言いたいのだろう。場合によっては、彼方に何か出来るのだと。


 彼方の方の手紙に入っていた、便箋の一番下には、ある言葉が記されている。


 ……彼方君はワー・ウルフの正体を知っているんじゃないのか?


 令谷は大きく溜め息を吐く。


「俺もその可能性を考えているんだがなあ。何にしろ、彼方は、あんな調子だ」


 だが。

 もし、彼方を治療出来る技術を持っている異能者がいるのだとすれば……。

 彼方のボロボロになった脳を修復出来る人間がいるのだとすれば。

 縋ってでも、頼るだろう。


 葉月は警察署の屋上で言っていた。

 怜子の身体を完全な人間にする方法を探していると。

 葉月のネクロマンシーの技術は不完全だと、彼女は言っている。自分の技術では、怜子の身体を元の人間に戻す。あるいは変える事は出来ないのだと。


 葉月とはお互いに問題が一致している。

 だが、解決方法は別の事をする必要があるだろう。


「上等だよ。スワンソング、腐敗の王! 俺はテメェらの招待状に乘ってやるよ!」

 令谷は、手紙を握り潰した。



 山中に入って、既に六時間が経過している。

 もうすぐ十二月の為に寒い。


「葉月ちゃん、大丈夫? 少し疲れた顔しているけど…………」

「そうね。この処、立て続けに起きるシリアルキラーの捜査協力に、それから大学生活を両立させている。私はそれなりに体力に自信があったつもりだけど」


 葉月は木陰で休んだ。

 四時過ぎに此処に着いたので、今は夜の10時を過ぎている。

 昨日の夜もろくに寝ていない。

 新幹線の中で多少、睡眠時間を取ったつもりなのだが。


 空は満月が近付いている。


 霧が立ち込めてきた。


「今夜は冷えそうね…………」

 葉月は小さく溜め息を吐く。



「怜子を生き返らせてから、もう、九ヵ月くらいか。後、三ヵ月もすれば一年になる」

「…………。私が死んだ日かな」

「でも私が蘇らせた。死の淵から引き戻した」

「私の身体は完全じゃない……。人の肉を欲して、この身体は氷のように冷たい」


「まだ。父親の悪夢にうなされる?」

「それ以外の悪夢にも、うなされているよ…………」


「怜子。私は貴方に歪んだ愛情しか向けられないけど、その、……貴方にこの世界で生きるだけの意味とか価値とかを与えたい。自殺する前も、ずっと死にたかったんでしょう?」

 葉月はぼんやりとしながら、空を眺めていた。


 怜子は葉月の額に手をあてる。

 熱が出ていた。


「お腹空いたな。ナップザックに入れているペットボトルの水は無くなったし、羊羹とかサンドイッチなどの携帯食料も食べた。でもお腹が空いた。歩きどおしだったし」

 葉月は少し苦しそうだった。


「怜子。お腹空いていない?」

 葉月はうつぶせになりながら訊ねる。


 怜子は答えない。


「貴方も食事が必要だ。もし、二人共、助からないなら…………。私を食べていいわ」

 葉月は頭に手を当てる。

 彼女の双眸は天を仰いでいた。


「…………。葉月ちゃんらしくない…………。なんて言うか、その、自己犠牲的だし……」

「貴方を蘇らせて、その後、貴方の両親を私は殺害した。その後だっけ? その前だっけ? 私は貴方に食べられてもいいって。私を食べてみろ、って言ったでしょ?」

「最初は訊ねた。食べたい? って。私のお父さんとお母さんを殺した後、もう一度、訊ねた。……私は出来なかった」

「なら。今なら出来る。もし、私が駄目なら、怜子、貴方だけでも、此処から生き残るんだ。私は貴方に、殺されても食べられても構わない覚悟で、蘇らせたんだから」

「やっぱり、自己犠牲的だね。でも、葉月ちゃん、貴方は、私を監禁して、首を絞めた。殴った」

「怜子が自ら死のうとするからよ。許さない」


 季節は巡る。

 あの日は春だった。五月だった。


 そして六、七月にも色々な事があった。

 刑事に追跡され、葉月は刑事二人を返り討ちにして殺害した。


 今は十一月の終わり。

 空は満月が近い。

 月明かりはやけに眩く、二人を照らしている。


「高校の頃を覚えている? 葉月ちゃん?」

「ああ。もう随分、昔のように思える。此処、一年近くで余りにも色々な事があったから、私は人殺しになったし、貴方を蘇らせたし、小さな事だとアルバイトを始めて、大学にも通った。警察の捜査協力、シリアルキラー達との戦い……、化け物達を狩る少年との出会い。本当に色々な事があったわね」

 葉月は大きく溜め息を吐いた。


「私はまだ、高校生の頃のまま、時間が止まっている気がするよ」

「そう」

「葉月ちゃんと一緒にいた、高校の頃。本当に楽しかったよ。葉月ちゃんの隣にいて」

「…………。ありがとう」

 葉月は怜子の横顔を見る。

 血の気は無く、体温の無い肌はまるで粉雪のようだ。

 葉月は怜子を虐待し、これまでずっと支配しようとしてきた。

 恨まれても仕方無いな、と思う。

 震える怜子を見ていると、傷付けたくなる衝動に駆られる。

 沢山、心に傷を負った怜子を見ていると、自分も彼女の心に傷を付けたくなる。

 そして、自分無しでは生きていけないのだと自覚させたくなる。


 葉月は怜子の頬に触れて、優しく撫でていた。

 この冷たい温もりが、どうしようもない程に、葉月にとっては愛しい。


「私が此処で死んだとしても。でもね。この犯人は始末するわ。怜子、ナップザックの中に入っているファイルのコピーを取り出して、ペンもある。今から、私の言う事を書き込んで」


 怜子は葉月に言われた通り、ナップザックを開けて『生き埋め犯・ベリード・アライブ』のファイルのコピーを取り出す。シャーペンが挟まっていた。

 怜子はコピーを開いて中を見る。

 パラパラとめくり、白紙の欄に行き着く。


「用意出来たよ」

「じゃあ。これから、私が言う事を書き留める用意が出来たわね? これから話すわ」

「分かった」

「まず。この犯罪者。異能者なのかしら? 『ベリード・アライブ』の犯行動機は、おそらく“民間療法”だ。最初の被害者二人の老人は、一人は胃癌で、もう一人は脳に腫瘍があった。だから、この犯人は生きながらにして埋める事によって、治療しようとしている。あるいは別の存在に変えようと考えているのかもしれない」


 葉月の言葉を聞いて、怜子は白紙の部分に書き記していく。


「即身仏って分かる? 昔、日本において、徳の高い僧侶は断食をして、土の下に入って生きながらにしてミイラになった。成功例は二十数件とも言われている。エジプトのミイラは王様が死後の世界で生きられるようにミイラ化させたと言われている。そこから着想を得ているかもしれない。犯人は特殊な妄想を持っている。病気の人間を生き埋めにして、聖なる存在か、あるいは“健康な肉体”へと変えようとしている。……健康、って言っても、あくまで、この犯人の定義の中だけど。…………、犯人は、酷い精神病なのかも」


 葉月は眼を閉じる。


 怜子は葉月の額に手を当てる。


「この犯人を、一緒に、やっつけよう…………」

「…………。そうね…………」

 葉月は寝息を立てていた。

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