しばらくして、スワンソングは着替えが終わったのか、違う格好をしていた。
腰元まで伸びた黒髪に、セーラー服姿だ。
顔には薄く化粧が施されている。
右手には、ナイフ。左手にはロープを持っている。
「というわけで、着替えましたけど。ヘイトレッド・シーンさん! 僕の場合、意味ありました?」
スワンソングは笑顔をミイラ男に向ける。女の声だった。
「ああ。…………、お前、その姿で、八名中、五名殺しているだろ?」
「そうですねー。なんか、違う自分に変身出来て、何でも出来るような気がするんです!」
「なら、標的を始末する時、毎回、その格好をするべきだな」
スワンソングの手にしているナイフは、令谷の喉に触れていく。
ナイフが皮膚を裂いていき、令谷の首から血が流れ始める。
…………、明らかに雰囲気が変わっている。
先ほどまでの理知的で神経質そうな青年のそれとは違う。
得体の知れない狂気…………。
セーラー服を身に纏うスワンソングからは、不気味で、嗜虐的なものを、令谷は感じ取っていた。これまで相対してきた、シリアルキラー達の持つ、独特の闇を放っている。
突き付けられたナイフは、容赦なく、令谷の喉の辺りを裂いていく。ぽたり、ぽたり、と、血が地面に落ちていく。
ブラッディ・メリーは、地面に流れる令谷の血を指先ですくい取ると、それを口に入れていく。
「この辺り、頸動脈なんですよね。切ったら死にます。後、一ミリくらい裂いてみようかな? ねえ、裂いてみていい?」
スワンソングは不気味なくらいの微笑を浮かべていた。
艶めかしささえ、放っている。
「サクちゃ…………、スワンソング。顔を切ったり、指を裂いたりしてみたら?」
ブラッディ・メリーは令谷の喉に触れて、手に付いた血を舐め始めていた。
セーラー服姿の女装の青年は、得体の知れない眼の光を宿しながら、令谷の口を開かせて、口の奥へとナイフを押し込めていく。令谷の口の中がナイフで少しずつ裂かれていく。
「うん。横に裂いたら、口が三日月型になると思いますー?」
「顔は綺麗だから、痕が残らないようにしないと。スワンソング、私、腕の血が飲みたいな」
令谷の肩にナイフが突き立てられていく。
先ほど、撃たれた箇所だ。
スワンソングのナイフが傷口に深く押し込められていく。
「この場所の血とかどうですか?」
「ああ。そこ素敵ね。分かっているじゃない」
ブラッディ・メリーは少し体勢を変えて、令谷の肩の傷口にかぶりつく。
犬歯が令谷の肩の傷口に入り込み、肩から流れる血が吸われていくのが分かる。
スワンソングの方は、屋上の入り口の方へと一度戻っていった。
そして、彼は自身の荷物の中からあるものを取り出してきたみたいだった。
大量の刃物だった。
スワンソングは、令谷の脚へと、一本、一本、ナイフを突き刺していく。
更に、肩、腕へとナイフを入れていく。
ブラッディ・メリーは、なおも、令谷の肩から血を吸い続けていた。
ヘイトレッド・シーンは、地面に座りながら、スワンソングとブラッディ・メリーの“凶行”を、無感情な瞳で眺めていた。
持ってきたナイフを六本程、令谷の身体に突き刺した後、スワンソングは、今度は先ほどから手に巻いていたロープを、令谷の首に巻き付けて締め上げていく。
令谷の顔は苦痛と屈辱と憎悪と怒りに満ち溢れていた
そして、僅かだが、令谷は恐怖の色を眼に宿し始めていた。
「…………。おい。大丈夫か? お前ら…………、それ以上やったら、牙口令谷、死ぬぞ?」
ヘイトレッド・シーンの声は、少し動揺していた。
…………、予定と話が違う、と言った口調だった。
「ごめんなさい。彼の血を見ていたら、滾ってしまって…………」
ブラッディ・メリーは、ぐりぐり、と、スワンソングが刺したナイフを押し込んだ後、それを引き抜いて、今度は体勢を変えて、令谷の脚から流れる血を舐め始めていく。
「シルバー・ファング。君には失望しているんですよ。もっと僕達を苦戦させると思ったのに」
スワンソングはギリギリィと、令谷の首をロープで絞めていた。
ロープがこすれ、令谷の喉に付けられた傷から出血が激しくなっていく。
「彼の服を脱がせて、胸から腹にかけて、傷を入れていこっか。私は彼を飲み干したいな」
「刃物で文字でも描きますか?」
「じゃあ。十字架と魔法陣」
ブラッディ・メリーは、令谷の体勢を変えて、彼の上着を脱がしていく。
無骨な令谷の上半身が露わになる。
スワンソングは、可愛らしい笑顔で、令谷の胸にナイフで傷を入れていった。やがて、それは五芒星の傷へと変わっていく。
もはや、令谷は戦意喪失を通り越してなすがままにされているように見えた。
ブラッディ・メリーは流れ出る、令谷の胸の傷の血を、獣のように舌で舐め始める。
「内臓も見てみたくなったなあ?」
ブラッディ・メリーは令谷の胸に爪を立てる。
ズブリ、と、爪先がナイフのように、令谷の胸に入り込んでいく。
「僕は標的のアーティスト以外、殺しません。ブラッディ・メリー、後はお好きなように」
スワンソングは、令谷の両腕を背後から固定していた。令谷は首にロープを巻き付けられている。令谷の瞳は空ろだった。
「彼を作品にしようかな? 先月以来か。何処に並べようか」
ブラッディ・メリーの指先は、メスのように令谷の胸を刻み始める。
突然、
銃声が鳴った。
ミイラ男。ヘイトレッド・シーンが空と、地面に向けて銃の引き金を引いたのだった。
「おい。いい加減にしろ。俺はお前らの拷問と快楽殺人を見に来たんじゃねぇえぞ。そのガキに、自分一人では何も出来ねぇえ、小便臭ぇえ、ガキだって教えてやる為に来たんだぜっ!」
ヘイトレッド・シーンは明らかに、ブラッディ・メリーと、スワンソングの二人に怒りを向けていた。
令谷は正気に返る。
隙が出来た、と判断する。
スワンソングから身体を引き離して、地面に落ちている自分の銃を拾う。
そして。
牙口令谷は、スワンソング、ブラッディ・メリー。そして、ヘイトレッド・シーンの顔面へと一発ずつ銃弾を撃ち込んでいった。
硝煙が舞う。
令谷は絶句していた。
ブラッディ・メリーは、撃ち込んだ弾丸を素手で受け止めていた。
しかも、スワンソングに撃ち込んだ分も、彼女は左手だけで受け止めている。
眼で弾丸を視認して、二発の弾丸を、腕力だけで虫でもつかみ取るかのように、つかみ取ったという事になる。
ブラッディ・メリーの左手から、二発の銃弾が転がり落ちた。
「ヘイトレッド・シーン。ありがとう。眼が覚めた。性欲に負けて、このまま、彼を食べる処だった」
吸血鬼は、大きく息を吸い込む。
「空を見て。満月が近い。月は人の心を狂わせる」
「まあ。僕達、元から狂っていますけどね」
スワンソングは手にしていたロープを投げ捨てる。
「貴方。口ではそう言っているけど、自分が正常だと思っているでしょ?」
「はい! 僕は本心では自分が正常だと思ってますよ!」
ブラッディ・メリーが呆れた顔をして、スワンソングが微笑を返す。
ヘイトレッド・シーンは、額を押さえていた。
どうやら、撃ち込んだ銃弾は、彼の額をかすめたみたいだった。
ヘイトレッド・シーンの顔の包帯が外れていく。地面に落ちる。
ミイラ男の覆面は剥がれ、中から、顎鬚を蓄えた無骨な顔が露出する。
「ポテンシャルはあるな! 牙口令谷! 貴様がもっと強くなったら、改めてサシで戦ってみたいな」
令谷は立ち上がり、脱がされた上着を着る。
「テメェら、全員、顔覚えたからな。警察で似顔絵作成が出来るなっ!」
令谷は三名に銃を向けていく。
「だが。俺は逃げ出さない! まだ銃弾は残っている。テメェら化け物に銀の弾丸を撃ち込んでやるぜ」
令谷は戦闘意欲を取り戻して、眼の前の三名の顔を睨んでいた。
スワンソングが小さく溜め息を吐く。
「あのですねー。その、令谷君、分かってますか?」
スワンソングは、自分のやっていた意図を分かって貰えなかった、といった口調だった。
「僕がスワンソングじゃなくて。…………、ワー・ウルフだったら、君は、脳を弄られていましたよ? 拷問したのは、君一人だと如何に無力か知って欲しかったんですけど……」
セーラー服の少女姿の男は、もっともらしい事を言う。
ブラッディ・メリーは少し呆れた顔をする。
令谷はなおも、三名に銃を向けるが…………。
再び、彼はスワンソングに組み伏せられた。
「じゃあ。そろそろ、お開きにしようと思うんですけど。また、会いましょう」
令谷の耳のピアスの一つが外される。
別のピアスが取り付けられた。
令谷は眩暈がして、地面に倒れ意識が遠のいていく。
「先ほど、似顔絵作成が出来るっておっしゃいましたよね? 出来ませんよ。そのピアスを嵌めている間は、僕達三名の顔を思い出せない。声も体格も思い出せない。貴方の記憶を弄る事が出来る。貴方はそのピアスに違和感を覚える事も出来ない。前、付けていたピアスと同じものだと錯覚する」
令谷の意識は沈んでいく。
分かっていたのは、今夜、完全なまでに敗北してしまったという事だ。
否応無しに、令谷は一人で戦えない事を悟る…………。
気付いたら、日が開けていた。
空は太陽の光が差し込んでいる。
腰を探る。スマートフォンは壊されずに残っている。
スマートフォンで時間を見ると、11月29日の午前8時だった。
スワンソング。
ブラッディ・メリー。
ヘイトレッド・シーン。
彼ら三名と戦って、完全敗北した事は覚えている。
だが、彼らの顔が思い出せない。
セーラー服、真っ赤なドレス、顔の包帯。
特徴的な衣装の事は覚えている。
だが、顔を上手く思い出せない。
令谷は痛む身体を引きずりながら、帰って、シャワーを浴びる事にした。
身体中に酷く傷を付けられたが、包帯を巻かれ、ガーゼを付けられ、傷の手当てされていた。