真夜中の一時頃だった。
柳場聡士は、仕事を終えて、なじみのキャバクラに行った後、自宅のマンションに帰る途中だった。マンションの前に一台の車が停まっていた。
柳場は何処かで見覚えのある車を一瞥するが、すぐにマンションの入り口へと向かう。
「おい。柳場。久しぶりだな。リンブ・コレクター事件以来か?」
聞き覚えのある声が名を呼んだので、エリート刑事は振り返る。
そこには、少しやさぐれた雰囲気の数歳年下の刑事がいた。
「崎原か。何の用だ。俺はこれから寝るんだ。明日も早いからな」
「相変わらず、キャバクラ通いが大好きなんだな。女はテメェの態度にウンザリしているだろうよ。店の嬢への金払いはいいのか?」
柳場は鼻を鳴らす。
「何の用だと聞いている」
「単刀直入に聞くぜ。お前は、先月の事件。切り裂き魔事件の犯人と繋がっている証拠が挙がっている。知っていたか?」
柳場は口元を歪める。
「無礼だなあ。俺に逮捕令状でも出ているのか? 俺は重要参考人か?」
「言い逃れ出来ないメール内容だったぜ。“作品が出来たら是非、見せて欲しい”。“女をいたぶるシーンが見たい”。そうお前は聖世にメールを打っていた」
「…………。彼はイラストレーターだ。まさか、彼が切り裂き魔だとは、俺も思わなかったなあ。メールの内容は、彼の絵の話をしているんだ。いいエロ漫画家でもあったからなあ」
柳場の背後に、別の影が立つ。
「貴様の正体はワー・ウルフか? それとも、貴様は模範犯なのか? 十月の満月の夜と、十一月の満月の夜。二人の被害者。お前がやったんだろう?」
牙口令谷は懐から拳銃を取り出していた。
「お前、知っているか? お前の部署とは違う、刑事課。新宿区の辺りだな。そこに匿名で、電話が送られてきた。死後、随分、経過した女性の死体が二人分、新宿の雑居ビルで見つかった。あれもお前の仕業か?」
崎原は、ついでに、解体されて、リボンやらフリルやらが臓物に結び付けられた、俳優だったユーチューバーの死体も同じ場所で発見された事は伏せた。ほかならぬ、そのユーチューバーを殺害して猟奇的に飾った犯人から、混乱した口調で、新宿警察署に、電話が掛かってきたのだ。事件がまたややこしくなり、大衆がパニックを起こさない為に、今の処、マスコミに対して警視庁側は報道規制を敷いている。
崎原と令谷は、確信していた。
明確な証拠は無いが、この三つの事件の犯人は眼の前のエリート刑事の肩書がある男である事を…………。
「何にしろ、物証を突き付けて貰わないと困るなあ」
「お前を重要参考人として、いずれ、尋問するだろうよ」
崎原は柳場を睨み付ける。
「俺は組織のエリートなんだよ。キャリア組だ。所轄の連中や君のような落ちこぼれとは違うのさ。俺の周りには、俺の優秀な部下達で固めている。さて、道を開けて貰おうか。俺は部屋に戻り、寝る前のバーボンを口にしたいんだ」
そう言うと、柳場は、牙口令谷を押しのけて、自宅のマンションの中へと入っていった。
崎原と令谷は顔を見合わせる。
「最近のワー・ウルフ事件の犯人は、柳場だろうな。だが、証拠が無い。現場から奴の指紋、DNAなどは検出されていない」
令谷は焦燥に満ちた顔をしていた。
「スワンソングの見解を聞きたい。それから、葉月の見解もな」
葉月は『ゴールデン・エイプ教団』に関して調査を進めている。
早ければ、今年中には壊滅させる。
遅くても、来年の一月、二月まではカルト教団を潰すと言って、しばらくの間、別の部署のカルト教団対策本部に向かうと言っていた。公安だろう。
「俺はもう帰る」
令谷は感情を表に出さずに言う。
「そうか。じゃあ、俺もオフィスに寄ってから帰るとする」
「ああ。俺の自宅のマンション前まで、いつものように送ってくれ」
「こんな時でも俺はお前のアッシー君だな。まあいい。もう電車が無いなあ、令谷、乗れ」
「ああ」
柳場は黒だという事は、令谷も崎原も分かっている。
同時に、柳場から本物のワー・ウルフに辿り着ける可能性も薄い。
二人は陰鬱な気持ちで車に乗っていた。
†
令谷は一人、静かにアパートに帰る。
もう四年になるだろうか。
ワー・ウルフが彼の両親を殺害し、彼方を廃人に追い込んだのは。
そして、自分と同じような遺族が沢山、いる筈なのだ。
シリアルキラーが、この世界に野放しになっていてはならない。
彼らに同情してはならないし、彼らに共感したり、彼らの人生に同情しているのはいつだって、他人事だからだ。令谷は彼らに奪われた者だ。
令谷は上半身の服を脱ぎ、鍛え上げた身体が露わになる。
ブラッディ・メリーとスワンソングに身体を弄ばれ、烙印のように傷痕が残っている。彼らは、自分の復讐者としての心を踏み躙ろうとした。
特にブラッディ・メリーに至っては、性的快楽をモチベーションとした殺人犯なのだと聞く。つまり、彼女は、あの日、令谷を生きながら解剖し、血を舌で舐め、啜りたがっていた……。肩には、くっきりと、彼女の歯型が残っている。あの女は、令谷の血を啜りながら、明らかに欲情していた。
「俺を性的に弄びやがって…………っ!」
令谷は自身に付けられた身体の傷に触れ、屈辱で涙が頬を濡らした。
赤い女の邪悪な微笑みだけは覚えている。
加えて、思考を弄られ、彼らの顔や声を思い出す事が出来ない…………。
そして。
胸の傷。
スワンソングから、五芒星の傷を付けられた。
まるで、令谷は彼の所有物であるかのようだ。
令谷は冷たいフローリングの床に寝そべる。
もう、復讐も何もかも考えなくていい。連続殺人犯達に心を委ねて、彼らの快楽の奴隷として、作品に変えられる。そんな奇妙な誘惑が、令谷を支配していた。この四年間、ずっと、ワー・ウルフを呪い続けていた。
自分は無力な子供でしかない…………。
実際、当時の身勝手な行動が原因で、彼方は廃人になり、彼方の両親はワー・ウルフの標的にされた。何としてでも捕らえて、奴の額に銃弾を撃ち込まなければならない。彼方を巻き込んで、被害者にしてしまったのは自分の責任なのだから…………。
「分かったよ……。スワンソング。お前の事を信用するしかない……。俺はワー・ウルフを必ず、仕留めたい…………」
令谷の郵便物の中には、落ち合う場所が決められていた。
郵便物の中には、彼らへの手紙が入れられている。
どうせ、令谷がマンションを出たら、誰かが中身を確認するに違いない。
…………。ブラッディ・メリーだけは、落ち合う際に外して欲しい。
彼女は一番、令谷が倒してきたシリアルキラーのタイプに近い。というか、同じ存在だと言っていい。
人間を凌辱的に損壊して晒すという意味では、ワー・ウルフと同じような事をしている。
ブラッディ・メリーだけは合わない。
利害一致のビジネス・パートナーに出来ない。
そう書き記した手紙を、自宅のマンションの郵便物に入れる事にした。
……ありていに言うと、あの赤い女の気まぐれで、性欲の対象にされて喰われるのが嫌なのだ。今の自分の力では、あの赤い女に勝てない。