静かなオフィスの中で、生輪は煙草を吸いながら不貞腐れていた。
葉月は机の椅子に座り、笹団子を口にしていた。
「俺は幼い頃、カルト教団に兄弟や友人を取られていった。両親は反対したんだがなあ」
「貴方のご両親はご無事なのね?」
葉月がそう聞くと、生輪は黙った。
しばし、沈黙が訪れる。
生輪は葉月から貰った笹団子を口に入れる、そして玉露茶で飲み下す。煙草と甘いものは心を落ち着ける。そして同じものを食べれば、人との距離が縮まる。
生輪は色々な事を話したかった。
「因果だな。俺は警察学校に入り警官になったが、同僚が次々と変な宗教団体に入っていった」
「それが貴方の戦う理由?」
「まあ。そうだな」
生輪は御札のようなものを手にしては、トランプのように弄っていた。
「象徴的な連続殺人犯であるワー・ウルフの正体は何だと思う? サイコキラー同士のグループを作っている“魔王”、腐敗の王でさえ、その正体がまるで分からないと言っている」
「さあな。正直、俺は興味が無い」
彼は面倒臭そうな顔をする。
「生輪さん。貴方は光と闇、どちらで生きている?」
葉月は極めて、抽象的な言い方で訊ねる。
「俺の考えは“陰陽”。物事は表裏一体。光があり、影がある。喜びや楽しみ、幸福があり、怒りや悲しみ、恨み、不幸がある。それらは混沌としていて、万物に両立して必要なものだと考えている」
生輪は煙草を吸いながら、窓ガラスの向こうを眺めていた。
「そうだ。お前の実力が知りたい。見せてくれないか?」
生輪は煙草を半分まで吸うと、灰皿に押し付ける。
「そうね。此処、十年間くらいの間に起こった未解決事件を幾つか教えてくれない? いくつかは解決してあげるわ。まあ、少し時間は掛かるかもしれないけれども」
葉月はまるで何年も掃除していない冷蔵庫の中の清掃でも行うように、少し面倒臭そうな顔をしながらも、気軽な口調で話した。
生輪は倉庫に行った後、ファイルを手にして戻ってきた。
いずれも、この辺りで起こっている未解決事件だ。
本来は、生輪が解決すべき事件ではなく、この地区の刑事課が担当すべきものだが、葉月がプロファイルによって解決出来るのなら、調書を書いて刑事課に送るつもりだった。
†
「三つ程、プロファイルしてみたわ」
葉月はファイルを見ながら、話す。
「七年前。この茨木県で起こった主婦殺害事件。夫が疑われているけど、おそらくは少年犯罪。犯人は事件が起きたマンションを通学路にして前々から計画していた筈。猟奇的に刃物で滅多刺しにされているけど、通帳やクレジットカードを盗もうとした筈。犯人は貧困家庭に育っている。犯人を何名か目星を付ければ、罪の意識で自白する可能性が高い」
葉月の話を聞いて、生輪はノートにペンでメモをしていく。
「栃木県で、三年前の絞殺事件だけど、こちらは自殺。変な首の締まり方をしたせいで、殺されたように見えたのと。犯人らしき人物像にストーカーされているという日記が書かれているけど。被害者の妄想か、ストーカーとの因果関係は何も無い。被害者は心を病んでいた」
プロファイルが全部、当たっているとは思えないかもしれないから、参考程度に、と葉月は付け加える。生輪は充分だ、と答える。
「四年前に埼玉県で架空請求グループのメンバーで逃亡した人間二人。こっちは現在、捕まっている刑務所にいるグループの他のメンバーが殺害している。口を割らなかったんでしょうね」
葉月は一つ一つ、事細かに三つの事件を解説していく。
生輪はペンを走らせていた。
「凄いな」
「いいえ。私じゃ手に負えない事件も多かったし、個人的な興味を失ってプロファイル出来ない事件もあったから」
「それでも、警視庁が何年も調べて解決出来なかった事件だ。お前は本当に漫画や小説に出てくるような探偵だよ」
「ありがとう。まあ、現実の探偵業で小銭稼ぎも悪くないわね。人探しとか浮気調査とか」
葉月は口元を三日月型に歪める。
「俺も、小銭稼ぎで占い師をやっている。良いと思うぞ」
「あらそう? じゃあ、浮気調査で小銭稼ぎをしようかしら。猟奇事件より、よほど、危険が無さそうだし」
「お勧めしておくよ」
生輪はしばらく考え事をしているみたいだった。
「やはり、納得出来ねぇな、上の連中。俺一人でも、ゴールデン・エイプの連中を潰してやるぜ」
生輪はステンレスの机を勢いよく叩き付けた。
葉月は楽しそうに彼を見ていた。
「話を聞かせてくれないかしら?」
葉月は言う。
生輪は頷く。
†
「ゴールデン・エイプの人数は構成員が十万とも二十万とも言われている。
政界にも経済界にも芸能界にも、その信者は多い」
「ある意味、日本国そのものを敵に回すかもしれないってわけね」
葉月は少し考えてから答える。
そもそも連続殺人を行い、警察、司法を敵に回し、今は懐に入り込んでいる。
「処で腐敗の王達は何がしたい?」
生輪は率直な疑問を口にする。
彼はそれ程、彼らに強い関心は無いが、何を計画しているのか分からない。
それに、根源的に、生輪は狂った集団を作ろうとしている連中、狂った考えの集団に拒絶反応を示す。
「さあ? 行き当たりばったりなんじゃない? 目的じゃなくて、過程を重視しているんじゃないの?」
「目的がはっきりしていない連中なんだな。俺には目的があるぜ。自分の全人生を賭けてでも達成したいものがな。俺は少しずつでも、あの組織を潰していく。日本に根差した悪の根だからな」
生輪の眼は執念の光に満ちていた。
葉月は思う。成程、ワー・ウルフに家族を殺され、親友の廃人にされた牙口令谷と似た部分がある。だから、二人は合うのだろう。
「連中の派生組織から潰す。まだ、根っこの部分は潰せないが。各地に植えた種子から生えたものは引っこ抜いてやる。まず、今度、潰したい派生組織は決まっているぜ。お前には協力して欲しい」
「どんな連中?」
「サメを崇拝している。光り輝く緑色のサメだ」
「サメ…………?」
葉月は首をひねる。
サメを崇拝している教団なんて聞いた事が無い。
何なのか、少し興味がある。
「海辺近くにあるらしいがな。人魚教…………。『シャーク・エイプ』と呼ばれている団体だ。行くか?」
「行くわよ」
葉月は笑った。
†
シャーク・エイプ教団は地元の人間からは別の名前で呼ばれている。
すなわち『人魚教』と。
人魚……八百比丘尼(やおびくに)の伝説。人魚の肉を食べて不老不死になった女の伝説。
その寿命は八百歳とも千歳とも言われた……。
平安時代の貴族のような、狩衣(かりぎぬ)を纏った生輪を見て、葉月は少し呆れた顔をする。ご丁寧に平安時代風の服には、五芒星やら、陰陽のマークが所々に記されていた。
黒と茶色を基調にした、ゴシック・ロリータの格好をしている葉月は、何とも言えない表情になる。
奇抜な格好とは言え、ファッション誌でゴスロリは紹介されて社会的認知はある、しかし、これは…………。
「ちょっと、一緒に歩いていて恥ずかしいのだけど……」
葉月は何とも言えない微妙な気持ちになった。
自分が言うのもなんだけど、と。
「悪いな。これが正装なんだ」
生輪も、慣れているが、気恥ずかしいといった顔をする。
「よく写真に撮られる。SNSで拡散された事もある」
「私も田舎に行けば、撮られる……。でも、ほら、私はヴィジュアル系バンドマンのおっかけとか、原宿系とかで通じるから…………」
二人の間に、微妙な沈黙が続いた。
「俺は陰陽師の家系でな。これが正装になるんだ、さすがに頭の帽子は付けていない」
「……余計、奇抜な何かのコスプレに見えるわね」
葉月は言った後、気を取り直して、教団の入り口である石段の前に佇んだ。
「まあいいわ。この先にいる連中を討伐すればいいのよね? 特に教祖を」
「ああ。俺達、カルト本部対策の任務だからな。ゴールデン・エイプは周りの派生団体から潰していく」
生輪はいかにもな雰囲気で、御札を見せた。
彼いわく、霊的なものの類を祓えるのだと言う。
葉月はにわかには信じがたい。
だが。
石段を登る度に、確かに何か見えないものに監視されている事が分かる。
このまま進むのはヤバい。
「本当に霊を祓えるのかしら? っていうか、霊を見えるように出来ない?」
「ああ。出来るぜ」
生輪は香水と飴玉を葉月に渡す。
「これは?」
「魔除けの香水。飴玉の方も霊的なものを常人が防御する事が出来る」
「分かったわ」
葉月は香水を腕と首に付ける。
そして、飴玉を飲む。
少しだけ、全身が軽くなった。
「それから、これ。普段は依頼人に飲んで貰っている。依頼人が霊体を見えるようにして貰っている。これも飲め」
そう言うと、生輪は葉月に、ペットボトルに入った水のようなものを渡す。
「次のアイテムは、何なの?」
「特殊な塩水だ。清めと、霊の視覚化が同時に行える」
「何か。気持ち悪いわね、大丈夫?」
「嫌なら、別に構わないが……。霊は見えた方がいいだろ? 気配だけで、戦うか?」
「やめとくわ」
そう言うと、葉月は塩水を嗅いだ後、口にした。
ぞくり、と、異様な感覚に襲われる。
神社周辺には、大量の怨念が集まっている事が分かる。
「どうする。お前はこういう連中の専門家じゃないんだろう? 退くか?」
「まさか」
葉月はせせら笑った。
†
今日はよく晴れていた。
降水確率は著しく低く、雪が降る気配は無い。
真っ赤なドレスの女と青み掛かった軍服のような格好の女が、遠くを眺めていた。
「もう一人いるわね」
彩南は呟く。
「神社の神主のような服の男。いや、ドラマとかアニメで見る陰陽師のような感じ? 両耳に小さなピアスをしている」
「そうか。っていうか、この距離から、ピアスなんて見えるのか? やっぱ、お前、人間なのかよ……」
ネクロマンサー達から、数キロ離れた崖の上に、二人はいた。
この先に、エイプ系列の組織である神社がある。
人魚教と地元では呼ばれている場所だ。
「面倒だ。二人共、殺る?」
彩南は訊ねる。
「お好きに。殺し方は?」
「決まってるでしょ? 残虐に何時間も生かしながら殺す」
「男の方はそうしていいけど。私達の標的のネクロマンサーはさっさと殺した方がいい。伝承によれば、歴史の悪女達は気に入らない女共を、残忍無慈悲に処刑して、見世物にまでしたらしいけど。…………、ネクロマンサーはたとえ、手足が無くても、私達を返り討ちにする可能性が高い」
「それって、私の力を侮っている?」
彩南は不機嫌そうに言う。
彼女は猟奇殺人犯ブラッディ・メリーとしての表情を見せる。標的を何時間も生かしながら、生きながら解剖した時の顔だ。
氷歌は標的を殺す時、さっさとトドメを入れている。
その後、臓器を摘出して飾り付けた。
殺す過程に興味を持たない。
「LINEのやり取りしただろ。奴は幾つも能力を隠している。多分、拘束しても、四肢が欠損しても、奥の手を使える。それが何か分からない」
氷歌は確信していた。
「私は楽しみながら、殺したいのよね」
「あのな。殺すのが先。過程は、私達が圧倒的に有利な相手だけ」
氷歌は鼻を鳴らす。
「殺してオブジェにする趣味はアンタの真似だけど……。あいつ、有名人でも無いじゃん? 猟奇的に飾る価値無いじゃん」
「合理的なのね」
「私はアンタやネクロマンサーと違って、石コロと死体の区別が付かない」
双眼鏡を手にしながら、氷歌は呟く。
「妹の葬式の時、妹の亡骸を見た時も、物体としか感じなかった。冷たい石コロと同じだなと」
彩南は氷歌の話を楽しそうに聞いていた。
「歪んでいるとはいえ、アンタも、ネクロマンサーも、死体や、人を死体にする過程に過度の執着がある。変態性欲って奴? この前、中国マフィアを殺した時に確信した。私、そういう趣味ないんだよね。あんたらの真似していただけで、殺せれば何でもいいや」
氷歌は刀の柄を握り締める。
「性的倒錯者じゃないの?」
「残念だけど、同類じゃないんでね」
彩南は少し考えてから答える。
「男の方は、私が好きに殺していいのよね?」
「ご自由に。ネクロマンサーは確実に仕留める。一秒でも長く生かさない方法で」
ブラッディ・メリーは、躍起になっていた。
アンダイイングは裏で考える。
この女の弱点は大体、分かってきた。
衝動的、煽られるのに弱い。自分の力を過信し過ぎている……。
……もし、後ろから刀を振り下ろしたら、この女は自分にどんな反応を示すのだろう?
……少し、壊してみた。
アンダイイング・氷歌は、そんな空想に耽るのだった。
アンダイイングは、自分が神になれると思っている。
葉月は自身が神だと思い込んでいるに違いない。
生命の創造主なのだとも。
……歴史的な悪女なんかよりも、神話の神々や怪物達の方がよっぽど残虐で非情なのよね。ブラッディ・メリー、それが貴方の自己イメージの限界。私が求めているのは神のような力。
……戦いで。ブラッディ・メリー・彩南とネクロマンサー・葉月の両方が死んでくれたら、最善。どちらか片方だけでも、死んでくれたら次善って処か。
……首や胸を正面から狙われるより、背中に突き刺さった刃物の方が嫌だろ。いつでも、この女を殺せるように準備をしておかなければならないな。
アンダイイング・氷歌は、そのような事を画策していた。