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人魚教の教祖・卯尾螺良

 ……………………。

 葉月は人魚教の教団に来る数日前の怜子とのやり取りを想い出す。


 特殊犯罪捜査課のオフィスから出て、警察署内にあるベランダで二人は語り合っていた。


 空は青空だ。

 時刻は休日の午後過ぎ。


「あの空の向こうに行きたい」


 怜子は口にする。


「自分自身の存在が消えるなんて、こんなに楽なのかって思って…………。葉月ちゃん、恨んでいるよ…………」

 怜子はいつものように、呟く。


 一体、どれくらい、この恨み言を言ったのだろうか。 


「私はずっと、生まれてきたくなかった……。家ではお父さんから酷い事をされ続けて、感覚が麻痺して、お母さんは無視か成績が悪いと罵倒。何故、私は生まれてきたの? 葉月ちゃん?」


 何故、私を生き返らせたの?


「それは私にも、言える。何故、私はこの空の下、生まれてきたのか?」

 葉月はコンクリートの壁に背もたれして、空を見上げる。

 コンクリートの数十センチ先には空が広がっている。


 身を乗り出せば、落下する事が出来るだろう。


「もう一度、楽になりたい?」

 葉月は怜子の視線を見ない。葉月は空を見上げている。

 あれから、季節は巡った。


 怜子が自殺をして、後、三ヵ月もすれば一年目になる。それは同時に葉月が彼女を生き返らせた頃と重なる。


 怜子は首を横に振る。


「私は…………。葉月ちゃんと、令谷さん。彼方君。富岡さん。崎原さん。佑大君。みなに生かされている。


 誰も私を否定しない、此処は、私の居場所なのかな?」


「そうね。怜子……。私達は表裏一体。コインの裏表なのかもしれない。私は人より優れているけど、


 多くの場合、他者との喜びや楽しみを共有する事が出来なかった。


 自分の世界が全てで、他者に自分の世界に踏み込んで欲しくなった。

 佑大。それから、怜子。貴方達は、そんな私の人間としての種の在り方に亀裂を入れた事になるわ」


 葉月は上手く言葉に出来ない。


 生きづらい…………。

 この世界において、生まれてきたくなかった。



 色々、流行のファッションを追ってみたが、どれもいまいち自分にフィットしない。


 ゴシック・ロリータ・ファッションの服を選んだのは”死”をイメージするからだと思う。


 黒魔術、死霊術、呪術。民俗学。宗教。哲学。ホラー小説。


 葉月は物心付いた頃から、闇や死に惹かれ続けた。


 眼の前で死んだ親戚の姉の死。

 周囲との分かり合えなさ。他人を同じ生き物だと感じない。


 葉月は嘘ばかりを付き、学校という共同体にいても他者と感性を共有する事が出来なかった。


 協調性に何の意味があるのかまるで理解が出来なかった。


 集団行動は何よりも苦手だった。大学に入って、アルバイトをした際も集団でやる仕事は苦痛でしかなかった。


 きっと、今後の人生においても、将来も何の希望も持てなかったのだと思う。


 自分が自分である事。

 葉月は漠然とそれをテーマに物事を考えていた。


 その結果として、怜子の蘇生と、手に入れた闇の力による大量殺人。


 ……私は生きている。


 葉月は、自分自身が自分である為に、他者を犠牲にする事を選んだ…………。



 人魚教の本殿は、地底湖にあった。

 湖の中には、大量の“何か”が泳いでいる。


 水は澄んでいる。泳いでいる者達は人の姿に見えた。


 教祖である、卯尾螺良(うび らら) は、辿り着いた二人を見据えながら、ガチガチと上顎と下顎を鳴らしている、道着姿の男だった。魚によく似ている顔立ちの男だ。口元に牙があり、エラが張り、眼を剥き出しにしている。年齢は五十近いらしいが、人間らしい雰囲気を持っていない。


「覚悟は出来ているな? インチキ教祖」


 生輪は攻撃用の札を手にしていた。


「此処に何しにやってきた?」

 卯尾は生輪に訊ねる。


「俺は『新興宗教破防課』の取り締まり役だ。お前らのようなカルト団体、特に呪物を使い、霊体を操る連中を中心に叩き潰してきた。これ以上の説明は不要だな?」


 何かが、生輪の背後に現れる。


 それは、人くらいの大きさを持つ、巨大なウツボだった。人間のような皮膚を持ち、禍々しい斑点に覆われている。


「成程。『式神使い』か」


 卯尾はゲタゲタと笑い始める。


「式神?」


 生輪の背後で葉月が訊ねる。


「陰陽師が使役する、使い魔の事だ。動物霊を使ったり、自ら生み出したりする。こいつは直接、人を喰らうぞ」


 対峙する卯尾は、自らの掌を握り締めて、印を結ぶ。

 卯尾は何か呪文を唱えているみたいだった。


 卯尾の背後には、巨大な錦鯉が何匹も現れる。錦鯉の背中には、巨大な鳥の翼のようなものが生えていた


「ワシも、式神使いなのよ。陰陽師。貴様、若いじゃろう? ワシの式の餌にしてやろうぞ」


「そうか。お前は俺の膿疽(のうそ)の餌にしてやるよ」


 ぐるぐる、と、不気味なウツボが生輪の周りの空中を泳いでいた。

 葉月は、二人の戦いをしばらく、鑑賞していた。


「その魚顔の男の攻撃はブラフ。生輪さん。本命は湖の中にいる連中。一度に貴方を襲わせるつもりみたいね」


 葉月は淡々と状況を分析していた。


 葉月は、地底湖へと続く途中の階段を完全には降りていなかった。

 ざぱん、ざぱん、と、何者かが湖の中から這い上がってくる。


 みな、鱗やヒレの生えた魚と混ざった人間達だった。中には、貝やタコのような生物と混ざっている者達もいる。


 葉月は笑っていた。


「雑魚は私が全滅させる。生輪さん、首領の首を」


 生輪は葉月の言葉に頷く。


 後ろは任せた、という態度で、生輪は卯尾から一切、眼を逸らせなかった。卯尾の攻撃を片っ端から、生輪の式神が弾き飛ばしていく。


「降りてこいよぉ」


「若い女の生き胆は好物だあぁ」


「それとも、ビビって戦えないのかあぁ?」


「逃げても追って、膵臓をしゃぶってやるぅ」


 魚介類とキメラ化した人間達は醜悪な顔で、階段の途中に座って見下ろしている葉月を見上げながら、口々に叫んでいた。


「処で、貴方達って人なの? それとも、別の生き物なの?」

 葉月は首を傾げていた。


「まあいいわ。さっさと死ね。話はそれからだ」


 葉月は反魂香の線香をいつの間にか手にしていた。


 魚人達には、彼女が一体、何をやっているのか分かっていないみたいだった。


「教団の教祖の周りには、大量の護衛である信者が集まっていると考えるのは自然。当然、対策を万全に練ってきているに決まっているじゃない?」


 葉月は完全に馬鹿にした表情をしていた。


 魚人達は、それぞれ魚介類特有の武器を持っていた。毒針や触手、墨、跳躍力や牙……、それらで大抵の人間の身体能力より遥かに上だ。


 だが、勝負は簡単に付いてしまっていた。


 葉月の『ネクロマンシー』は、雑兵による物量戦略こそが、返り討ちをするにあたって、極めて好都合だった。葉月はまず、魚人の一体へと集中して、隠していたネズミや鳥の死骸によって攻撃させる。葉月は階段を登って、魚人達を誘い込んだ。


 階段の上から降り注ぐように現れたのは、アンデッド化したワニだった。


 葉月は、途中にあった池の中に生息していたワニをネズミのゾンビで殺害すると、それを駒として隠し持っていた。ワニが跳ねて、魚人達へと飛び掛かっていく。魚人の一体の首が食い千切られる。魚人が死亡する。煙玉のような形状の反魂香が、魚人達の元へと投げ付けられていく。


 魚人達の何名かは、葉月を見上げながら、憎しみの形相になる。


 葉月は見下ろしながら、完全に馬鹿にした顔になる。


 当然、この事態を予測していたといった表情だ。


 死亡した魚人が二名程。


 彼らは反魂香の煙を嗅ぎ続けていた。


 死亡した者達は立ち上がり、辺りにいる味方を襲い始める。


 後は、積み木を崩すような形になっていた。


 敵の死体が更なる死体を増やしていく。自らの手にした人外の武器が味方である筈の者へと襲い掛かっていく。判断力の高い者達は、すぐさま、司令塔となっている葉月を殺しに行く事に決めた。彼らの判断よりも、葉月の行動の方が早かった。


 葉月は階段の上へと走り、扉を閉める。


「畜生っ! 小娘っ! 一体、何処なんだっ!?」


 魚人達は怒り、叫び狂う。

 ネクロマンサーは一向に姿を現さない。


 サンゴ型の魚人の一人が呟く。


「もしかして、もう、我々の前に姿を現すつもりは無いのでは……?」


 肉食魚型の魚人が首をひねる。


「どういう事だ?」


「もしかして、完全に陽動させて、あの陰陽師の野郎と、卯尾様の戦いを攪乱させれば良いわけで、あの小娘は、後は我々を無視して逃げ続ける戦略では……?」


 肉食魚型の魚人はびくびくと全身を震わせる。


 彼はピラニアとの結合体だった。


「絶対に、この俺があの小娘を喰い殺してやるっ!」


 ピラニア男はいきり立っていた。


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