連続殺人犯達の多くは、環境に問題があり、更に悪い事に彼らは力を手にしてしまった為に歯止めが聞かなくなった。
崎原はそんな事を考えながら、令谷を見ていた。
ニヒリスティックに生きてきた中で、崎原も倫理観が何なのか分からなくなっている。崎原には妻子がいない。友達と言える者もいると言えるか分からない。シリアルキラー達に自分の家族を殺された者の心境なんて分からない。
崎原は…………。
殺人犯達を憎んでいない。
正義や悪など脆く、あやふやで立場によって変わり、移ろいゆくものだと考えている。警察組織の腐敗。嘘ばかり言う政治家。私腹を肥やす大企業の人間。偏向報道をするマスコミ。そして彼らが正義だと信じる、崎原が心の底では軽蔑している“愚民共”。
この世界は空虚だ。
そう考えた時に、崎原は鬱の症状に見舞われた。
警察官としての実績を上げていたのに、柳場などのエリート組が出世していき、自分は軽視されている部署に左遷された。それが後に『特殊犯罪捜査課』という名前を付けられたのは後の事になる。
同僚であり、十歳程度年上の富岡には家族がいる。愛する妻も娘もいる。
だが、自分は独身であり、守るべき家族がいない。老いた両親とは親しくなく、兄弟とも疎遠だ。愛する恋人もいない。仮に、自分の家族が犯罪者に殺された時、令谷のように復讐心を募らせる自身が無い。……ああ、事故にあったんだな、程度にしか感じないかもしれない。
「俺は一体、何の為に生きているんだろうなあ。ってか、何でこんな仕事してるんだろうなあ」
崎原は毎日、そんな事ばかりを考えながらオフィスに向かうのだ。
殺人犯達と表裏一体の危うさを持つ牙口令谷とも、サイコキラーとしての矜持を持ち堂々と警察組織に入る昼宵葉月の二人と、自分はまるで違う。凡人で、そして落ちぶれた存在。正義に燃えるわけでも、悪の矜持のあるわけでもない、平凡な中年男性。それが、崎原玄の自己評価だった。人生にくたびれた、凡庸な男。
また、ニコチンの量が増える。
煙草税が煩わしい、安上がりさせる為にベイプなどにでも変えてみようか……。
………………。
崎原にとって、信念を持って正義と復讐心を抱える令谷は太陽のように輝いて見えた。同時に、利己的だが高い頭脳と理知的な判断で難事件を解決させる葉月にも憧れがあった。十五歳も年齢が違う、自分は一体、人生で何をやってきたのだろうか、と。
†
彼方の世話をし終えて、彼方が寝ているのを見て、怜子は物思いに耽り始めた。
いつの間にか、怜子は独り言を呟いていく。
「何故、葉月ちゃんは、私を生き返らせたの。永遠の眠りから、生きる苦痛から解放してくれなかったの?」
怜子は幾度となく、問い続けた言葉。
「私がそうしたかったから。もし、貴方が死にたいのなら、私を喰い殺してみる? 良い判断かもしれない」
葉月がその問いに対して、幾度となく返してきた答え。
葉月の眼は狂気を帯びていた。
そして、狂気の奥にあるのは、怜子への執着。
奇妙なメシア願望。
罪悪感のようなものを感じた。
怜子は生きる事を望んでいない。
未来に絶望しか抱いていない。
そもそも、怜子は戸籍上は死者となっている。
「この世界は地獄絵図で、私は生まれてから高校を卒業しようとするまでの間に、本当の幸福を感じた事は無い。ねえ、知っている? 葉月ちゃん。私は自傷行為すら親から馬鹿にされて、自傷したら親に嘲り笑われて、そして食事抜きにされた」
怜子は言う。
「ねえ。聞きたいの。私は何の為に生まれてきたの? 虐げられる為に生まれてきたの?」
怜子の肉体は冷たい。
彼女はぽろぽろと涙を流していた。
ピンポーン。
チャイムの音が鳴った。
怜子は扉を開ける。
見知った優男がいる。
「令谷君と会ってきたよ」
佑大だった。
「どうだった?」
怜子は訊ねる。
「思い詰めている…………。俺に協力出来る事はしたい。今はスワンソングだって、力になってくれている。模範犯を拘束出来たらしいからね」
佑大は小さく溜め息を吐く。
「といっても、証拠不十分で柳場という人は、拘置所からじきに出てくるらしいけど。……まだ、留置所だったかな? ごめん、ちょっと、その辺りが分からない」
少なくとも、柳場が刑務所に行く事や、ましてや有名な連続殺人犯の模範犯として死刑に処される事は無いだろうと佑大は言う。
「佑大さんは、どういう風に関わりたいの?」
「俺は葉月を止めたい」
佑大と怜子は互いを見つめ合う。
「…………。無理だと思うよ。葉月ちゃんは、私の為に私の両親を殺す前からおかしかった…………。黒魔術だとか、拷問とか人殺しの話だとか、私にそんな事を言ってたから」
「葉月は俺達に幾つか隠しているな。怜子、俺が知らない事で、彼女は何を知っている? ささやかな事でもいい。なんでもいいから、教えてくれないか?」
「葉月ちゃんは…………。人の命を弄ぶ力を、ゾンビにする事以外にも、後、もう一つ持っている…………。七月に刑事さんに撃たれた時に怪我の治りが早かったでしょう?」
怜子の話を聞いて、佑大は得心がいった。
「どうする? 話す?」
「葉月ちゃんいわく、絶対に人に言うなって言っている」
「それは葉月が他人を騙して陥れる為?」
怜子は首を横に振った。
「佑大さん。それから、私達……。他の人達の為に、敢えて教えて欲しくない、って言っていた。もし“今後、敵対する敵の手によって、何らかの形で葉月ちゃんが秘密にしている能力が知れ渡ったら、かなり不利になる。葉月ちゃんの能力の情報を吐かせる為に、どんな手段を使っても、葉月ちゃんの力を知っている人を危険な目に合わせるリスクがある”って言っていた…………」
怜子はたどたどしく説明する。
それを聞いて、佑大な納得する。
「じゃあ。俺達だけの秘密にしようか。葉月の力は、俺も詳しく聞かない」
「うん……。葉月ちゃんも、私に詳しく教えてくれなかった」
二人は葉月を信じる事に決めていた。
いつか、葉月の残忍さが、自分達に向くかもしれない。
でも、今は信じよう、と。…………。
「令谷君と、崎原さん。富岡さん。特殊犯罪捜査課の人達に挨拶しに行かないとね」
佑大は笑う。
†
「令谷は今、出払っている。俺が説明する。俺はこの課の責任者だからな」
崎原は煙草の箱を開ける。
「結論から言うと、いいぜ。『特殊犯罪捜査課』は、お前達を歓迎する」
崎原は煙草を吸いながら、告げた。
「『特殊犯罪捜査課』に入る為に、警察学校を卒業する必要は無い。ただ、重要なのは、俺達は“異能力を持つ、サイコキラー専門”の課だ。普通の殺人犯の捜査協力は基本、行わないし。普通の犯罪者の場合は、刑事課連中に手柄を渡す形になる」
「正確には、お前達は、フリーランスの協力者、という形だな。令谷と同じような形だ。正式には、令谷は俺達の課に席は無い。もっとも、葉月の場合は、上層部を脅迫するという強引な手段を使って、警察関係者になったんだがな」
崎原は煙草が切れた事に気付くと、グレープ味のキャンディ口の中に放り込む。
「給料は毎月、口座に振り込まれる。もっとも、お前達の場合は微々たるものだろうが。それから、警察手帳を持たせる事は出来ないが、特殊犯罪捜査課専用の手帳を持って貰う。証明写真と身分証明書などが必要になる。それだけで充分だ」
「私、戸籍としては、死亡扱いされているのですが……」
「その点は、富岡が何とかする。大丈夫だ」
「俺達に何が出来ます?」
「うーん。そうだなあ…………」
崎原は少し考えていた。
「雑用、かなあ。気持ちはありがたいが。まず、富岡のファイル作成の手伝いをしてくれ」
崎原の言葉に、佑大と怜子は明るく笑う。
†