路地裏。
化座は、誘われるがままに、その人物の追跡に乗る事にしていた。
この辺りは、無人のビルが並んでおり、住民がいない。ある種、廃墟と化している場所だった。人通りが少ない場所へ、少ない場所へと化座は誘導していく。
筋肉質の大男。
そんな人物が、彼女を追っているのだった。
「私達を狙うヒットマンか。チャイニーズ系ね?」
ブラッディ・メリーは振り返り、訊ねる。
大柄の男は頷く。
「俺の名は『人虎』と言う。吸血鬼ブラッディ・メリーだな?」
大柄の男は、見る見るうちに肉体が変形していった。
全身が狂気みたいなものなのだろう。
「お前じゃ、私に勝てない」
ブラッディ・メリーは断言する。
「やってみなければ分からないぜ」
人虎は動き出す。
彼の動きによって、コンクリートの壁が発泡スチロールのように砕かれていく。ブラッディ・メリーの姿は無かった。
人虎の背後に既に化座は回り込んでいた。
そして。鋭利に伸びた尖った爪によって自らもコンクリートを引き裂いていき、紙屑でも飛ばすように、人虎へ向けて石の弾丸が発射されていく。人虎は巧みに弾丸を弾き飛ばしていった。明らかに人虎の方がフリだった。それだけブラッディ・メリーは強い。だが、人虎にとって女に負けるというのは屈辱でしかなかった。だが、稀代の吸血鬼であるブラッディ・メリーはとてつもなく、強い。腐敗の王は、フィジカルでブラッディ・メリーを倒せる人間はいないだろうと言っていた。
強大な力を持つ吸血鬼。
それがブラッディ・メリーだった。
化座彩南は、気付いていた。
こいつは、囮だ、と。
自分の戦闘能力を確かめる為に、送られた刺客だ。
この辺りで、別の人物が待機している。
「出てきな。いるんだろう?」
ブラッディ・メリーは夜の闇に向かって、訊ねる。
人虎が彼女へと爪を伸ばして襲撃する。
ブラッディ・メリーは、その攻撃を簡単にかわしていた。
そして、あっさりと、組伏せるように背中を蹴り飛ばす。
「成程。その男では倒せないわけだなあぁ。くくくっ」
闇の中から、声が漏れる。
ふと、ブラッディ・メリーの背筋に寒気が走る。
「陰陽師の方から、殺したかったんだがねえ。あんたから、殺すのも悪くない」
不気味なよく通る声が鳴り響く。
蒼い髪に、巫女装束を纏った女だった。
腕組みをしながら、こちらを見ている。
ブラッディ・メリーは、得体の知れない寒気を覚えていた。
この女は、とにかくヤバい…………。それだけは肌感で分かる。
「ダンスを舞うように死ぬのは、どんな気分なんだろうね。くくっ、とっても楽しそうだ。見ている側はね」
「で。お前は何者なんだ?」
化座は剣呑として眼付きで睨む。
「絡新婦。東弓劣情。そう言えば、伝わるかなあ?」
女は三日月形に唇を歪める。
化座は息を飲んでいた。
今まで出会ってきたどんな人物よりもヤバい……。禍々しさばかりが全身から立ち込めている。ふと、化座はある種の感情を覚えていた。それは恐怖、というものなのだろうか。恐怖という感情なのだろう。
ブラッディ・メリーは自身が最強のサイコキラーだと思っていた。
たとえどんな人間が相手でも自分のフィジカルだけで倒せると……。たとえ、腐敗の王相手でも遅れを取るとは思っていなかった。
だが、眼の前の人物は…………。
「吸血鬼ブラッディ・メリー。お前は本当に面白い女だ。腐敗の王、直属の右腕なんだろう? お前達は何を計画している? 人魚教の処で何を手に入れた? 本当に面白い限りだなあぁ」
東弓劣情は不気味に笑う。
ブラッディ・メリーは即座に動いていた。
指先から伸びた長い爪によって、劣情を切り付ける。
だが、劣情は何も無かったかのように、その攻撃から避けていた。まるで動いていない。一体、何が起こったのか化座には分からなかった。幻覚や速度の類だろうか? 分からない……。
……何が起こったのか?
化座は頬から冷や汗が流れる。
「おい。この俺様を無視するんじゃねぇよっ!」
人虎が、化座へと襲い掛かってくる。
「お前は黙っておれ」
劣情は、人虎を見下した眼で告げる。
突如。人虎の全身が動かなくなっているみたいだった、見えない何かによって封じ込められたのだろうか。ブラッディ・メリーには見えていた。おそらくは見えない“糸”によって拘束されたのだろうと。
「いかんなあ。私がブラッディ・メリーと対話している時に、そのような行動をするのは、とても良くないなあ」
絡新婦、劣情は不気味に笑う。
その不気味さはどうしようもないくらいに底知れない……。
化座は動いていた。
劣情は嘲り笑っていた。
†
複数の無人のビルが爆発する。
瓦礫が辺りに降り注いでいく。
ブラッディ・メリーが物理的にビルを殴り壊したものだった。
そのビルの瓦礫を、劣情にぶつけたつもりだったが、全て見えない何かによって切り裂かれたみたいだった。
「この辺りは、開発途中の場所で、人が殆どいない。ブラッディ・メリー、化座彩南。もう人を沢山殺すのは嫌いか?」
絡新婦の哄笑が夜の闇に響き渡る。
化座は無言だった。
この女は、挑発しているだけだ。
化座はそう考えていた。挑発して、自分の力量がどれくらいのものなのか見てみたいだけなのだろう。極めて不愉快だった。
それにしても、こんなに派手な戦いを行って近隣住民は大丈夫なのだろうか? この劣情という女は、警察の眼などまるで気にしていないという事なのだろうか。……いや、そもそも……絡新婦という組織は……。
化座はそこまで思考を巡らせていた。
警察、か。
警察を気にしていないという事は…………。つまり、そういう事か?
警察と絡新婦は何らかのパイプラインがある?
何か嫌な罠のような感じがする。
ブラッディ・メリーは辺りを見回していた。
夜の闇の中、建物の一つに劣情の姿を見掛けたような気がした。劣情は空中に浮かんでいる。何も無い中、あの女は空中に浮かんでいる。よくよく見てみると、糸のようなものが見えた。糸がビルとビルの間に張り巡らされている。
「さて。これはどうする?」
ビルの一つが勢いよく、切断されていった。
瓦礫の塊が、彩南へと勢いよく圧し潰されていく。
†
「さてと。死んだかなあ?」
劣情はニタニタと笑い、ビルの上から見下ろしていた。
人虎は少し不満を覚えながらも、劣情のその圧倒的にしばし驚嘆していた。
「警察の方には、ビルの手抜き工事による事故、とでも報告しておこうか」
劣情は腕組みしながら、楽しそうにスキップでもするように帰路へと辿り着いた。
「死体は確認しなくていいんですか?」
人虎は訊ねる。
「いや。どっちでもいい。生きていたら、そのうち、また会えるだろう」
劣情と人虎は、当然のように、ブラッディ・メリーが簡単に死んでいない事を予想していた。だが。あれだけのビルの倒壊だ。一体、何トンもの鉄骨の塊に圧し潰されたのだろうか。
劣情は空中を優雅に歩いていく。
人虎はそのままビルから飛び降りて着地しようとした。
その瞬間だった。
人間数人分の大きさの瓦礫が、こちらのビルに向かって投擲されてくる。ビルに瓦礫が大きくめり込んだ。
どうやら当たり前のように、ブラッディ・メリーは生きているみたいだった。
「面白い。本当に面白いぞ。ブラッディ・メリー。今度はもっと直々に戦わせて貰う」
劣情はそのまま、その場を去ろうとする。
「えっ。もう行かれるんですか?」
「ああ。腐敗の王の連中を挑発するのは楽しいな。今度は特殊犯罪捜査課の連中をからかってみようと思ってな」
劣情はにんまりと笑っていた。