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海辺の歌姫の腹の中。

『セイレーン』の腹の中。魔窟の中へと二人は進んでいく。

 生輪は式神を召喚して、慎重に洞窟の中を進んでいた。

 足元が海水で濡れ始めている。


 置かれていたボイスレコーダーから声が漏れる。

 少年の声だ。


<日本の死刑制度は不平等だと思うんだ。執行官が三名集まって絞首刑のボタンを押すよね? それは命を奪う者に相応しくないと思うんだよ。何故、一人が執行ボタンを押さない? 人の命を奪うという罪をちゃんと背負うべきだよねえ?>


 令谷は、ボイスレコーダーを蹴り飛ばして叩き壊した。


「俺は背負っている。お前らのような連中の頭を拳銃で撃ち抜いている」

 令谷は、身体を低くしながら拳銃を辺りに向けていた。


 一体、どんなトラップがこの洞窟の中にあるのか分からない。

 セイレーンの二人は、令谷達を待ち構えていた。

 この前のマンティコアのように、上手くはいかないだろう。


 ラジカセが置かれていた。

 音楽が流れている。


「クロード・ドビュッシューか。いい趣味してるぜ」

 生輪はラジカセを手に取る。


「なんなんだ? それは?」

 令谷は首を傾げる。


「フランスの作曲家だよ。多分、流れている曲は夜想曲。組曲であり、その中にシレーヌという曲がある。セイレーンを意味する」

 生輪は、ラジカセの音を止める。


「……ああ、この手の行為は、葉月によれば“自分自身を怪物に見立てる為の小道具か”」

 令谷は、以前、葉月の口から聞いた事がある。

 自己の妄想を肥大化させていく為に、怪物は、妄想の産物となるイメージを集めていくのだと。


 妄想は幼稚性の中で成熟する。

 そして、肥大化した自己意識を暴れ始める。


 自己意識が暴れ始めた時、それは世の中に牙を向け始める。



 そこには強烈な悪臭が充満していた。

 大量に腐った魚の死骸が転がっていた。羽虫が飛び回っている。水が酷く汚れ腐っている。腐敗臭はこれまで幾度となく嗅いできたが、密閉された洞窟という空間の中で、これは殊更に酷い。


 天井からは、魚やエビが生きながらにして吊り下がっている。


 冷蔵庫が置いてある。

 中に一体、何が入っているのか分からない。

 冷蔵庫の表面には、ギリシャ語で「セイレーン」を意味する文字が刻まれている。自己顕示欲の一種か?と令谷は首を傾げる。冷蔵庫には、フナムシが這っていた。


 何故か、朽ちた洗濯機も置かれている。

 ……彼らは、此処で普段から日常生活を送っているのか?


「特殊清掃員になれるな。俺達は」

 生輪はふうっ、と、煙草を取り出そうとして、すぐに現場を汚す事を想い出してポケットに入っていたのど飴を口の中に放り込む。


 昼宵葉月なら、これらを見てこう言うだろう。

 此処は“大聖堂”だと。

 羽虫が、まるで聖歌隊のように音を立てて飛び回っている。


魚が何かの腐肉を喰らっていた。

 その腐臭がどうしようもないくらいに強烈だった。


 怪物の腹の中は、いつだっておぞましい。

 このサイコキラーは、二人をこの洞窟内で始末するつもりでいるみたいだった。


「まるで訓練された少年兵みたいな感じがするな」

 生輪は呟く。


 セイレーンは十代と思われる少女だった。

 セイレーンは、もう一人いると言う。


 自分達は、彼らの精神世界の迷路の中を歩いている。

 その迷路を抜け出す事は出来るのだろうか。


 なんだか、朦朧としてくるような感覚だった。

 此処は小さい洞窟の筈なのに、リングワンダリングに遭遇したような気分になる。同じような場所を何度も回っている気がする。


 暗い洞窟の中を、生輪は懐中電灯を丁寧に照らしていた。



 祭壇のような場所があった。


 中央には、聖像のように白骨死体が吊り下げられている。

 周りにはホルマリン漬けにされた魚介類の瓶が並んでいた。

 奇妙な様式美のような印象を受ける。

 何か、歪な曼荼羅を描き、広げているような印象だ。


 此処はセイレーンの腹の中央なのだろうか。


「ガキ共がっ………………」

 生輪は少し眩暈がした。

 この怪物達は、限度というものを知らない。

 令谷は、拳銃で頭を撃ち抜くつもりでいた。生物であるからには、頭を撃ち抜けば死ぬ筈だ。


 生輪は自身の心臓が高鳴っていく事に気が付く。


 こいつの腹の中に潜り込んで良かったのだろうか。


「どうする? 生輪さん」

 令谷が白骨死体を眺めながら訪ねる。


「倒すしかないだろう」

 生輪は答える。

 怪物という事は足る事を知らない。

 何人でも、何十人でも、これから犠牲者は出る。


 だから、出来れば、此処で始末しておきたい。


 セイレーン。

 そういえば、複数のサイコキラーか。

 ならば、シノと名乗った少女以外もいる。

 なら、闇の中にもう一人潜んでいる可能性が高い。


 自分達は、お互いに相手を殺したがっている。

 このどうしようもない張り詰めた空気を、令谷は何だか心地よく思っているのだろう。


 突然。

 何か、大鎌のような刃物がぶらり、と令谷の方へと振り回されてきた。

 令谷はそれをかわす。

 どうやら、この辺りにはトラップが設置されているみたいだった。


 大鎌のような形状をしているものは、鋭く尖った船の錨(いかり)だった。それがぐるりぐるりと洞窟の中を回転している。


 何処かで、セイレーン、シノの笑い声が聞こえてくる。

 完全に、こちらをおちょくっている。


 生輪は冷静に、式神を繰り出す事によってセイレーンの攻撃をさばいていった。死神の鎌のように襲い掛かってくる錨を片っ端からウツボ姿の式神で巻き取って、破壊して回る。

 いつだって、令谷は取り乱す事が多い。

 それが、大した相手でなければ別に構わないのだが、セイレーンは強敵だった。


 肌感として間違いなく、腐敗の王のメンバー達に準ずる強さを有している。


 そして、少なくともシノの方の異能の正体が分かった。


 歌声。つまり、音波によって、感覚に異常を与えている。

 まともに彼女の歌声を聴かなかったが、この感覚異常によって船員をおかしくして船を沈めているのだろう。他にも、何か物理的な小細工を行っているかもしれないが。


 音。特に歌声をまともに聴いてはいけない。

 それだけは熟知しなければ。


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