『マンドレイク』。
植物の蔓によって人間を固定していた犯罪者。
人間の死体で植物園を作っていた。
衝撃的過ぎる事件の為に未だ報道規制が強いられている。
犠牲者は最低34名と言われている。
数十年前から現在進行形で続いている、完全な未解決事件。
ウツボカヅラのようカプセル型のオブジェの中に人間を入れて、濃度の高い塩酸を入れた後、生きたまま溶かしている。警察の捜査によると、陶芸などの職人をしていた経歴の持ち主だと言われている。
カプセル型のオブジェに人を入れる際には、手足の骨を折ったり、切断したりしていた。中には単に縄などで縛ったターゲットもいる。その法則性は分からない。
それらのカプセルは、全てあらゆる植物の蔓が張り巡らされていた。
まるで、カプセルそのものが巨大なウツボカヅラのように…………。
†
「木を隠すには森の中。隠れるには、自分と同じような人間がいる場所がいい。それが、私が受けた第一印象かしら」
葉月はオフィスの中で、ファイルを眺めながら、そのような事を呟いた。
今日は、彼女は茶色のクラシカル・ロリィタのファッションを着ていた。
令谷と生輪は、葉月の話を聞きながら胡乱な表情をしていた。
「それにしても、マンドレイクか。別名マンドラゴラともアルラウネとも呼ばれる。絞首刑にされた者の体液から生える植物とも言われる。その植物を引き抜いた者の悲鳴で人は死ぬと言われている。まあ警察が付けたコードネームは正確かどうかは分からない。何故、人間を閉じ込めて溶かすのか? 私はその事に関して興味があるわね」
葉月は、マンドレイクの闇の奥を見つめようとしている。
溶かす、という事は、証拠隠滅の為か?
いや、もしかすると、自身が生きながら溶解していく事に関して何らかの“罰”のようなものを与えたいのかもしれない。
「リンブ・コレクター事件だったかしら? いつか言ったと思うけど、この手の犯人にコードネームを付ける事に懐疑心を覚えるわね。本質を見誤る可能性があるから」
葉月は、神話上におけるマンドレイクに対しての解釈を語る事を省いた。
引き抜くと悲鳴を上げながら、人間を殺す人型をした植物。
対して、この犯人は、人間を瓶詰にして薬物で殺している。
何故、植物園を作るから安易に植物の魔性であるマンドレイクと名付けたのではないか。葉月は、その事を不愉快そうに指摘する。
葉月は、他の犯罪者に対しても思う処がある。
たとえば、ワー・ウルフ。
ワー・ウルフの名称は、本当に適切なのか?
たとえば、狼と真っ赤な頭という意味で童話の『赤ずきん』を連想させる。
しかし、ワー・ウルフの頭を真っ赤にするのは、赤ずきんにしたいからか?
葉月は、その考察を否定する。
人狼と定義した事によって、赤ずきんの物語が生まれた。
頭蓋に関連性がある”神話”を持ち出す事によって、その対象の本質から外れていく。
「この資料によると、マンドレイクの“植物園”は今も現場検証の為に残されているのよね?」
「ああ。そうみたいだな。一緒に行くか? 葉月」
生輪はブルーベリーののど飴を取り出して、かじり始める。
「行くわ。興味が湧いてきたから」
葉月は楽しそうに桜餅を食べていた。
「最近、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』を読んでいるわ。……人間の心にはどんなものでも入る。過去と未来のすべてがそこにあるのだから」
葉月は文学者の格言を呟く。
「邪悪さとは超自然的なものから生まれるわけではない。人間そのものに悪を行う力がある、だな」
同じく生輪はコンラッドの言葉を引用する。
†
植物園は異様な場所だった。
人を入れる為のカプセルが、残されていた。
中は、コケやシダによって覆われている。
そして、無数のウツボカヅラの写真が壁中に貼られていた。
これは、現場検証の際に、何故、ウツボカヅラを生やしていたのかを記録しておく為らしい。
カプセルは八つあり、少なくとも、八名の被害者が此処で生きながらにして薬品で溶かされた。
生えていたウツボカヅラを、カプセルに見立てているのは誰の眼にも明らかだった。
「こいつは秩序型か? それとも無秩序型か?」
生輪は葉月に訊ねる。
秩序型。普通に社会的地位があり計画的に犯罪を犯すタイプである。
無秩序型。社会不適応者であり知能もそれ程、高くはない。定職にも着いていない人間が多い。
「秩序型。極めてIQが高い。でも日本を転々としていると思う。職も転々としているんじゃないかしら。こういうのは混合型というのかしら?」
葉月は、一般的なプロファイリングの基礎知識に対して首を傾げる。
この前のセイレーンはある種の無秩序型と言えた。
少なくとも、あの兄妹は無計画に船を沈め続けて、定職にも着いていなかった。
マンドレイクは、何らかの職人。
あるいは医者か何かというのが刑事課の分析だ。
その辺りに関する考察として、葉月に異存は無い。
葉月は植物園の天井を見上げながら、腕組みをして思索に耽っていた。
「もし、これがサディズム行為だとすれば、人間が悲鳴を上げ続ける事に対して、歓喜していた筈。……犯人がマンドレイクというよりも、被害者をマンドレイクにするといった感じかしらね」
葉月は辺りを考察していた。
もう十年以上前に、この植物園は当時の警察組織によって現場検証が行われている。マンドレイクは余りにも異常な事件の為に報道規制が敷かれているが、地元住民達からの花束やお供え物のペットボトルやお菓子などが庭園の外には置かれていた。
「犯人は既に、故人って言う事は考えられないのか?」
生輪は葉月に訊ねる。
最後にマンドレイクの事件が起こったのは、もう五年ほど前になる。
犯人が高齢ならば、寿命か何かでとっくに死亡した可能性だってある。
「さて、どうかしらね」
葉月は、首を傾げていた。
ファイルのコピーを手にしながら、殺害現場の状況を真剣に眺めていた。
「犯人は被害者の手足を切断しているケースと、折っているケース。手足を縛っているケースがある、と。おそらく、これは、犯人が、被害者に対して何らかのゲームを仕掛けたか、何らかのサディスティックな行為に及んだかのどちらかという事かしら?」
葉月は、ファイルをめくっていて、ファイルに入っているウツボカヅラの写真を熱心に眺めていた。
「ほう?」
「たとえば、現金を持ってきた者は縛る。持ってきた現金が少なかった者は折る。現金を持ってこなかった者の手足は切断する。……指や第一関節まで丁寧に切断していった形跡があるみたいね。……もしかすると、反抗的な態度を取った者の制裁という事かしら? なんだか、いわゆるその筋の“プロ”の犯行の印象なのよね」
葉月はファイルを隅々まで読んでいく。
行為こそ猟奇的だが、どうにも職人じみた事のように思えて仕方が無いといった印象を葉月は受けたみたいだった。
「なるほど」
生輪は関心していた。
当時のファイルには、そう書かれていない。
犯人が、どのような理由で、被害者の“処遇”を考えたのかは分からない。
「何故、劇薬に付けて殺害すると思う? マンドレイクも何かの芸術を行っているって事か?」
令谷は、首を傾げる。
「いや、これは、スワンソングやセイレーンみたいな“アート”じゃない。ただのサディズム行為だ。そして、同時に極めて秩序立った処刑や拷問行為とも言えるわね」
葉月はそう告げる。
「被害者に“ミッシング・リング”があるのかもしれないわね。もしかして、闇金からお金を借りていたとか。お金を返せなかった見せしめとして、このように殺害された。その線で考えた事は?」
葉月はファイルを隅々まで読みながら、考えていた。
どうしても、彼女は、処刑の仕方。
あるいは、拷問の仕方に関して気になる部分があるみたいだった。
そして、葉月はファイルの資料を通して、被害者の特徴のようなものを気にかけているみたいだった。どの人間も、金融会社に借金があり返済能力が無く、いわゆるブラック認定されている者も多い。刑事課はその線に対して、疑問を持っているみたいだったが……。
異常過ぎる殺人の為に、明らかに快楽殺人めいた事が仄めかされていたが、実態は、単なる見せしめの処刑なのかもしれない。裏社会の者達に眼を向ければ、犯人が逮捕出来るかもしれない。それこそ、今回は刑事課を頼るしかない。
「どうも“快楽目的”を感じないのよね。スワンソングとかみたいな、変な独自世界の美意識みたいに世界観を演出しているわけでもない。犯人は、この行為を“単なる辛い仕事”としてしか考えていないんじゃないかしら?」
令谷は、ずっと黙っていたが。ふう、と溜め息を付く。
此処は、風景がとても綺麗によく見える丘の上だった。
こんな場所に植物園を作って、無関係な人間から見られないのか、と単純に考えてしまう。……いや、十年以上前は地形が違っていたのだろうか。此処は深い山奥であり、実際に、生輪の車で訪れた。
犯人も、同じような思考に至っている。
此処からは、見晴らしが良いが、周りはこの植物園を見つけにくいだろう。実際に此処に辿り着くのに難儀した。
「裏社会の人間だろうが何だろうが。俺はこの犯人を今すぐ始末してやりたいよ」
令谷はそれだけ言った。
生輪も頷く。
「じゃあ、裏社会の人間をあたってみる必要があるな。それに関しては、何とかして刑事課を通さないとな。話が通じるといいんだけどだな」
令谷は、刑事課の面子の嫌な顔を想い出しながらも、仕方なく犯人逮捕、あるいは始末の際に仲の悪い部署に対しての助力を仰ぐ事にした。
ひとまず、葉月の推理をもとに、闇金業者。
あるいは、元闇金業を行っている者達のリストを調べる事になった。