「人はなんで生まれて、なんで死ぬのだろう?」
怜子は悲し気に告げる。
「分からないわね。何も分からない。私には分からないわ」
肌寒い雪の日だった。
彼方の家に行って、怜子と会った。
「葉月ちゃん。私は生まれてきたくなかったし、生き返りたくなかった」
怜子は悲しそうに呟く。
葉月は怜子の掌に、自らの掌を重ねる。
冷たい手。
どうしようもない程に冷たい手。
幸せだった時間なんて、怜子にはあったのだろうか?
葉月は、それを与えられない。
葉月のエゴだけで、怜子は生きているし、生かされている。
葉月は言えない。自分が怜子を幸せに出来ると。結局、幸せに出来なかったのだから。新しい道を作ってあげたかったけど、それは閉ざされてしまった。
「ねえ。葉月ちゃん、私は生まれたくなかった。生まれたくなかったんだよ…………」
葉月は答えない。
怜子は涙を流していた。
生き返りたくなかった少女。
自分のエゴだけで生き返らせてしまった少女。
生まれる事の罪。
生きていく事の罰。
怜子はずっと考えている。
性行為の全ては、加害行為なのではないかと。
怜子にとって、男というものは父親のイメージだった。
父親から与えられたのは、恐怖と屈辱と苦痛ばかりだった。
何故、女は子供を孕むのか。
何故、男は女に種を植え付ける事が出来るのか。
怜子にとっては理解出来ない事であり、恐怖の対象だった。
怜子は葉月に投げ掛ける言葉とは裏腹に、彼女といるとある種の安堵感がある。それは彼女が男性では無いという事。正直に言えば、祐大も彼方も令谷も怖いと感じる事はある。何故なら、怜子にとって男性とは自分に加害する存在でしかないのだから。
……今の自分は、ひたすらに他者を害する存在でしかないのかもしれない。
怖い男性にだって腕力で容易に勝てる。
たとえば、令谷の首筋を見ていると、蹴り折る事が出来そうだ。
怜子の心の底には、得体の知れない程の男性に対する憎しみや嫌悪感が存在する。
男性恐怖症。葉月の教えた言葉で言うと、いわゆるミサンドリーという感情が強い事は周りに言っていない。実際、令谷や崎原でさえ怖いと感じる事がある。
葉月は、熱いお茶を飲みながら羊羹を口にしていた。
怜子も羊羹を一切れ口にする。……なんだか、不思議な感じがした。食べている、というよりも、無理やり口の中、胃の中に放り込んでいるような。
自分の身体は、やはり人間ではないのだろ。
そう実感する。
ぽつり、ぽつり、と雨は雪に変わる。
外を見ると、傘を差した生輪の姿が見えた。
†
「令谷は分かってくれなかったけど。サイコキラー、シリアルキラーの大多数は、幼少期に適切な愛情を受けられなくて、親や自分が生きていたこの社会そのものに“復讐”したがっている。愛を知らなかったり、愛情が歪んだりすれば、それが凶悪な暴力となる。社会に牙を剥く。よく言う“誰でも良かった”って言葉はそういう意味ね」
彼方の部屋の中で、葉月は生輪と一緒に、桜餅を口にしていた。
「俺もお前みたいなのを正当化するつもりは無いぞ」
生輪は、葉月に対して、そうきっぱりと言った。
「一般人はな。自分の親兄弟子供が殺されたら、イカれた犯罪者に復讐したいし、同等の苦しみを与えたいって考えるもんなんだよ。ってか、親から虐待されてたなら親を殺せよ。学校でいじめられていたならいじめっ子を殺せよ。過去に強姦されたんなら、その強姦魔を殺せ。無関係な市民を惨殺するんじゃねーよって話なんだよ」
生輪は、はあっ、と、当たり前の事を、当たり前の話が分からない幼稚園児に伝えるかのように面倒臭そうに告げる。
「敢えて、サイコキラーを代表するつもりで宣言するわ」
葉月は芝居がかった口調で告げる。
「これは“戦争”なのよ。枠から外れてしまった異常な者達と、一般市民と思っている人達のね。誰もが無辜な人間と思って、その無自覚故に、誰かを傷付けている。腐敗の王は、それを資本主義の構造になぞらえていた。“先進国で生きている人間は、誰だって途上国の人間を食い物にして豊かさを享受している。その加害性が小さな宇宙のように、凶悪犯罪者となる者に向けられている。ある時、被害者は加害者となって入れ替わる”のだと」
葉月は、まるで劇作品を朗読するように、語る。
「はっきり言うが、俺は、たとえば、一家惨殺して娘の方を強姦殺人した凶悪犯が、幼少期に父親から虐待されていたとかクソ程、知らねぇー。甘えんなって思う。現に犯罪者にならずに生きてる奴って多いだろ。結局は言い訳なんだよ」
生輪は、本心か令谷の言葉を断言しているのか捉えられないような、抑揚の無い言葉で返す。
「本心じゃないわね。凡庸な言葉を選んでいるけど、貴方の意図が見えないわ」
葉月は不快そうに言う。
「令谷にもう少し、気を遣えって言ってんだよ」
生輪は、被害者の会に行ってきた帰りに、彼方の家に寄っている。
どうしても、被害者の会の者達の言葉を汲み取りたいと思っている。
「…………。もっとも、俺の親父や友人は、殺されて当然の件に足を踏んでいたから、俺は復讐心ってのが、よく分からないんだけどな。実は、俺も令谷の気持ちの全てはよく分からん」
生輪の本音のようなものが垣間見えた。
彼は刑事という面で、極めてバランスが取れている。
「何故、人間が人間を殺すのか? 私達はその命題に立たされていると言えるわね」
葉月は生輪に告げる。
「命題か。それはどういう事だ?」
「腐敗の王の言葉を借りれば“何故、国家による殺人は良くて、一人の人間による連続殺人が駄目なのか”。そういう事らしいわね」
「それは奴の妄執だろう」
生輪は切って捨てる。
「どうかしら?」
葉月はせせら笑う。
「ヤクザ。黒社会。カルト宗教。そんな組織だって、人間を殺している。もちろん、国家権力だって。それに対して、一人の異能者が起こしているのは、果たして絶対的な悪なのか」
葉月は、くっくっ、と笑う。
「悪だよ。人を殺すのは悪い事だ。やっぱり、俺は被害者と遺族の気持ちを考えろって思う」
生輪は、断言する。
当たり前の事を言っているつもりなのに、葉月は、あるいは彼女が繋がっている腐敗の王の言葉は、どこかズレた意見だった。そう言えば、いつの間にか、葉月は腐敗の王と繋がっており、情報交換をしているという事実が、自分達の周りで当たり前になっている。それを自然の事と受け止めている。
「ふん。連続殺人犯の思考と、思春期の少年少女の思考は似ているらしいな。肥大化したナルシズムだ。……だが、国家レベルまで行くと、国家そのものがある種の豊かさや、愛国心、権力者の傲慢さを内包した集団的なナルシズムなのかもしれんな」
生輪は、桜餅を頬張る。
この米のような味が、なんともいえなく口の中に広がっている。
†
彼方は、虚ろな眼をしながら、怜子の絵を描いているみたいだった。
そして、怜子の絵の背後に、葉月と生輪の絵を描いていく。
キャンバスには、沢山の令谷の絵が描かれている。
そして、怜子の絵も混じっている。
彼方は何か意思表示をしようと思っているのだろう。
それは、彼のマトモな思考回路に残された“絵を描きたい”という衝動そのものなのだろう。
この彼方という少年も異能者だ。
最初、会った時、紙を使い、式神の要領のごとく令谷に“付添人”を付けていた。付添人には自我があるみたいだった。
葉月との戦いで、やはり、彼方は巻き込まないと決めたらしい。
むしろ、怜子が彼の家で居候するようになって“付添人”である、紙達は、怜子と自分を守るように令谷が指示したらしい。
令谷は孤独の中、戦っている。
自分の全てを奪った者へと、あるいは者達へと復讐する為に……。
もう春なのに、雪は猛吹雪になっていく。
満月の度に、何処かでワー・ウルフの犯行が行われていた。
令谷は、穏やかではない。
ただ、しばらくは、刑事課にワー・ウルフの事件は任せる事になった。