2021年。四月上旬。某日。
中学校だった。
満開の桜の木が咲いていた。
桜には、何かがぶら下がっていた。
それは、沢山の女子供だった。
五名が吊り下がっていた。
首吊り死体となって、全身に千羽鶴を巻き付けられて吊るされていた。
長く飛び出した舌には、死後にタトゥーキットで彫られたと思われる『縊鬼』という言葉が入れられていた。
後に指定暴力団組織・吐古四会の構成員達の家族である事が判明する。
そして、その犯行現場は『特殊犯罪捜査課』である富岡の十五歳になる娘が在籍している中学校だった。
警察は、すぐに被害者達が指定暴力団・吐古四会の構成員達の親族にあたる事に行き着いて、反社会同士の抗争なのではという話になった。
†
「私の娘が在籍している中学校なんですよ……っ! ……何かあるとしか思えないっ!」
富岡は半泣きになっていた。
「……“在籍”……? 通学じゃなくて?」
葉月は、微妙な言葉のニュアンスに首を傾げる。
「その…………、お恥ずかしいのですが。娘は不登校でして…………」
「どう考えても、娘さんの中学で事件を起こしたのは、意味があると思うわよ。富岡さん、崎原さんもだけど、今後、貴方の家族が狙われる……………」
葉月には、心当たりがあった。
絡新婦、東弓劣情。
彼女が殺し屋を送ってきている。
おそらく、吐古四会というのが腐敗の王達と組んでいる暴力団組織だ。
そして、東弓劣情は、上野の公園で葉月に宣戦布告を行った。
彼女からしてみると『特殊犯罪捜査課』も目障りという事だろう。
†
「殺された人間の中に、年の離れた俺の妹がいます…………」
群青は、愕然としたまま絶望の表情で地面に突っ伏していた。
「他にもウチの組員で、母親を殺されたって奴もいる。他にも娘を殺されたって奴も」
若頭の五寅は静かに怒っていた。
「報復で家族を狙い始めたか…………」
菅原剛真は、絶句していた。
状況からして、間違いなく黒社会(チャイニーズ・マフィア)の連中だった。
「連続殺人犯になった時点で、私は覚悟しているわ。私が警察に捕まった時、凶悪犯罪者の親族が世間からどんな目に合うのかくらい知っている。そもそも両親嫌いだし…………」
化座彩南は唇を噛み締めていた。
サイコ・キラー・ブラッディ・メリーは特に世間から憎まれている。
彼女が捕まれば親族は破滅するだろうし、自殺者も多く出るだろう。
それ程までに、世間の犯罪加害者の家族に対する憎悪は深い。
完全に想定の見積もりが甘かったのは、黒社会『角端』や『絡新婦』達が、報復の為に、親族を狙ってくるという発想が無かった事だった。何処かで、それは“ルール違反”な気がして思考から抜け落ちていた。
「お、お、俺にも、い、妹がいますっ!」
虹埼は、声を震わせていた。
「その…………、群青さん達の娘さんが見つかった中学校ですが……。俺の妹が通っている中学校なんです…………」
虹埼は、半泣きになっていた。
†
「僕は何とか両親を守りたい……。僕が捕まるわけにはいかないし、その、僕が殺した被害者達に対しては申し訳ないのですが」
白金朔は、暗澹とした表情を浮かべていた。
朔はふと、凶悪殺人犯というものは、極めて自分勝手だな、と思った。
自分達は好き放題に色々なものを傷付け壊してきたのに、被害者から奪ってきたのに、いざ、自分達が奪われる側となると、駄々をこねた子供のようにそれを拒む。
我ながら情けないな、と、朔は考えていた。
「『角端』のボスである、崑崙(こんろん)と、構成員達を皆殺しにするしかないわね」
ブラッディ・メリーは強気だった。
「いや。実は、裏で手を回して『角端』のボスである崑崙とは、もう話が付いているんだ」
腐敗の王は、至極、冷静な態度だった。
「崑崙は、冷徹な合理主義者だった。この件から手を引く替わりに、吐古四会の組長であるヒスイが北海道に所有していた土地を譲渡する事を条件として、手を引くらしい。崑崙にとっては、部下数十名の命よりも土地の権利の方が欲しいんだと。それで新たなビジネスを始めるらしい。ゴルフ場とか、旅館とか作るんだと。ヒスイの爺さんは、泣く泣く手放さざるを得なかったらしいが。これで『角端』全体からの報復は無くなったそうだ。ただし」
「ただし…………?」
ブラッディ・メリーは、眉をしかめる。
「『絡新婦』に何名か渡した殺し屋は、引き続き、俺達や吐古四会を狙うそうだ。まあ、俺としては、敵対している相手がシンプルになったから、良い事なんだがな」
腐敗の王は、ふうっ、と、小さく溜め息を付く。
どうやら、ヒスイの爺さんと組んでの、緊迫した取り引きだったらしい。
†
虹埼は『アンダイイング』、星槻氷歌に対して、跪き頭を垂れていた。
「お願いします。妹を……妹を、助けてください。……クズみたいな俺と違って、とてもいい子なんですっ!」
「分かった。妹を助けられるか約束出来ないけど、必ず『縊鬼』って奴を殺してやる……」
氷歌は静かに怒っていた。
……被害者遺族の気持ち。
妹である灯火がスワンソングに殺されて、氷歌は、何処か感情が分からなかった。
未だに、スワンソングと会えていない。
このまま、会わない方が良いような気もする。
もう、沢山の人間を殺した。
何処かで、自分は狂った人間の演技をしている。
いや、狂人の演技をしようとする事自体が狂人だ。
何故か分からないが、辛くて苦しい、という感情が押し寄せてくる。
…………もう、『連続殺人犯・アンダイイング』として、アート活動をする事は出来ない。腐敗の王とは、袂を分かつしかないのかもしれない。不穏な未来ばかりが頭を過ぎる。
自分は元々、普通の人間だったと思う。
何故、こんな異常な世界に身を投げ入れて、異常な事をしているのか。
†
富岡沙代(とみおかさよ)。
それが、富岡十蔵の一人娘だった。
学校に上手く馴染めず友人も作れず、不登校をしている。
高校は行っても行かなくてもいいと富岡は思っていた。
定時制に行って、大検でも取ってくれればいいと漠然と思っていた。
目に入れたくても痛くない娘だ。
『特殊犯罪捜査課』においては、もはや腐敗の王達のグループの力を葉月が借りているという事は周知の事実になっていた。富岡も崎原も、それを看過している。他の課や、特に上層部に対してはその事実を絶対に伏せている。……上層部は、おそらく…………。そして、その“どちらにも”令谷は、その事実に対してハラワタを煮えくり返らせている。
ただ、富岡は、この時ばかりは腐敗の王のメンバーに感謝した。
……東弓劣情は『特殊犯罪捜査課』を狙っている。そして劣情は、メンバーの家族を狙ってくるだろうと。縊鬼は、劣情の仲間だろう。もう、戦争は始まっている。
「娘さんに、ご友人はいるかしら?」
オフィスの中で、葉月は、富岡に訊ねる。
「確か、同級生で一人、います…………」
「名前は?」
「確か、虹埼 綾音 (にじざき あやね)…………。暴力団を兄に持っていますが、良い子です」
富岡は拳を振るわせていた。
葉月は優しく笑う。
「大丈夫。私が解決してみせる」
葉月は、眼の色を変えていた。
最初、葉月の世界の中には、怜子しかいなかった。いなかったのだと思う。気付けば、特殊犯罪捜査課のメンバーには世話になっている。そして、劣情を放置しておけば、いずれ怜子も狙われる。この戦争は決して避けられない。どんな卑劣な手段を使っても、葉月は劣情や彼女からのヒットマンを返り討ちにするつもりでいた。
葉月は、スマホでスワンソングに連絡を送っていた。
向こうも状況が芳しくないらしい。
向こう側にいる人間が、何名も亡くなったそうだ。それで、ピリ付いている。
それにしても、奇妙極まり無い事だと葉月は思った。
普通は、公安二課や刑事課辺りと、合同で捜査を開始するものだ。
だが、自分は“連続殺人犯のグループ”と一緒に、殺し屋の捜査を行おうとしている。
……頼りになるものが、そういった者達しかいない。
「縊鬼とやら、返り討ちにしてやるわ」
葉月は、嫌な事を想像してしまっている。
劣情は、こちらを弄んでいる。
その気になれば、全員、殺せるだろが。それをしようとしない。ちゃくちゃくと、こちらの人員を少しずつ削っていって身も心もズタズタにして精神を崩壊させたいのだろう。
「間違いなく、富岡さんの娘さんの首を絞めて殺す気ね」
葉月は一刻の猶予も無いといった顔をしていた。
富岡は泣きそうな顔をしていた。
「犯人像は分かりませんか?」
富岡は縋るように葉月に訊ねる。
「分かるのは、私達が名付けたんじゃなくて。自ら“縊鬼”と名乗っているわけでしょう? 縊鬼は日本や中国の妖怪で、人間に取り憑いて首を括らせる、という奴でしょう? 生きている者に取り憑いて、首をくくらせる妖怪と」
葉月は首をひねる。
「マンドレイクと同じように、何か、処刑人みたいな感じがするのよね。サイコ・キラーというよりも。となると、秩序型の犯罪者か。何かの組織に属している殺し屋とかじゃ」
葉月はそう話しながら、何か合点が言った。
「私達全員を狙っているわね。腹が立つ事に、私達の家族を狙ってきている。令谷、彼方の警護をした方がいい。それと、この縊鬼っての。とっとと、こちらから始末しに行った方がいいわね。こいつは当然、ただの連続殺人犯(シリアル・キラー)の域を超えている。職業殺し屋って奴よ」
葉月は暗鬱な顔をして告げた。