2021年。四月上旬。平日。
縊鬼事件が起こってから二日後の事だった。
葉月の頼みで、怜子と祐大の二人は、富岡家に行く事になった。
都内から少し離れた一軒家だった。
二十年、三十年ローンとかで建てたのだろうか。
そんな感じの家が建っていた。
祐大は、富岡を通じて、ライン交換をしていた。
富岡沙代の同級生である、虹埼綾音とだ。
富岡家の前まで来ると、少し髪の毛を茶髪に染めた少女が佇んでいた。
「あ、すみません。沙代さんの同級生ですか?」
祐大は、その少女に訊ねる。
「は、はい。虹埼と申します。貴方達は、その、例の………………」
「はい。僕は望月と言います。沙代さんのお父さんのお友達です」
「上城と言います…………」
三人の間で、しばらく微妙な沈黙が続いた。
「とにかく、ラインで出てくれたらいいんだけど。沙代…………」
綾音は、スマホを見ながら微妙な表情をしていた。
しばらくして、綾音は玄関のチャイムを鳴らす。
平日の昼間だ。
綾音と祐大は、ちょうど学校の春休みが終わった頃で、ちょうど二人共、早く学校の授業が終わった為に、此処に来ている。
富岡家は共働き家の為に、沙代一人が家にはいる筈だ。
富岡本人は、どうしても仕事が忙しいという事で、警察署を離れる事が出来なかった。……口実だろう。家に招こうと思えば、いつでも招けるが、娘の友人達でどうにかして欲しい。思春期の不登校の娘とどう接したらいいか分からない、といった処か。
しばらくして、かちゃ、と、玄関の鍵が開いた。
中から、黒髪で内気そうな子が、辺りを見渡していた。
どことなく、怜子と少し似ている。
「綾音ちゃんと……………。お父さんの友達…………?」
彼女は、おどおどしながら三名に訊ねる。
「とにかく、中にあがっていい?」
綾音は言う。
「う、うん。いいよ」
微妙な空気が、四人の中で流れた。
†
「今日、三年生の時のクラスが分かって、綾音とは別のクラスになったんだよね。あ、私、一応、プリント貰ってきたから」
そう言って、綾音は沙代に学校のプリントを渡す。
沙代は、三名に対してどうしていいか分からず、三人分のコップに水を入れて家の中で適当に探してきたと思われるお茶菓子を振る舞う。祐大はありがたく水を口にした。
しばらくの間、やはり気まずい沈黙が流れた。
「その…………。学校で事件があって、本当に大変でしたね」
祐大は、何とかそう告げる。
「……お父さん、刑事さんだから、私の学校の事件も解決してくれないかな、なんて……」
沙代は、何とか絞り出すような声でそう言う。
「早く、事件、解決するといいね」
祐大は、そう言って笑った。
怜子は、部屋の中をくるくると見回していた。
色鮮やかな美少年や美少女のイラストのポスターが貼られている。漫画が多く。幾つかの美少女フィギュア、美少年のぬいぐるみなどが置かれていた。
いわゆる、オタク、という奴なのだろうか。
「あ、え、え、え、と。推してるⅤチューバーなんですよね……。分かります? ヴァーチャル・ユーチューバーって言って、物凄く恰好良かったり、可愛かったりして」
沙代は、そう言いながら何とも言えない表情をしていた。怜子から目線を反らしている。
「大好きなんですね。私、その、好きなものとかなくて、羨ましいです」
怜子は、思わず、そんな事を告げた。
「好きなもの、無いんですか? お姉さん………………」
「怜子でいいですよ。無いんです、好きなもの……」
祐大と綾音が見る限り、沙代と怜子は少しずつ打ち解けていっているように見えた。
「なんかさ。せっかくだからさ。みんなで映画館にでも行かない? 私、興味のある映画があるんだけどなあ」
綾音がそう呟く。
「映画館、って、その、外だよね…………?」
沙代は、引き攣った表情をする。
「外だよ」
綾音は笑う。
「…………その、家の中で、みんなで、映画を観るのとか、ダメかな……?」
「私、映画館で新作の映画、観たいんだよね」
二人の間で、微妙な空気が流れる。
「あ。俺、観たい映画があるんだけどさ。旧作で。ソフト使って、みんなで部屋の中で観ないか? ファンタジーなんだけど」
祐大が助け舟を出す。
†
沙代は夕方過ぎて、近くの公園ならいい、という事で、外に出てくれた。
怜子は、葉月から言われていた、蓮のイノセンスと小さなクマのぬいぐるみを“マーキング”として、富岡沙代の部屋に置いておいた。念の為に、富岡家の周辺にも。これで、沙代の処にヒットマンが来たとしても、小動物や鳥のアンデッドで時間を稼ぐ事が出来るとの事だ。あくまで、時間稼ぎ程度にしかならないだろうとは言っていたが。
「私の友達から、プレゼントだそうです」
怜子は、綾音にも、蓮のイノセンスを渡す。
「この三角の形のもの。これ、お香? いい匂いだね」
綾音は笑った。
「何か危険な事があったら、火を点けてって言ってました」
「ありがとう。友人は占い師か何かなのかな?」
何故、占い師という発想になったのかは分からないが、綾音は笑った。
「それから、これも。お守りらしいです。イノセンスは、このぬいぐるみの近くで点けてって」
怜子は、少し大きめのクマのぬいぐるみを綾音に渡す。
綾音は可愛らしいな、と、笑った。
そして、その日は解散した。
それにしても、と、怜子は何とも言えない気分になる。
小動物や鳥の剥製を仕込んだヌイグルミと、反魂香を渡すのに、何となく嫌な気分になった。
……やっぱり、いざとなったら、私が二人を守らないと。
怜子は、そう決意した。
†
夕方だった。
虹埼が、不気味に幽鬼のように佇んでいる。
氷歌は、普段やっているデスクワーク系の仕事の帰りに吐古四会に寄った処だった。
「どうやら、俺は“異能力”って奴を持ってしまったみたいです…………」
虹埼は教団から盗んできたものを注射して、異能力に目覚めた。
砂粒を、さらさらと床に置く。
すると、そこには顔のようなものが描かれていた。
女の顔だった。
中国系の顔だ。
「先ほど、縊鬼の犯行現場。桜の木に行ってきました。そこでずっと念じていた。すると、顔が浮かび上がったんです。どうやら、俺の“異能”は、犯人の顔を、そして“居場所”を割り出す事が出来ます。姐さん、ありがとう御座います。姐さんは、吐古四会のものじゃない。組の者達がやられた事は、組員が片付けないと……っ!」
虹埼は、笑った。
「もし、俺に何かあったら、俺の妹を守ってください。両親はどうでもいいけど、妹だけはっ! 住所を教えます。妹の住んでいる住所をっ!」
「おい。お前、何を考えている? 一体、何を考えているんだ?」
氷歌は混乱していた。
「自分と橙汰の二人で、こいつを何とかします。返しは、自分達でやらないとっ!」
虹埼は、不気味に笑っていた。
氷歌は、煙草に火を点ける。
氷歌は、彼の顔を見て息を飲んでいた。
まるで、それは必死に何かに取り憑かれたような形相だった。