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セイレーン。腐敗の王のアジトへ。

 全身の所々に包帯やガーゼを巻いた少年少女が、腐敗の王のアジトの中にいた。

 彼らはセイレーンの兄妹。

 セラスとシノと言う。

 牙口令谷との戦いで全身火傷を負い、海に潜って火を消し、何とか息を潜めていたのだという。彼らは令谷と生輪に対して復讐を誓っているみたいだった。


「ほう。という事は、お前らは俺の仲間になりたいという事か」

 腐敗の王は、二人を吟味するように見る。

 自分達をこの子供二人は売り込みにきたのだろう。

 それ自体は殊勝な事だ。


「お前らの敵を皆殺しにしてやるよ! 全員、シノの歌で海に沈めてやるっ!」

 セラスは前に出る。

 彼はカトラスと、尖った銛のような武器を腰に携えて今にも引き抜こうとしていた。


「怪我を治す事に集中した方がいいんじゃないか? 少なくとも、俺のプランにお前達を組み込む事は出来ないな」


「なら。しばらく、此処に匿ってくれっ!」

 セラスは叫んだ。


「それは構わないが、条件がある」

 腐敗の王は、少し意地悪っぽく言った。

 彼の背後に、一人の青年が現れる。

 右目と左目。両方の色が違う男とも女ともつかない人物だった。


「この『エンジェル・メーカー』と仲良くしてくれたら構わない」


「間違って殺しちゃっても構わないの?」

 シノはくすくすと笑う。


 腐敗の王は、くっくっ、と、口元を抑えていた。


「出来るものなら、やればいい」

 腐敗の王は、それだけ言うと踵を返し、アジトの奥の画廊へと向かっていった。


 エンジェル・メーカーと言ったか。

 白いガーゼシャツを身に着けた不思議な青年だった。


「ギャラリーにお前らの作品は飾らせて貰おうとしよう。だが、シルバー・ファングと再戦をするのなら…………」

 腐敗の王は、嘲るように言う。


「今のお前らでは、せいぜい牙口令谷の成長要因のパーツにしかならないだろう。次は別の人間でも相手にするべきだな」

 腐敗の王はそう言って、セイレーンにキツく吐き捨てる。


 セラスは、怒りに燃えていた。


「そのひょろひょろの真っ白い奴を、痛めつけてやるからなっ!」


「ふん。空杭を相手にするのか。好きにしろ」

 腐敗の王は、冷たく言い放った。



「…………強いなあいつ…………」

 セラスとシノはボロボロになりながら、エンジェル・メーカーに対してまるで太刀打ち出来なかった。殺さないように加減もされていた。いわく“王に言われて、殺す為の人格が出ていなかったから、手加減出来た”らしい。

 徒手空拳では、どうにも勝てない。

 この青年は、様々な格闘技らしきものを使う。マーシャル・アーツ全般を使いこなす事が出来るみたいだ。気のせいか、眼の色が右目と左目、ちかちかと様々なカラーに変わっていっているように見えた。


「兄さん。私達は真面目に強くなるしかないのです」


 二人は地べたを這いずり回りながら、頷き合う。


「なんで、そんなに強いのかな?」

 セラスは笑う。

 まるで自分の命なんて、どうだっていいかのように彼は笑う。


 エンジェル・メーカーは空杭と言うらしい。腐敗の王が言っていた。


「空杭君は強いねっ!」

 シノも笑う。


「もしかして、空杭君。記憶が混濁している?」

 シノは訊ねた。

 セラスもどうやら気付いたみたいだった。

 ……どうにも、彼は自分達と似ている。

 被虐待者特有の匂いというべきか。


 親のせいでおかしくなった。

 親のせいで、人を殺さずにはいられなくなった。


 セイレーン、シノは、エンジェル・メーカーの瞳を覗き込む。

 純粋で、透明で汚れの無い。蒼と翡翠の瞳。

 カラーコンタクトでは無いみたいだ。という事は、やはり出ている人格の時に瞳の色が変わる? その法則性に対して二人は興味が湧いてきた。いや、彼自身に対してもだ。


「お友達になれないかなあ」

 セラスは言う。

 そして、優しく空杭の腕を握り締めた。


「礼。……礼って言うらしいんだ。僕の奥底にいる人格はね」

 彼は告げる。

 絞り出すような声で告げる。


「そうか。礼、仲良くなろう」

 セラスは笑った。



 セイレーンの二人は、腐敗の王のギャラリーにあるエンジェル・メーカーの『胎児の塔』を見せて貰った。

 堕胎された赤ん坊の肉片をかき集めて、天使として修復されたオブジェの数々。

 セラスとシノは、それらを見て素直に感銘を受けた。


「赤ん坊……子供が好きなんだね」

 セラスは言う。


「うん。この世に産まれてこられなかった子達の為に、僕は……俺は、何かを生み出したいから…………」

 空杭は、悲しそうな表情をしていた。

 その瞳の奥には、優しさと愛情に飢えている。……きっと、自分達もそうなのだろうか。他人を傷付ける事でしか生きている事を実感出来ない。他人の痛みが自分の痛みを和らげる。彼はそういう類の人種だ。同じだ。


 愛情を知らなければ、他人との接し方が分からない。

 それ故に、他人を壊して、セラスとシノの二人は行き着く処まで行った。


 ぼんやりと、セラスの記憶がぼやけていく。

 幼い頃の香り。

 家に帰ってこない、母親。

 父親が犯罪者という事実。忌み子としての自分。

 セラスは、自分とシノが双子であると思う事によって自我を保ち続けた。シノの方もそうだった。寄り添い合って生きていくしかなかった。


 ただただ、父親という存在が憎かったし、自分達がこの世に産まれた事を証明したかった。気付けば、セラスもシノも、エンジェル・メーカーの作った作品を見て涙を流していた。


 きっと、空杭も、酷い過去を生きてきたのだろう。

 二人には、それだけは、はっきりと分かる。


 生まれてきた事の罪。

 生きていく事の罰。


 ……自分達は、生まれるべきではなかった。

 そこには、どうしようもない程の闇の者達同士の理解と共感があった。


「一緒に食事をしよう。パンと赤ワインのシチューの残り物があった筈」

 空杭は、二人を優しく抱き締める。

 生まれるべきではなかった子供達。


 空杭は飛べない天使だった。

 海を支配している歌い手達との出会いは、空杭に、少しだけ人間らしい感情を蘇らせた。自分達の親は、何故、自分を産んだのか。この災厄のような生誕に何の意味があるのか。セイレーンの二人は、憎しみの余り、人を害する事しか出来なかった。愛情を感じる事が出来なかった。


「そうだ。シオランという作家の『生誕の災厄』の朗読を一緒にしよう。王が僕に教えてくれた本なんだよ。“この世に産まれてきたくなかった”って事が“生きる事は苦痛そのものだ”という事が書かれている本なんだ」


「面白そうだね。うん、君が言うなら、きっと面白い本なんだと思う」

 セラスは笑った。シノも笑った。


 そうして、二つの闇が出会い、より強大に闇を深めていく。


 闇の産物のアジトの中で、三人の晩餐会は開かれた。


 どうやって、人を殺すのか。

 何故、人を殺すのか。

 被害者に対して、被害者遺族に対して、何故、こんなにも罪悪感が存在しないのか。人の人生を壊す事そのものが、彼らにとってのどうしようもない救済になるのか。


 人の命を天に還したり、人の命を海に還したりする事が、自分達が生まれた意味なのだと思う。消えてしまえ、こんな世界。滅んでしまえ、人類の文明など。みんな死ねばいい。



「縊鬼がやられたか」

 劣情は、彼女の死をすぐに把握していた。

 絡新婦、本部に劣情はいた。

 信者達が、奇妙な修行をし、そしてお布施を彼女に差し出している。


「次は俺が行きましょうか?」

 禍斗が名乗り出る。


「家族を殺していく、っていう、戦略はいい方法だと思ったんだがなあ。だが、一度、止めるか? くくっ、どうする? ゲームは公平なルールで行った方が面白いのだけどなあ」

 劣情は笑う。不気味に笑う。

 ほの暗い感情が、彼女の中にはあった。

 それはどうしようもなく、膨張し、伸縮を繰り返している。


「さて、と。次はどんなゲームをしようか。連中は真相に近付きつつあるのかもしれない。だが、もし、真相に辿り着いたのならば、それはそれで良しとしよう。また、私が連中を挑発しに行ってもいいかもしれない。とっても大きなパーティーを用意する為に」

 呟く劣情は、何処までも、そう何処までも不気味だった。


 劣情や、あるいは陽声にとって、一連の事件は、結局の処、盛大な祭りでしかないのだろう。禍斗はそれに気付いている為に、彼女達を物凄く怖いと思う。


 生者を選ぶのも、死者を選ぶのも、彼らに達にとってはとても簡単な事なのだ。命というものを尊ぶ、という概念が、そもそも欠落しているのかもしれない。


 禍斗は密かに、長年の仲間であった縊鬼の死を悼む事にした。

 そう、彼女はよくやってくれた。

 これまで、中国マフィアのヒットマンとしてよくやってくれたと思う。

 禍斗は心の底から、仲間の死を悼む事によって、自分と劣情との差異を感じ取るのだった。そして、その差異を埋めようとしてはいけないのだろう。


 殺し屋にも、殺し屋としての情がある。

 それが、禍斗の信念のようなものだった。

 それを失くしてしまえば、自分達は一体、何の為に存在しているのか分からなくなる。彼は縊鬼が貧しかった時代の事を覚えている。殺し屋として生きざるを得なかった人生も知っている。それ故に、ひたすらに禍斗は縊鬼の事を悼むのだった。


「次はお前が行くか? 禍斗よ。それならば『ポルター・ガイスト』を貸してやろう」


 劣情は日本酒を仰ぎ、その日の時まで備えているみたいだった。

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