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葉月の通う大学への襲撃。

 葉月は四限目のドイツ語の講義を半ば疲れ目で聞きながら、このまま行くと授業に追い付けないなあ、と反省しながら終了のチャイムを聞いていた。このままだと単位を落としかねない。正直、みな自分の事を買い被り過ぎている面がある。葉月本人としては不得意なものも多い。外国語を覚えたり、数式を覚えるのなどは苦手だ。小説くらいは高校時代に書いた事があるが、絵画や楽器はさっぱりだ。


「みんな、私を買い被り過ぎなのよね」

 そう考えながら、葉月は少し前から銃の扱いに慣れてきた事を想い出す。

 反魂香や死骸のストックも無限ではない。

 ワルサー、グロック、ベレッタ……あの辺りの軽い銃器を暗器のように隠し持っておきたい、いざとなったら役に立つ筈だ。そう、なるべく軽いものがいい。ああいうのは手軽に撃てて標的に命中すれば何でもいい。


「特殊犯罪捜査課所属なら、学校にも銃火器を携帯していいんだっけ」

 葉月が独り呟いて屈伸運動をしていると、彼女の前に二人の女学生が立っていた。


「どちらさま?」

 葉月は訊ねる。


 一人は、いかにも文系といった感じの野暮ったい眼鏡に、野暮ったい服。ベレー帽をかぶった茶髪にお下げの少女だった。ぱっと見て、彼女から印象の薄い普通の子だな、と思った。


 もう一人は、対照的に、両耳に無数のピアス。唇にもピアスをしており。真っ黒なメイクに真っ黒なドレス。真っ黒な髪の毛を巻いて伸ばしていた。胸元から大きな十字架のペンダントを下げている。どうやら、この大学では、ゴシック・ロリータ・ファッションは葉月ばかりが着ているわけではないみたいだった。彼女は、両腕の皮膚の中に痛々しく紐を編み込んで通す、所謂、コルセット・ピアスというものをしている。左腕には深いリストカットの痕が刻まれていた。


「東弓劣情のお友達って言ったら、分かるかしら?」

 野暮ったい文系の少女が告げた。


 葉月は、それを聞いて、眠そうな眼をこする。


「そろそろ、大学にも襲撃しに来ると思ったけど。勘弁してくれないかしらね? 今は仕事中じゃなくて、プライベート中のつもりなんだけど」

 葉月は、心の底から面倒臭そうに欠伸を出す。


「そうね。こんな処で話すのもなんだから、お茶会に行きましょう。良い喫茶店を知っているわ」

 真っ黒なドレスの女が言った。


「ふーん。貴方の名は? 知っていると思うけど。私はネクロマンサー、昼宵葉月」


「私の名前は、命空(めいぞら)リルカ。『ナイトメア』って、コード・ネームで呼ばれているわ」


「ふーん。リルカね。今度、ドイツ語の授業教えてくれないかしら?」


「別にいいけど」

 リルカは素直に頷く。


 葉月が観察した限りだと、病み系ゴスロリ女のリルカよりも、文系風の女の方が実は性格に難があるだろうと洞察していた。


「で、貴方は?」


「私は雨叶 文薫(うがない ふみか)。貴方より二歳年上だから敬って欲しいわ」


「で、コード・ネーム。あだ名は?」

 葉月は面倒臭そうに文薫に訊ねる。


「聞いて驚きなさい」

 文薫は芝居がかって掌を胸に当てる。


「中学生が考えたような、変な名称じゃないわよね。それなら無い方がいいわ」

 葉月は本当に面倒臭そうに訊ねる。


「私は自らを『サマエル』と呼んでいるわ。死の天使として動いている」

 そう言うと、文薫は自らの胸を叩いた。


 葉月は呆れ顔で失笑する。


「サマエルって…………。聖書においてルシファーやサタンと同一視されているとされる、赤い蛇、神の悪意とも呼ばれる、あのサマエル……? 西太合を崇拝するブラッディ・メリーやファーヴニルを崇拝するアンダイイングの方が、もう少し謙虚だったわよ」

 葉月は、少し可哀そうな人間を見るような眼で、佇む眼鏡の少女の顔を見上げていた。


「ちなみに、この子。就活失敗したら、カルト教団絡新婦に入るらしいわ」

 リルカが、ぼそりと言う。


 葉月は口元を抑えながら、机を叩いていた。


「入信したら、改めて東弓劣情から、適当な日本の妖怪の名前でも付けて貰いなさい。名前負けが酷過ぎるから」

 葉月は面倒臭くなって、屈伸運動を始める。


「ちょっと、それはどういう事っ!」

 文薫は怒り散らす。


「あの、私、そろそろ、本題に入りたいんだけど」

 リルカは少し困った顔をする。


「なに?」

 葉月は訊ねる。


「その、私達」

 リルカは申し訳無さそうに告げる。


「貴方を殺しに来たんだけど」

 ナイトメア・リルカは、黒いマニュキアを塗った右手を構えて何か漆黒のガスのようなものを噴出させていた。


「なに? お茶会の場所って、そこ? 本当に勘弁して欲しいわ。マッド・ティー・パーティーは趣味じゃないのよ。貴方達とは、今後の事も考えて“お友達”になりたかったのだけれどもね?」

 葉月は立ち上がり、即座にカバンを抱えてガスから離れる。

 ……武器になりそうなのは、文房具くらいしか見当たらない。

 喉にペンを突き立てれば、殺せるか…………?



 講義室が燃え盛っていた。


 サマエルを名乗る女が、突然、透明な翼を生やして、空中に浮遊した後、炎の柱を生んだのだった。

 その女……文薫と言ったか。厄介だ。


 リルカを名乗っていた黒いドレスの女は、何処かへと消え失せている。


 葉月はひとまず、校舎から離れる事にした。

 消防車がやってきて、火を鎮火していた。


 サマエル……文薫は放火犯と言った処か。今の処、大学内で死傷者は出ていないみたいだが……。葉月は、人ゴミが多い校内の駐車場辺りへと逃げる事にした。


 ふと、葉月は何かが足元に絡み付いている事に気付いた。


「貴方の為に、特別な椅子を用意したのよ」

 囁き声が聞こえる。

 それは、命空リルカの声だった。

 眼の前が真っ暗闇になった。

 葉月は、何か奇妙な椅子に座らされていた。

 椅子には大量のある道具が設置されていた。


 それらは、スタンガンだった。

 自家製の電気椅子、といった処か。

 身体に、無数の紐のようなものが巻き付いてくる。


 葉月は…………瞬時に、ナイトメア・命空リルカの異能の内実を理解する。

 声か、身体接触か分からないが、それによって、対象を悪夢の世界へと引きずり込む。引きずり込まれた人間が、悪夢の中で死ねば、おそらく現実でも死ぬ。


 ぼんやりと、暗闇の中に、リルカの顔が不気味に現れる。

 それは、まるで、能面のような球体関節人形のような不可思議なコントラストを称えている表情をしていた。


「おひさしぶり」

 命空リルカは唇を歪める。


「貴方の両耳のピアスと。それから、唇のピアス。人間の骨を加工して作った奴でしょ? 戦利品を身につけたがるのね? 首から下げていた十字架のアクセサリーは胸骨を骨組みにしているのかしら?」

 葉月は、抑揚の無い声で訊ねる。


 リルカは、舌を出す。

 舌は、蛇の舌のように割れていた。スプリット・タンという奴か。北欧のバイキングか何かが確か戦利品として敵の骨を身体に身に着けていた。


「大好きな女の子達と一緒にいられるのは心地好いものなのよ」

 リルカは、そう言うと、彼女の顔が闇の中へと消えた。


 バチリィ、バチィ、と、無数のスタンガンは迫っていた。

 葉月は、即座に腕を動かし、巻き付いてきた紐をすり抜けて、落ちていたカバンを拾う。


 そして、あるものをカバンから取り出すと、真っ暗闇の中、声のする方にそれを深々と突き立てた。


 それは、ハサミだった。


 喉に鋭く尖らせておいたハサミが、深々と、命空リルカの喉に突き立てられていた。


 葉月の身体に、巻き付いてきた紐が緩んだ。

 葉月は、即座に血塗れのハサミをリルカの喉から引き抜くと、紐を切り刻んでいく。ハサミを引き抜いた時に、リルカの身体は崩れ落ちた。


 葉月は、何とかして、電気椅子から抜け出す事が出来た。

 葉月は、立ち上がり、闇の中を走る。


「私は私の生み出した、悪夢の世界で私が死んだ場合、現実の私は死なないのよ?」

 倒れて転がっているリルカは、そう呟いていた。


「でも。足止めくらいにはなっているみたいね。お生憎様。貴方達のような人間の襲撃を予測していたから、身近なもので、暗器を作っておいたの。本当は銃を携帯したかったのだけど」

 葉月はそう毒づく。


 葉月は走りながら、この闇を抜ける事を考える。

 おそらく、異能の内実は、異空間の制作ではなく、対象の精神操作だ。

 ならば…………。


 葉月は。自らの左手の小指をひねる、と。

 思い切り、回した。

 激痛が、走る。

 へし折れた。


 ぱっ、と。葉月は、現実世界に戻される。大学の庭園にいた。

 ……自らの激痛で、現実世界に戻る事が出来た。


 十数メートル程、離れた先に命空リルカが立っている。

 彼女は、喉の辺りから、どくりどくり、と、血を流していた。だが、それはみるみるうちに、傷が塞がっていく。……瞬間、幻覚でも見ていたかのように、リルカの喉は何事も無かったかのように綺麗だった。


 葉月は彼女を睨み付ける。


「私に、近寄らないでね? 貴方の異能には射程距離みたいなものがあるでしょう? これ以上、私に近寄ったら、今度こそ喉を裂く」

 葉月は、研ぎ澄まされたハサミを手にしていた。

 リルカは、口元を歪めながら、葉月の言う通りにして、まるで動かない。……まるで、いつでも始末出来るとでも言っているように……。葉月は彼女のその態度に“甘える事”にして、ひたすらに走って逃げ続けた。



 サマエル・文薫が、到着する。


 葉月は一点の曇りも無い真っすぐな視線で彼女を見つめる。


「これはプロファイリングなんだけど」

 葉月は、深呼吸をすると、少し加虐的な表情になる。


「貴方、いじめられっ子だったでしょ? それも長い間。三年間……いや、五年以上はいじめられていた経験があるわね。少し酷いいじめだったみたいだわね。ご愁傷様、他人を見る時に眼を合わせられない。他者に対する根源的な恐怖が伝わってくるわ。それから、両親には充分に溺愛された。特に父親かしら? 欲しいものねだったら買ってくれるタイプの父親。でも、学校での自分と家での自分を使い分けるしかなかった。ご両親を悲しませたくなかったから。それから、人間は嫌いだけど、動物は好きってタイプ。犬とか飼ってた? 読んでる本は周りにはロマンチックな現代作家が書いた恋愛小説だとアプローチして、裏ではマルキ・ド・サドとか残酷でエゲつない物語が好きなタイプ? シェイクスピアの悲劇とか好きでしょ。人が死ぬミステリー小説とか漫画とかで沢山、妄想を膨らませてきたわね。後、それから好みの男性は尽くして依存してくるタイプ………他には」

 葉月はまくしたてるように言った。


「何を…………っ! ちょっと………………」

 文薫は完全に混乱しているみたいだった。


「え? 結構、間違えていた?」

 葉月は、おどけたような口調で訊ねる。


「なななななな、なんで、なんで、私の事を何から何まで知っているのよっ! 怖いわよっ! 気持ち悪いわよっ! 初対面なのにっ! 他人の心でも覗けるの? ねえ、覗けるのかしら? ば、化け物がっ! 貴方、本当に異常者よっ! 間違っているわ、貴方の存在はっ! この世に存在してきた事が間違えているっ! 殺してやるわ、殺してやる、私の秘密をこんなにも知っているなんて、殺してやる」

 文薫は、発狂しながら、荒れ狂っていた。


 そして、半ば、戦意を喪失したみたいだった。


「後、他には。貴方、言葉で打ち負かされたら、完全に弱くて、抵抗出来ないタイプでしょう。殺してやるとか言って、もう貴方は負けてる」

 葉月は、興味なさげに、大学の外を出ていった。


 夜の帳が降りる中、校舎はなおも灼熱の紅蓮の炎によって燃え続けていたが、奇妙な事に炎が別の場所に燃え移る事は無かった。

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